『こんなお母さんでごめんね』など短編5話【8】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『こんなお母さんでごめんね』など短編5話【8】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【8】

 

 

こんなお母さんでごめんね

なんか最近中3で、受験生で、彼氏にもたった2ヶ月で振られ、友達関係も面倒で、毎日苛々とか不安とかしょうもない事で、消えたいって言ってた。

そんな中、お母さんとの喧嘩だけが、本当に毎日続いたある日、大喧嘩してお母さんが『出て行く』と言ってきた。

『この家に必要なのは自分じゃなくてお母さんだから自分が出て行くし、そうやって置いていくなら、最初から生まないでよ』

と玄関で靴を履きながら私は怒鳴った。

すると、あれだけキレていたお母さんがトイレに入った。

空気が読めないなと思って玄関に出たら、(玄関の隣にトイレの窓があるんだけど、)声堪えて泣いてたの。

その時に我に返って、

『何してるんだろ自分』

って思った。

そして、トイレから出てきたお母さんに素直に謝ったら

『あんたは何も悪くないよ こんなお母さんでごめんね』

と言われた。

何でお母さんが謝るの?

自分が八つ当たりしたんだよ。

お母さん何一つ悪くないじゃん。

財布からお金とってって言われたとき、見ちゃったよ?

幼稚園の頃書いたお母さんの嫌な所。

何で捨てたのにちゃんと畳んで持ってるわけ?

((あんたの事、怒ったり時に反省するため))

なんて、お母さんが反省することなんて1つもないよ。

何で五年生の頃、じぃちゃんの介護で忙しくて、遊びに連れて行けなくてごめんね。

なんて未だに謝ってくるの?

お母さんは、自分のお父さんへ、最後の親孝行をしただけでしょ?

大変な事を毎日頑張ってた訳でしょ?

五年生の時、毎日すねてた自分を怒鳴りつけたいよ。

自分にはもったいないお母さんだよ。

母の日にプレゼントあげたら毎年泣くし、手紙は冷蔵庫に貼るし、お客さんが来たとき恥ずかしいよ。

寒い中外での洗濯してるとこ。

あまり高い服を買わないで私にお金を使ってるとこ。

小さな事でありがとうと笑顔を見せてくれるとこ。

ご飯も食べずに出掛けてくれるとこ。

一度決めた事を最初から最後まで応援してくれてるとこ。

こんな私を授かってくれたとこ。

弱音を吐く私を叱ってくれるとこ。

馬鹿みたいに過保護なとこ。

病気もせずに生きていてくれているとこ。

伝えられない位私はあなたに感謝してますありがとう。

こんな自分を授かってくれてありがとう。

産んでくれてありがとう。

生きててくれてありがとう。

笑っていてくれてありがとう。

話聞いてくれてありがとう。

自分のことじゃないのに、悩んで、考えて、泣いてくれてありがとう。

あなた以上にいい母親はこの世界に一人だっていません。

あなたの子供に産まれることが出来たこと私の誇りです。

今更なんて思うけど失恋の辛さより、友達関係の辛さよりあなたを無くすことが一番辛いです。

まだ14才だけど。

いっぱいごめんねありがとう。

大人になって自分の事より家族の事!

あなたに似た性格で家族をもったら、あなたを連れて精一杯親孝行するね。

生まれ変わってもあなたの子供になれますように。

明日から優しくします。

 

 

封筒には一言 「お母さんへ」 と書かれていた

去年、母が癌で亡くなった。

3ヶ月間母がすごしていた病室を片付けていると、
引き出しから封筒が見つかった

封筒には一言

「お母さんへ」

と書かれていた。

思い出した。
オレがリア厨の時、林間学校で強制的に書かされたものだった。

オレの母校では、林間学校に行く前に学校側が生徒の家族に生徒に手紙を書いて欲しいと秘密裏に依頼して
その手紙を故郷を離れた時に突然生徒に渡すというドッキリ企画が代々あったらしい。

で、実際担任から生徒に手紙が渡されると、大半の生徒は

「なんだよこれ?バカじゃねえの?ギャハハ。」

って感じのリアクション。

しかしクラスで一番派手な女が泣いているのを見た担任は俺たちを叱った。

しぶしぶ返事を書く生徒たち。
もちろん心はこもっ ていない。

担任の教師が

「何か記念になるものを入れておくといい。」

っていったからオレは紅葉をいれておいた・・・。

母の病室で見つけた封筒の中には、
汚く、短く、お ざなりな文章の書かれた手紙と
ぼろぼろになった紅葉の破片。

こんなものを長年とっておくほど、オレは母に言葉をかけられず思い出を作ってあげられなかったことを思って

母がかわいそうで、とにかく泣きじゃくった

 

気丈な父

父を肺がんで亡くしました。
海外に単身赴任している3年間のうちに病魔に蝕まれたらしいです。
帰国したときにはもう末期で、手の施しようがありませんでした。

気丈で、一度も痛いとも辛いとも言わず、たった2ヶ月の闘病生活で逝ってしまった父。

1ヶ月後、元の職場から船便で父の私物が送られてきました。
私には読めない外国語の書類、懐かしい父の匂いのする衣類などなど。
母と思い出話をしながら、それでもまだ懐かしさの方が勝って、涙は出ませんでした。

いろいろ開けているうちにひとつの段ボールに目が留まり、中をあけてみました。

出てきたのは箱いっぱいの漢方薬。
ありとあらゆる種類の胃の薬。
痛み止め。
医学書。

父は胃がんではありませんでした。
肺がんが全身に転移していたのです。

それなのに胃が悪いと思いこんで、こんなにたくさん薬を買って、これも効かない、あれも効かないと次々に試していたのかと思うと急に涙があふれ、体が震え、絶叫してしまいました。

「こんなに辛かったんなら、何で病院行かなかったの!」

パパ、3年間もひとりにしてごめんね。許してね。
パパの病気に気づいてあげられなくて、死なせてしまって、ごめんね。
遅く産まれた私をあんなに可愛がってくれたのにね。

今度パパが生まれ変わった時もきっと私を娘に選んでね。

本当に本当にありがとう。パパの娘でよかったよ。

 

 

欲しがっていたゲームソフト

俺には3年前に離婚した妻との間に小学校5年生の娘が居るんですけど、
去年のクリスマスに以前から娘が欲しがってた、ゲームボーイソフトを贈ったんです。
そしたら娘からお礼の手紙が届きました。
「お父さん元気ですか。プレゼントありがとう。ずっとほしかったからうれしいよ。毎日あそんでるよ」
そんな内容でした。
それから年が変わって正月に実家に帰ったとき、
うちのお袋が孫娘へのクリスマスプレゼントとして全く同じソフトを贈っていたことが分かりました。
しかも、俺が送った日より一週間も早く・・・。
全く同じソフトが手元に2本もあるのにもかかわらず、娘はそれを俺には一言も言わずに
精一杯父親の俺に気遣いをしてくれてたんですね。
改めてもう一度、手紙を読み直してたら、娘の優しさが心に沁みて涙が止まりませんでした。

 

 

僕と父を残して

僕の高校時代はとても悲惨でした。
と言っても友達はいたし、虐められてたわけでもない。
何が悲惨だったかというと、1年生の時に母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。
僕と父を残して。
とても悲しくなりました。
なんで僕を置いて行ったんだ?と。
僕は捨てられたんだ、と。
怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。
父は何も言わず、ただただ仕事が忙しいと家に帰ってきませんでした。

そして僕の高校3年生の誕生日の日に一通の封筒が届きました。
封筒は母から僕に宛てられたものでした。
中には3つの誕生日カードと1つの手紙が入っていました。
誕生日カードは字を覚えた妹と兄、そして母のものでした。
誕生日カードは開くとオルゴールが鳴り出す仕組みだったのを覚えています。
妹は、「お誕生日おめでとう。お兄ちゃん。私は元気です!」
兄は、「誕生日おめでとう。元気にしているか?」
母は、「お誕生日おめでとう。体は大丈夫ですか?」
破りたくなった。
何を今更。と思った。
しかし、一緒に入っていた手紙を見た瞬間、涙が溢れてきました。

手紙には、
「あなたも一緒に連れて行きたかった。
でも、あなたが必死に勉強して入った高校を辞めさせる事は母親として出来なかった。
本当にごめんね。こんな母親でごめんね。
もしも願いが叶うなら、私が死ぬまでに一回だけでいいから、あなたに会いたいです。母より」
と書いてありました。

僕は中学生の時、母親に大学に行きたい。
と言ったことを思い出しました。
母が僕が大学に行くには父の所にいたほうがいいと思って、僕をあえて連れて行かなかったんだと知ったんです。
母にはまだ会えていませんが。
いつか会いに行きたいと思っています。

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