『最高にかっこいい親父』など短編5話【11】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『最高にかっこいい親父』など短編5話【11】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【11】

 

 

初任給でレストランに招待

某信用金庫に勤める二十歳の短大卒の女性が、初月給を親のために使って喜んでもらおうと、両親をレストランに招待しました。
お母さんは前日から美容院にセットにいったりして大喜び。
ところが、お父さんはブスッと不機嫌な顔をしてついてきた。

「何を怒っているの」とたずねたら、
「一回の晩飯ぐらいで、俺が二十年間苦労して育ててきたことが帳消しになると思ったら、大間違いだぞ」と・・・
「そんなこと、どうして言うの?」と思ったけど、口に出しませんでした。

今日はめでたい日だし、お母さんは横でもうパクパク食べ始めているし、今さら怒って帰れない。

しばらく天井を見つめていたお父さんが、ポツリと
「ビールぐらい、飲んでもいいか?」と言った。

「誰がビールなんかついでやるもんか」、そう思ったけど、つがなきゃしょうがないなと思って彼女はお酌をした。
ところが、コップを差し出したお父さんの手には、二十年間勤めたセメント工場での白い粉が、びっしり。
手の甲のしわと毛穴にまで詰まっていました。

それに気づいた彼女は「お父さんゴメンネ」と言いたかったけど、どうにも言葉になりませんでした。
自宅に戻ったその後、彼女がトイレに行こうとして両親の部屋の前を通りかかったら、中から話し声が・・・
どうせまた、お父さんが私の悪口を言っていると思ったら、それが違うのです!

「俺も五十いくつになるけど、今日みたいにおいしい晩ご飯は初めてだった。
あいつの顔を見ていたら、俺は涙があふれそうになったから、天井しか見れなかったけど、
なあお前、本当にいい娘に育ったなあ。」

その瞬間、彼女はそこから先に足が進みませんでした。
そのまま自分の部屋に帰って、頭から布団をかぶって「バンザイ!」のポーズで朝まで泣き続けました・・・

 

 

最高にかっこいい親父

オレの親父は、消防士だった。

いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に
「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」
ってそう言っていたのを覚えている。

親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。
口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。

あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かっていった。
物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。

親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。

朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。
いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。

でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。
悲しくて、涙が止まらなかった。

でも、同時に誇らしかった。

親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだった。
最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。
他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。
そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。

あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。
何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。
それでも、向かうことが出来るのは、オレがこの仕事に「情熱」を持っているからだ。
あの時、最後まで親父が持っていたように。

ありがとう、親父。

あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。
怖くても足を踏み出していける。
本当に、ありがとう。

誰一人死なせはしない。

 

プロ野球のチケット

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていった。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。

俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。

母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。

チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

 

 

頑固一徹な祖父

田舎の祖母が入院してるので、実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。

祖父母は九州に住んでて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)ビール・ワインを、その日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。
熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと、
「ぬるい」
とひと言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は、「すみません」と言い、その熱燗を持って台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけることはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。

小さい頃から、こまごまとよく働く祖母を呼びつけて、「茶」だの「新聞とってこい」だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。

その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果、癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力を奪うより、このまま・・・という方針に決まった。
仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家に帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝から行っているらしい。
ほとんど一日病室で、二人で過ごしているそうだ。

病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が返ってきて、その手には売店で買ってきたプリン。
祖母の食欲が落ちてきたので、食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。

見ていると祖父がよく動く。
カバンから祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。

俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり、
「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」
と言いだした。

祖母が
「こんな痩せて、ガリガリの写真なんて撮らないでください。
お葬式には、若いきれいな頃の写真を使ってくださいね」
と冗談めかしていうと、祖父が少し語気を強めて言った。

「病人だし、飯も食わんのだから、ガリガリは当然だ。
今のお前がきれいじゃないという奴がいたら、
俺がぶん殴ってやるよ」と。

祖母は
「まぁまぁ・・・」
なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながら、この二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。

 

 

兄がずっと私を育ててくれた

今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、
私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。

授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり
宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。

友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたと、
わがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、
こんなんじゃない、お母さんに会いたいとと兄をなじってしまった。

兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。
あの姿を思い出すたびに、
兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。

その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。
兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。
兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと、
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。

兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。
たくさんたくさん、ごめんなさいとありがとうも言えないままだった。

「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。

もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな 。

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