父親の泣ける話 – 感動エピソード【13】全5話

父親の泣ける話 - 感動エピソード【13】全5話 泣ける話

 

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父親の泣ける話 – 感動エピソード【13】

 

 

大手術

昨日、親父の七回忌だった。
うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、
つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、
それでも「店で待っていてもお客は来ない」って
両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。

俺は五歳下の妹と二人兄弟で、
小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。
小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、
親父は「お前たちのカレーはすごくいい味だ」ってほめてくれた。

明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。
休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、
たき火をしてラーメンを煮て食べた。
おいしかったなぁ。

小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。
妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。
高校受験の時にね、
「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。
家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ」
って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。

バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。
たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて、
「少しで悪いな」って。

そんな金使えないよな。
今でもしまってある。
35枚。

馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。
ホントは受かっただけで満足だった。
でも、親父すごく喜んでさ
「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ」って。

大学に入ってからはバイトバイトの毎日で、何とか授業料と生活費は自分で稼いだ。
大学でも寮に入れたから家賃は楽だった。
親からの仕送りは毎月三万円。
もったいなくて使えずに郵便局の仕送り口座にお金が貯まっていって、
「好きに使っていいんだぞ」なんて手紙が来たりして。
そう言われると、苦労して送ってくれてるお金をそのままにしておくのも悪い気がして、
毎月郵便局から引き出して、銀行の口座に移してた。

卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、
早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。

そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。
何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、先生に御礼なんか言ったりして。
そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、大学院を親に勧めるのよ。
親父またまた喜んじゃって「なんで断ったりするんだ」なんて叱られちゃったりして。

結局、大学院にも進ませてくれた。
同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。
毎月の三万円積み立てから25万円出した。
初めて仕送りを使った。

大学院に行ったら、研究で食っていけるかななんて思い始めて、
学振の特別研究員に受かった(月に20万も給料が出る)こともあって、
修士終わってから博士課程に進むことにした。

博士になったら学生なのに仕送りができる!って内心かなりうれしかった。
修士論文を提出した日。
初めて母親から研究室に電話。

「どうしたの研究室に電話なんかして。修士になったよ。次は博士だぞ。」
「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。
写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。
末期の胃ガン。
背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。

目の前真っ暗。
頭の中真っ白。
「そんなわけないだろっ」って大声で叫んでしまって、
同じ研究室の学生に「どうしたんですか」って。

医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、
友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、そいつに頼んで
「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。

三日後に入院して七日後に手術。
胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。

手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。
地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。
どんな状態かも知っていた。
でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。
明るい親父に家族はどれだけ救われたか。
手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。
金属製のバットに山盛り。
こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。

先生は「取れるところはすべて取りましたよ。後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。
でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。
抗ガン剤も効果はいまひとつ。
俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で夜通し付きっきりの看病。
妹は50kgから30kgに激やせ。

もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を経口で投与して痛みを抑えてた。
モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。
車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。

俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、
車いすを景色のいいところに押していって、少し離れたところでぼーっと座ってた。
「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、
子供の頃手をつないでもらった時とは比べものにならないくらい細くなった腕を膝掛けから出して、
しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。
二人で声も出さずに泣いた。
ある日「五年後の話をしてくれないか」とベッドの父に聞かれて、
「俺は29だからたぶん大学で研究してるな。
妹は24か。結婚して子供もできてるかもよ。
お母さんは、うーん、まだ店がんばってるんじゃない?
お父さんは、退院しても胃がないから、毎日グルメ番組見て、
あれがうまそうだ、とか、これ買ってこい、とかわがまま言ってるかもよ」
なんて答えてた。

そんなに長く生きられるなんて俺も親父も思っていなかったくせに。
五年後がどんなに遠い未来なのかも分かっていたくせに。
結局、親父は死んでしまった。
手術から三十三日。
病院で胃カメラ飲んでから四十日。
62歳の誕生日から十日。

夕方研究室から病院に行ったら、もう息を引き取ってた。
「実験してるだろうから、呼ばなくていいぞ」って言ってたらしい。
最後に何かを言い残したらしい。
でも、俺は親父がなんて言ったのか知らない。
悲しすぎて知りたくない。

あんな大手術をさせて、殺してしまったのは俺だって、ずーっと思ってる。
俺が手術をすることを決めて、家族もみんな俺の言うことに納得してくれて、
でもその結果、親父をあっという間に殺してしまった。
悔やんでも悔やみきれない。
ごめんな、お父さん。
本当にごめんな。

葬式。
親戚が「まだ学校に行かせてるのか」なんて、何にも知らないくせに母親に言ったりしてた。

「この子はお父さんのできなかったこと頑張ってるんだから、
私一人でも最後まで学校に通わせるつもりです。この子はお父さんの夢なんです。」
って、言ってくれた。

ドアの向こうでそれを聞いていた。
親は有り難いと思った。
もう泣かないつもりが、止めどなくあふれた。

お父さん。

あれから六年だな。
俺は大学で毎日研究をしてる。
今年、学会で賞をもらった。
去年、結婚した。

大学に入ってから仕送りしてくれたお金で、婚約指輪を買ってやった。
お父さんからだぞって言って渡した。

かずはお母さんの仕送りと俺の給料でなんとか大学に行かせてやれた。
四年で卒業して就職して、おととしお嫁に行った。
キャリアウーマンとかいって、かっこつけて歩いてるくせに、少し太った。
幸せそうだけど、たまに夫婦げんかをして泣きながら電話をしてくることがある。

お母さんは、一人で店を頑張っている。
一緒に住もうと言ってもまだ頑張るって、言うことをさっぱり聞いてくれない。
お父さんへの恩返しはもうできないけどさ、
お母さんと妹といつか生まれてくる俺の子供に精一杯のことをしてあげるつもりでいる。
お父さんの描いた将来に少しは近づいているのかなぁ。

俺が生まれてからお父さんが酒もたばこもやめたって葬式で聞いた。
酒は飲めないんだと思ってた。
そんなことを聞いてから今まで、酒を一滴も飲まなかった。

昨日、法要が終わってから、
高校生の頃お父さんがくれた千円札で瓶ビールとチューハイを買ってきた。
千円札を出すとき涙がでたよ。
違うお札にしようかと思ったけど、やっぱり使ってみた。

うちの奥さんと、お父さんの話をしながら酒を飲もうかと思ったんだ。
うちの奥さんは結構酒が飲めるらしい。
二人で初めて飲む酒はきっと楽しい酒だ。

さっきメールが来て、夕食はカレーだって。
俺が昔作ったのよりずっとうまいカレーをお父さんと一緒に食べたい。
カレーを食べながら話したいことがまだまだたくさん、たくさんあるんだ。

 

父と猫

今度、結婚することになった。

なぜか言い出しにくくて、3日くらい悩んだけど、
夕食の席で、ようやく両親に

「来月の土日、空いてる?いつが都合いいかな?
彼が挨拶に来たいと言ってるんだけど…
け、結婚の挨拶に…」と言い出すことに成功。

母は「まー!ついに!?いつそんな話に??
あんたみたいなのをもらいたいなんて物好きねー。
で、プロポーズは?式はどうするの?孫が出来る?!」
と予想通りのウキウキモードw

父は「わかった。ただ、結婚するということは…云々…
ちゃんと自立しないと…云々…」みたいにお説教モードに。

父とは仲も良いし、
いつも冗談ばっかり言い合ってるから、
「おお!おめでとう!!」とか
もっと軽い感じのおめでたいモードに
なるかと思っていたので、
ちょっと予想外でちょっとだけ寂しかった。

夕食後、ようやく言えたなーとくつろいでいると、
父が飼い猫と何やら話しているのが聞こえた。

父「○○ちゃーん・・・おねえちゃん(私のこと)
結婚するんやってー。」
猫「・・・・・・・」
父「さみしいなー。どうする?
○○ちゃんは、ここにいる?
それとも、おねえちゃんに着いてく?」
猫「・・・・・・・・・」

お父さん・・・猫は置いていくよ(´;ω;`)

 

おとん

今日よ
俺の養父に「おとん」って言ってやったんだよwwwwww
そしたら養父がいきなり泣き出しやがったのwwwwww
そしたらどうよ?
俺もなんか突然泣き出しやがんのwwwwwwwwwww
真冬の縁側で男二人が会話もなく鼻水だらだら流しながら泣いてんのwwwwwwww

 

はじめて見る母親の姿

この間の友人(新郎の方)の結婚披露宴。
タイムスケジュールも最後の方、新婦の父親のスピーチ。

「明子。明子が生まれてすぐ、お前のお母さんは病気で亡くなりました。
お前は母の顔は写真でしか知りません。母親の声も知りません。
母の愛情も知りません。片親でつらい思いもしただろう。
それでも父の私に文句一ついう事も無く、明るくて素直で思いやりのある子に育ってくれた。
本当に手がかからない子だったし、よく家事もやってくれた。
相手にも恵まれて、幸せになってくれてお母さんも喜んでくれてると思う。

最後にお前に謝ることがある。

明子に25年間隠していたものがある。
いつか嫁に行くときに見せてあげようと思ってずっと取っておいた物だ。」

・・・そして古ぼけたブリキみたいな箱からとりだした1本のビデオテープ。
会場のセットで再生・・会場ザワザワ・・・

そこにはベットの上で笑顔で赤ちゃんを手にする母親の姿。
そう25年前の新婦と母親。

母親の笑顔のなんと神々しい事。まさに聖母の如く・・

はじめて見る母親の姿に新婦どころか全員が嗚咽だったよ。
とくに新婦はもう見ていられなかった。

そしてしてやったりの新婦の父。あの人だけは泣く事もなく、 淡々としてたんだよなあ。
そこがまた泣けるんだけど。

 

来年も一緒に

ガキの頃にオヤジと川に釣りに行った。
鮎釣りという特殊な釣りで常に川の流れの中に
腰の辺りまで水に浸かって行う釣りなんだけど、
ガキだった俺は何度も流されそうになった。
その度にオヤジの腕が伸びてきてオレをガッチリ
掴んで助けてくれた。時にはオレのベルトの辺りを
強引に掴んで助けてくれた。

それから20年近く経った今年の初夏に
オヤジが体調を崩して倒れた。

幸いにも1週間ほどで退院できた。
退院してしばらく経ってオヤジが鮎釣りに行くと
いうので、心配した母がオレに付いていくように言った。
オレも年老いて病み上がりのオヤジが心配だし
付いていくことにした。

そして当日、午前中は順調に釣りを楽しんでいたん
だけど午後になってポイントを変更して少し流れが
キツイところに移った。オレは歩き回ってポイントを
探しているうちにかなり流れが激しく、立っているのが
やっと、という感じのところに入ってしまった。

体力も限界まできたので流れの緩いところに戻ろうと
した瞬間、足を滑らせてこけてしまった。
それを見ていたオヤジが流れを横切ってオレのところまで
速攻できてくれて無言でニッコリ笑って手を伸ばした。
そしてオレの腕を掴むと流れの中からオレを引き上げてくれた。
ガキの頃と同じでその腕はゴツゴツしていて力強く逞しかった。

オヤジまた来年も一緒に行こう!

 

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