感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【20】
父の危機に大親友が平手打ち
A子ちゃんが中学生だったときの話です。
彼女の父親は昔から病弱で、入退院を繰り返す生活をしていたそうです。
しかしある日、A子ちゃんが学校に行っている間に、父親が意識不明になってしまいました。
もちろん、父の危機はすぐに学校にいるA子ちゃんにも知らされました。
その場で泣き崩れるAちゃん。
あまりのショックで、病院にすぐ駆けつけることなどできなかったそうです。
でも、そんなときA子ちゃんの大親友だったC子ちゃんが、A子ちゃんに平手打ち(ビンタ)をくらわしてこう言ったそうです。
「これから泣くのはいつだってできるでしょ!!今しか生きているお父さんに会えないかもしれないんだよ!!今をのがしたら、A子には後悔しか残らないよ!それでもいいの!」
と言って、授業の途中にもかかわらず、A子ちゃんの腕を無理やりにでもひっぱって、A子ちゃんの父親のいる病院につれていってくれたそうです。
病院に着くや否や、父親の状態が明確に伝えられ、すぐに手術をしないと今日中に亡くなってしまうと言われたそうです。
でも、そこに問題がありました。
そこの病院には長時間の大手術ができるほどの輸血がなく、手術はできないとのこと。
そして、他の病院に搬送できる時間の余裕がないことから、A子ちゃんとその母親は父の死を覚悟したと言っていました。
でも、それを聞いたC子ちゃんは、「ちょっと待ってて」と言って出ていき、暫くすると中学のクラスメイトと共に病院にかけつけてくれたそうです。
クラスメイトはみな走ってきたからでしょう、額に汗を流し、息も切れ切れにこういったそうです。
「C子から話はきいた。A型のやつがそろっている。早くオレらから血を抜いて、おまえの親父の手術に役出ててくれ!」
みんな笑顔でA子を励ますとともに、協力を願い出てくれたのです。
そして、みんなの協力があいなって、A子の父親は一命をとりとめたそうです。
あとから聞いた話ですが、みんなが来てくれたのも、C子が息をきらしながら血眼で授業中のクラスに飛び入ってきて、みんなに泣きながら協力を願ってくれたからだそうです。
彼女の父親を助けてあげてと。
そして授業中にもかかわらず、A子のためと全クラスメイトが一丸となって動いてくれたのです。
なぜ、彼女がそこまでしてくれたのか。それにはわけがありました。
彼女は幼いときに父親を交通事故でなくしていたのです。
父親の最後をみられなかった悲しみ、助けてあげられなかった悔しさから、A子をなんとかしてあげたいとおもったのでしょう。
C子はA子と自分自身をかさねていたのでしょうね。
A子は思い出すたびに、C子に心から感謝しているとのことです。
おばあちゃんと男の子の会話
こどもの発達がちょっとゆっくりで、保健センターに通っている。
母子教室みたいなのの最中、おばあちゃんと男の子が二人迷い込んできた。
「すみません、里親会の集まりの会場はここでしょうか?」
トイレに行くときに貼り紙をみたので、
「それなら、上の階の○○室ですよ」と教えてあげた。
おばあちゃんは、頭を下げながら男の子達の手をしっかり握って去っていった。
でも、○○室って引っ込んでてわかりにくいんだよな~と思い出し、
案内した方が良いかなと思って子供を先生に預けて追いかけた。
前方から聞こえてきた漫画みたいな会話
男の子(小)「さっきのが『おかあさん?』」
男の子(大)「うん、あんな感じ。でも僕らのおかあさんはおばあちゃんだから!」
君(小)と僕が違うところで生まれても兄弟みたいに、
ほんとうのお母さんでなくてもおばあちゃんがおかあさんだから。」
男の子(小)「うん、綺麗なおかあさんたちよりおばあちゃんが一番優しいね、きっと。」
おばあちゃんはただただ交互に男の子2人にほほえみかけていた。
その笑顔はただただ優しくて、このおばあちゃんがこの男の子達に
どれだけの愛情を注いでいるのかわかるようで、何だか泣きたくなった。
亡くなったK君が妻に語りに来た
今はサラリーマンしてますが、2年前まで競輪選手として勝負の世界で生きてました。
現役時代の話です。
静岡の伊東競輪の最終日に、私は見事一着を取りました(一般戦という負け戦でしたが)。
それは連携した前走の後輩選手(K.T君)が勝とうと頑張った結果、自分にもチャンスが来たからでした。
そのK選手が一着でゴールするところを、私がゴール直前で後から抜いた形です。
レースが終わり、昼食を食べに食堂へ行くと、ちょうどK君も食べに来ました。
一着を取って上機嫌だった私は「K君一人なら一緒に食べようよ。」と誘い同じテーブルで食事を始めました。
「4コーナーでは勝ったと思ったでしょ」と私が言うと、「はい、いただき!と思いました!」とK君は二着になってしまったにもかかわらず、屈託のない笑顔で言いました。
お互い力を出し切った満足感と、レースの緊張から解放されたことですぐに打ち解けました。
彼とはその開催が初めての出会いでした。
しかしその二ヶ月後、K君は凍った路面で運転していた車がスリップし、亡くなってしまいました。
かなりショックでしたが、彼との思い出は伊東競輪のワンツーだけだった事もあり、薄情なもので年月と共に忘れていきました。
何年か経った12月、家で昼ご飯を食べながらテレビのニュースを見てると、北海道の大雪の映像が流れてました。
「そういえばTが事故ったのもこんな日だったんかなぁ。あれ、Tって苗字何だったっけ。」
本当に私は薄情な奴です。久々に甦った記憶でしたが、Kという苗字がどうしても思い出せなかったんです。
その晩、突然妻が言いました。「ねえ、K君って知ってる?。K君が私のとこに来たよ。」あまりの驚きに声が出ませんでした。
「そうだ、Kだった…」昼の記憶も、私の胸の中だけのものでした。
妻は恐ろしい程の霊感の持ち主でした。
妻は更に続けました。
「たぶんこの世の人じゃないよね。彼がね、アンタに伝えて欲しいって言った事をそのまま言うね。」
「思い出してくれてありがとうございます。僕はもっと走りたかったけど出来ませんでした。Mさん(私)には僕の分も走って欲しい。僕はもう生まれ変わっています。またスポーツを仕事に出きるように頑張ります。明日からの仕事、黄色かオレンジ色のユニフォームになったら怪我に気を付けて下さい。」
冷静に話す妻とは逆に私は声を上げて泣いてしまいました。
余りの驚きと嬉しさで泣きながら「たった1回一緒に走っただけなのに」と堪らず言いました。
短い時間でも絆に思っている。
事故の瞬間は、頭の中で火花が散った感じがしただけで苦しまなかった。ということも言ってたそうです。
その翌日から私は、千葉県の松戸競輪の出場でした。
松戸では夕べのことをK君の先輩に言うかかなり迷いました。
「うさん臭い。ふざけるな」って言われるんじゃないかと。
迷ったあげく、夕べのことをその先輩に話しました。何も足さず、何も変えず心を込めて。
「仲間が集まってコーヒーを飲む時にでも彼の思い出話をしてあげて下さい」とだけ最後に加えました。
その夕方、私の話を真剣に聞いてくれたK君の先輩が興奮して私の所に来て言いました。
「M(私)!Kの命日、今日だった」
その日の宿舎での夕食は、K君と同じ県の選手のテーブルに空席を設けて、彼が好きだったビールのグラスを置いて彼の話で盛り上がったそうです。
「死んでも仲間の心の中で生き続ける」なんて臭いセリフを耳にしますが、嘘じゃないと思いました。
水子の霊とか、人は死者を恐れますが、彼らは自分の大切な人にいつまでも覚えていて欲しいと願っているだけです。
死んでしまって肉体がなくなっただけで、必ず存在してます。お墓に行っても亡くなった人は居ません。
想いを馳(は)せるだけで安らぎ、見守ってくれるのだと妻は言います。
松戸競輪では私は黄色(5番車)とオレンジ色(7番車)のユニフォームを着る事もなく無事に3日間走り終えたのは、K君のお陰だと信じています。
私はそれから引退するまで、K君に恥じないレースを心掛けて必死に走りました。
「うそくせぇ。読んで損した。」と思われても仕方ないとわかります。
しかし本当の出来事だから仕方ないんです。
妻にはこういう話を他言をしないよう固く言われます。
しかし大切な人を亡くし、立ち直れずにいる人への勇気や癒しになればと思い、妻を裏切って投稿させていただきました。
姉はどんな時も笑っていた
姉は常に笑っていた。
どんな失敗があろうが、困難があろうが、常に笑みを浮かべ、にへらと笑っていた。
そんな姉が受験を控え、さすがの姉でもストレスが溜まるだろうと中二だった俺は世話になっている姉を最大限サポートした。
うちの家庭は母子家庭なのだが、母はパートが詰め込んでるらしく家に帰ってくるのは深夜か朝だ。
だからこそ、姉は常に俺を見ててくれた。
そういうこともあり俺は姉を随分と慕っていた。
案の定、姉はだんだんと部屋から出てこなくなりました。
俺は受験だけでなく何かが引っかかってるんだなと子供の思考で、コーヒーを淹れてあげ、姉の部屋へと運ぶと、
「なんでよっ!」
という叫びがドア越しに聞こえてきた。
俺は今まで聞いたこともないようなその声に肩を震わせ、こけてしまった。
コーヒーは少し溢れただけで済んだものの、姉が瞬間的にドアを開け、俺を見てすぐに、
「コーヒー?ありがとうね」
とだけ言い、俺の手からコーヒーを優しくとりドアを閉めた。
あの引きつったような笑みを今でも覚えている。
俺はベットに潜り込み深夜までずっと考えてた。
受験ってそんなストレスが溜まるのだろうか?なら仕方がない、俺は俺がやれることを全てやろう。
きっと姉は自分の世話と受験がごっちゃになっているんだ。と考え、それから洗濯やら掃除やら料理やら、できそうな家事は姉の反対も押し切り、全てやった。
そして姉は無事合格、それを知らされると俺はまるで自分のことのように喜び、そして何が切れたかのように倒れこんだ。
気が付いた時には病院にいた、疲労が原因だそうだ。
危うく死にかけたと医師に注意された。
姉も目が腫れていたので、よほど泣いていたのだろう。
姉は
「もういいから」
とだけ言った。
退院し、家に帰ると、そこには笑みを浮かべた姉がいた。
俺は安心し、中学三年としての日常を過ごした。
そして、受験も合格した。
自分の願望で、遠くの大学付属に入り、俺は一人暮らしとなった。
そして月日は流れ、社会人となり母から姉が結婚すると言ってきた。
びっくりしたが急いで実家に戻り、俺は不思議な感覚に襲われた。
その光景は姉の写真が額縁みたいなのに入れられ、そのとなりにスーツを纏った男性がいて、その周りに多くの親戚がいる光景。
「あれ?????(姉の名前)は?」
と聞くと、まるで今まで我慢してたものが溢れるかのように皆が泣き出した。
訳が分からず母に問うと、
「????(姉の名前)は小さい頃から体がすごく弱くてね、中学一年の時に医者から20歳まで生きれるかどうかって言われたの」
姉は現在25歳だ。これから頑張って生きていくのだ。
さすがにその冗談は酷いと俺が怒ると、
「冗談だったらいいのにね…」
と半分自虐気味に母が答えた。
「どうやら自分の余命を知ってたみたいよ」
母が続けて言う。
俺は信じられなかった。
膝から崩れ落ち、自然に出てくる涙も気にならなかった。
姉が死んだ。
その事実に、俺はひどく混乱した。
笑みを常に浮かべていたのは、自分の余命を知っていて周りに心配をかけたくなかったからかもしれない。
あの時の叫びは、自分の無力さに苛立ちを覚えたのか、今となっては何も分からない。
ただ、今でも時々姉は夢に出てくる。
その姉は常に笑っている。
俺はその都度「いい人が見つかって良かったね」と笑みで返してやっている。
祖父の墓の前に座る祖母を見た
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
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