『親戚中をタライ回しに』など短編5話【21】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『親戚中をタライ回しに』など短編5話【21】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

スポンサーリンク

感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【21】

 

 

命の重さ

私は妊娠していた。
まだ6週目ぐらいだった。
ちょうど1ヶ月前のこの時間。(午前4時頃)
急にお腹に激痛が走り母親を起こし病院へ連れて行ってもらった。
母も慌てていたのか救急外来ではなく
1番近くにある病院に来てしまった。
もう他の病院に行くまで待てず無理やり病院に入れてもらった。
運良く産婦人科の医者が寝泊まり担当で診察してもらった。
結果は子宮外妊娠。泣いて泣いて泣きまくった。
そのときはなにも考えれずただ泣いた。

母も隣で必死に医者にどうにかできないかと泣きながら相談していた。
子宮外妊娠は卵管で赤ちゃんが育ち始め大きくなってくると卵管が赤ちゃんの大きさに耐えきれず破裂してしまうことから出血し激痛が起こる。
中にはかなりぎりぎりまで卵管が膨れて急激に破裂しショック死してしまう人も居るらしい。
だから私は緊急手術をすることに。
麻酔が効くぎりぎりまで私はお腹を撫でた。
目が覚めるとお腹には今までと違う痛み。
お腹を見れば三ヶ所に手術の後があった。
今まで自分に起きたことが現実だと思いしらされた。
もうお腹に赤ちゃんが居ないと突きつけるぐらい痛かった。声をあげて泣いた。
そのときは言葉なのかよく分からない事を口にしてた。

翌日、検査の為産婦人科の場所へ行った。
取り除いた卵管見ますか?そう医者に言われた。
私はかなり若いので医者は気を使ってくれたのだろう。
私は赤ちゃんの姿を見れるのは今だけだ。今を逃したら二度と見れない。
そう思い医者にお願いしますと頼んだ。
縦5ミリ、横1センチ~2センチ程度の卵管の真ん中部分だけがぷっくりと膨れていた。そのときなぜか涙が溢れて止まらなかった。
すっごく小さいけどちゃんと大きくなってたんだって感動した。

妊娠した妊婦さんで望んでいないのに。とか要らない。とか言う人も中には居るかもしれない。
でも、赤ちゃんは私たちよりはるかに小さくてでもきちんと育っているんです。生きているんです。
母親に抱っこされて「生まれてきてくれてありがとう」って言ってもらいたくて頑張って必死に生きているんです。
小さくても赤ちゃんの命はすごく重たいんです。そして産みたくても産めない人だっているんです。
きちんと子宮の中で赤ちゃんが育っているのは本当にすごい事なんです。
産む気がないなら避妊してください。
性行為ができるなら避妊だってできるはず。
大人の真似をするくせに妊婦したらまだ子供だから。なんて都合いい事言わないで下さい。
あなたの行為一つで失わなくていいはずの命が消えてしまうんです。

長くなってすいません。
1人でも多くの方にきちんと妊娠できる奇跡。
子宮外妊娠の辛さ。
命の重さを知って欲しいんです。
読んでくれてありがとうございます。

 

 

俺が死んでも

ようやく気持ちも落ち着いてきたからちょっと書かせてもらいます。

中学生の時、何かにつけてよくツルんでいたダチが2ヶ月前に事故で亡くなった。
そいつは何をするにも熱くなりがちで、テストや体育の授業なんかは
しきりに勝負を挑んでくるような奴だった。
俺とそいつは勉強もスポーツも同じくらいの実力だったから、
俺も競うのはすごく楽しかった。
今思えば、学生生活が退屈なものにならなかったのはコイツのおかげだったとも思える。
ある日、同じクラスの奴がバイクで事故って亡くなった。

葬式の日にそのダチはあまり交友もなかったそいつのことを思ってボロボロ泣いていた。
当時男が泣くことを恥ずかしいことだと感じていた俺も、本気で泣いてるこいつを見た時に「いい奴だな」と思ったのを覚えてる。
今も忘れないその帰り道のこと、ダチが「葬式って悲しいな」って言った。
「そりゃそうや。人が死んでんから」って俺が答えると、
「お前、俺が死んでも泣かんでええからな。むしろ笑え。俺が生きてた頃にやったバカなこと思い出してみんなで笑ってくれや」って言った。
「アホか。どこに葬式で笑うヤツがおんねん」って俺が言うと、
赤い目したダチが

「悲しい葬式なんかおもろないやろ。それに俺、泣かれても嬉しないもん。
せっかくみんな集まるんやからバカ騒ぎしたらええ。
それで1人でええから、俺みたいなヤツでも死んだら寂しくなるなって 思ってくれるヤツがいたら満足や」
って、笑って言った。
俺は「アホや!こいつアホや!」ってちょっとキザっぽく言うダチを笑った。

おい、お前の葬式、俺泣かんかったぞ。
写真の前で手合わせてからニコニコ顔で出てきたった。
だって、お前がそう望んでたんやからな。
勝手に死んで、アホか。

 

親戚中をタライ回しに

おれが小学生の時、事故で両親が死んだ。
その後親戚中をタライ回しにされた。
おれが「高校入学を機に1人暮らしを始めたいです」と言うと、親戚のヤツは「好きにしろ。」と二つ返事で文字通りおれを放り出した。
金も貰った。300万。おれの家を売ったし貯金とかもっとあるはずだが、おれはなにも言わずにそこを飛び出した。
なによりその場所が耐えられなかった。

そして1人で暮らし始めた。
そして高校2年の時に知り合った友達の家に初めて遊びに行った時。
時間が遅くなって晩ご飯をごちそうになることになった。
友達の家は、親父さん、お母さん、友達、弟の4人家族だった。
おれを入れて5人の食卓には、ごはん、味噌汁、にくじゃが、あとよく判らない煮魚みたいなものが並んだ。
おれは「うまい!うまい!」と連発して食べた。

友達「そうか~?こんなん普通だよ?」
おれ「なに言っとるんだ、こんなん毎日食べれるなんて羨ましいて!」
おれ「炊きたてゴハンなんてすっげーゼイタクだて!」
それを聞いていたお母さんが「○○くん、いつもどんなもの食べてるの?」と聞いてきた。
おれは「いつもバイト先でまかない食ってます。あと家だとおにぎりとかパンとか、ラーメンとかです」と答えた。
お母さん「・・・お母さんはいらっしゃらないの?」
おれ「あ、おれ両親いないんすよ。昔事故で・・・。ハハッ。(笑)」なるべく気を使わせないようにサラッと言ったつもりだった。
ところがお母さんはいきなりおれの手を両手で握ってきた。

おれがビックリしてると、涙目で「○○くん、困ったことがあったらうちに来るのよ」って言った。
なんだか分からないけど、おれも泣けてきた。
家族なんて欲しいと思ってなかったけど、その友達が本当に羨ましかった。
この時のめしの味が今でも忘れられない。

それからもそいつの家にはバイトの休みの日にゴハンを食べさしてもらいに行った。
いつもタダメシじゃ悪いから、一度お金を持っていったら、逆に怒られた。
「子供が余計な気を使わなくてもいい」って。
でもうれしかった。

 

 

こんなに愛されていたなんて

12年前に死んだおじぃの部屋から、
当時小学6年だった私と一緒に折った紙飛行機が見つかった。
「懐かしい」なんて手に取ったら
紙が茶けててボロボロ、破れた隙間から何か文字が見えた。
広げて見ると、おじぃが当時の私に書いたものだった。

「かなこや、おまえはかわいい
わ(わ→私)のたからじゃき だいじに だいじに
おおきゅうなるまっで じいちゃが だいじにしたるきな
じいちゃは かなこがだいすきじゃ
おまんが じいちゃのこと いらんゆうとも
さみしいけんど じいちゃは かなこがだいすきじゃきな
あんま きらわんとってな かなこが・・・(ここから先読めない)」

当時の私はおじぃが好きになれなくて平気でおじぃの前で「いらん」「死ね」って言ってた。
こんなに愛されていたなんて、こんなに大切にされていたなんて
全然知らなかった。
ごめんなおじぃ・・・。

 

 

私をいじめていたあの女子と再会

小学校の時、いじめられた。
消しゴムを勝手に使われて、怒ったら相手が学年のボス格の女子でそれ以来、クラスから無視された。
それが中学に入っても変わらなくて、真剣に自殺まで考えてたけど、音楽とか聞いて救われた。
中2の時に転校して、そこでは友達にも恵まれた。
高校に入ってすぐバンドを始めた。多分、後にも先にも人生で1番私が輝いてた時期だと思う。
地元の楽器屋に寄った帰り、私をいじめていたあの女子と再会した 親戚の法事で来たらしい。
彼女は、あやまってくれた。

私は、もうとっくの昔に大丈夫だと言った。
それから、私の初恋の相手や向こうの近況なんかを聞いて別れた。
彼女の乗ったバスを見送り、私も自転車に乗ろうと振り替えった時だった。
後ろから、それまで聞いた事のなかった音がした。

振り向くと、彼女が乗っているバスがひしゃげてひっくり返っていた。
すぐ側には、大きなクレーン車が横転していた。
すぐに私は走って近づいた。
だけど怖くて近づく事しか出来なかった。
彼女を助けようと思っても、野次馬と同じ位置から先に進めなかった。
すぐにレスキュー隊が到着して、割れた窓から血まみれになった彼女が運び出された。
それからの記憶はなぜか曖昧ではっきり覚えていない。
半日かけてやって来た彼女の家族と一緒に病院のベンチに座っていたのは確か。
記憶がはっきりしたのは、なぜか私の兄が病院に来たあたりだった 。

兄と一緒に病室に入ると、あちこちに包帯を巻かれた姉がベッドに寝ていた。
姉もあのバスに乗っていたのだった。
ぐっすり寝ている姉は、両足がそれぞれ膝の辺りで途切れていた。
さらに医者の話しで、高い可能性で植物人間になってしまうとの事だった。
そこから、とうとう何も考える事が出来なくなった。
家に帰り、そのままベッドに入って寝た。起きても学校に行かず、丸一日食事も風呂に入る事もなくひたすら天井を見つめていた。
私がひさしぶりの食事をとりにキッチンへ来た時、私をいじめていた彼女が死んだ事がわかった。
そして、姉の容態は安定したが、目覚めない事も。

一月ほど経って、私は電車に乗って彼女の家に行った。
葬式にも通夜にも出席出来なかったので、せめて仏壇に手を合わせたいと思ったからだ。
仏壇に手を合わせ、帰ろうとする私を彼女の両親が引き止めた。
その内の彼女の母親が、小さなメモ帳のような物をいくつか出して来た。
それは、死んだ彼女がつけていた日記だった。
その中には、私をいじめて後悔していた事。
始めたのが自分である以上、引っ込みがつかなくなってしまった事。
私が転校し、とうとう謝る事が出来なくなった事などが綴られていた。
そして、中学の時の先生に私の転校先を聞き、そして私に謝りに行くという決心が日記の最後だった。
親戚の法事なんて嘘だった。

読み終えた私に、彼女の母親が「あの子を許してくれましたか?」と聞いてきた。
私は一言、「はい」とだけ、多分涙声で答えた。
すると彼女の母親は私の手を両手で掴み、「ありがとう」と言って鳴咽を漏らし出した。
彼女の父親も余っていた私の手を掴み、私の目をまっすぐ見ながら「ありがとう」と言った。
二人とも何度もむせび泣きながら、何度も「ありがとう」と言った 。
それから半年後、姉が奇跡的に目覚めた。
足が無くなったという事実に最初はショックを受けていたが、すぐにリハビリと義足の訓練を始めた。
今では杖無しでも普通に買い物に出かけているぐらいだ。
今でもふと、彼女の両親が「ありがとう」言った時の顔を思い出す。
彼女の一周忌がもうすぐなので、それには出ようと思っている。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました