人が死なない泣ける話 – 感動エピソード【6】
マラソン大会
俺が小6のときの話
俺は生まれつきスタミナが無くて、友達も少なかった
そのせいでマラソン大会とかマジ地獄だった
そんな俺にやたらまとわりついてくる奴がいて
そいつは明るい性格でクラスの人気者
俺とは正反対の奴だった
そいつが俺はウザくてウザくて
話とかは受け流して関わらないようにしてた(向こうから来るけど)
そしてマラソン大会の日、俺は朝からテンションめちゃくちゃ低くて、
「今年も絶対途中で倒れるよなぁ」とか考えてた 毎年倒れてゴールできなかったし
そしてスタート 俺は案の定途中で倒れて、救護テントまで運ばれた
マラソン大会の後も授業だったのでその帰り、いつもどうり一人で正面玄関から出ると
ウざいあいつがマラソン大会のゴール付近に朝礼台おいて
そこにひも結んで立ってた
で、こっちに手招きしてるんだ
無視しようかと思ったけど一応行ってみると
「ゴールテープ切って!」とそいつが言うんだ
俺がそのゴールテープ(ひも)の真ん中を通るとひもが朝礼台からほどけて
俺がゴールした形になった
その後あいつが言ったんだ
「ゴールだ おめでとう」
俺は久しぶりに声出して泣いたね
そしてそいつに初めて
「ありがとう」って思った
町の電気屋さん
ある日新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!焼きそばが大好きだった彼は、
タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら弟を一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に
目にした光景は閑散とした客が誰一人としていない店頭で
一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを小さなホットプレートで 焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気が湧かず
弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅したそうです。
それから月日は経ち電気屋は無くなってしまったそうです。
陣痛
微弱陣痛で42時間苦しんだ。
最初はよくある雄叫びをがおーっとあげてたけど、なんだかどっかを境目に急に冷静になった。
夫がハライタだのごはんだのとふいふいいなくなっていたのに、母はずっと付き添ってくれてて、医師らが体に悪いと叱るまでトイレにも立たなかった。
それで突然偉大なる母親の愛情みたいなものを見ている気がして頭が冷えたのね。
枯れた声で叫んでたとこからふっと息ついて、ぐるんと母を見た。
私「お母さん、ありがとう。大好き」
母「何?!死ぬの?!お医者さん!娘が死にそうです!」
私「私ね、お母さんのさつまいものきんぴらが好きだよ」
母「いやああああ誰かきてえええ!娘が死ぬううう!!!」
私「お母さん、高校のころに『早くしね』って言ったの、あれ嘘だよ。なるべく長生きしてね」
医師「○○さん!気を確かに!」
私「こんな時だから言えるけど、お母さん、いつかでいいからまただっこしてくれる?」
母「(号泣)」
ここで赤さん発露。間置かず頭がぬるんと出て、「ふんぬらば!」のひといきみで赤さん完全生誕。
本当に女神が舞い降りたかのような数分だった。
おまえらも数えてみ?
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
独身時代
もう10年も前のことだけど、新卒、千葉在住、手取り18万くらい?で、
家に3万入れていた。
5万にしろといわれて出て行った。
一人暮らしをすれば会社から4万ほど手当が出るので、そっちの方が得だったので。
5足す4で9万あれば一人暮らしできたから。親元より自由だし。
あのころは親も何でか金の亡者のようになにかにつけて別料金をよこせとうざかったし、
私も親に対し感謝の気持ちでたくさん払ったりする気がなかった。
家事も理不尽に手伝わされて(兄や弟に比べて多かったのがいやだった)、新入社員の身には体力的にもつらかった。
それからはずっと家にあまり寄りつかず、結婚することになり、
結婚費用や新居のお金も自分の貯金から出した。
親から「おめでとさん」って、200万の郵貯をもらった。
独身時代、家に入れてた分だった。もらえないだろ……….
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