『どこまでついてないんだろう』など短編5話【85】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『どこまでついてないんだろう』など短編5話【85】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【85】

 

 

思い出作りじゃー!

俺の病気が発覚したのが丁度1ヶ月前。
ステージⅢ後期の大腸癌っていう診断だった。
リンパも腫れていて転移も十分考えられる。結構ヤバイ状況だと。

嫁に「すまんっ!もしかしたら手術間に合わんかも知れない」
と言ったら、俺の嫁、凄い奴。
「○○(娘)と、今まで忙しかったから、あんたはあまり遊んでないやろ? それやったら手術まで、私も仕事を全部休むわ。思い出作りじゃー!(笑)」って。
それこそ色んな所へ行った。遊んだ。

俺の体調が悪い時には、「休んでたらいいよ」って、ずっとハンドルを握ってくれた。
ディズニーランドへも行った。
慣れないカメラを握り締めて、汗だくになって、必死に俺と娘のドナルドのスリーショットを撮ってくれた。
2週間丸々、嫁ともうすぐ2歳になる娘と共に家族で目一杯過ごした。
本当に楽しい毎日だった。

8月になって、手術の為に入院生活に入った。
そして昨日、2週間あまりの入院を終えて退院した。
大腸や周辺リンパをけっこうゴッソリ取ったにしては医者もびっくりの回復で、当面は大丈夫そう。
病院に迎えに来てくれた嫁に、今しかないと、準備してたセリフをきり出そうとした矢先に嫁が、「私もちょっと病院行きたいねん」と言った。
出鼻を挫かれた俺は、そのままヨタヨタ歩いて嫁の運転する車に乗り込んだ。

車が着いた先は産婦人科の駐車場。
「死んでる暇無いで」って、助手席の俺を横目で見ながら悪戯っぽく笑った。
あっけに取られて、昨日は結局言いそびれてしまいましたわ。
今晩、もう一回チャレンジします。

 

 

ボロボロになった妹の体

被災したとき、俺はまだ中学生でした。

全開した家で、たまたま通りに近い部屋で寝てたので、腕の骨折だけで自力脱出できました。
奥の部屋で寝ていたオカンと妹はだめでした。
なんとかしようにも、あたりも真っ暗、俺も怪我していて手作業ではどうしようもなく、明るくなってからようやく近所の人に手伝ってもらって瓦礫をどけながら、必死で掘り返しました。
でもどうしようもなかった。

半日以上たってから、自衛隊の人を見かけて夢中で助けを呼びました。
数時間以上かけたと思います、自衛隊の皆さんは瓦礫の中から母と妹を救助してくださいました。
残念ながら母も妹はすでに亡くなっておりました。
その後、家は家事で焼け落ちました。
あの時自衛隊の皆さんが来てくださらなかったら、妹の遺骨を焼け跡から拾うことになったのかも知れません。

ボロボロになった妹の体を引きずり出して、「ごめんなぁ」とつぶやいた自衛隊の方の顔を俺は一生忘れません。
あの時は、本当にありがとうございました。

それから、俺の怪我の手当もしていただきました。
ありがとうございました。
政治家が何を言おうと、俺達はあのときの皆さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。

 

ばぁちゃんのカレー

ガキの頃の夏休み、父方の祖父母の家へ行くと、絶対に出るのがカレーだった。

ばぁちゃんが「水くさくないか?」とか言ってきた。
なんのことかと思ったがすぐに「水っぽい」ということだと気が付いた(兵庫弁らしい)。
確かにすごい「水くさい」カレーだった。
普通のカレーを倍くらいに水増ししたような感じと思ってもらえればいいだろうか。おまけにご飯も水くさい。

正直まずかったのだが、いつも「いえ…おいしいです」と答えていた。
ここらへんは、こずかいを期待する孫としての、当然の発言だろう。
ガキが喜ぶもの=カレーという考えだったのか、そこにいる間は毎晩カレーカレーカレー。
もう勘弁してくれよ!と思った。俺以外の兄弟もそう思っていただろう。
親父も苦笑して「外食にしようか」と言って、みんなでカレーから逃げ出した。

親父が言うには、前からばぁちゃんのカレーは「水くさい」ものなんだそうだ。金のことでは苦労したひとだったから必然的にそうなったのかもしれない、と。文字通り水増ししたカレー。
そういや、こずかいもあんまりくれないよなぁ、ケチだよなぁと子供心に思ったものだ。

かなり前、ばぁちゃんは天寿を全うした。
じいちゃんは老人ホームへ行った。
親父の実家には誰もいなくなり、そこへ遊びに行くこともなくなった。
俺といえば社会人になり、もうばぁちゃんのことなんて、ほとんど忘れていた。

あるとき、たまたまお袋がいなくて俺が夕飯をつくることになった。
とくに何も考えずにカレーを作った。
適当に作ったもんだから、それが大失敗。
とってもうすいカレーになってしまった。

仕事から戻ってきた親父にそれを出して、「いや~『水くさい』カレーになっちゃった、ははは」と笑いながら言ったら、親父は突然ボロボロと泣いて、カレーを食いはじめた。
完全に忘れていたのだが、その日はばぁちゃんの命日だった。
俺だけじゃなくて、家族みんなが忘れていた。
すごく気まずい気持ちで、みんな黙ってカレーを食った。

それ以降、ウチではばぁちゃんの命日はカレーの日となった。
「水くさい」カレーの日。

 

 

どこまでついてないんだろう

たぶんどうでもいいことが原因で旦那と喧嘩をしたあの日、育児にも疲れ、夫の家族と同居していた私は姑たちともうまくいってなくて、ほとんど育児ノイローゼ寸前でした。

それでも家事はしなければいけないし、娘も私のイライラがうつったのかグズって泣き止もうとしません。
途方に暮れながらも、お米が切れているのを思い出し、娘を抱っこして買い物に出ました。
お米と食材を買い、そのままどこか消えてしまいたい気持ちでいっぱいな私に追い打ちをかけるように雨が降り出しました。
傘もないし、もう走る気力もない、どこまでついてないんだろう……。

娘と一緒に自分も泣き出しそうだったその瞬間、
「ボロボロの傘でよかったら」
と知らない青年が少しくたびれた傘を渡してくれました。
すごく優しい声で、まっすぐ私を見て傘を手渡す彼が天使に見えました。

娘もその優しい声に触れたのか、すぐに泣き止んでニコニコしだしました。
最近は娘にも優しくできず、こんな笑顔を見たのは久しぶりかも、いや娘の笑顔に関心を持てないほど心がすさんでいたのかな、と思うと心から後悔しました。

旦那と結婚したときの幸せな気持ち、娘が生まれたときに「天使が生まれた」と一緒になって喜んだときの気持ちを思い出しました。
思わず涙があふれそうになり、娘を見ると笑顔で私を見つめています。
この子の笑顔を見るためなら頑張れる、旦那に対しても感謝の気持ちを忘れていたかもしれない、そう思いました。

旦那はいつも譲歩してくれるのに、私はイライラしてぶつけてばかり。
反省していること、感謝していること、これからも一緒に頑張りたいことをその夜旦那に伝えて仲直りし、旦那もできるだけサポートするからと言ってくれました。

あのときの青年は、天の使いだったんじゃないかと今でも思います。
傘を見るたび、がんばろうって思えるようになりました。

 

 

泣いていいのは、頑張った人間だけ

「泣いていいのは、頑張った人間だけ…。」
そう言って寂しそうに笑う君を見て、胸が締め付けられた。

君は泣いていいんだよ。君は頑張ってたよ。
両親を救えなかったから君は頑張ってないと言う。
姉を失くしたから君は頑張ってないとう。
僕達に子供が出来なかったのは、君の努力が足りないからじゃない。

最期、「君は頑張った。」と言うと、君はボロボロ泣いたね。
「ありがとう、ずっと誰かに認めてもらいたかったの。」なんて。
僕はそんなに無理させてたんだね。
気付けなくてごめんね。

僕はこの12年間の謎がやっと解けた気がしたよ。
君の事がやっとわかった気がしたよ。
君の肩の荷が降りたことを願います。最後に。

僕は君と過ごした12年間、めちゃくちゃ幸せでした。
君はどうだった?
僕は、何度も言うけど涙が出るくらい幸せだったよ。
また次の人生でも、僕は、君と出会って、恋に落ち、君と共に四季を巡り、君と共に歩んで行きたい。
不甲斐ない僕を支えてくれてありがとうございました。
来世で待ってて。

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