父親の泣ける話 – 感動エピソード【7】
関係に変わりはない
自分が養子だった事。
高校の修学旅行でパスポートが必要になり、戸籍謄本を取った時に愕然とした。
その日は何も手に付かず、夕飯で両親が揃った時、思い切って問いただした。
最初は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた父が、みるみる目と口を開いていき。
「忘れてた!!」
今度は私が豆鉄砲を食らいました。
結婚当時、子宝に恵まれず、まだ赤ん坊だった私を施設から引き取った事。
年頃になったら説明しなきゃいけないなあ…と思いつつ、3人で生活している内に
養子という意識も薄れ、私が中学生になった頃にはすっかり頭から抜け落ちていた事。
「いや、小学校卒業した時に説明するかどうか悩んだ記憶があるから、それまでは覚えてたんだよ」
などとしどろもどろで言い訳する両親を見てると、ああ、二人は間違いなく私の両親なんだなあと
思えて、なんだか泣き笑いになってしまった。
あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない。
今日が両親の結婚記念日だったので、ふと思い出した。
飄々としてた親父
俺、カーチャンが死んでもそれほど泣きはしなかったんだが、告別式で親父が涙を流したのを見たら駄目だった
生まれてから20数年、一度も俺の前で涙を見せなかった親父が、ばあちゃんつまり自分のカーチャンが死んだときも泣かなかった親父がだぞ?
なんかそこで初めて親父の心に触れられた気がしてさ
普段は自分勝手でマイペースな親父だけどさ
後で知ったんだけど昔友達の借金の連帯保証人になって案の定逃げられて、代わりに返済し続けてたらしい
だからうちは貧乏だったし、仕事が休みの日は日雇いのバイトして、俺のおもちゃとか買ってきてたんだってさ
辛いとかしんどいとか苦しいとか一言も口にも顔にも出さず、いつも飄々としてた親父の感情をやっと見れたと思ったら不謹慎かもしれないけどなんか感動して
だから偏差値低いDQN高卒で飲食店勤務で社会人としては底辺の俺だけど、せめてお天道様の下を堂々と歩ける人間であろうと思う
それが俺にできる数少ない親孝行だからさ
メールの返信
「ありがとう、私は3つの宝を持ってると思ってます」
と慣れないメールを一生懸命返信してくれた。ちょっと泣いた。
普段口にするのは恥ずかしいこともメールだと伝えられていいね。
ちなみに私は昨年結婚したので「宝がひとつ増えた」そうです。
父の作った弁当
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、
また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、
担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、
怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、
ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、
ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、
微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当の事とか色々思い出すたび、切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
おとうさんの入院
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集が
あるのが目に止まった。
好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、
遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、
母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの
深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、
とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて
母が「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、
これからも両親を大切にしていきたいと思う。
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