感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【93】
生まれつき目が見えない子
俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく、白い杖をつき母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。
入口のドアが引くタイプだったので、俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間、同年代らしき糞ガキ二人が
「お前さぁ、目見えねぇんだろ?素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」 といった。
さすがの俺も、障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかった。
糞ガキ二人に説教しようと入口に向かったその時、ガキの片方が
「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」
と言った。
そして、その子の手をつなぎ、
「何買いに来たんだ?」
と二人組の片方が言うと、その子は
「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」
と言った。
そして、レジまで氷を持ってきたガキ達に
「398円です。」 と言うと、
二人組が
「いいよ。俺が出しといてやるよ!そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」
といい会計をすました。
そして、きっとその子の家までだと思う。
ガキの片方が氷をもち、もう一方は、その子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!
おばぁちゃんと心でしっかり繋がってる
これは私が友達から聞いて涙した話。
その友達をAちゃんとして話するね。
Aちゃんは、とってもおばぁちゃん子。
小さいうちから、おばぁちゃんと暮らしていた。
親が共働きだったため、いつも学校から帰ってきたら、おばあちゃんが相手してくれてたんだって。
だから、親が共働きでも全然寂しい思いをする事なく、カギっ子でもなかった。
おばぁちゃんとの時間が長くて、親以上に親っぽかったって言ってた。
ご飯だって、週末以外は、ほぼおばあちゃん飯。
だけど、何を食べても美味しくて、Aちゃんはおばあちゃん飯が大好きだった。
おばぁちゃんは和食ばかりじゃなくて、中華も洋食も何でも出来たみたい。
Aちゃんの好きなオムライスやハンバーグだって、ちゃちゃっと作ってくれたって。
それにおばぁちゃんはオシャレにも敏感で、よく一緒にデパートにも行ってAちゃんに似合う服を選んでくれたそう。
そんなおばぁちゃんが、Aちゃんは大好きで嬉しい事や嫌な事、様々な親には言えない事もおばぁちゃんには話せたって。
だから、Aちゃんにとっておばぁちゃんは心でしっかり繋がってる友達でもあったみたい。
暫くは、おばぁちゃんは元気に過ごしてたんだけど、Aちゃんが成長する度におばぁちゃんも歳をとっていく。
おばぁちゃんは、以前から抱えていたリュウマチが悪化して、ついには自分で歩くのが困難に。
Aちゃんも大学生になっ、て一人暮らしする事になり、両親が悩んだ挙句、老人ホームのお世話になる事に。
おばぁちゃんを老人ホームに預ける事に、Aちゃんの親は罪悪感を感じていたんだけど、おばぁちゃんの方から
「私、同世代の人たちと仲良く暮らしていきたいわ」
って。
その言葉が決めてとなって、おばぁちゃんは老人ホームへ。
Aちゃんは一人ぐらしになっても、帰れる時は帰っておばぁちゃんに会いにいってたそう。
そんな風に平和に過ごしていたある日、Aちゃんに不幸が襲った。
なんと所属していたテニスサークルの試合中に足を骨折してしまったのだ。
Aちゃんは自分の足の痛みよりも、入院しておばぁちゃんに会えにいけないのが寂しかった。
入院して何週間か経ったある日、親が千羽鶴をもって御見舞にきた。
「これ、どうしたの?」
ってAちゃんが尋ねたら、
「おばあちゃんがあなたの入院を知って以来、毎日こつこつ鶴を折ってたの。施設の人にも協力をしてもらったみたい」
って。
Aちゃんはこの事聞いて、おばぁちゃんの優しさに涙したんだって。
こんな素敵なおばぁちゃんを持てたAちゃんは、最高に幸せ者ですよね。
安い方の白無垢
先天性で障害のある足で生まれた私。
まだ一才を過ぎたばかりの私が、治療で下半身全部がギプスに。
その晩、痛くて外したがって火のついたように泣いたらしい。
泣き疲れてやっと眠った私に、母と一緒になって寝かしつけてくれた強がりの父が、
「ふびんだ、俺のせいだ!変わってやりてえ!!」
って男泣きに泣いたんだよ…
と母から後年聞いた。
今、どんなに隠しても痛みがあると言い当てられてしまう。
心配かけたくなくてわざと元気に歩いても、ニコニコ笑っていても、音でわかるんだそうだ。
そして私の結婚式の白打掛の衣装選びの日。
新しい真っ白なのと、少し古くてちょっと黄ばんで見えるのしかなくて、でも差額は格段に違う。
当時は今のようなシンプルな披露宴じゃなく、いわゆる派手婚の時代。
恥ずかしいけど親にいくらか援助してもらわないといけなかった。
ただでさえかかるお金に私が安い方の白無垢にしようと悩んでると母が話したら、
「あいつ(私)には真っ白い新しいの着せてやれ。苦労したんだから。」
と言ってくれたと聞いた。
苦労したのは両親。
この足のことでたくさん心配かけたから。
お陰で自分のハンデについて誰を恨むことなく
(恨んでいたら辛い人生だったと思います)
大人になり、子どもも二人授かりました。
父にも母にも感謝しきれないエピソードはあるけど、「とんび」見てると、安さんに似た不器用だけど子煩悩な父から受けた愛情に、滂沱の涙がでるのです。
たくさんの味方がいるんやなぁ
うちの家は母子家庭で貧乏やったんや
パパはヤクザでどこにおるかもわからん
ママは夜スナックで働きながら育ててくれた
昼はスーパーで働いていた
だから、ママとおれる時間は朝30分くらいと夕方3時間ぐらいやった
そのころ、学校の女の子の間で、あるアイドルグループが流行っていて、みんなカードとかCDを持ってきて休み時間に聞いとったんや
でも、うちはそんなん買える家じゃなくて、誕生日も三角のケーキをママと半分こして食べよった
ママは、「美味しいねぇ」っていいながら食べよった
プレゼントはそこら辺の雑貨屋さんで買った髪飾りとか、リサイクルショップで見つけたぬいぐるみとか、そういうもんばっかやった
これでも将来の夢くらいあって、収入が安定してる看護師さんになってママに楽させてあげるんやっていう夢があった
学校の作文で将来の夢について書いたんやけど、みんな原稿用紙1枚で収めとったけど
私は3まいも書いて、先生大号泣しとってなぁ
頭もそこそこ良かった
1学年240人くらいおる学校でTOP10にははいりよった
CDとかはなくても友達はおった
ひよちゃんとはーちゃんっていうんやけど、すごい正義感が強い子達やった
私1部の女子からいじめられよったんや
いつも着てる服が同じことCDを持ってなかったこと
私はそんなこと、全然苦じゃなかった
でもあるとき、お弁当の日があって、お弁当食べたあとの休み時間に呼び出されたんや
「あんたは貧乏」
「いつも同じ服やし」
「今日のお弁当もダッサ」
「お母さんしかおらんもんなぁ」
そんなことをずっと言われて泣いてもたんや
そしたらひよちゃんとはーちゃんが言い返してくれて、守ってくれたんや
ママにその話をしたら「ごめんなぁ、ごめんなぁ、許してなぁ」って言って頭撫でてくれたんや
そのときに、たくさんの味方がいるんやなぁ
と子供ながらに思ったわ
今では、先生が進めてくれた医学部に奨学金借りていってる
ママに恩返し出来たらいいなぁ
お母さんはこれで十分
子供の時はお母さんをただのケチだと思ってた。
高校生になった私はウザいとしか思わなかった。
一人暮らしを始めて、三食の食事や掃除に洗濯、なんて恵まれてたかわかった。
私が挑戦したい事はとてもお金が掛かる事だった。
お母さんは少しだけ悩んですぐに私を応援してくれた。
お母さんは成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と、着ていた。
化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど。
でもいつも私を助けてくれるお母さん。
お母さんは自分のものは買わないでバカな私を助けてばかり。
お母さんお母さんお母さんどうして私をそこまで信じてくれるんですか。
私はもう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。
お母さんお母さん本当にいつもありがとう。私が強気なのはあなたがいてくれるからです。
どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。
どうか私に時間を下さい。
大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。
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