『きょう会社辞めてきた』など短編5話【18】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『きょう会社辞めてきた』など短編5話【18】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【18】

 

 

きょう会社辞めてきた

どうにもならない事情があって、会社に辞意を伝えた日。
これから帰るって妻にメールしたら、ちょうど近くまで車できてた妻が迎えにきてくれた。
妻が運転する車でしばらく走ってから
「きょう会社辞めてきた。来月から無職」って伝えた。
妻は「そっか」とだけ言った。

恐る恐る顔色を伺うも無表情。
伝わってないのかなと思い、今度は妻の横顔に向かってはっきりと、
「おれ会社辞めたよ」。
妻はもう一度、全く同じ口調で「そっか」。
あとは二人ともほとんど無言で、カーラジオの音だけが響いてて、おれは自分の胃がすごく冷たく感じたのを覚えてる。

家に入ると、いつものように出迎える猫。
妻は、猫を抱き上げて頬ずりし、心底嬉しそうな声で、「パパ、会社辞めたってー。嬉しいねー。やっと楽しいパパに戻るよー。」

家では会社内のゴタゴタとか一切話さないようにしてた。
ストレス溜まってても気づかれないように気をつけてたし、愚痴どころかため息すらつかないようにしてたから、辞めたことを伝えたら、驚くだろうし悲しむだろうし怒るだろうなと思ってた。
少なくとも喜ばれるとは全く思っていなかった。

隠しても隠せるもんじゃないんだな。
ちゃんとわかってたんだな。

タバコ買ってくるっつって外に出て、誰もいない駐輪場で一人で泣いた。
あのときは、こいつと結婚して本当によかったって思ったよ。

 

 

いつも僕を困らせる君

あなたは本当に俺を困らせてくれたよね。
あなたと付き合った日。
朝のバスでいきなり大声で「付き合ってください!」って。
そんな大声で言われても困るし。
てか場所考えてよ。
始めてのデートの日。
初デートに寝坊で3時間も遅れて来た。
あれには正直びびったよ。
ペアマグを一緒に買った日。
あなたはさっそく帰りに落として壊したよね。
あの後もう一度買いに行くの面倒だった。
一緒に海遊館に行った日。
イルカを見てたらはぐれちゃったよね。
だってあなたはイルカを見た瞬間人混みに飛び込んでいったんだもん。
探すのが大変だった。
それからどこに行くにも手を繋いでいたね。
俺が修学旅行のお土産のぬいぐるみを渡した時。
あなたは嬉しすぎてか、大泣きしてたね。
周りの人に泣かせたと思われたみたいで、周りの視線が痛かった。
あなたと一緒に誕生日を祝った日。
帰り際に中々離してくれなくて、大変だった。
お陰で夜遅く帰って親に物凄く怒られた。
あなたが、病気の事をうちあけてくれた時。
なんで今まで黙ってたんだよとか、言いたい事たくさんあった。

あなたと一緒に泊まった日。
あなたはテンションがあがりすぎて、俺の友達に電話とかメールをしまくってたよね。
あの後学校で皆からの質問攻めが大変だったんだよ?
あなたから、病気は治ったって聞いた時。
自分の事みたいに嬉しかった。
でもそれを言うのが別れる前日って。笑
あなたに東京に行くからって、別れを言われた時。
めちゃくちゃ辛かった。
心が張り裂けそうだった。
あなたと別れてそれでも連絡が毎日の様に来てた時。
別れた意味ないじゃんって、内心思ってた。
とても嬉しかったけど。
あなたからの連絡が途絶えた時。
あぁ、忘れられたんだってとても凹んだ。

高校に入って、あなたから、手紙がとどいた。
とっても嬉しかった。
けど、そこに入っていた手紙は、あなたからの手紙と、あなたのお母さんからの手紙。
あなたからの手紙には、いままでの思い出とかが、たくさん書いてあった。
それを読んでる時、今すぐにでも会いたいって、心の中で叫んでた。
けど、あなたのお母さんからの手紙で、その叫びは打ち消された。

ねぇ、なんであなたは、病気が治ったって、嘘をついたの?東京に行く理由も、治療の為だって、何で正直に話してくれなかったの?
俺が悲しまないようにって、嘘つかれた方がかなしいんだよ?
俺はあなたの彼氏です。彼氏なんだから、最後くらい、一緒にいたかったよ。
あなたからの手紙の最後の言葉。

あなたを愛しています。

その言葉は、あなたの口から、聞きたかったよ。
たくさん愚痴を書いたけどね、一つ確かな事がある。
それは、あなたと一緒にいれば、笑顔が絶えなかった事。
あなたと一緒にいるのが、本当に楽しかった。
本当に、ありがとうね。
あれ以来、本気で恋をするのがこわかった。
また、嘘つかれるんじゃないかって。
臆病になっていたんだ。
けど、この間、またあなたから小包が届いた。
そこに入っていたのは、あなたがつけていた闘病日記の1ページと、あなたのお気に入りのピアス。
あなたは死んでも、僕を困らせてくれるんだね。

— 私の最後のお願い。
私以上に、誰かを愛して下さい。–

あなたのピアスは、今、僕の首にネックレスとなってかかっています。
あなたの最後のお願いを叶える為に、新しい恋を、今日から、始めるよ。
ありがとう。

 

前妻さんの子供

数年前、私の夫がいきなり前妻の子供を引き取りたいって言ってきた。
前妻さんが再婚する時も、夫が言っていたみたいだけど、もう私と結婚していて
「それは出来ない、お前が養育費出せ、子供を寄越せと言って来たんだから無理」
と私が知らない間に断られてた。

でも今回は再婚した前妻さんと前妻さんの現夫が子供を虐待してると聞いて私に相談してきた。
私も、前妻さんの子供と仲良くやっていける自身はなかったけど、初顔合わせの時、子供の顔を見て前妻さんに「私が引き取ります!」と言った。

面倒そうに連れられた前妻さんの子、長女は夏なのに長袖で、腕と足には古いのと新しいのと混ざった、やけど、タバコの跡、赤と青の打撲痕。
暗い表情、汚れた服、虐待のオンパレードだった。
最初はご飯でさえ、びくびくしながら食べてた。
中にガラスや絵の具、ゴキブリが入ってたり、腐ったのを食べさせられてたから。

でも今は私の産んだ子(引き取った時に中にいた)を面倒見てくれてる。
はっきり言って夫より仲がいい。

「あなたは私の大切な子よ、生まれるところを間違えただけだからね。お帰り。」
と言ってます。

 

 

100人ピラミッドで六年生の娘が学んだ事

今はもう、18歳になった娘が、小学校六年生の時の運動会のことです。
最近、危険であるということで、禁止になったと話題になった、組体操のピラミッド。
娘の学校でも次の年からは、人数を減らした小さいピラミッドになりましたが、娘の年は最後の100人ピラミッドに挑戦することができました。
毎日毎日、繰り返す練習、それがどんなに厳しく、張り詰めたものであるか、娘の話からも想像できました。
体格のいい我が娘は、下から2段目、その上ピラミッドの中心あたりの位置のため、表からは全く見えない位置に配置されました。

ある時、私はポツリとこんな事を言ってしまいました。
「上に乗れるコはいいよね。重たい思いもしないでいいし、目立つしね、写真にもちゃんと写るしさ。」
すると娘は、真剣な表情で私に言いました。

「お母さん、私の上に上っていく人は、みんな物凄く気を使ってくれるよ?
痛い?ごめんな?もうちょっと頑張って!もうすぐだから!頑張って!って。
自分たちは、すごく怖いんだよ?
高いのに、グラグラする人の背中にのぼるんだよ?
怖いの我慢して、下の子たちのために、どれだけでも早く上ろうと必死なの!
楽な役の子なんてだれもいないの!」

私は感動しました。
ピラミッドの練習の中で、この子達は、ものすごく大切なことを学んでいるんだ。
自然に学んだんだ。

本番の運動会当日、100人のピラミッドは、息を飲んで見守るグラウンドにいる全ての人の前で、見事に成功!
子供達の素晴らしい笑顔に、保護者たちは涙、涙。
一生忘れられない、素晴らしい運動会でした。

 

 

祖父の愛人だったおばさん

私は母子家庭でした。近所にいる祖父宅へ小さい時から預けられていました。
そこには若い頃に祖父が作った愛人のおばさんもいました。
何十年も一緒にいるので本当の夫婦のようでした。
私とは血が繋がってはいませんが本当の孫のように接してくれていました。
趣味のパチンコやに、買い物に、犬の散歩に行ったりと過ごしていた時間が長く、楽しかったのを今でも思い出します。

時は経ち、みんな年をとって老夫婦も本当に高齢者になってきたため、家を建てみんなで生活することになりました。
生活して二年後に祖父は脳梗塞になり右半身麻痺、認知症になってしまいました。
また、愛人のおばさんも持病の糖尿病が悪化してきました。
体調の悪い二人の世話を私はしながら生活していました。
私の母親はそれを見て、老夫婦に強くあたり散らしていました。
昔の怨みみたいなことも含んで言っていたので、家の雰囲気は最悪でした。

さらに、年が経ちいよいよ自宅では介護困難な状況になってきました。
祖父の認知症状は止まることなく落ちつかない、おばさんも高度な認知症状がでてきました。
老夫婦を一緒に介護施設に入所せざる状況になってきました。
母親とはもうどうにもならないくらい関係が悪化していたため、私が施設まで送り届けることになりました。

車内では皆無言で、時々祖父が意味不明な会話をはじめるくらいでした。
施設に着いたとき、私は顔の原型がなくなるほど泣いてしまいました。
ずっと我慢していたせいもあり、止まらなくなって二人に何度謝りました。
しかし、二人は謝り、泣いている私を見て、今までありがとうと笑顔で話してくれました。
認知症状が進んでいる二人は本当に理解してるのかわからなかったですが、悲しい気持ちでいっぱいでした。

一年後に祖父は他界し、おばさん独りきりになってしまいました。
認知症状がかなり進んで私の顔を忘れている状況でした。
私を施設職員だと思い込んで、必ず話しかけてきます。

私にはあなたと同じくらいの孫がいるんだ。
優しくて力持ちで看護師をしているんだ。
あの子は私の自慢の孫なんだよ。
と、私の顔を忘れていても私のことは覚えているおばさんに涙が溢れました。
私はそうですかと相槌をする事しかできませんでした。

二年後、おばさんは他界しました。
最後まで私のことは覚えてくれていました。
小さい時に、私のたった一人の孫なんだよと自慢してくれた大好きなおばさん。
血が繋がってはいませんが本当に大好きでした。
ありがとう。
私は今、二人の娘に恵まれ幸せです。
おばさんと過ごした暖かく、柔らかな時間を今は家族で過ごしいます。
また、墓参りの時に会いましょう。

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