『指切りげんまんの結婚式』など短編5話【17】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『指切りげんまんの結婚式』など短編5話【17】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【17】

 

 

絹の白いマフラー

佐賀県鳥栖市の小学校へ二人の若い特攻隊員が走ってきました。
「自分たちはピアニストを目指していた芸大の学生だったのですが、今は特攻隊の隊員として明日出撃しなければなりません。
死ぬ前にどうしてもピアノを弾きたくて、でもどこもオルガンしかなくてこの国民学校に唯一ピアノがあると聞き、基地からここまで走ってきたのです。
どうかピアノを貸してくださいませんか?」

それを聞いた音楽担当の女性の先生は1冊の楽譜を持ってきました。
ベートーベンの月光ソナタです。
この小学校にはドイツ製のフッペルという素晴らしいグランドピアノがありました。
先生は空襲のたびにバケツを持ってこのピアノを守っていました。
隊員は楽譜をピアノに置くと、1楽章2楽章と弾きつづけました。
そして第3楽章が終わったとき、生徒たちから拍手が起こりました。
生徒の一人が声をかけました。
子供たちにとって絹の白いマフラーをした特攻隊の隊員は憧れだったのです。
「僕たちもあとに続きます!」しかし、特攻隊のお兄さんはこう答えました。

「君たちは行かなくていい。
君たちが死ななくてもいいように、お兄さんたちが死んでいくんだよ。
君たちは戦争が終わったらこの日本を立て直すんだ。
いいね」
そうして翌日、飛び立って行ったのです。

ドイツの、今はもう無い「フッペル(HUPFER)」というメーカーのピアノで、このメーカーのピアノは日本に2台しかないとのことです。
ちなみにもう1台は、偶然同じピアノを使われていた高知の声楽家の方から寄贈されたもので、鹿児島県の知覧町にある「特攻平和会館」に展示されているそうです。
このピアノを作った「フッペル」というメーカーは、ナチスドイツによって取り壊されてしまったが、「スタインウェイ」は、アメリカ資本だったことが幸いして、アメリカによるドイツ爆撃対象から外れ、工場が焼けずに残ったために、戦後、戦災を被ったドイツの他のピアノメーカーに先んじて、世界中の音楽ホールを一挙に制することが出来たという歴史的経緯があるそうです。

鹿児島の南に知覧という町があります。
その特攻基地から飛び立つ戦闘機に近くの女学生が桜の枝を戦闘機に差して見送りします。
飛行機が飛び立つと空から桜の花がヒラヒラと落ちてくるのです。
そうして羽を3度左右に振ります。

これが「祖国よさらば」の合図です。
ちょうど富士山とそっくりな形の開門岳が祖国日本の最後の姿なのです。

それに別れを告げて、6000人もの若者が沖縄の海に散っていきました。

 

 

指切りげんまんの結婚式

由香ちゃんが近所に引っ越してきたのは、まだ小学校三年生のときでした。
ときどきわが家に電話を借りに来るのですが、いつも両親ではなく由香ちゃんが来るので、おかしいなと思っていたのですが、しばらくしてその訳がわかりました。

由香ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障がいがある方で、お母様は言葉を発することが出来ません。
親御さんが書いたメモを見ながら、一生懸命に用件を伝える由香ちゃんの姿を見ていると、なんだか胸が熱くなる思いでした。
今なら携帯電話のメールがありますが、その時代を生きた聴覚障がいを持つ皆さんは、さぞ大変だったろうと思います。
由香ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、それから間もなくのことでした。
しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい少女だったのに、ご両親のことで、近所の子供達にいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。
そんな由香ちゃんも中学生になる頃、父親の仕事の都合で引っ越していきました。
それから十年余りの歳月が流れ、由香ちゃんが由香さんになり、めでたく結婚することになりました。
その由香さんが、
「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」
と頭を下げながら、わざわざ、招待状を届けに来てくれました。
私は覚えていなかったのですが、
「由香ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。だから負けずに頑張ってネ」
と、小学生の由香ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。

そのとき「ユビキリゲンマン」をしたのでどうしても結婚式に出て欲しいというのです。
「電話でもよかったのに」
と私が言うと、
「電話では迷惑ばかりかけましたから」
と由香さんが微笑みました。
その披露宴でのことです。
新郎の父親の謝辞を、花嫁の由香さんが手話で通訳するという、温かな趣向が凝らされました。
その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、お互いの呼吸を合わせながら、心をひとつにして進みました。
「花嫁由香さんのご両親は耳が聞こえません。
お母様は言葉も話せませんが、こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。
障がいをお持ちのご両親が、由香さんを産み育てられることは、並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。
嫁にいただく親として深く感謝しています。
由香さんのご両親は“私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません”と申されますが、私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、最高の誇りに思います」
新郎の父親の挨拶は、深く心に沁みる、感動と感激に満ちたものでした。
その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた由香さんの姿こそ、ご両親への最高の親孝行だったのではないでしょうか。
花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、大きな大きな拍手の波が、いつまでも披露宴会場に打ち寄せました。

その翌日。
新婚旅行先の由香さんから電話が入りました。
「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、我が家の約束ごとでした。
ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」
という由香さんの言葉を聞いて、再び胸がキュンと熱くなりました。

 

最高のおもてなし

ある日、東京のリッツ・カールトンの予約センターに、一本の電話がかかってきた。
そのお客様は、故郷の年老いた母が上京するのでぜひ、リッツで泊まらせたいと。
「母は若い頃、東京の浜松町で仕事をしていました。最後の東京見物に、娘として、母の誕生日に東京での滞在をプレゼントしたい」
電話を受けた担当者は、さらに話を聞きました。

するとなぜ、そのお客様がリッツを望まれまのかがわかった。
ある雑誌に「東京タワーが見えるホテル」として紹介されていたのです。
リッツでは予約の電話を受けた際に15分~20分も時間をかけることがある。
その会話の中からホテルに対して、お客様が何を求めていらっしゃるかを可能な限り先読みするためです。
調べてみると、あいにくその日は「東京タワーの見える部屋」は満杯でした。
東京タワーの見える部屋と言って指定されたわけではありません。
でも予約係は、こう答えたそうです。

「申し訳ありません。
お客様にお薦めしたいお部屋は、あいにく全て埋まっております。
しかし芝公園にご希望にぴったりのホテルがあります。
そのホテルの担当に知り合いがいますので、そちらの方からお客様にご連絡させて頂いてもよろしいでしょうか。
お母様にお喜び頂けるお部屋をご用意して下さると思いますよ」

そして、そのお客様がお泊りになる当日、リッツ・カールトンのグッズと一緒に次のようなメッセージを届けます。
「このホテルのお部屋からは東京タワーだけでなくリッツ・カールトンも見えますので、手を振って下さいね」

元ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野さんは言います。

「心からお客様に喜んでもらうとはどういうことか。
そのお客様にとって最高の時間を過ごしていただくために自分にできることは何か。
心の制約を外して考えれば、お客様の視点に立った提案ができます。
今回はリッツをご利用されないという結果になっても、お客様との間には見えない信頼が生まれます。
それを信じてお客様に尽くすという事。
一見遠回りのようですが、それがお客様との絆を築いていく近道でもあるのです。
意識するのはライバルではない」

 

 

猛暑の中での嬉しい出来事

所用があり、車で出掛けて帰宅する途中、
タイヤがバーストしてしまったんだが
1キロも走れば自宅に着くという変な安心感から、
無知な私はそのまま車をのろのろと
自宅に向かって走らせていた。
あまり人通りの多くない細い路地に入ったら、
白いシャツに紺のスラックスをはいた
営業マンっぽい30代後半くらいの男性が
私の車を見た途端、慌てた様子で「車を止めて!」
というジェスチャーをしたので、言われた通り停車した。

男性 「ちょっとあなた、タイヤがパンクしてるよ!」
私 「はい、判ってます。家がもう近くなので、
このまま帰っちゃおうかと思って…^^; 」
男性 「いやいや、このまま走ったらホイールまで
潰れてダメになっちゃうから、責めてスペアタイヤに替えないと危ないよ。」
私 「えっ、そうなんですか。でも、タイヤ交換の仕方知らないし、めんどくさいから
このまま走っちゃいます。」
男性 「だから、ダメだって。危ないって!じゃあ、おじさんがタイヤ替えてあげるから。」

その時は確か午後2時くらいで、
滅茶苦茶あっつい日だったのにも関わらず、
炎天下の中
何度も断った私に、遠慮しないでとその男性は
全身汗だくになりながらスペアタイヤに
交換してくれた。
終わった時には、もう本当に水をかぶったように
汗びっしょりになっていたので、
申し訳なくて申し訳なくて、何度もお礼を言った。
名前と連絡先を教えてくれと言っても
なかなか教えてくれなかったんだけど、
しぶとく粘ったらようやく名刺を渡してくれた。
後でお礼を…と言ったら、

「いや、いいんだ。僕もどこかで人の
お世話になることがあると思うから。
困った時はお互い様って言うでしょ?
あなたの今のその気持ちを、今度はいつか
どこかで困っている人に伝えて助けてあげて。
そういう連鎖っていいでしょ^^ 」

って、照れ臭そうに笑って去って行った。
その後、貰った名刺に書かれていた会社の
住所(本人宛)にビール券を送った。

見も知らない人に、こんなに親切にしてもらった
ことは初めてだったので、本当に嬉しかったな。

 

 

レストランに残された一枚の紙切れ

この感動の物語は、あるレストランで起きました。レストランで働くある店員がreddit というサイトで一枚の画像を共有したことで、これが世界に知れ渡ります。
その人のユーザーネームであるGraciefailsという呼び名で話を進めていきましょう。
どんな物語がそこで繰り広げられたのでしょうか。

あるレストランの店員が、悲しそうに一人で席に座る男性を見つけました。彼が店を去った後、何かがテーブルに残されています。それは一枚の紙切れ。席に置いてあるテーブルナプキンに何か言葉が添えられています。
“このレストランは、私の妻のお気に入りで、毎年の結婚記念日には、二人でこのレストランに来ていました。”
“彼女がこの世を去った今でも、この約束は守り続けていきたいと思っています。”
さらに最後には、感謝の言葉が添えられていました。
Graciefailsと、そこで働く同僚全員が、その紙を見た途端に号泣したそうです。

こちらが、その紙切れの画像です。

どうやら、男性はMikeと名乗っています。さらに、本文を日本語に訳してみるとこのような意味になります。

“申し訳ありませんが、これしか持ち合わせがございません。
このレストランは、私の妻のお気に入りで、毎年の結婚記念日には、二人でこのレストランに来ていました。
彼女がこの世を去った今でも、この約束は守り続けていきたいと思っています。
ーーーーさん、よい夜を。そして、毎年、彼女に微笑みかけてくれて、どうもありがとう。”

この紙切れの横には、3ドルが置かれていました。

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