『最後の手紙』など短編5話【66】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『最後の手紙』など短編5話【66】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【66】

 

 

あまりしゃべらない祖父

数年前に亡くなった私の祖父は、とても無口な人でした。
よく口を「へ」の字にして、腕を組んで座っていたせいか、親戚の子供たちからは「怖いおじちゃん」と呼ばれ、
「おじちゃんがいるなら遊びに行かない」とまで言われてました。
母親もその姉妹も、実の父なのに抱っこしてもらったり、あやして遊んでもらった記憶があまり無いと言っていました。

私は祖父のことを嫌いではなかったけど、遊んでくれるわけでもないのでどちらかというと祖母になついていたのですが、
ある日、たまたま家に祖父と私だけしかいなかった時。
一人でもくもくと本を読む私に祖父が
「飴食うか?」
と言ってきました。
「食べる」といってもらった飴はミルク味ののど飴。
のど飴があまり好きじゃなかったけど、無理して1つ食べました。
そしてまた本を読んでいると、祖父が
「飴もっと食うか?」と。
あまりしゃべらない祖父が話しかけてくるのが少し嬉しくて、本当は苦手なのど飴を「おいしい」と言ってたくさんもらいました。

それから祖父は、私をみかけると飴をくれるようになりました。
今思えば、祖父は孫としゃべるきっかけを探していたんでしょうね。
祖父が亡くなる少し前、就職活動中だった私は、父親がいなくて金銭面で祖父にお世話になっていたこともあり、久しぶりに祖父の家に行き、進路を相談してみました。
相談といっても、無口で半寝たきりの祖父にたいしたアドバイスは期待していなかったし、とりあえず報告と思って話したんですが。
でも祖父はしっかりとした口調で、たくさん私と話をしました。
祖父は私のことをなんでも知っていました。
小さい頃からの細かい私の変化を、すべて知っていました。
そして、
「高校の頃は少し信用できなかったけど(少し荒れてたので)、最近は落ち着いてきた。好きにやればいい」
と言ってくれました。
高校時代、不安定だったとはいえ、祖父にその姿を見せたことはなかったはずなのに・・・
びっくりしました。

その後、祖父の容態は徐々に悪化し、私の就職が決まる頃には、病院のベッドに寝たきりになってしまっていました。
威厳のあった祖父が、看護婦に子供のように扱われ、食事が取れないため入れ歯の抜かれた口に小指の先ほど小さな氷のかけらを入れてもらい、もごもごとしているのを見て、とてもショックで、悲しくなりました。
その姿を見たくなく、お見舞いの足も遠のいていきました。

ある日、学校にいた私に母から連絡が入りました。
「おじいちゃんが、もうダメかもしれない。アンタの名前を呼んでる」

急いで祖父のもとへかけつけると、母が「おじいちゃん、○○(私の名前)がきたよ!!」と言いました。
薬の副作用で脳がぼんやりしている祖父に
「おじいちゃん、会社が決まったよ!」と報告すると、目をあけて「わかった」というように少し首をふってくれました。
それ以来、祖父の意識はますます朦朧とし、言葉を話すことができなくなりました。

祖父の最後の一言が、私の名前になりました。

亡くなってから、何気なく祖父の部屋にあった海苔の缶をあけると、
中にはたくさんの飴が入ってました。
祖父が半寝たきりになる前に、大好きなパチンコに行った帰りに、買ってきたのでしょう。
私が、忙しいことを理由に祖父の家に遊びに行かなくなっても、祖父は飴を買っていたのです。

もっともっと、おじいちゃんと話せばよかった。
いろんな相談をすればよかった。
たくさん後悔がおしよせました。

今でも、飴を食べるときは祖父のことを思います。
月命日にはなるべくお墓参りに行きます、祖父の好きな黒飴とミルクのど飴を持って。

 

最後の手紙

ネタの様なホントの話。

大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。
私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、
本当に仲良しだなァって思ってたわけです。最後に3人で会った時、
「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。

その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、
彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。
私も何度も行きました。

病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。
お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている彼に、
「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。
すると彼は、
「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
と、ニッコリと笑顔で言いました。
私は耐えられなくて号泣。
それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。

出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、
彼は耐え切れなくなって、崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。
子どもの様に、大きな声をあげて。
その姿を見て、またしても私は号泣でした。

数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。
見て欲しい物があるって。
それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。

彼が、
「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。
そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。
俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。
でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。
アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」
と言って、私に手紙を渡してくれました。
中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。

「うそつき。でも凄く嬉しかった。本当にそうなったらなって何度も思いました。
私にはあなたの代わりはもう見つからない。だから私はずっとあなたの物。
だけど私の代わりはいるんだよ。気にしないで良いからね。
落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。
その人にこの手紙を見せてあげて下さい。本当にありがとうございました。じゃあね!」

って。
私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。
彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。
うん。私は前から彼が好きだった。

あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。
今度結婚します。

 

 

もう会えないかもしれないね

今日、中学まで一緒の学校だった男の子と偶然再会した。

私の居るところはわりと田舎だから、就職はほとんど県外で、
進学も県外に行く人が多い。
彼はとてもシャイで、おとなしい子だった。
部活が一緒で、たまに話すことがあっても全て私からだった。
今日も私が先に見つけて、話しかけた。
世間話に一段落着いたところで、
彼が「就職が決まった。県外に行くことになったんだ」と言った。
素直におめでとうと言ったら、

「もう会えないかもしれないね。」って言って、手を差し出してきた。
握手した。

彼とは仲が良かったと言えるほどの関係じゃなかったし、ほとんど接点が無かった。
でも、別れの言葉を告げられたとき、私の事を友達だと思ってくれていたんだと気づいて、
急に涙が込み上げて来た。
家に帰って泣いた。

 

 

骨を移植手術

姉「コレで一生アンタに借りができちゃった。」
弟「こんなんで借りとかいうなや」
姉「コレで私とアンタは運命共同体ね」
弟「ハハッ ちゃんとリハビリしろよ!」
姉「リハビリしたら歩けるようになるかな・・・」
弟「大丈夫だって!俺の骨は若くて丈夫だもん!!」
姉「傷痛くない?しばらくベルトしめれないよね?ごめんね。退院したらサスペンダー、プレゼントするね」
弟「おぅ、早く良くなってくれよな」
姉「○○ちゃん、ありがとね」

交通事故で足首の骨が粉砕してしまった姉に俺の尾?骨から骨を移植手術した時、
病室に二人のベットを並べて入院してた時の会話。
移植手術が終わって2ヶ月程経った頃、俺と姉は再手術をする事になった。
医者が言うには骨がくっつくには周りの筋肉や皮膚が健康じゃないとダメらしいんだけど
姉の場合、事故で皮膚も肉も大分えぐられてしまってるらしい。
移植した俺の骨も大部分が化膿して押し出され、かろうじて留まってる骨も腐って死んでしまったらしい。
1度目は骨盤の前の方、左の腸骨から骨を取ったんだけど今度は右の方から骨を取ることになった。

姉「何度もごめんね・・・」
弟「いや、俺の方は有り余ってるから、いいけどさ。それより、せっかく俺の骨をやってるんだから早く良くなってくれよ!」
姉「○○ちゃんがそういってくれるのは嬉しいけど、またダメかも・・骨の取られ損になっちゃうかも」
弟「何、言ってんだよ、今度こそ大丈夫だってば!」
姉「昨日、ギプスを外した時に見たんだけど、お婆さんの足みたいだった・・・」

そこまで言って姉は泣き出した。

2度の手術で俺の骨盤の前の出っ張りは両方とも無くなりました。
2度目の手術が終わって1ヶ月ほど経った頃、見舞いに行くと姉が泣いてる
母親に外に連れ出され、事情を聞くと骨の接きがあまり良くないらしい。
やはり、周りの皮膚や筋肉が根こそぎやられてるのが致命的だったみたいで、
これ以上、移植を繰り返しても結果は同じだと・・・

結論から言うと、
結局、姉の右足は膝から下を切断されてしまいました。
今は義足の生活です。
男前な姉なんで、足を切ることに人前に涙を見せることは無かったです。
俺は泣いてしまったけど

姉「結局、無駄になっちゃった・・・ごめんね」
弟「いや、俺の骨が根性無しだったから・・・もっと他の人の骨だったら・・・」
姉「も~やだな~、何でアンタが泣くのよ~!私は○○ちゃんの骨で良かったと思ってるよ」

で、その姉が、当時お世話になった義肢装具士の先生のとこで働いてた方と婚約しました。
4月に式を挙げる予定です。

俺の骨は役にたたず・・・姉の右足は彼に一生支えられていくのだ・・
と思うと正直少し悔しいですが姉が幸せになれそうで良かったと思っています。

 

 

ゲームソフト

小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。
当時60歳くらいだった。
ばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに俺はばあちゃんが憎くて、
「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」
といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。
でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。
ばあちゃんその日は寂しかったろうな。
んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
そしたらこれが意外に面白い。
夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、
「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・(山形弁)」
俺はゲームに夢中で「もういいから!入ってくんな!!」って言ってしまった。
そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。

でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れて
その日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。
布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。

ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。
ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。
急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、
一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。
ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。

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