『大不況で無職になった』など短編5話【4】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『大不況で無職になった』など短編5話【4】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【4】

 

 

人見知りな甥っ子

さっき甥っ子連れてコンビニに行って来た時の話
甥っ子は好きなアイスを一つ買ってあげる、と言うと目を輝かせて売り場に行き、その間に私は目当てのものを買おうと棚を見ていた
すると甥っ子より少し大きいくらいの男の子二人に
「どけよ、おばさん」
と突き飛ばされてしまった
しゃがみ込んでいたのでバランスを崩し不覚にも横に倒れてしまった
その時、思わず出した声に甥っ子が走って来て男の子二人に体当たりした
「男は女の子に乱暴したらいけないんだ!」
普段から父親(私の兄)に言われている言葉を口にする甥っ子
でも、足は震えていた
「女の子には優しくしなきゃいけないんだ!」
周りに注目され男の子二人はそそくさとその場を立ち去った
仁王立ちのまま振り返り
「○○ちゃん(甥っ子は私をそう呼ぶ)大丈夫?」
と聞いて来た甥っ子
顔は立派でも足はガクガク
「大丈夫だよ、ありがとう」
と起き上がりながらお礼を言うと
「お兄ちゃんだもん」
と胸を張った
先一昨日、妹が生まれたばかり
「お兄ちゃん」をかなり意識している甥っ子でも、やっぱり足は震えている。だけど顔はとっても誇らしげ
ご褒美だ、とコンビニの店長さんにおまけしてもらってにっこにこ
家に帰って早速パパとママに報告していた

すいません
人見知りな甥っ子なので、その姿に感動してしまって書き込ませてもらいます
まぁ、女の子なんて歳ではないのですが・・

 

 

愛犬が行方不明に

ちょとグダクダかもしれんが…

大阪に住んでた時に静岡の実家に帰ってたんだけど当日はお祭り。

連れていった犬が花火に驚いて首輪から抜け出して行方不明。

一週間、寝る間も惜しんで探し続けるも見付からず大阪に帰宅。

毎日泣きながら実家に電話して戻ってきてないか確認してたんだ。

2ヶ月くらいたったある日、小屋に真っ黒な野良犬が入ってたんで追い出そうとしたら飼ってた犬だった。

驚きすぎて声も出なかったが涙は出っぱなし。よく、帰って来てくれた。

足も口も尻尾もボロボロ…お腹もすいてるだろうにヨシの合図が無いとご飯食べずに尻尾を振る、老衰で死んでしまったが今でもお前の事を思い出すと涙が出る。

最後まで側に居てくれて感謝してる、ありがとう。

死後の世界があるならば真っ先に会いに行くからその時はまた一緒に散歩しような

とりあえず静岡から大阪まで帰って来てくれた愛犬の話でした。

 

静かに遊んで!

ちょっとお前らきいてくれよ

今日5歳の娘連れてでかけたんだよ

幼稚園夏休みなのに今まで忙しくて全然かまってやれなくて

俺販売だから普段土日も全然遊んでやれなくて

ここんとこ研修だのなんだのかさなってて

今日ほんと久しぶりだったんだよ

それなのに俺ショッピングモールの子供コーナーっての?

靴脱いで滑り台とかできるとこのベンチで寝ちゃったんだよ

起きたら1時間近くたってて娘は俺の太腿を枕にして寝てたんだよ

俺おきたら係の人が娘の靴持ってきてくれてさ

あなたが寝てからお嬢さんずっと他の子たちに

「パパ寝てるから静かに遊んで!おねがい!」って

お願いしてまわってたんだってさ

んでちょっと泣いちゃったら係の人もなんか目赤くしてたw

 

 

大不況で無職になった

大不況の中次の仕事にもありつけない・・・
お金も住む場所もなくなり・・・
日ごろから母親に・・・
「生活を楽にしてあげる」
「老後のしなくても大丈夫」と
大口たたいていた私・・・
とうとう・・・
母親のいる実家にまで
後退してしまった・・・
戻ってきても・・・
何も言わない母親
「そりゃそうだよね・・・」┐( ̄ヘ ̄)┌ ←oga
「こんな不景気に住みつかれたらいい迷惑だよね・・・」
その日の夕飯は
(私の新しい)
箸が用意してありました
見た瞬間・・・
涙をこらえるので精一杯で・・・
「いただきます」も
「ご馳走様」も
言えなかったけど・・・
母親のありがたみを一つ一つかみしめて食べました
「ここにいていいよ」と
言われたみたいで・・・
その日初めて泣いた・・・

 

 

闘病生活の末

母の・・・というか、母も私たちも泣いた話。

今年6月に、父が1年の闘病生活の末他界。
1年前に倒れてからは明瞭な意識が戻ることはなく、
特に最後の1ヶ月は意識がありませんでした。
小さいときから親の愛に恵まれなかった父は
母をものすごく束縛し、母もそれに応えて
お互いが、配偶者・友人・父親(母親)役をしあって
近所づきあいや友人との付き合いもほとんどありませんでした。
「誰にも迷惑をかけないで夫婦で生きている」というのが
父なりの美学のようでした。
しかし、あんなに親を嫌がっていた父が
お骨は自宅から遠く離れた先祖代々の墓に、とのことで
元気なときから菩提寺の和尚さんに戒名を付けてもらったり
礼服を着たときに、自分の遺影用の写真を撮り置いていたりと
準備万端整えていたようです。
当然、母はいつでもお参りできるように、
自宅のそばのお寺に墓地を買って埋葬するつもりでいたので
父の遺言に落胆していました。

父の希望通り、49日の納骨を親類縁者で終え
先祖代々のお墓で永遠の眠りにつきました。

家族みんな、日本国中バラバラに住んでいるので
100か日は、母一人で参ることになりました。
一人で旅行などしたことのない母が
家にあった時刻表(しかも3年前の)をめくると
懐かしい父の文字で「○○(母の名前)へ」と書いた封筒がはさんであったそうです。
中には、自宅からお墓のある町までの道順と時刻表が記してあり
「手間をかけるが、気をつけて来なさい」と父のメッセージが…。

最後の最後まで母のこと、心配してくれていたんだね。

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