母親の泣ける話 – 感動エピソード【5】全5話

母親の泣ける話 - 感動エピソード【5】 泣ける話

 

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母親の泣ける話 – 感動エピソード【5】

 

 

あのスーツ

昔々、ある所に一人の駄目人間がいました。

そいつは大学を中退して、社会に出るため職を転々した。

1社…2社…3社…

ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか、12社目を受けた時です。

「お前を雇う所なんてどこにも無い」

と面接官に言われました…

それから、彼の引きこもり人生が始まったのです。

当初は、ちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった…

両親は笑顔で

「疲れたんだろ?少し休んでから頑張りなさい」

って言ってくれたんだ。

俺は、いつか絶対に両親を幸せにしてやろうと決心した…

でも そんな思いは長くは読かなかった。

一度ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう。

自分が、天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける。

そんなこんなで3年もの月日は流れたある日、彼はもうドア越しに話かけられても会話できない程、アホ丸出しの引きこもりと化していた。

母親「あなたに会いたいってお友達が来てくれたわよ・・」

震える声で言った。

ドンドン!っとドアを叩いて誰かが叫んでる。

「おーい!俺ぇ、○本だよ、ちょっと話しないか!」

聞き覚えのある声…

それと同時に、寒気が彼を襲った。

高校時代彼をイジメていた不良グループの一人だ…

1時間くらいたってドアを叩く音が止んだ…

スーッと、ドアの下から手紙が入れられてきた。

ソレを見ながら彼は体育座りのまま眠りについた。

あの事件が起きて4日目

手紙を確認することにした…

「同窓会のお知らせ」

引きこもりの彼にコレはきつかったのでしょう、物凄い勢いで破り捨てました。

ソレと同時に涙と何とも言えない孤独感…

そして怒りがこみ上げてきました…

壁を殴りつけ布団を蹴り上げ彼は叫び読けました。

そこへ彼の母親がやってきました。

母親「どうしたの?!ねぇ、どうしたの??!!」

耳に聞こえてくる母親の声、彼はそれをかき消すように叫び読けた…

同窓会前夜、母親がドアを3回叩いた。

3回叩く時は、ご飯を運んできた合図だ。

いつも通りにドアを少し開け、ごはんを取ろうとした時だった。

食器の横に黒い物が置いてあった。

クリーニングに出したのだろうか、札が付いたままのスーツだった。

このスーツは大学を辞めた時、母親からプレゼントされたもので、チョット丈が短い残念なスーツだ…

お坊ちゃま君みたいで、着るのを嫌がったのを憶えている。

それでも母さんはそんな彼を見て>「いいわよ!さすがお父さん、お母さんの子ねっ!!」って自信満々に彼の就活を応援してくれた…

そんなスーツだ…

母親はこのスーツを着て同窓会に行ってほしかったのだろう…

だが彼にはそんなこと関係ない。

人に会う?馬鹿じゃないのか?!

ましてや昔の友達なんかには特にだ…

それから5ヶ月たった頃、滅多にならない携帯に電話がきた。

この携帯電話は、彼が引きこもりになりかけの時に母親が渡したものだった。

まあ面倒なので電話にでないのは当たり前だろ。

気になって留守録を聞いてしまった。

しかしそこに残っていたのは父親の声だった。

父「母さんが倒れた…今すぐ○×病院に来い…今夜が峠だそうだ…」

全身に鳥肌が立った。

怖いなんてものじゃない。

だけどその時には、何も考えずに走り出していた。

彼が病院に着いた時には、もう母親の息はなかった。

実は、父親が電話した時にはもう息はなかったらしい。

寝巻きにサンダル、伸びっぱなしのヒゲに壊れた眼鏡姿のままで。

「母さんは、お前が自分の力で外に出てほしかったと言っていたんだ。

お前が自分の意思でここまで来てくれることが望みだったんだろうな…。」

彼は泣きながら母親の手を握り締めた。

母親の葬式の日、彼はあのスーツを着た。

胸ポケットに1通の手紙とお守りが入っていた。

国○先日お友達が来た時に同窓会があるって母さん聞いたの。

だからスーツ着て、皆に会ってきなさい。

せっかく久しぶりに皆に会えるチャンスなんだからね。

丈はね、直しておいてあげたから。

もう恥ずかしくないわね。

これで外出れるね。

ごめんね。

そして、お守り。

母さんも同じ物を持っていた…

あの時、ごめんって言えたら…

母さんは喜んでくれたのかな。

彼は今でもそのスーツを着て、一生懸命働いているそうです。

 

母のケーキ

我が家の誕生日ケーキは、いつも前の日から母が焼いて作ってくれた手作りのケーキだった。

可愛いくデコレーションしてあるわけでもなく

買ったケーキみたいにマジパンの可愛い動物が乗っているわけでもなく

フルーツが沢山乗ったケーキなわけでもなく

黄桃とみかんの缶詰の果物が乗ってある

シンプルな生クリームケーキ。

小さい頃は 友達に手作りケーキなことを話すと

「いいなぁ~」

なんて言われることが嬉しかった。

でも、年頃になると、

『デコレーションケーキを買えないくらい 我が家は貧乏だったのだ』

と気づかされる様になった。

そして、キレイにデコレーションされてショーウィンドウに並ぶ誕生日ケーキを買っていく親子を見ると、羨ましく思い、母のケーキが恥ずかしくなるようになった。

高校生になった初めての誕生日。

いつもと同じく 前日から母がスポンジを焼き始めた。

仕事づくめで疲れた顔をしながら黙々とケーキを準備する母の姿が、一瞬、情けなく感じてしまい、

つい「明日は友達とお祝いするから、そんなケーキは要らないよ」と冷たく言い放ってしまった

一瞬気まずい空気が流れた後 「そっか、分かったよ」と言った。

母の横顔が悲しく見え、、その場にいてもたってもいられず、家を飛び出した。

『なんであの時 あんな風に言ってしまったんだろう…』

どうして一瞬でも 母のケーキを恥ずかしいと思ってしまったんだろう。

誕生日からしばらくして、母は交通事故にあった。

九死に一生をえたが、交通事故での後遺症で右半身麻痺になった。

医師の診断としては、

『リハビリを頑張っても、今まで通りの日常生活は送れないでしょう』

ということだった。

しゃべろうとしても 口を上手に動かせない。

右利きだった母の手は、もう動くこともない 。

ただただ 呂律の回らない口で

「迷惑かけてごめんね」

と泣きながら話す母を見ていると、胸がキュ、と締め付けられた。

私は高校を辞め 母の生活を支えるために昼に夜に仕事を始めた。

今まで母がしてくれた苦労を一気に引き受けた身体は、想像以上に過酷で、自宅に帰ってはすぐに寝て、仕事の合間に母の病院に顔を出す日々が続いた。

事故から3年、母が退院した。

そして、私の誕生日がやってきた。

私が仕事から帰ってくると、自分の体もままならないのに毎年恒例の黄桃とみかんのケーキを作ってくれた。

いたたまれなかった。

涙が出るほど苦しかった。

『ごめんね、お母さん』

本当はお母さんの手作りケーキ、世界で1番美味しいんだよ。

仕事で疲れた中 前の日から作ってくれて 自慢の誕生日ケーキだよ・

次の誕生日までに レシピを教えてね。

今度は私がお母さんに作るからね。

 

誕生日

俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。母にとっては最後だったのに、、、。

 

タクシーの中

前、実家帰って、帰る時のこと。

俺は母子家庭で仕送りもらってるくせに、冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃ちょうだいと母にせがんだ。

すると母は

「何言ってんの!うちもキツキツで生活してるのに、自分で払いなさい!」

と怒鳴った。

その時、つい俺も腹が立ってしまい、電話でタクシー呼んで、そのあとは母とは一言も口を聞かなかった。

しばらくした後、タクシーがうちに来て、俺は何も言わずに家を出てってタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、母が財布もって慌てて外に出てきた。

が、その時ちょうどタクシーは発進。

俺は、ついムキになってしまったことに対する自分の情けなさと、母ヘの申し訳なさと感謝の気持ちと後ろめたさに、後ろを振り向くことができなかった。

タクシーの中で、涙こらえるのに必死だった。

とても後味の悪い帰省だった。

 

あなたの味方です

大学の時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。

一人暮らしに慣れて、なかなか実家に帰らずじまいでした。

ある日、まだ講義を受けている時間に、母から電話がかかってきて、

「今、アンタの下宿先にきてるから、はやくかえっておいで。」

と言われました。

私はちょうどそのころ、男に二股かけられ、あげくの果てに、授業もいそがしく、友達には裏切られ、精神的にまいっていて、イライラしていました。

私は母に、

「どうして連絡ナシに、急にくるの?!私だって予定があるのに!もう、かえって!!」

と、言ってしまった。

家に帰ると、机の上に母が実家から作ってきたお弁当とおこずかいと手紙。

「暖めて食べなさい。

体に気をつけて頑張るんですよ。

何があっても、お母さんはあなたの味方です。

母より」

私に、何かがおこったというのを、多分感ずいたのでしょう。

その手紙と、手作りのお弁当を見て、大泣きしていました。

あとから弟から聞いた話では、母は目を真っ赤にして帰ってきたそうです。

そんな私も、卒業して、地元に就職。

ケンカも未だにするし、八つ当たりもしちゃうけど、お母さんの子で、良かった。

いつか親孝行できるようにがんばるね。

 

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