子供の泣ける話 – 感動エピソード【5】全5話

子供の泣ける話 - 感動エピソード【5】全5話 泣ける話

 

スポンサーリンク

子供の泣ける話 – 感動エピソード【5】

 

 

俺の好物

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。

「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

 

娘がこの家を守ろうとしている

もう10年も前の話。

妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。

妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。

寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。

2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。

“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、

園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。

こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」

娘だった。

息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。

一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。

隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。

そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、

「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」

「本当はパパだってとってもさみしいの、」

「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」

「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」

「だから、だいじょうぶだよね?」

「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」

そう言っていたのよ。

何ということだ。

娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。

場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。

来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。

支えてくれてありがとう。

君は最高のママだったよ。

私にとっても、正樹にとっても。

ありがとう。

 

子供をなんだと思ってる!

兄家族が俺たちの家にやって来て長女を押し付けて引っ越していった。

兄も兄嫁も甥っ子だけが生きがいみたいな所があったんだよね

甥っ子は本当に頭が良かったんだ。

勉強は教科書読めば全て頭の中に入ってくる。

スポーツも出来て人気者だったらしい。

長女は甥よりも出来が悪いと判断されて、ほとんど放置されていたらしい

そのとき小学生だったけど、幼稚園生?と思えるぐらい細くて小さかった。

風呂には一か月に一回しか入れてくれなかったみたいで、そりゃ汚かった

お風呂に入れてやったら、一緒に入っていた嫁が泣き出すんだよ

「頭を洗ってあげただけで「ありがとう」って泣くんだよ。暖かいお風呂だねって泣くんだよ」

って。

食事を出せば

「おいしいね、暖かいね」

って言うんだ。

これはもうダメだって思って、兄貴に言ったら「100万よこせばそいつはやる」って。

嫁さんが

「…100万。子供をなんだと思ってる!」

と怒った。

俺は怒りを通り越して呆れしか出てこなかった。

こんなのが兄貴だったんだって。

次の日、俺が自分の貯金から100万おろして嫁さんに渡すと

「実は私も」

って嫁さんも100万準備していた。

200万兄貴に渡して

「これで俺たちの子供だな!」

って。

金で子供を買ったみたいでなんだかあの時は何とも言いようのない気持ちだったな。

俺たち、その時まだ22歳だったんだよね。

突然できた子供に近所の人も驚いていたけど、優しい人たちばかりだったから色々助けてもらった

長女が12歳の時に次女が生まれた。

不安もあったけど、長女はたくさん次女をかわいがってくれた。

お陰で次女はお姉ちゃんっ子に育った。

昨日は俺の誕生日だったんだけど

「お父さん、誕生日おめでとう」

って手作りの煙草ケースをくれた。

これがまた凝ってるんだわ。

木と革で出来てるんだけど最高に使い心地がいい。

「吸いすぎないように」

って書かれてるけど…

引き取った時とは比べ物にならないぐらい明るい子に長女はなった。

友達もたくさんいて、良く家にも遊びに来る。

勉強だって俺に似ないで嫁さんに似たのか良くできる子だ。

そのかわりに次女はアッパラパー(お調子者で今の自分を存分に楽しんでいる人)だけど、友達もいるし元気なら良いや。

そのうち目覚めるでしょう…。

これから二人とも大きくなっていって結婚して家を出ていくのかなと思うとなんだか寂しいなw

久しぶりに兄から年賀状が今頃届いて昔の事を思い出したので書き込み

「東大に受かったよ。息子。幸せな家族です」なんて書いてあるけど

俺たち家族の方が全然幸せで暖かい家庭だわ。

 

クリスマスプレゼント

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって
少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと

夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして
「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。

お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

 

ちゅう

ご近所に幼稚園の娘さんがいる家族が居る。

パパは車出勤で、娘さんは毎朝家の窓から
「パパー、いってらっしゃああああーい!!」と絶叫する。

そんで昨日かな?
パパが車のエンジンをかけた時、娘さんが
「パパー! まってぇぇー!!」
と家から猛ダッシュで飛び出てきた。

「まってぇーーー!」って、
すっごい切羽詰った声だったので、何事かと思ったら

「パパー! ちゅうするのわすれたぁー!!
ちゅうするの、わすれたぁぁぁぁあああぁあーーーーーー!!!」
ご近所じゅうに響き渡った、ソウルフルなシャウト。

ご夫婦は顔から火が出る思いだっただろうけどw
めっさ和ませて頂きました。

 

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました