『震災後のファミレス』など短編5話【13】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『震災後のファミレス』など短編5話【13】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【13】

 

 

父親の姿

公用でM高校へ出かけたある日のことだった。
校長先生が、私達を呼び止められて、
「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」
と言われ、校長室に案内された。
「実はある生徒の作文ですが・・」
とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。
「僕の父親の職業は鳶職である・・・」
という書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。

父親の休日は定まっていなかった。
雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。
仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。
僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。
小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。
たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。
母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。
『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。
『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』
『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。
小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。
運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。
こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。
ある日、名古屋へ遊びに出かけた。
ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。
僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。
8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。
僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。
(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。一つ違えば下は地獄だ。女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)
僕は体が震えてきた。
8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた。

校長は少し涙声で読み続けた。

「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。
母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。
一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。
僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。
体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。
何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。
どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」

そして彼は最後にこう書き結んでいる。

「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、今日限りこんな夢は捨てる。
これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。

読み終わった校長は、

「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。
こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。
そして子の親としてつくづく考えさせられました」

としみじみ言った。
差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。

 

震災後のファミレス

阪神大震災後のはなし。
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった。
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった。
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って。
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている。

昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた。
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた。
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題。
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」と涙ながらに訴えた。

すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ。

さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」と啖呵をきった瞬間、
オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた。

男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと、
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝。

彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった。

その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした。
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった。

 

 

なにが一番良いと思う?

このスレは見ててなごむなぁ、、
オレは1歳半の子供がいて、前職が保育士みたいなものだったから、こどもの成長とかがすごく楽しい
障害をもった子供たちを見ていたから、すこしでもその兆候があると、心配していたなぁ。
そう思うと>>378の嫁のように明るく肝の座った発言とかを自分の嫁から聞いた時
子供を生んだ嫁って凄いなぁっておもった。

そういや、去年の11月末にリストラされて、いまだ無職。実家の親も当てにできんし、嫁とも別居中。
人生詰んでしまったので、最後になにかの嫁と子供に残したいとおもうのだけど
まだ、1歳半の息子と嫁に残すなら、なにが一番良いと思う?

 

 

サンタさんにお願いした世界文学全集

小学生の時、サンタクロースをまだ信じていてクリスマスに世界文学全集をお願いした。
結果はオルゴール一つだけ。
両親は、サンタクロースの荷物が多すぎたからだと言い訳していた。
でも翌年、世界文学全集が届いた。
お金がなかったから、一年かけて貯金していたみたい。
大人になっても読んでいるよ。お父さんお母さんありがとう。私の宝物です。
ありがとう。

 

 

父が泣きだした理由

自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。

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