母親の泣ける話 – 感動エピソード【16】全5話

母親の泣ける話 - 感動エピソード【16】全5話 泣ける話

 

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母親の泣ける話 – 感動エピソード【16】

 

 

今更だが親孝行をしたい

俺は母親が嫌いだ。

大嫌いだ。

おせっかいなとこが嫌いだ。

何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。

大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。

今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。

金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言うと 結局送ってくるくせに しぶるとこが嫌いだ。

「こんな家に生まれてこなければよかった」

と、言うと 電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。

そんな母親がこの間死んだ。

毎日のように俺を心配してかけてくる電話がただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。

だから、通夜にも行けなかった。

死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。

自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。

こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。

五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。

死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。

今日をもって、俺は2chを引退する。

嫌いだった母親にしてあげれなかった 親孝行を今更だがしたい。

受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい

 

アルバム

中学の夏休みに母親と大喧嘩した。

家を飛び出し、朝まで繁華街とかをぶらついた 事が一回だけあった。

帰ると家族全員が居間に居た。

夜勤の父は職場から抜け出して帰ってきていた。

普段仲の悪い兄も、車で私の事を朝までさがしていたらしい。

怒られると思ったら父が帰ってきて良かった。

飯食え。

と言った。

でも、私はまだ母が許せなかったので口も聞かず部屋に閉じこもった。

数日後、父の部屋の本棚で初めて見るアルバムらしきを見つけた。

それは赤ん坊だった

私の写真が貼ってあった。

その横に母の物と思われる日記が書いてあった。

それによると私を産んだとき母は難産だったらしく、産まれた後も未熟児だった私の世話が大変だったらしい。

私の写真は2歳ごろまで貼ってあり、最後の方のページに産まれてきてくれて、ありがとうと書いてあった。

それを見て、私は大泣きした。

母と喧嘩した時に、何で私なんか産んだんだよと言ってしまった自分は、本当に馬鹿だと思った。

母はそれを聞いた時、どんな気持ちだったんだろうと思うと凄く泣けてきた。

その日、母に謝った。

それから、いつか「産んでくれてありがとう」と母に言いたいと思っている。

 

就職してーなー

今日正社員の面接行ったのね。

もうこれで11社目。

今まで全部駄目だった。

その日は車で母も用事があったし、近くだったんで

「母さんが運転するよ」

と付き添ってくれた。

駐車場の社内に母を待たせて、面接してもらった。

出てきたのは社長と人事課長。

社長が絵に書いたような悪人顔でさ。

たばこふかしながら履歴書見て

「何この転職回数?あんたもう36だろ?」

「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」

「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」

車に戻ると母は面接には触れず、

「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」

「ごはん食べて帰ろうか」って。

無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。

そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。

で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。

母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。

今頃になって泣けてきたよ。

情けねーなー。

就職してーなー。

今まで何やってたんだろう。

母さん、就職できたらおごってくれたお礼に今度は何かおごるよ。

うまくないカツ丼じゃないところに行こう。

この歳になって言うのもなんだけど、母さんごめんなさい。

 

おにぎりの味

俺の母親は俺が5歳の時に癌で亡くなった。

それから2年間、父、2歳年上の姉と3人暮らしをしてた。

俺が小学1年生の時のある日曜日、

父が俺と姉に向かって

「今から2人に会ってほしい人がいるんだ。」

って言ってきた。

そんで父が連れてきたのは、

父より少し若いくらいの優しそうな顔の女性だった。

俺は子供だったが、父がその女性と再婚するつもりなのがなんとなく分かった。

姉はその人と会ってすぐに楽しそうに話をして打ち解けていたが、

俺は人見知りな性格だったので 打ち解けることができなかった。

その人が帰った後、3人で夕食をとっているときに父が

「父さんあの人と結婚してもいいかな?」

って言った。

俺は正直あまりいい気分ではなかったが、

姉も喜 んでたし、

父の幸せの事を考えると何も言えず、

俺も喜んでるフリをした。

そして、俺の家族は4人家族になった。

というより4人家族に戻った。

俺は相変わらず新しいお母さんになつくことができなかった。

ある休みの日の前日の夜、父が明日はみんなで動物園に行こうと言った。

俺は動物園なんてほとんど行ったことがなかったから、

本当にうれしかった。

翌日の朝、動物園に行けることが嬉しくて、いつもより早起きしたら、

父がリビングの薬入れをあさっていたので、

どうしたのか聞くと姉が熱を出 したらしい。

そこで父は家に残って姉の看病をすることになり、

俺とお母さんの2人で動物園に行くことになった。

動物園に着いてからもなんとなく気まずい雰囲気で、

言葉数も少なく、

心から楽しむことができないでいた。

昼になり、ベンチでお母さんの作ってきた弁当を食べることになった。

俺はおにぎりを一つとって口に運んだ。

そしたらなんか本当の母さんが元気だった頃、

家族でピクニックに行ったときに母さんがお弁当に作ってくれたおにぎりを食べたことを思い出した。

水気を吸ってやわらかくなった海苔、ほどよい塩 味・・・

懐かしい気持ちとともに本当のお母さんを思い出して涙がボロボロ出てきた。

母が戸惑っていたので泣くのをやめようと思っても涙が止まらなかった。

俺はその時初めてその人に母親を感じた。

それから母さんと動物園をまわりながら今まで話せなかった色んなことを話した。

ほんとに楽しかったし、嬉しかった。

そんな母もあれから22年たった今年の2月に病気で亡くなった。

俺はあの時食べたおにぎりの味を忘れない。

2人の母のおかげで今日も俺は元気に生きてる。

 

カーチャンの七不思議

夜には疲れた顔してたのに、朝には早起きして弁当作っててくれる。

夜遅く帰っても他の家族は寝てるのに、カーチャンだけ起きてる。

俺が疲れていることを、何故か把握していて、栄養剤を出してくれる。

俺が逆切れしても、困ったように笑ってる。

俺が自分で言っておきながら忘れてた事を、ずっと覚えてる。

いまだに俺の誕生日を祝ってくれる。

俺より長生きしてくれない。

 

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