日本好きにはたまらない!外国人の和む話 短編14選 – 心が温まる話まとめ

日本好きにはたまらない!外国人の和む話 短編15選 - 心が温まる話まとめ 心が温まる話

 

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日本好きにはたまらない!外国人の和む話 短編14選

 

 

1. 美味しいトムヤムクンをください

タイな人の萌え萌えエピソードが小泉純一郎前首相。
なんかの国際会議(アセアンだったかな?)でタイへ。
夕食は何を用意しますか?って問に対して
欧米系首相たちは「洋食を」中華系なひとは「中華で」
小泉さんのみが「美味しいトムヤムクンをください。あまり辛くしないでね」
といったそうだ。
リクエストといったら、洋食か中華って決まりだったコックさんたちが
とてもはりきって「メニューはタイ的家庭の食卓だけど、中身は立派な晩餐定食」を作った。
よそからは「知ってるメニュー言っただけだろう」とかいわれたけど
国の人たちは、小泉さんの「その国にいったらその国のものを食べる」ってのが
気に入ったそうだ。

なんでも、タイでも有名なエビカレーのお店に小泉さんの写真が飾ってあるといいます。

余談だけど、父・純一郎はキムチが嫌い、孝太郎は冷麺が食えないそーだw

タイのネット上の掲示板でタイ人たちが「日本の首相は
謙虚で素晴らしい」って喜んでたって。他の首脳たちは
自分の国の食事を注文してどこに行っても自国を押し通す
のに、小泉さんだけは訪問先の国の料理を食べようとする
その他国の文化を尊重する姿勢が嬉しかったらしい。

そういや、小泉首相はインドに行った時も食い物ネタが
あったな。インドのホテルだかのレストランでカレーを
食べたことが現地のメディアで紹介されて、インド人たちが
「小泉の食べたカレーを食べたい」と殺到したそうなw

 

2. 日本人の戦友に今も敬意を払うインド人とパキスタン人

インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。
知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので
銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。
何がなんだかわからなかったが不思議なことに、
パキスタン側でも銃声がやんでいた。
歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか
旗を持って一列で歩いてきていた。
われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが通り過ぎて見えなくなるまで
一発の銃弾も発射しなかった。
結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。
停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、
上官に聞きに言った。

その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で
持っていた旗は日の丸だということを聞いた。

その話を聞いてその夜は泣いた。
ものすごく泣いた。

その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。
こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、
戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。

あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人で
かつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って
敬意を表して戦闘を中断したそうだ。

この半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。
たくさん勉強して日本語の読み書きも覚えた。
何年もたって、日本のお酒が飲めるようになって、
サクラを見ながら飲んでいたとき、サクラの花びらがコップに入った。
それを見て急に涙が出てきた。
あの年寄りたちのことを思いだした。
日本人が本当にうらやましい

 

3. 遠い南の島で日本の歌を歌う老人

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……

 

4. アインシュタインの予言

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。

この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。

なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。

アインシュタイン

 

5. 両陛下へ最敬礼したイタリア人ジョッキーのミルコ・デムーロ

第146回天皇賞に、
イタリア人ジョッキーのミルコ・デムーロ騎乗のエイシンフラッシュが優勝した。

7年振りに天皇皇后両陛下の展覧競走となったこのレース、向こう正面から戻ってくるウィニングランの際に堪えきれずに涙、正面スタンド前で下馬してご観覧されていた両陛下へ、ヘルメットを取りひざまずいて最敬礼した。

彼のエピソードとしては99年から短期免許で来日するようになり2003年4月20日に行われた皐月賞をネオユニヴァースで制し日本のGIレース初制覇。

喜びのあまりにゴール後、2着のサクラプレジデント騎乗の田中勝春の頭を叩くシーンもあった。
続く6月1日の東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成する、1番人気に応えて快勝したネオユニヴァースを祝福する大観衆を目にして「イタリアのダービー(デルビーイタリアーノ)を5回勝つよりも、 日本のダービーを1度勝つ方が嬉しい」と感激の涙を流した。

去年の震災直後にドバイで行われたドバイワールドカップで日本馬のヴィクトワールピサに騎乗し勝利。
初騎乗初制覇に加え、日本馬の初制覇。日本に明るい話題を提供した。
日本イタリア以外のビッグレース勝利はこれが始めてであり、インタビューに

「ジャパンカップもイタリアダービーも勝っているけど、これがベストレース」と語った。

天皇賞勝利インタビュー
デムーロ騎手は「とてもエキサイティングだ。すべて勝つように運が向いた。
内ラチ沿いを走れて、行きたいところでスペースも空いた。
馬の状態も良かったし、内ラチ沿いを行こうと思っていた。
今年は自分も調子が良くなかったけれど、
天皇皇后両陛下がいらした特別な日に、勝つことができてとてもうれしい。
この馬の前回の勝利から2年半、
僕が勝つために待っていたくれたのかという思いだ」
と感激の表情を浮かべていた

 

6. サービスでくじを引いた出稼ぎ外国人

自分のバイト先であるコンビニは、一定金額以上だとくじが引けるサービスをたまに行っている。
その日もいつものようにバイトをしていたら、肌の黒いお兄さん×7が来店。
自分の住んでいる地域は工業団地が多くあるため、出稼ぎ外国人がよく来店する。
お兄さんたちはお菓子やお酒をかごいっぱいにしてレジにやってきた。
自分「4020円になります。現在○○円以上買うと、くじが引けるキャンペーンを行っていますので、7回引いてください」

(゜Д゜)「??」

自分「(英語でなんていうんだ?)ええっと・・・ラッキーチャンス、アットセブン!」

(゜Д゜)「オオー!!」

お兄さんたちはうれしそうにくじを引いた。
みんなヨーグルトとかお酒とか食べ物があったけど、一人だけはずれが当たってしまった。

(´・ω・`)「オオゥ・・・」

かわいそうなので、その人のはずれをもらって、箱の中に入れた。

「ワンモアチャンス!」

(゜Д゜)「オオー!!センキュー!」

もう一度引くと、今度は見事箱アイスがあった。

「おめでとうございます!ユーアーラッキー!」

(*´∀`*)「オオー!」

急いで品物を持ってきてレジに通してお兄さんたちに渡すと、もう一回引いてもらったお兄さんに思い切りハグされました。

(*´∀`*)「センキュー、センキュー、アナタイイヒト!!」

「!!??」←内心パニック

で、そのお兄さんのはぐから解放された、残りのお兄さんたちからもハグされました。

(*´∀`*)「ニホンダイスキ!ニホンジン、ミンナシンセツ!」

的なことを言われて。

コンビニでバイトして2年たつけど、こんなお礼(?)をもらったのは、生まれて初めてでした。
不況で大変だろうけど、お兄さんたちもお仕事がんばってください

 

7. よろしい、ならば戦争だ!喰らえ! 日本人の叡智、紙鉄砲!!!

会社の同僚のメリケン一家(一家揃って日本びいき)の家に招待され遊びに行った。夕飯ご馳走になり
その後旦那と一緒にマリカーやってたらそこの息子がおもちゃの鉄砲持って俺を銃撃してくる(弾は出ない)
「バーン!バーン!」
おお、新しいおもちゃ買ってもらったのかい。でもおじさん今マリカーやってるから後でね。
「バーン!バーン!」
無抵抗の相手に容赦ない銃撃! これは反撃しても許されるレベル。しかし俺は飛び道具を所持していない。
「バーン!バーン!」
こやつめハハハ。
「バーン(ry」
よろしい、ならば戦争だ! 撃っていいのは撃たれる覚悟をしているヤツだけだ!

武器がなければ作るまで! 手近にあったチラシを掴み折る!折る!ORU!
喰らえ! 日本人の叡智、紙鉄砲!!!
『パーーーーン!』
「WAOOOOOOOOOOO!!!!!!」

…息子より旦那のほうが驚いてた。嫁は嫁で台所から包丁持ってすっ飛んでくるし。
チラシを折るだけであんな音が出るなんて想像もしてなかったらしく、折り方を教えろと一家総出で迫ってくる。
調子にのって俺が鶴とかやっこさんとか折ったら目をキラキラして尊敬のまなざしで見てくる。
やめて逆に恥ずかしい。

すっかり折り紙にハマったメリケン一家。折り紙の本とか買って楽しくやってるみたい。
しかし先日、ネットで見つけた画像を見せられ「これを折って欲しい」とか頼まれた。
いや、ムリだから! プロの折り紙職人が折るようなそんなの素人にはムリだから!
T-レックスなんて設計図見ても折れんわ!

 

8. 米軍に贈った「ともだちワッペン」が人気らしい

(´ー`)
米軍に贈った「ともだちワッペン」が人気らしいけど
20世紀少年のアレ?

( ´ⅴ`) ノ
漢字とキリル文字って味があるよな。

(´∀`)
通販してるらしいよ、それ
オペレーション「トモダチ」に感動した人が
そのワッペン作って贈ったんだってさ

したら米軍が「タダで貰う訳にはいかない」って
お金払ったらしいよ。
勿論義援金行き

 

9. トイレにも神様

国際寮に住んでいたときの昔話。
宗教の話をしてて
「日本には何処にでも神様がいるんだよ」
「八百万って言うのは”いっぱい”って意味」
「中には貧乏の神なんてのもいるんだー」などとつたない英語で話した事がある。

相手は呆れたというか信じられないみたいな感じになった。
何しろあちらの神様(GOD)はまったき善なので、
悪や不幸といった類のものを司る神様というのがイマイチ想像出来なかったらしい。

そんで相手が「ここのトイレにも神様がいるってのかいHAHAHA」みたいな事を言ったわけ。
(日本語で神と紙と髪が同じ音だよーという話がその前に出ていた)

当時使用していたお世辞にも綺麗とはいえないトイレで紙は流せない(詰まる)し、余裕で汚物が溜まる。
「トイレの神様はとても徳の高い神様だ」と言ったら冗談だと思ったらしく爆笑。

「神様が集まってそれぞれが司る場所を決めた時、皆汚いからと嫌がった。
でもトイレってなくてはならないものだよね?なければ困るよね?
だからその神様は進んでその役割を引き受けたんだよ」
「トイレを綺麗にする人は、その神様がちゃんと見てて運を授けてくれるんだよ」(元ネタ:にほん昔話)

皆しーんとして、えらい感激された。感心というか、思っても見ないことを言われた!と。
その後も色々日本の神話とかについて聞かれる事が増えて、付け焼刃で勉強しなおした。
古事記とか一通り読んでて良かったなーと思ったよ。

それからしばらくして、うちの寮のトイレは今までと比べ物にならないくらい綺麗になった
というオチw

 

10. ペ島の桜を讃える歌

「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
人々を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。

そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。

そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。

日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。

最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。

戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという

 

11. 海外から見た日本の評価

初代駐日公使オールコック
「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、
不満のない国民であるように思われる。」

黒船のペリー「人びとは幸福で満足そう。」

日英修好通商条約使節団のオズボーン
「幸せで煩いから解放されているように見える。」

横浜・東京の水道設計技師ヘンリー・S・パーマ
「日本人は何か物珍しいものを見つけて じっと感心して眺めている時以外は
絶えず喋り続け、笑いこけている。」

フランス伯爵ボーヴォワル「この民族は笑い上戸で 心の底まで陽気である。」

スイス通商調査団団長リンダウ
「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続ける。」

ボーヴォワル
「日本人はいささか子供っぽいかも知れないが、親切と純粋、信頼にみちた民族だ。」

 

 

12. 女王陛下のキス

2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。
翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス号」が入港してきたのだが、折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された
巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。
着岸した「QE」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と
一等航海士が謝罪にやってきた。
相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。

「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」

これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、
ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって
「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし
日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。

 

13. ドラガン・ストイコビッチにまつわる話

引退を決め、名古屋とレッドスターとの引退親善試合を終え、
ベオグラードに旅立つ数日前、私(ドラガン・ストイコビッチ)は家族4人で名古屋のレストランに出かけた
レストランに入っても、誰も振り向かないので、
今日は自分の事を知らない人ばかり何だろうなと思い、4人で楽しく会話していた。
ところが、食事を終え、立ち上がったとたん、
一斉にお店中に拍手の音が鳴り響いた。
一瞬何が起こったかわからずボーゼンとしたが周りを見回して見ると、皆、笑顔を見せながら、コチラに向かって拍手しているではないか
しかも、「ピクシーありがとう」という感謝の言葉を口にして・・・
なんと、この人達は、私達を気遣って、食事が終わるまで、
敢えて、無関心を装ってくれていたのである。
ケガをして、傷心でやってきた私を助けてくれたのはむしろ日本のほうなのに
なんという人達なのだろうか私が居た他の国で、こんなに素晴らしい人達がいただろうか
私たちは思わず涙が出そうになった。
本当に日本に来て良かった、と改めて思った。
私はこの日のことは一生忘れないだろう。
私達のほうこそ言いたい「日本の皆さん、ありがとう」と

 

14. ニッポンは今どうなってますか?

「ニッポンは今どうなってますか?」

地震の後、アハメド・カリールさん(49)の携帯は、本国からの電話で鳴りっぱなしだった。
本国とはインド洋の島国モルディブ。カリールさんはその駐日大使だ。

男性の声、女性の声、子どもの声。知らない人ばかり。とにかく心配していることだけ伝えると、
名前も言わず1分足らずで切れる。「国際電話で長く話すお金がないんですね」(大使)。
それでも1週間、毎日2回かけてくる女性の声もあった。

モルディブでも地震直後に、テレビやラジオを通じた被災者支援キャンペーンが始まった。
大使の電話番号が画面で紹介され、それを見て直接電話をしてきたらしい。

キャンペーンでは大統領もスポーツ選手も歌手も、協力を呼びかけ続けた。36時間で700万
ルフィヤの義援金が集まった。人口31万人の国民の多くは貧しく、約4600万円の義援金は
「記録的」。お金が出せない人はツナの缶詰を持ってきた。

ツナ缶は国内の業者が引き取り、塩水ではなくオイル漬け、缶切りなしで開けられるプルトップの
日本特別仕様に替えられた。69万個。国民1人あたり2個以上だ。

2万人が参加した首都での追悼行進。国家元首が亡くなった時でも1日限りの半旗掲揚が閣議
決定で3日間に。「前代未聞のことばかりです」。支援は今も届き続ける。

合言葉は「日本に恩返しを」。

こちらはほとんど知らなかったけれど、モルディブの人たちは日本にとても感謝しているという。
小中学校や、04年のインド洋大津波から首都を守った防波堤などが日本のお金(政府開発援助)で
造られたこと、国を支えるマグロ・カツオ漁や水産加工業が日本の技術と資本で発展した歴史……。

忘れずにいてくれたのがうれしい。今度は日本が深く心に刻む。

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