『最後の声』など短編5話【40】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『最後の声』など短編5話【40】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【40】

 

 

披露宴の余興

友人の結婚披露宴の余興に嫁と一緒に1曲演奏することになった。

実はウチの夫婦は以前から問題を抱えておりまして、離婚しようかとかそんな話にまでなってたのだ。
そんな状況なのに余興を頼む友人には空気読めよオマエと言いたくなったんだけども、
いざ曲を決めて週末に練習してると、だんだんその問題自体がどうでもいいことにに思えてきたのね。
んで「何だ、やっぱ俺らなかなかいいパートナーじゃん」みたいな。

で、こないだ、初めて通しで演奏したんだけどホンとにピタッと決まったんだ。自画自賛だけどそりゃもう上手く演れたと思う。
したら嫁さん、鼻グスグス言わせてたかと思うと、ワァワァ泣いちゃったんですよ。
こんなにピッタリなのに何で別れるとか言っちゃったんだろって。
最期までずっと一緒にいてくださいって。
そりゃこっちのセリフだよとか思ったけども。
んで、友人はひょっとしてこういう効果狙ってたのかねとか勘ぐっちゃう次第で。
まぁ聞かないけど。

ちなみに何の曲かは内緒。
だいぶ前にドラマのテーマソングになった曲だな。

 

 

さぁちゃんの封筒

糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。
一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。
それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。
そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。

「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。
でも、喜んでくれるよね。

 

とても真面目な父

私の両親は自営で小さな喫茶店をしています。
私はそこの一人娘で、父は中卒で学歴がありませんがとても真面目でした。
バブルが弾けて景気が悪化してきた頃、父は仕事の暇な時間にお店を母に任し、バイトに出るようになりました。
景気はどんどん悪くなり、お店はモーニングやランチの時間以外はガラガラ、バイトも掛け持ちするようになりました。
一つ増え二つ増え、1番厳しい時は朝モーニングの時間お店に出て、それが終わったら弁当配達、そして再び店でランチをこなし、そのあと郵便配達に。
それがすんだら、店の閉店処理。
月曜から金曜までそうやって過ごし、土曜日は一日酒屋の配達のバイトに行き、日曜もアルペンで荷物運びのバイト。
足も肩もいつもパンパンで、母が夜よくマッサージをしていたのを覚えています。
50代で細身の父が休む間もなく、私の学費と住宅ローンのために働いてくれました。

結婚して親になって、本当に思う。
お父さん凄すぎるよ。
おばあさんの葬式の時、酔っ払った父が「お前の為なら何でもできる。たとえ火の中でも飛び込めるぞ。」と言った言葉は本気だったと思う。
家族のためにあんなに一生懸命になれる人を私は他に知りません。
私にも働き者のお父さんの血が流れてるんだから、どんなことでも乗り越えいこうと思います。

 

 

家族が愛情込めて作った衣装

俺には妹がいるんだが、これが何と10も年が離れてる。
しかも俺が13、妹が3歳の時に母親が死んじまったんで、俺が母親代わり(父親は生きてるからさw)みたいなもんだった。
父親は仕事で忙しかったから、妹の世話はほぼ俺の担当。
飯食わせたり風呂入れたり、つたないながらも自分なりに一生懸命やってたと思う。

妹が5歳の時のこと。
保育園に妹を迎えに行ったら、なぜか大泣きしてやがる。
その日、お遊戯会の役を決めたんだが、妹はやりたかった役になれなかったらしい。
まあそれは仕方ねーだろ、あきらめろと最初は諭してたんだが
よく話を聞いてみると、どうもおかしい。
劇にはいろんな動物や妖精や探検家?が登場するらしく、女の子の一番人気は妖精。
妹も当然妖精がやりたかったようだ。

希望者多数だったので、決定は恨みっこなしのジャンケンにゆだねられるも、妹は見事勝ち抜いて妖精5人のうちの一人に選ばれた。
ところが、先生が「○○ちゃん(妹)は動物の方がいいんじゃない」と妹を妖精役から外したという。
そんな馬鹿なと思いながら、俺はすぐに保育園に電話して確かめた。
そこで分かったのは、劇の衣装は保護者が作らなければいけないこと。
そして、妖精のひらひらの衣装はとても難しく、俺の家では無理だと判断され、お面などを作れば済む動物役に妹が割り振られたことだった。
先生も悪気があった訳じゃないんだろうが、俺は妹に母親がいない引け目をなるべく感じさせたくなくてそれまで頑張ってきただけに、かなりショックで、妹にも申し訳なかった。
それで、裁縫なんて家庭科実習とボタン付けくらいしか経験がなかったくせに

「絶対にちゃんと作るから妹を妖精役にしてやってくれ」

って頼み込んだ。
結局、先生が根負けして妖精は6人になった。
それから、俺は放課後になると学校の家庭科室に通い詰めた。
家にミシンなんてなかったし、保育園からもらってきた材料と型紙だけじゃ全然意味不明だったから、家庭科の教師に教わりに行ったんだ。
受験生だったし、教師も同情して「作ってあげる」って言ってくれたけど、俺は意地でも自分の手で縫い上げてやりたかった。
ほかの子と同じように、家族が愛情込めて作った衣装で舞台に立たせてやりたかったんだ。
2週間ほとんど掛かりっきりになって、ようやく衣装は完成した。
スパンコールをたくさん縫いつけた、ふんわり広がるスカートに、レースを使った羽根、花の形の襟元。
縫い目なんかはよく見るとガタガタだったんだけど、普通に着てる分には、他の子と全然変わらなかったと思う。
初めて妹に見せた時の歓声は今でも忘れられない。
着せてやった時の最高の笑顔も、本番の舞台でのまじめくさった顔も、
その夜、衣装を着たまま寝ちゃった寝顔もずっと覚えてる。

 

 

最後の声

私が高校生の冬でした。

家で飼ってる猫が赤ちゃんを産みました。
しかも電気毛布しいた私の布団で。
5匹いたのですが、次々と飼い主が決まり、とうとう1匹だけになりました。
その猫を「ゆめ」と言う名前にしました。

毎日一緒で、私が怖がりなのを知ってか知らずか、お風呂に入ればマットの上で私がお風呂を上がるのをじーっと待っていてくれるこでした
私が帰ると、玄関でちょこんと座って待っていてくれるんです。
悲しいことがあると、なぐさめてくれるかのようにずっと隣にいてくれました。
ゆめは私のたからものなんです。
私が20歳をすぎると、初めて彼氏ができました。
彼氏もゆめを可愛がってくれて。
すごく嬉しかったのを覚えています。

付き合って2年たち、同棲するようになりました。
ゆめの事が心配で、妹や母にようすを聞いていたのですが、
「毎日夕方になると玄関で待ってるよ。帰ってこないよって教えてもずーっとまってるよ。」
次の日家に帰るとゆめは待っていてくれました。
玄関でちょこんとお座りして。

同棲から1年、結婚しこどもができました。
11月30日予定日でした。
出産予定日1か月前、実家に帰りました。
こどもを産んだらゆめと一緒に遊びたいなぁなんて考えては1人にやけてました。
ところが、予定日10日前頃からゆめが元気がなくなりました。

いつもいっている病院に連れていったら
「この薬を飲んでいれば大丈夫です。」
といわれ飲ませていましたが、2日たっても3日たっても元気になるどころか、だんだん衰弱するのが
わかりました。
別の病院に連れていくとレントゲンをとりました。
先生がレントゲンを指して
「なぜか体の中に膿が大量にあります。」
といわれ即入院。

私が帰るとき、今までなかなかったゆめが
「なんでおいてくの?」
「私もいく」
と言うように精いっぱいなくのです。
これが私の聞いた最後の声になるとは思いませんでした。
帰り道不安で不安で、泣きながら車を運転しました。

その日の夜中、なんと陣痛が来てしまいました。
母に病院につれていってもらいましたが、なかなか出てきてくれませんでした。
ようやく夕方無事、女の子が産まれました。
入院中もゆめが心配で母にゆめの具合を聞いてました。
そしたら、26日の朝、夢をみたんです。

元気なゆめ。
一緒に遊んでるゆめ。
あとにも先にも、ゆめの夢はこれ1回きりでした。

あ!きっとゆめは大丈夫なんだ!と思い、その日お見舞いに来た母にいつもと同じに聞いたら少し返事を濁しました。
「まだまだどうなるかわからないけどゆめも頑張ってるよ!」
と。
そして退院しました。

何日か過ぎたある日、母が、
「言わなきゃいけないことがあるんだよ。」
と言いました。
実家に帰ると、ゆめが冷たくなっていました。
本当は寝てるんじゃないのって思うくらい寝てるようにしか見えません。
でも抱っこしても、固くて冷たいのです。
母に聞くと、26日の朝に病院から電話が来たそうです。

最後の最後、私はゆめを知らない場所で、一人ぼっちであっちにいかせてしまった。
後悔しか残りませんでした。
母にも辛い嘘をつかせ続けてしまいました。
これを書いている今でも涙が止まりません。
あの時どうすればゆめは今でも生きていてくれたのか。
その事が頭から離れません。

あれから2年。
娘は2歳になりました。
いま、私に似て猫がだいすきです。

ゆめへ
私はゆめにあえて
スゴくすごく幸せだったよ。
ゆめは幸せだったかな?
最近娘が、ねこいる!っていうんだよ。
偶然かもしれないけど、わたしはゆめだったらいいなって思うんだよ。
もし会えるなら、夢でもおばけでもいいから会いたいよ。
最後1人にぼっちにして
ごめんね。
いつも待たせてごめんね。
向こうでも待たせちゃうね。
ごめん。
私のところに来てくれて、本当にありがとう。
だいすきだよ。

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