ありがとね。すごくしあわせだったよ。
彼女がこの世を去りました。
病死です。
その彼女と出会ったのは7年程前でした。
相手はその頃大学1年生でした。
持病があり、『あと5年生きられるかどうか?』と寂しく笑っていました。
それを承知で、私たちはつきあい始めました。
付き合い始めたのは良いのですが、私の仕事の関係で遠距離(関西-東北)になってしまいました。
それでも、彼女は笑いながら
「逢えるついでに旅行も出来る」
と言い、月に1度のペースで会いに来てくれました。
相手は実家に住んでいて、私は貧乏サラリーマン。
それを察して、相手が私の所に会いに来てくれていたのです。
最初の3年は、その様な感じで普段は寂しいながらも、お互い幸せに過ごすことが出来ました。
そして相手は卒業。
しかしこの就職難の折り、東北から関西に就職するのは無理でした。
そこで彼女は地元で就職し、お金を貯めて関西に来ると言いました。
私も彼女を迎えるため、必死で貯金を始めました。
相手が就職して1年が過ぎたころ、相手の遊びに来る頻度が、それまで毎月だったのが、だんだん2ヶ月3ヶ月と間延びし始めました。
毎晩電話で話をしていましたが、丁度1年半ごろ前から、たまに彼女が電話に出ないことがありました。
そのころから、ふと私に嫌な予感が湧き起こっていました。
私には両親がいません。
物心ついた時には、父親は蒸発。
そして私が高校の時に母親が病死しました。
そのため、彼女の両親には嫌われていました。
彼女はそれなりに良いところのお嬢様だったので、どこの馬の骨とも分からない私は、最初から相手にされていませんでした。
ある日、そんな彼女の父親から私の元に電話がありました。
「彼女の持病が重くなり、来週から入院することになる。」
「だからもう電話はかけてくるな、もうほっておいてくれ」
とだけ言われ、一方的に電話を切られました。
私は来るべき時が来たと思い、しばらく悩みましたが、思い切って上司に掛け合ってみました。
「東北に転勤させてくれ」
答えは、NOでした。
しばらく会社と話し合いをしましたが、結局私は会社を退職し、故郷に戻りました。
荷物も売れる物は売り、出来る限り身軽にして彼女が入院した病院の近くに、小さな部屋を借りました。
離職票が出る前に契約したので、なんとか部屋を借りることが出来ました。
そして、彼女に会いに行きました。
彼女はかなり驚いていました。
そしてひたすら「ごめんなさい」と謝っていました。
私は
「会社をリストラされたから故郷に戻ってきた」
「新しい勤め先も近くだから、仕事が終わったら会いに来るよ」
と伝えました。
昼間は彼女の母親が居るので、私は病室に入れてもらえませんでした。
そして週末には父親も面会に来るので、もちろん病室に近寄ることも許してもらえませんでした。
なので、昼間や週末はコンビニでバイトして、平日の夕方彼女の母親や父親が帰った後、残された僅かな面会時間に会いに行くという日々を送っていました。
そうする間にも、彼女は目に見えて衰弱して行きました。
柔らかかった手は骨が浮き出て、頬はこけ、足はすっかり衰えてしまい、ベッドから起きあがるのも難しいくらいでした。
彼女は、私が会いに行くとよく泣いていました。
「元気じゃなくてごめんなさい。」
「ちゃんと両親に認めてもらえなくて、ごめんなさい」
と。
私は、そんな事気にしたことはありませんでした。
ほとんど食欲がなく、もっぱら点滴と、管で栄養をとる彼女でしたが、時々大好物のリンゴを持って行き、すり下ろして絞って作ったリンゴジュースをなめさせたりしました。
そのときに見せる笑顔で、私は十分幸せでした。
私に出来ることは、そうやって彼女を元気づけることだけでした。
短い面会時間だったので、あまり話も出来ず、ただ彼女の手を握り、帰り際にキスするくらいしか出来ませんでしたが、私は十分幸せでした。
去年の3月の末くらいだったと思いますが、いつもの様に彼女に会いに行きましたが、彼女は眠っていました。
病室に響く規則正しい電子音に私も睡魔を感じ、つい1時間程眠り込んでしまいました。
目が覚めるととっくに面会時間は過ぎており、あわてて病室を後にしました。
すると、エレベータの前のベンチに誰かが座っていました。
別に気にせずエレベータのボタンを押そうとした私に、その人が話しかけてきました。
「話がある。」
その人は彼女の父親でした。
「何でしょうか?」
「君はどうしてここにいる?」
「あの娘のお見舞いに来ているのです。」
「そんな事を聞いているのではない。」
「と言いますと?」
「会社を辞めて、フリーターになってまで、どうして帰ってきたんだ?」
「ご存じでしたか。」
「どうしてそこまで出来るんだ?」
「どうして?好きな相手の側にいるのに、何か理由が必要ですか?」
「・・・・。」
「私の事を認めてくれとは言いません。ですから、せめてご迷惑をおかけしない様にと・・・。」
「分かった。今度からは私たちに気兼ねすることなく、あの子に顔を見せてやってくれ。」
「え?」
「それではこれで失礼する。」
確かこんな会話だったと思います。
それからは、毎日彼女に会えるようになりました。
彼女の母親も面会時間の終わる1時間前に病院を出て、私が彼女と会える時間には席をはずしてくれるようになりました。
彼女の話によると、父親が母親にそうするように言ったそうです。
そして、私とのことは彼女の好きにするようにとも言ったそうです。
でも、それから1週間ほどのことでした。
夜自分の部屋で寝ていると、彼女の父親から電話がかかってきました。
低く落ち着いた声で、
「今から会いに来てやってくれ、そのかわり覚悟して来てくれ」
と、彼女の父親ははっきりとした口調でそう言いました。
私は、大急ぎで彼女の病室に行きました。
看護婦や医師に囲まれたベッドの中で、うつろな目をした彼女が居ました。
薬の影響ですっかり髪の毛は抜け落ち、頬はこけ、青白い手を医師が掴み、脈を取っている様子でした。
夕方彼女と会った時、確かに衰弱は進んでいましたが、それでも話ができる程度の元気があったはずでした。
その変わり果てた彼女の様子に、私は身動きも出来ませんでした。
一歩下がった所で、目を真っ赤に腫らして立っている彼女の両親が居ました。
私を見た彼女の父親は、黙って母親を促しました。
彼女の母親は私の手を取ると、この子の手を握ってあげて、と言いながら、彼女のやせ細った手を取り私に握らせました。
そのとき、うつろだった彼女の目に一瞬光が見えた気がしました。
そして、彼女はゆっくり口を動かしました。
ほんの僅かでしたが、はっきり動かしていました。
私は、急いで彼女の口元に耳をあてがいました。
微かでしたが、彼女は
「ごめんなさい」
と繰り返して言っていました。
私は涙が止まらず、何もいえず、ただその子の手を握り返し、その子の言葉を聞き逃すまいと、必死で彼女の口に耳を当てていました。
とにかく、頭が真っ白で、どうして良いのか分からず、ただ手を握り返す事しかできませんでした。
突然、私は肩をたたかれ、我に返りました。
振り向くと彼女の父親が私の肩を掴んでいました。
そして彼女を真っ赤に腫れた目で見つめていました。
私はその手を取り、彼女の手を握らせようとしましたが、彼女の父親は首を横に振り、
「君が握ってやってくれ。私はここで良い」
と言いました。
それからどれくらいの時間がたったのか、私には分かりません。
しかし、それまで僅かにごめんなさいとつぶやき続けていた彼女が、一言、別の言葉をつぶやきました。
「○○ちゃん(私の名前)ありがとね。すごくしあわせだったよ。」
確かに、私にはそう聞こえました。
それが彼女の最後の言葉でした。
私はあわてて彼女の両親の手を取り、彼女の手を握らせました。
気丈だったご両親でしたが、彼女の手を握った途端、涙を流しました。
それからどのくらいの時間がたったのか分かりませんでしたが、突然それまで不規則に響いていた電子音が、連続音に変わりました。
医師が彼女の目に懐中電灯を当て、ゆっくりと
「ご臨終です」
と言いました。
その言葉を聞いて、彼女の母親が声を上げて泣き始めました。
気がつくと私も、そして彼女の父親も声を上げて泣いていました。
握りしめていた彼女の手が、ゆっくり確実に冷たくなっていくのを感じました。
次の日、彼女の父親から喪服を渡されました。
そして、二通の手紙を手渡され、
「今夜は君もあの子のそばにいてやってくれ」
と言われました。
私はひとまず部屋に戻りました。
部屋に入った私はしばらく力無く部屋に座り込んでいました。
ふと手に握らされた手紙を思い出し、二通の手紙を見ました。
一通は彼女の父親からでした。
中を見ると一枚の便せんにしっかりとした字で、
『すまなかった、そしてありがとう』
その二言が書いてありました。
もう一通は彼女の字で、私に当てた手紙でした。
中には、私と出会った頃から彼女が入院するまでの事が、びっしり書き込まれていました。
そしてその内容一つ一つに、自分がどれだけ幸せだったか、どれだけ救われたかが書かれていました。
その手紙を読みながら、私はまた声を上げて泣きました。
その手紙の最後には、こう書かれていました。
私が居なくなっても、○○ちゃんは元気でいてね。
私のすごくすごく大切な人だから、沢山幸せになってね。
新しい彼女見つけなきゃだめだよ。
私のこと好きなら、○○ちゃん、絶対に幸せになってね。
約束。
私はシャワーを浴びながら、声を上げて泣きました。
いつまでもシャワーを浴びながら泣き続けていました。
シャワーを出た私は、彼女の父親から受け取った喪服を着ました。
なぜか、私にぴったりのサイズでした。
まだ涙は乾いていませんでしたが、喪服に着替えた私は、彼女の家に行きました。
彼女の家には少しずつ親類や知り合いの方々が集まって来ているようでした。
私は彼女の両親に連れられ、彼女の安置されている部屋に通され、彼女のすぐ側に席をあてがっていただけました。
彼女の両親は、親類縁者の方々に私を『彼女と付き合っていた青年』だと紹介されました。
通夜と葬式にも出席させてもらえました。
そして常に私があてがってもらえた席は、彼女に一番近い席でした。
彼女の両親よりも近い席でした。
私はその席を辞退しようとしましたが、彼女の父親にすすめられました。
「君がその席に座らなくてどうする。」
「私たちに気遣うならその席に座ってくれ」
と。
今は、彼女の父親に紹介された会社で働いています。
いったんは断りましたが、彼女の父親と直接関係のある会社ではない事、そして仕事が気に入らなければ自由に辞めて良いと説得され、その好意を受けることにしました。
彼女の思い出はまだ鮮明に心に残っています。
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