感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【91】
祖父と小隊長のおじいさんが再会
仕事でどうしようもないミスをしてしまい、次の日に仕事に行きたくないと鬱ぎ込んでいた時の事だ。
家に帰りたくなく、仕事帰りにいつもは乗らない電車に乗って他県まで行ってみた。
そこの大き目の駅で降り、お腹が空いていたので飲み屋に入ったんだ。
サンマ定食とビールを頼んでぼんやりと俯いていると、隣席のおじいさんに話し掛けられた。
随分と負のオーラが出ていた自分が心配だったそうだ。
白髪で薄い髪だったが、左目の下に大きな古傷が印象的なおじいさんだった。
仕事の話をしても仕方ないと思いつつ、聞いてもらえるのが嬉しくてべらべら愚痴ってしまった。
終いには嗚咽交じりになってしまった自分の背中をさすってくれて、私が泣き止むとウーロン茶をご馳走してくれた。
その時、こう言ってくれたんだ。
「私が君くらいの時は戦争があったから、仕事の悩みなんてなかった。
でも恐い上司は居たよ(笑)。それと大事な部下もね。
君が悩んでいるのは仕事に真剣に取り組んでいるからなんだ。
その事を自信に思って欲しい。
いつか君が部下を持った時に君が守ってあげられるよう、今は辛いが挫けてはいけないよ」
それから戦時中の話(陸軍の小隊長としてビルマという所で戦っていたそうだ)をしてくれた。
地雷原を突破する時にもう絶対駄目だと思った事、それでも生き残れた事を静かに語ってくれた。
私は自分が修羅場だと思っていた事と、地雷と弾丸の嵐の中を走れと言われた事とを比べて恥ずかしくなったよ。
でもそれに加えて、この話をどこかで聞いた事があるなと思ったんだよね。
それは多分、同じく戦争体験者の祖父の話。
それで聞いてみたんだ。
「○川○○(祖父の名前)という名前に聞き覚えはありませんか」
それまでおっとりしていたおじいさんの背筋が伸びたかと思うと、私の顔をマジマジと見て
「○川○○、上等兵。小銃の扱いに関して天才だった」
と言う。
私は驚いたが何とか孫である事を伝え、祖父が酔うと話してくれた戦争の話をした。
それでこのおじいさんとの話に随分食い違いがあってさ。
祖父の話
要約すると戦地で足とお腹を撃たれ、仲間におぶってもらってやっとの事で帰って来た。
おじいさん(祖父の所属していた隊の小隊長)の話
祖父は小銃射撃の名手(所謂スナイパー)で、いつも危険な場面を真っ先に志願していた。
ビルマ戦線で退却中に地雷地帯に迷い込んでしまい、退却速度ががた落ちになってしまった。
その時に最後尾で敵を食い止めたのが私の祖父だが、その最中に銃弾を足と腹に受けてしまった。
おじいさんたちは地雷の除去で安全地帯を作った後、祖父を省みたが倒れていて苦しんでいたそうだ。
助けに戻ろうとした時に祖父が
「俺はここまでです、一発でお願いします(頭か心臓を撃ってくれの意)」
と頼んだそうだ(当時の日本軍人にとって、捕虜になる事は死ぬより恥だった)。
でもおじいさんはそんな祖父を見捨てず、地雷原の中に戻って祖父をおぶって逃げてくれた。
祖父に聞いた時は
『何てドジなじいちゃんなんだろ。助かって良かったね』
と思っていたのに、こんな真相だったとはえらい衝撃でした。
祖父ばかりか孫の私までこのおじいさんに救っていただいて、本当の意味で恩人です。
この度、祖父と小隊長であるおじいさんが再会し、お酒を飲む事ができたので記念に投稿しました。
癌のお父さんに花嫁姿を見せるため
大学生の時、友人Aちゃんは彼氏B君と同棲していました。
二人ともまだ学生だったため、両親から
「交際は許すが結婚はまだまだ先の事。責任を持った交際をすること(避妊をしっかりするように)」
と言われていました。
大学3年になり、Aちゃんのお父さんが癌で1年持つか分からないと家族だけに伝えられました。
Aちゃんも彼氏B君も将来は結婚をお互いに考えていたので、花嫁姿を見せるために妊娠してから出来ちゃった結婚をしました。
妊娠をお父さんに伝えた時は、罵倒され殴られたそうです。
しかし自分が癌であると知らないお父さんに
『生きているうちに孫と花嫁姿を見せたかった』
と言える訳もなく、何度も説得してやっと結婚を許してもらったそうです。
結婚式が近付くにつれ、痩せ細るお父さん。
ただただ、間に合ってと皆が願っていました。
結婚式では車椅子を断り、チャペルのバージンロードを花嫁と一緒に自力で歩くお父さん。
事情を知っていた私は、感動と複雑な気持ちで涙が止まりませんでした。
結婚式も無事に済み、その2ヶ月後に待望の赤ちゃんを抱っこしたお父さん。
そして一週間後に亡くなりました。
お葬式の後、お父さんのノートが見つかりました。
そのノートには、死を覚悟していた事、花嫁姿を見られて孫を抱っこ出来た事へのお礼が書かれていたそうです。
交通整理のおじさん
今日、近所の交差点で車に乗り信号待ちをしていると、前方の右折車線でジリジリ前進している車がいた。
明らかに『信号が青になった瞬間に曲がっちまおう』というのが見え見え。
この道路は主要幹線で交通量も多い。
確かにこのチャンスを逃したら、右折信号が出るまでの数分は足止めを食らうだろう。
俺は、「ほんの数分も待てねーのかよ」と毒づきながら、信号が変わる瞬間を待っていた。当然、譲る気は無い。
昼飯前の空腹感と暑さが、俺を少々苛立たせていた。
すると、いきなり俺の左の車線の車から中年の男性が降りて来た。
自分の車を放って置いて。その車には誰も乗っていない。
もうすぐ信号が変わる大通りで信じられない出来事。
そのおじさんは、俺の車の前に背を向けて立ち『止まっとけ』のサインを出しつつ、右折しようとした車に『早く行け』と手を振った。
右折車が、結構なスピードで右折して行く。
しかし、俺の目にははっきりと見えた。苦しそうな顔の女性が。
助手席の窓にまで達した大きな腹。明らかに妊婦。
俺は咄嗟に助手席の窓を全開にし、小走りで車に戻ろうとしていたおじさんに叫んだ。
「ありがとう!全然気付かなかったよ!」
おじさんは、ちょっとびっくりしたような顔をすると、
「仕事が交通整理なんでな!」
と、笑いながら言い返してきた。
その顔の誇らしげなこと。
とても眩しく見えた。
後続車の猛クラクションの中、俺たちは慌てて発進した。
ハザードを二回焚く。
多分、隣の車も。
結果的に俺は何も出来なかった訳だが、あそこで「ありがとう」と言えた自分に感謝したい。
素直な感謝の気持ちをそのまま言葉にする。
自分が本当に思っていることを口にして言うだけなのに、それが恥ずかしくて出来なかった、愚かな俺。
今まで、本当に言いたいことも言えず、へらへら生きてきただけの自分を後悔する毎日だったから。
それがちゃんと出来ることを教えてくれたおじさん、本当にありがとう。
そして、あの時の妊婦さんが元気な子供を生んでくれることを、心からお祈りします。
教育の究極の目的
私が考える教育の究極の目的は『親に感謝、親を大切にする』です。
高校生の多くは、今まで自分一人の力で生きて来たように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。
これは天草東高時代から継続して行ったことですが、このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。
式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、私が最後の授業をするんです。
そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。
「今まで、お父さん、お母さんに色んなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。それを思い出してみろ。交通事故に遭って入院した者もいれば、親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。
「お前たちを高校へ行かせるために、ご両親は一所懸命働いて、その金ば沢山使いなさったぞ。そういうことを考えたことがあったか。学校の先生にお世話になりましたと言う前に、まず親に感謝しろ」
そして、
「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、今お父さんお母さんが隣に居られるから、その手ば握ってみろ」
と言うのです。
すると一人、二人と繋いで行って、最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。
「その手がねぇ!十八年間お前たちを育てて来た手だ。解るか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?お前たちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、お前たちを育てるために、大変な苦労して来られたからたい。それを忘れるな」
その上で更に、
「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、心から感謝すると思う者は、今一度強く手を握れ」
と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。
私は、
「よし、目を開けろ。解ったや?私が教えたかったのはここたい。親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
と言って部屋を出て行く。
振り返ると、親と子が抱き合って涙を流しているのです。
お姉さんのくれたチョコ
少し嬉しかった話。
去年の冬、高校受験もラストスパートの時の話。
中学の成績はなかなかだったから、志望校は進学校にした。
しかし中学3年生になってから全然成績が上がらない、と言うか下がる一方。
それは当たり前。
受験前なのに1日2時間勉強すれば良い方だったから。
流石にまずいと思い始めて真面目に勉強するようになったけど、やはり始めるのが遅かった。
成績が全く上がらない。
自業自得だけど、思い直してからは人並み以上に勉強していたから、
「何で上がらないんだろう。私なんて…」
という感じで、もう軽く鬱っぽかった。
母子家庭だから、私立にはなるべく行けない。
でも成績は上がらない。
上がったとしても褒めてくれる人も誰も居ない。
親は仕事でいつも居ないし。
そして、冬のある日のこと。
もう何か全てどうでも良くなり、高校に行ければもういいや、という気持ちになっていた。
そんな感じで過去問をコンビニでコピーしていたら、入って来たお姉さんもどうやらコピー機を使うみたい。
過去問のコピーは時間がかかるから、その人に譲った。
それでまたコピーし始めていたら、そのお姉さんが来て、チョコを差し出した。『へ?』という感じでボーッとしていたら、
「私も今年大学受験なんだ!あなたは高校受験かな? 過去問コピーしてたから、頑張ってるんだなあって思って!
辛いかもしれないけど、頑張ってね!
思い詰めないで、偶には休んでもいいんだよ!チョコでも食べてさ!」
それだけなんだけど、何だか凄く嬉しくて。
頑張ってね、なんて言われたのもそう言えば始めてで。
チョコを受け取ってさよならした後、少し泣いてしまった。
そのチョコは凄く甘くて、何だか気持ちが変わって行く気がした。
その日から、ますます勉強した。
その日から、お姉さんのくれたチョコが好きになった。
お姉さんのおかげで、もう一回やる気を取り戻せた。
今は、その志望校に通っている。
お姉さん、元気かな…。
ありがとう!!
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