泣ける話『ドラクエと私』など 短編5話 – 実話 体験談まとめ

泣ける話『ドラクエと私』など 短編5話 - 実話 体験談まとめ 泣ける話

 

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泣ける話 短編5話

 

ドラクエと私

私がドラクエ1と出会ったのは、10歳になったばかりの小学生の頃でした。
自分が勇者となって、国王の命を受け剣を取って立ち上がり、悪の魔王と戦う。
そんな胸躍る物語に少年の心はおおいにときめき、時間を忘れて熱中したものでした。
2の発売を知ったときは、絶対買うと心に決めて、すぐに小遣いを貯金し始めました。
社会現象にもなった3の発売時の行列、あの中に少年の日の私もいました。

ハードがSFCになってからも、PSになっても、私の心は常にドラクエと共にありました。
冒険の書を開く時、私の心は本当の意味でドラクエの中に存在し、
そこで戦い、傷つき、立ち上がり、そして少年は成長していったのです。

今の私はドラクエが育ててくれた、私は自信を持ってそう言えるし、それを誇りに思っています。
しかしハードをPS2に移した8になって、私は始めてドラクエをクリアしませんでした。
仕事が忙しい、ゲームをやっている暇がない、そういう理由もあったとは思いますが、私は「ドラクエを卒業する時が来たのではないか」と、初めて思ったのです。

私の成長を20年間見守ってくれたドラクエが、「もう一人でも戦っていけるよ」と認めてくれた瞬間でした。
ドラクエ9が発売されるNintendoDSを、私は持っていません。買うつもりもありません。
私がドラクエ9をプレイすることはないでしょうし、10以降についてもそうでしょう。

しかし私にはわかるんです。どんなに時が流れても、ドラクエはドラクエなんです。
私の愛した、そして私を育んでくれたドラクエに感謝の意味を込めて、☆5つを贈ります。

 

ピクシー

ピクシーのJラストのヴェルディ戦。
前半終了間際突如スタジアムから音が消えた…本当に唐突だった。
でも誰もきょろきょろしたりしていない、僕らの目はピクシーただ一人に注がれていた。

スタジアムはピッチでボールをける音と選手の叫び声だけが聞こえていた。

スタジアムの時計が45分を指す頃、どこからともなく手拍子が始まった。
手拍子は瞬く間に広がり、ヴェルディサポ側のスタンドからも聞こえて来た。

はじめはバラバラだった手拍子が次第に一つに成っていった。

僕らは震えていた。思いがけぬ感動にただ震えていた。
僕らの後ろに陣取っていた女の子集団は泣き始めた。
隣の男の子は「チクショウチクショウ…」と繰り返し呟いていた。

そしてピクシーがふと足を止めた。
明らかにゴール裏のサポーターに目を送っているのが分かった。
僕らは先日のホーム最終戦で見たピクシーの泪を思い出した。
また、泣くのかい?ピクシー?
ピクシーが立ち止まったのはほんの一瞬だった。
次の瞬間ピクシーは凄い形相でチームメイトに檄を飛ばしていた。
ピクシーは泣かなかった。ただ何度も何度も額の汗を拭っていた。ただ何度も、何度も。

僕にフットボールを教えてくれたのはアーセン・ベンゲルだった。
そして僕はピクシーにサッカーのファンタジーを教えられた。

彼が初めてグランパスに来た時、彼は本当に寂しそうだった。
いつも怒っていた。何時も一人でボールを蹴っていた。
凄い選手だということは知っていたが、なんだか好きにはなれなかった。

そしてベンゲルがやって来た。
ピクシーは相変わらず怒鳴ったりオーバーリアクションで怒りを顕にしていた。
チームはドンドン強くなっていった。選手はドンドン自信を深めていった。
今までのグランパスとは全く違う、本物のフットボールを観せてくれた。
ピクシーはまだ怒っていた。でもそこに寂しさは漂っていなかった。
彼は間違いなく名古屋グランパスエイトのチームメイトとして、仲間を叱咤していた。
彼はもう一人ではなかった。

 

グランパスサポは幸せだと思う。
間違いなく、掛け値無しの本物を、ほんの一時期とはいえ観る事が出来たのですから。
ファンタジーの勇者達を、自分のチームとして応援できたのですから。

僕にはこの試合後半の記憶がない。
多分叫んでいたし、ピクシーの姿を目に焼き付けようと必死だったと思う。
でも何も覚えていない。

試合後のセレモニーで確かスーツ姿の小倉が出てきたのは覚えている。あの頃彼はヴェルディの選手だったか?
子供が出てきたことも何となく覚えてる。確か試合は3-1で勝ったと思う。
最後にピクシーはピッチにキスをした。

今では後悔しているのだが、その時僕は泣いていた。セレモニーなんて見ちゃいなかった。
泣きながら7年間を思い出していた。
4人で試合を観に行った筈が、気付くと僕は一人だった。
僕にとってピクシーがこれほど多くの部分を占めているとは思ってもいなかった。
今まで人前で泣いた事なんて数える程度なのに、帰りの電車でも僕は泣いた。

有難うピクシー。
ピクシーは本当に日本にきて幸せだったんだろうか?
僕らの頭にはいつもそのセリフが引っ掛かっていた。
最後にピクシーはチームメイトに担がれてスタジアムを一周していた。
彼は泣いていた。でも最後にゴール裏のサポに挨拶に来た時、彼は無理矢理笑っていた、顔を歪ませて。
掛け値無しの笑顔だった。最高の笑顔だった。
多分それが答えなのだと思った。

世界の終わりに何をする?

仕事ですよ。
郵便配達員なので、郵便を配り終えてから、
家に帰って家族と終わりの時を迎えます。
手紙を待ち侘びてる人が、いるだろうからね。
出来れば配り終わるまで、終わらないで欲しいなぁ。

 

料理屋最高の幸せ

小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの合計4人)でバイトをしています。
基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。
昨日最後に来たお客さん(親子3人)が「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。

私は不味いと苦情を言われるんだと思い、震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。
お客さんは私をじろじろと見て「そう、あなたが作ってるの…」と呟きました。
私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に耐えていました。

そうしたら奥さんの方が「うちの子、人参が大嫌いでどんな料理にしても絶対に食べないの」と言いました。
「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいっていつも嬉しそうに食べるのよ。

良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」とメモ帳とペンを私に差し出してきました。
そういうことは店長に確認を取らないといけないので、冷静を装ってと厨房に行きましたが、実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。
厨房に行くと店長は「話は聞いてた。レシピは教えてやっていいぞ」とレシピのコピーをしてくれていました。
そして「これも持っていけ」とグラッセとうちの一番の自慢のコロッケを渡してくれました。

お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに載せると、子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って美味しそうに食べてくれました。

このことが本当に嬉しくて嬉しくて、お客さんが帰った後、思わずおお泣きしてしまった。
店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と
言って、私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。

お店もここにくるお客さんもみんな大好きだ。

 

本当の高級店

先日、定食屋だと思って入ったら、一番安い料理でも3千円はする高級和食店だった。
悩んだ挙句、顔を真っ赤にしながら正直に「予算が足りないので失礼します」
と伝えたら、店主は状況を察して「ご予算はいかほどでしょう?」と言い返してきた。

顔から火が出そうになりながら「千円では無理ですよね?」と言ったら、笑顔で「天丼はいかがでしょう?」と勧めてくれて、余った高級食材らしきものを集めてかき揚げ丼を作ってもらった。感動して泣きそうになった。

本当の高級店とはこういう店をいうんだなとしみじみ感じた。

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