泣ける話『生活保護をもらいながら祖父母の面倒を見てた女子中学生』など【短編】全10話 |切ない話・泣ける話まとめ

泣ける話『生活保護をもらいながら祖父母の面倒を見てた女子中学生』など【短編】全10話 |切ない話・泣ける話まとめ 泣ける話

 

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泣ける話 短編 全10話

 

祖父は医者

俺の祖父は医者だった。
っていっても金はなく家はボロボロで食事なんか庭の野菜とお茶漬けと患者さんからの頂き物だけ。
毎朝4時に起きて身寄りのいない体の不自由なお年寄りの家を診察時間になるまで何件も往診して回る。
診察時間になると戻ってきて待合室に入りきらないで外まで並んでる患者さんを診察していく。
昼休みはおにぎりを片手にまた往診。
午後の診察をこなし食事をすませてまた往診。
夜中に玄関口に患者が来たり電話があればいつでも駆けつける。
一年365日休みなど無かった。
自分の体調が悪くなっても自分を必要としている人がいるからと病院にもいかず診療を続け無理矢理家族に
病院に連れて行かれた時にはもう手遅れ。
末期がんだった。
でもどうせ治らないなら入院はしないと痛みをごまかし死ぬ間際まで往診続けてた。
遺産なんか何もなし。残ったのはボロボロの家だけ。
聞けば治療費を支払えない人ばかりを診察・往診していてほとんど収入なんか無かったんだって。
でも葬式のとき驚いた。
患者だけで1000人ぐらい弔問に訪れ、中には車椅子の人や付き添いの人に背負われながら来る人もいた。
みんな涙をボロボロ流して「先生ありがとう、ありがとう」と拝んでいた。
毎年命日には年々みんな亡くなっていくからか数は少なくなってきてはいるけど患者さんたちが焼香に訪れる。
かつて治療費を支払えず無償で診ていた人から毎月何通も現金書留が届く。
いつも忙しくしてたから遊んだ記憶、甘えた記憶など数えるぐらいしかないけど今でも強烈に思い出すことがある。

それは俺が厨房のときに悪に憧れて万引きだの、恐喝だの繰り返していたとき。
万引きして店員につかまって親の連絡先を教えろと言われて親はいないと嘘ついてどうせじいちゃんは往診でいないだろ
と思ってじいちゃんの連絡先を告げた。
そしたらどこをどう伝わったのか知らないけどすぐに白衣着たじいちゃんが店に飛び込んできた。
店に着くなり床に頭をこすりつけて「すいません、すいません。」と土下座してた。
自慢だったじいちゃんのそんな無様な姿を見て自分が本当に情けなくなって俺も涙流しながらいつの間にか一緒に土下座してた。
帰り道はずっと無言だった。
怒られるでも、何か聞かれるでもなくただただ無言。
逆にそれがつらかった。
家にもうすぐ着くというときふいにじいちゃんが「おまえ酒飲んだことあるか?」と聞いてきた。
「無い」と言うとじいちゃんは「よし、着いて来い」と一言言ってスタスタ歩いていった。
着いた先はスナックみたいなところ。そこでガンガン酒飲まされた。
普段仕事しているところしか見た事がないじいちゃんが酒飲むのを見るのも、なによりこんなとこにいる自体なんだか不思議だった。
二人とも結構酔っ払って帰る道すがら川沿いに腰掛けて休憩してたらじいちゃんがポツリと
「じいちゃんは仕事しか知らないからなぁ。おまえは悪いことも良い事もいっぱい体験できててうらやましい。
お前は男だ。悪いことしたくなることもあるだろう。どんなに悪いことをしても良い。ただ筋の通らない悪さはするな。」
と言われてなんだか緊張の糸が切れてずっと涙が止まらなかった。
それから俺の人生が変わった気がする。
じいちゃんのような医者になるって決めて必死で勉強してもともと頭はそんなに良くは無いから二浪したけど国立の医学部に合格した。
今年晴れて医学部を卒業しました。
じいちゃんが残してくれたボロボロの家のほかにもうひとつ残してくれたもの。
毎日首にかけていた聴診器。あの土下座してたときも首にかかっていた聴診器。
その聴診器をやっと使えるときがきた。
さび付いてるけど俺の宝物。
俺もじいちゃんみたいな医者になろうと思う。

 

裏切り者。

私の親友の女の子は小学校の時イジメられていました。

私はあいさつやたまに遊びに行くことしかできませんでした。

見ているしかできませんでした。

中学校に入るまえに、イロイロやってイジメはなくなりました。

年月が経って、私たちは大人になりました。

彼女と私は今でも仲良くして逢っています。

ある逢った日のことです。思い出話をしていました。
高校、中学、そして小学。
私は胸が苦しくなりました。
彼女は
『当時は辛かった。』といいました。

私は黙っていました。

彼女はさらに続けました。

『いつも、一人で本を読んでた。あれは寂しい。教室に私はいないような感覚で。辛かった』

私は何故かすごく泣きそうになっていましたが、何もしなかった私が泣くのはおかしいので堪えていました。

『知ってたよ。』

彼女はそう言いました。私が何をと彼女に聞くと彼女は。

『香奈が私を見てくれてたの。知ってた。香奈が見てくれてると思えたから教室にいれたんだよね~。』

と、言いました。私は涙をこぼしました。
確かに私は彼女を見ていたんです。

毎日毎日毎日。
イジメを止めれない私は彼女を見て何ができるのだろうとずっと考えていました。

それを彼女が気づいていて励みになっていたのを知った私は、涙が止まりませんでした。

私は今でも、彼女を助けれなかった自分が大嫌いで許せません。
多分、これから先も許さないとおもいます。

でも、少し肩の力は抜こうと思えています。

裏切り者の自分とうまく付き合っていける気がしています。

私は彼女のことを親友と言っていますが、違います。

私を強くしてくれた、とても大切な人です。

 

泣かさないで。

お父さん
大好きなお父さん

お父さんが死んでアタシはひとりぼっちになってしまった

心の病になったアタシを唯一理解してくれていたお父さんが居なくなって、アタシはホントにひとりぼっちになってしまった

本当に辛くて死んでしまいたくて
お父さんは何時間もアタシの話を真剣に聞いては、怒ったり励ましたり

あの日お風呂からあがったばかりのお父さんは、パジャマも着ないでパンツ一丁でアタシの電話に出ていたとお母さんに後から聞いたよ

風邪をひいてしまったと聞いた時は、それが原因だと思いもせずに
馬鹿なアタシは自分ばっかり

涙がね
お父さん死んで八ヶ月もたつのにね
次から次へと溢れてきて

泣かさないで
突然アタシの記憶を呼び起こしては
たくさん泣かして楽しいか!

会いたいよ
会いたい

夢にでもいいから
会いに来て
ひとりぼっちで泣いてる泣き虫なアタシを叱って下さい

 

おとうさん、ごめんね

タイトル:お父さんゴメンネ

お父さんが亡くなって一年半が経ったんだね・・・
月日が経つのはあっという間だね。

お父さんが体調の変化を感じた時には
もう病気はかなり進行してたね。
なんでもっと早く気がついてあげなかったんだろう。
この一年半自分を責め続けたよ。

最初に診てもらった個人病院では「糖尿病」と
診断されて、一生懸命食事療法と運動をしていたね。
でも症状は悪化していくばかりだった。
二度目に訪れた大学病院ですい臓がんだと
わかったんだ。
「どうして誤診したの!」って
始めの病院の医者を恨んだよ。

時間が経っていくと、お父さんの声が、ぬくもりが、
だんだんとなくなっていく。
もっと一緒に時間を過ごしたかった。

でも、もうたちなおらないと。
子供も生まれたから。
頑張るよ、お父さん。

re:わかります

私も父を7年前に亡くしました。いまだに立ち直れていません。
結婚して子供もできたというのに・・・・。
私の子供を抱っこして欲しかった。

私は反抗期が長く、高校生の3年間はほとんど口を聞いたことがありませんでした。反抗期が終わっても、なんとなく照れくさくてほとんど口をきいたことはありませんでした。

体調が悪いのに病院にいかず、ずっと隠していた父。

ある日黄疸が出て病院へいくと、
「癌です。余命1ヶ月です。入院するなり自宅へ帰るなり、
好きなようにしてください。」
と見放された。

でも父は入院しても自分が癌だとはしらず
「俺は癌じゃなくてよかった。すぐに退院できる。」と、
見舞い客に話していた。

母と私はそのたびに廊下で泣いていました。

父と母は駆け落ちだったため、それはそれは苦労して私を育ててくれました。家を借りるお金がなかったので、私は車の中で育てられたそうです。

亡くなるときも素直に「お父さん」と言うことが出来ませんでした。

お父さん、ごめんなさい。
育ててくれてありがとう。いつか会いにいきます。
その時まで待っていてください。

re:涙がでました

読んでいて涙が出ました。

昨年父を直腸癌で亡くし、この間1周忌を迎えました。
疲れやすくなったと話していて間もなく、病気が悪化し病院へ行くと即入院。病気が判明し1ヵ月半で逝ってしまいました。
家族誰も体調の変化に気付いてあげれなくて悔やみました。

海や山が大好きだった父。
早く家に戻って出掛けたいと話していた表情を思い出すと今でも涙が出てきます。孫達をとてもかわいがってくれた父。

お父さん、今年男の子の孫が増えるよ…。
私ももう悲しまず、頑張っていきます。
大きくなったら優しいおじいちゃんだったよと子供達に伝えます。

re:便乗させてください

辛いですよね。

私の父もちょうど1年半前に亡くなりました。
C型肝炎でした。ずっと30年近く病気と闘ってきて、
それでもまだあと数年は大丈夫だろうと思っていたのに・・・

最後は突然悪化という感じで、入院して2ヶ月弱で亡くなりました。

便乗させてもらったのは、私も父の死に責任を感じているから。

当時、父が助かる可能性が数%残されていて、
それは生体肝移植というものでした。
ドナーになり得るのは血液型の関係で私だけでした。

私は父のためなら、と思ったのですが、子供が1歳と小さかったこともあり、母や夫に反対され、泣く泣く諦めてしまったのです。

今でも「もしあの時移植していたら父は元気に笑って普通の生活をおくっていたかもしれない」と思うと、心が痛みます。

助けてあげられなくてごめんね。
いつか会いにいくから、その時まで待っててね。

re:私も。お父さんごめんね

お父さんごめんね。
私、お父さんに心配かけてばかりいたね。

毎朝、駅まで送ってもらっていたね。
遅くなったら迎えに来てもらっていたね。
私のこと命がけで愛してくれていたのに。
自分勝手な行動ばっかり。
孫をだっこさせてあげられなくてごめんね。
嫌いだなんて言ってごめんね。

本当はね、大好きだったんた。
お父さんの一杯の愛情に安心しきって好き放題していたの。

突然の事故でなくなって、最後の電話の会話が今でも頭に残っている。今でもお父さんが死んだなんて信じられないよ。
私とバージンロード歩くの夢だったのに。かなえてあげられなくてごめんね。

父さん、私、お父さんの子供でよかった。
愛情を一杯くれて育ててくれありがとう。
お父さんに似ているって言われるのすごくいやだったけど、
今はそういわれるとうれしいよ。

ありがとうお父さん。
でもね時々会いたいって思うの・・・

re:私も。お父さんごめんね

私も2年半前に父を亡くしました。

とっても元気だった父、私も何故父の病気に早く気づいてあげなかったんだろうと後悔しています。

父は足に違和感を持ちながら何年も過ごしていました。
…悪性黒色腫だなんて…
思いもよらない青天の霹靂でした。
痛くもかゆくもなく過ごしていたらしいです。

大学病院で手術をし成功し転移もないって主治医は言ったのに。
退院間近になって肝転移がわかって…
その場で本人に余命を告知した未熟な医者。
悔しくて悔しくてしかたがありません。

泣いてもわめいても父は帰ってきません。
父の最期のメール
「この世で父娘だったことに感謝しましょう。」
この言葉を大事に大事にしながらいつまでも父の娘で居たいと思っています。

re:私もいいですか
私も一昨年、父を膀胱癌で亡くしました。

その年はちょうど娘が産まれた年で、
娘は4ヶ月の人見知り真っ最中でした。
でも父は娘が泣きじゃくってても、
しっかり抱っこして可愛がってくれました。

父が亡くなった瞬間は人目もはばからず、大泣きしました。
いまだに実家に帰ると父がいるような錯覚がします。
私も今新しい命を宿しました。

父はもう抱っこできませんが、きっと天国から優しい眼差しで見てくれていると思います。泣きながらこの文章打っているので、滅茶苦茶な文でゴメンナサイ。

re:いつもそばにいます
私の父も10年前突然倒れ、そのままずっと植物状態のまま一度も意識を取戻すことなく逝きました。

花嫁姿も孫もみせてあげられなかった。
子供が大好きな父で、親戚の子供たちが集まると必ずプレゼントを用意したり、飢えで苦しんでいる子供達をテレビでみると、いつも心を痛めているような父でした。

孫を抱かせてあげたら、本当に喜んだだろうなって思います。
あれもしたかった、これもしたかった、もっと親孝行してあげればよかった、と後悔ばかり。

でも、なぜか亡くなってからの父のほうが、身近に感じるんです。
いつもそばにいてくれる気がするんです。

毎日精一杯生きていれば、一日一日とお父様に会える日に近づいていく・・・・。私はそう思って毎日生きています。

いつか会えるその日に、一生懸命生きてきたよと報告できるように、そう心に思いながら生きています。

 

ライバル

俺のオヤジから聞いた話

オヤジが小さい頃の遊びといったらメンコが大ブームで、オヤジも色とりどり様々なメンコを集めていたが、腕はからっきしだったとか
あるとき、同じ町内のA君に惨敗し、彼に頼み込んで特訓を受けた
勉強そっちのけで血の滲むような練習を重ねたところ、かなりの上達を遂げ気がつくとオヤジは近所でも名うてのメンコ名人になった
師匠であるA君までもがライバルと認め、二人の直接対決は町内の子供たちがみな観戦に集まる名物となっていた
星取は一進一退でなかなか決着はつかなかったとか
しかし、A君は父親の仕事の都合で東京に引っ越してしまった
オヤジとはいつか必ず決着をつけよう、それまでお互い練習しようね
と固く約束したという
遠く離れても、オヤジとA君は手紙のやり取りを続けた
手紙にはメンコを同封し、たびたび互いの自慢のメンコを交換していたという

ある日の夕方オヤジは帰宅中に公園で見覚えのある子を認めた
A君だった
歓喜し、A君に駆け寄るとA君も嬉しそうに満面の笑顔で迎えてくれた
何を話したか覚えていないそうだが、オヤジは近況を語り、A君はにこにこしながら聞いてくれた
話もそこそこにメンコの勝負を持ちかけると、A君は
もうおれはメンコは出来ないんだ、たくさん集めたけどあげるよ
と巾着袋に入ったメンコをオヤジに手渡した
オヤジは驚き理由を訪ねたが、A君は
だいじにしてね、バイバイ
とだけ言い、帰ってしまった
釈然としないまま家に帰り、先程の出来事を母に話した
母は真っ青になり、そんなことはない、人違いだ、という
証拠とばかりにもらったメンコを見せると、母は
お前が気落ちすると思い言うかどうか今日まで迷っていたんだけど、A君は先月亡くなったんだよ…川で溺れたんだって…お母さんどうし仲がよかったKさんの家に連絡があったんだって
オヤジは信じられず、しばらくの間塞ぎこんでしまったらしい
だったらおれが見たA君は誰だよ!もらったメンコは何なんだよ!と

しばらくしてA君の死を事実として認めたオヤジはなんとかお墓参りに行きたかったが、小学生が一人で東京まで行けるはずもなく、結局線香をあげることができたのは4年が経ったころだった
オヤジはA君の仏前に当時お気に入りだった負け知らずの忍者のメンコを供えた
オヤジは思わず涙がこぼれたという
決着つけられなかったね、遅くなってごめんね
と仏前に語りかけた

その一年後、実家でボヤがあった際、メンコはほとんど焼失してしまったという
焼け残った数枚は経年変化でもうぼろぼろになっているが、オヤジは今でも大切にしまいこんでいる

この話を聞いたあと、試しにオヤジに勝負を挑んでみた
いつの間に買っていたのか、新品のメンコを出してきた
まさに鬼のような強さだった
俺が素人とかそういうのを抜きにしても、とんでもない強さだった
オヤジは、
A君はもっと強かったぞ
と自慢げに語っていた

 

お母さん

母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。

お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」

 

命日

オレが体験した話なんだが、オレの親友が事故で亡くなったんだわ。
そんで葬式とか無事済まして、その後長い間立ち直れずに毎日酒を浴びるように飲み、仕事も成績がガタ堕ちってな感じで荒れに荒れた。

んで事故から1年後、その時未だに引きずってたオレはソイツの命日に1人で墓参りに行った。
オレの親友は愛煙家でいつもセブンスターを吸っていた。

オレはいつもケントを吸っていたんで、持っていたケントに火を着けて親友の墓前にお供えしたんだ。
そしたらたばこの火がすぐ消えやがんの。

「そぅいやお前、ケント嫌いだったな」

って思い出して、近くの自販機でセブンスターを購入してまた火を着けてお供えした。

そしたらホントにたばこを吸ってるみたいにどんどんたばこが灰になってって、フィルターの手前で火が消えた。

その時親友がそこにいるかのような感じがして、オレは号泣した。

そしたら確かに聞こえたんだ。

「いつまで落ち込んでんだよ」

って、死んだハズの親友の声が(周りに人はいなかったし間違いない)。

その日を境に立ち直ったオレは仕事もうまくいき、幸せな家庭も持っている。

親友の命日には今でも毎年たばこをお供えに行っている。
もちろんアイツの好きなセブンスターを。

 

生活保護をもらいながら祖父母の面倒を見てた女子中学生

ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。

目の不自由な祖父、祖母と、
生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、二人の面倒を全部見てたが、ある日生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。

役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんてすぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、
役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。

心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、
その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、
どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。

その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。

 

ノートに書いたすごろく

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。

それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。

遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

 

お母さんからあなたへ

J( ‘ー`)し
自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。
苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。

今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。
アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも
大事です。

 

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