『ばあちゃんの遺影』【長編 感動する話】

『ばあちゃんの遺影』【長編 感動する話】 感動

 

スポンサーリンク

ばあちゃんの遺影

 

 

ばあちゃんが死にました。
70ちょいで。
中学一年まで、じいちゃんばあちゃん家に母さんと父さんと兄と僕で同居していました。
じいちゃんとばあちゃんは、母さんのほうの両親です。

母さんには、姉(僕から見た伯母)が一人いました。
先に姉のほうが結婚して、家を出ていって、母さんがじいちゃんとばあちゃんの面倒みるために実家に残りました。

僕がちっちゃいころ、共働きで、じいちゃんもシルバーってことで働いていました。
だから、土日とか平日の夕方から、ずーっとばあちゃんと一緒にいました。
母さんは帰りが遅いときが結構あったので、昼ご飯も晩ご飯もばあちゃんが作ってくれていました。
ばあちゃんはいつも畑にいきます。

 

野菜を育てるのはだいたいじいちゃんの仕事で、収穫するのはばあちゃんの仕事(だった気がする)でした。
ばあちゃんの漕ぐ、二人乗りの自転車の後ろに乗っていつも手伝い、というか遊びに行ってました。

ばあちゃんはいつもミシンの部屋にいます。
だいたい6畳くらいの部屋に大きなミシンがあって、そこでダダダダと業者から頼まれた少年野球のお尻についているスライディングの時に役立つスポンジ的なものを縫ってました。
ばあちゃんと僕だけで暇なときはいつもその部屋に行って、真っ黒な黒飴を舐めながら作業を見ていました。

 

僕は保育所に通っていました。
母さんか父さんが、いつも仕事帰りに迎えに来てくれます。
でも、たまにばあちゃんが来ます。
あるとき、雨が降っていて周りの友達がみんな帰って、僕を含め5人くらいだけ迎えを待ってる時がありました。

『母さんまだかなあ。』と思って待っていると、ばあちゃんが迎えにきました。
僕は泣きました。
「なんでばあちゃんなの?母さんは?」と。
今思えば、本当はホッとした涙だったのでしょう。
安堵感で涙が出て、それを隠すために「なんでお母さんじゃないの」と付け足したのでしょう。

 

じいちゃんとおばあちゃん家には、よく母の姉が息子と娘を連れて遊びに来ていました。
特に息子のほうとは仲が良く、いつも僕は兄といとこに泣かされてました。
やんちゃで負けず嫌いで泣き虫な僕はすぐゲームとかで負けたり、かくれんぼとかで二人を見つけれなくて泣いていました。

中学一年の時、母と伯母が喧嘩しました。
まあ色々あって僕たち一家はじいちゃんとばあちゃん家を出ていき、新しい一軒家に住み始めました。
はじめは寂しさもありました。

 

それからちょっと経ったとき。僕が高校二年の時。
ばあちゃんがガンになりました。子宮ガン?だった気がします。
まさか、自分の近くの人がガンになるときが来るとはと思いました。
でも部活動が忙しくて、なかなかお見舞いに行けませんでした。
ある日、やっとのことでお見舞いに行くと、そこにはやせ細ったばあちゃんが寝たまま目を開けて話していました。

毛は抜け落ちて、指はただの骨のようになっていました。
見るのもつらく、涙が出そうになりました。

 

それから何日か経って、母さんと伯母はばあちゃんの件で仲直りしました。
それからまた何日か経って、「あと24時間もたないんだって」と母さんから震えた声で言われました。

「ガン」と聞いてた初めのころからそれは意識していましたが、まさかこんなに急にとは思いませんでした。
しかしそれから1日、2日経ってもばあちゃんは元気でした。
医者はこういったそうです。

「そうですね・・・今週はもうもたないですよ。」と。

それから一年が経ちました。
ばあちゃんはまだ元気でした。医者にざまあみろと。
しかし、それでもばあちゃんはだんだん弱っていました。

 

ばあちゃんは腸に穴が開いているらしいので、その手術をしなければなりませんでした。
でもその手術をすれば、ばあちゃんには刺激が強すぎて死に至ってしまう可能性が高いらしいのです。

医者は「手術は無理なので、もう死を待つしかありません」的なことを言いました。
そのほうが苦しまなくて済むし、ばあちゃんのためではないかとも言いました。
僕たちは違いました。生きるに越したことはないと。

 

それと同時くらいに、その病院の若い医師が「僕にまかせてください」とばあちゃんの手術を担当しました。
手術は成功し、ばあちゃんはついに三回の危機を乗り越えたのです。

それから一年くらいばあちゃんは自宅療養や、入院を繰り返していました。
母さんから「お盆まで持つかどうかわからないらしい」と聞きました。
でも、これまで何度も危機を乗り越えてきたばあちゃんにもう怖いものはないと思いました。
あと5年くらい生きるだろうと。

 

その年の7月の上旬の金曜日。
最近、ばあちゃんのお見舞いに行ってないから明日は久々に顔を出しに行こうと思っていると、
父から「大至急連絡してこい」とLINEが来ました。

何か悪いことしたのか、何か忘れ物をしたのか、見当もつきませんでした。
電話から聞こえたほんの数文字は衝撃的なものでした。

 

「ばあちゃんなー、うん。もう。あれやから。今すぐ病院来い。」

 

たぶん、死んだんだなってすぐわかりました。
車で病院まで迎えに行きました。
びっくりするぐらい泣きました。
一人の車内なのに叫びました。

 

30分くらいかけて病院に着きました。
泣いてるとこを親に見せたくないので、涙を拭って病室に行きました。
母さんと伯母は泣き崩れて、床にうずくまっていました。
薄いピンク色のカーテンをそっとめくると、そこにはばあちゃんが寝ていました。

伯母は僕に「なあ。触ってみてよ。まだこの辺あったかいんで。不思議やな。」と涙を浮かべながら話かけました。
僕は、ばあちゃんと手をつなぎました。
僕は泣きませんでした。
泣きそうなのを必死でこらえました。
必死で。

 

後日、葬儀がありました。
親戚みんな集まりました。
遺影なんて見れません。泣いてしまう。
泣いた所なんて見たことないじいちゃんの泣き姿なんて、母さんと伯母がずっと泣いてるとこなんて見れません。

じいちゃんがばあちゃんのおでこに自分のおでこをあて、スンスンと泣いているところなんてチラッとしか見ていません。
棺桶の中からのぞいているばあちゃんが目をつぶった顔なんて一瞬しか見れませんでした。
火葬場に行きました。

 

今はボタン一つで遺体を焼けるんです。
ばあちゃんが入っている棺桶が、ゆっくり火葬場の中に入っていきました。
ボタンを押すのは喪主、つまりじいちゃんです。

じいちゃんは火葬場の扉の前で数秒じっと立っていて、クルッと振り返って、それを見つめていた僕たち遺族にこう言いました。

「すみません」

ボタンが押され、中からゴーッという音が聞こえ始めました。
次は骨を集めて骨壺にいれる作業をしました。
そして、後片付けを遺族みんなでして僕は家に帰りました。
ばあちゃんの元気な姿を見たのはいつが最後だろう。
最後話した言葉はなんだったのだろう。
全然思い出せません。

 

ばあちゃんが死んだ姿を見てから、骨を集めるまで、僕は一度も泣きませんでした。
泣くのを必死でこらえました。
必死で。
だってもう大学生やで?
泣かんよ。大人やのに。
見て。兄ちゃんもいとこ二人も泣いてたで。

でも俺、泣かんかったよ。
どう?すごいやろ。
成長したんよ。ばあちゃんと別々で暮らし始めてからいろんなことがあったんよ。
めっちゃでかくなったやろ?
もう兄ちゃんにもいとこにも泣かされんようになったで。
勉強もスポーツも頑張ったで。
いろんな話あるんやけど
マジでおらんの?畑にも?ミシンの部屋にも?台所にも?
ばあちゃん、黒飴ちょうだいよ。
ごはん作ってよ。
自転車のせてよ。
あの時迎え来てくれてありがとう。
ごめん。ほんまにきてくれてうれしかった。

 

ばあちゃん、なんで遺影そんなに笑った顔なん。
思い出すやん。
やめてよ。
もっと悪い写真あったやろ。
めっちゃ幸せそうやん。
ばあちゃん。
ありがとうとか、ほんまにちょっとしか言えんかったなあ。
ばあちゃん、今までありがとう。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました