『結婚してよかったなぁと思った瞬間』など短編5話【6】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『結婚してよかったなぁと思った瞬間』など短編5話【6】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【6】

 

 

なんのフォローもできなかった

おれが成人式を迎える前に、母がガンであっさり死んだ。
母方の祖父母は、目に見えて衰弱が進んだ。
当時、むだに上京して大学へ通っていたおれは、
人一倍おばあちゃん子だったのに、なんのフォローもできなかった。
休みに帰省しても、地元の友人たちと夜遊びばかり。
一緒に年越しそば食ったな。惣菜買ってきて飯も食ったな。
でも義務感が大きかった。夜遊びしたくて疎ましくも思っていた。
親戚が2人ともホームに入れた。
おれは無事に就職できた。ばあちゃんに報告したかったのに。
卒論出す直前に死んだ。
葬式から帰って、いまは潰れた行きつけのバーで、
ズブロッカ3本あけた。なにをしゃべったかは覚えてない。
翌々日ぐらいにまた行ったら、バーテンに
「なにかヤなことあったの?」
訊かれたってことは、肝心なことはなにもしゃべってなかったみたいだ。

おれは完全にやる気がなくなった。
自分の生活になんの価値も認められないやつが、
なぜ食うためにがんばることができる?
仕事を辞めて、誰もいなくなった実家に帰ってきた。
まだこの家にいたころ、ばあちゃんが痴呆防止につけてた日記があった。
たどたどしい字で
「やっぱり○○(俺の名前)がいいよ」
「煮付けがうまくできない」
「心の中にも雨がふる」
「なんのために生きているのか」
80年も生きてきて、なぜそんな思いをしなきゃならないのか。
長男を亡くしながら戦争を生き抜いて、主婦として旅行もせず、
育てた娘に先立たれ、孫はバカ。

それから4年。
むちゃくちゃに荒れた。違法行為こそしなかったが、フリーターのくせに
風俗、キャバクラ、パチスロにどっぷりハマッて年収以上に借金した。
ばあちゃんに会いたくてたまらない。
スーパーに行くと、ガキのころ一緒に買い物したのを思い出して
泣きそうになってた。
遺品が整理できなかった。どれも捨てられない。
じいちゃんはおれの顔もわからない。
ことばは出ず叫ぶだけ。ほぼ寝たきり。
2ヶ月前に死んだ。

幸か不幸か霊感はまったくない。
虫の知らせも夢枕にもなにもなかった。
おれはいまでも会いたい。
ガキの頃に戻りたいのかもしれない。
ぼんやり時間を過ごしてたら、まだばあちゃんに会う資格がない。
バイト、正社員問わず6,7回転職した。
やっと学歴がムダにならない仕事に就けた。
opportunity、女学校出てたばあちゃんがガキの頃おしえてくれた単語。
辞書引かないとスペルわからなかったよw
こんなだらしない孫でも、期待していてくれたっけ。
これからは、たくさん忙しく。でも快活に。
ばあちゃんの二十分の一ぐらいは、せめてがんばりたい。
初出勤ひかえて、いったん整理してみました。

 

結婚してよかったなぁと思った瞬間

俺はやっぱり仕事行く時と仕事から帰った時かな。
職場がちと遠方なもんで朝この時期だとまだ暗いうちに出勤なんだが
玄関で見送ってから窓から手を振ってくる。
玄関閉めた後窓まで小走りしてるんだろうなと想像すると、出勤が億劫な日でも気持ちが和らぐ。
仕事帰りにミネラルウォーター買って帰るのが日課。ただいま~って玄関あけると家事とかしてても
お帰り~って飛んできて荷物受け取ってくれる。
んでたまに菓子なんかを買って帰るんだが、袋の中身を出しながら生菓子の日は見つけるといにこにこしながらそいそと冷蔵庫に入れてるのを
こっそり見るのが結構好きだったりする
だから帰った時嫁さんが風呂とか入っててお帰り~が聞こえないとくだらないかもしれんが軽く凹む
結婚して数年経つがずっと変わらず毎日見送ってくれて出迎えてくれる嫁さんに感謝。

 

 

お別れ

子供の頃、ペットを買えないマンション住まいで親がペット代わりとモーラーを買ってくれた
そりゃもう、とても大事にして毎日なでていた
そんなある日モーラーの目がポロリと取れた
母はモーラー死んじゃったねとゴミ箱へ
何で捨てるんだと抗議すると母曰く「こうすると火葬され天国へいける」
それを信じた俺はモーラーにお別れを告げた
それからというもの、天国のモーラーが淋しがっているだろうと
折り紙に一枚ずつだけ入っている宝物の金と銀の裏にモーラーへの手紙を書きゴミ箱へ投函してた

 

 

俺には勿体無い

無口だしノリが良い方じゃないから誤解されやすいけど、ただ人見知り+照れ屋なだけで本当はすごい優しい彼女。
ブサで仕事行く以外は半ヒキな俺には勿体無いくらい良い子。二人で飯食いに行った時、俺の昔の同級生(他人を貶して笑いを取るようなDQN)が俺に気付いて絡んで来た事があった。
案の定「お前でも彼女出来んだなw」とか「知ってる?こいつクラスでずっとハブられてたんだぜwww」とかベラベラ喋ってくれた。
情けない話もうトラウマレベルの思い出だったし俺が何も言えないでいたら、普段無口な彼女がいきなり「私は俺さんが好きです!!」って叫んだ。

「俺さんが何か悪い事をしましたか?貴方に何か危害を加えた事があったのですか?ないならいいじゃないですか!!
俺さんは優しい方です!!私みたいな根暗にも普通に接してくれました!私は俺さんが大好きなんです!!」

もう最後は涙声だったし、DQNも彼女の勢いに飲まれて黙りこんでた。
後で聞いたら彼女も昔イジメまではいかないけど小馬鹿にされてた時期があったらしく、それがその時の状況と重なってあんな風に叫んじゃったらしい。
それ聞いて俺も泣いた。ずっと大事にしていきたいです。

 

 

愛してくれてありがとう

二年前に亡くなった母のことを。
母が亡くなったのは、二年前のクリスマスイヴ、私の成人式の10日前のことでした。
普段病気ひとつしない母が、珍しく風邪で寝込んで一週間、私は、出先から帰ってきて母に
「具合はどう?病院行かないの?」
と聞くと
「ただの風邪だから大丈夫。明日一日休んだら仕事できそう。(うちは自営業)あのね、プリン食べたいから買ってきてくれない?」
「今日は疲れたからまた明日買ってくるね。」
「分かった。成人式まであと10日だね。写真いっぱい撮るね。」それが最後の会話でした。その日の夜中母は胸部大動脈解離という病気で急死しました。
母の最後の願いも聞いてやれず、ろくな親孝行もできないままでした。
あと、三か月で学校も卒業して、少しは楽させてあげれたのに…
自分より、家族のことばっかりだったお母さん。私が、学校の課題の材料を持っていると、
「それどうしたの?」
と聞かれました。我が家は決して裕福なほうではなかったし、母は早朝から夜遅くまで働いていてこれ以上負担を増やしたくなかったので、
「買ったんだよ。私もバイトしてるし、学校行かせてもらってるんだから、教材ぐらい自分で買うよ。」
と言うと
「何言ってんの!!学校でいるものぐらい、お母さんが出してあげる。バイト代は、自分のために貯めておきなさい。」
と言われました。
いちばん近い存在で、いつも味方をしてくれていたお母さん。
お母さんが楽しみにしていた成人式、お母さんの着た振袖を着てでましたよ。見てくれていましたか??
お母さんの子どもに生まれて本当によかった。お母さんは人として、母として、私の目標です。
沢山愛してくれてありがとう。

泣ける話じゃないかもしれないですが、母の死から今年のクリスマスイヴで二年たってやっと涙を出さずに母のことを語れるようになったので、書かせていただきました。

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