家族の絆
昔話になるが、15歳の時に親父が畑や山に通うのに使うスーパーカブを無免で持ち出し、親父に顔の形が変わるほどぶん殴られて以来のバイク好きだった。
カブから始まり、モンキー、FX、CBX、CB750、Ninja 750と乗っていた。
24年前に結婚して子供が二人でき、それからは苦しいながらも家族と車とバイクと、それなりに楽しい日々だった。
15年前の夏、俺は妻を子宮癌で亡くした。
俺は最愛の妻を失い、子供達…長男は小学3年生、長女は小学1年生…あの子達は永久に母親を失ってしまった。
3人で泣き腫らした、あの夏の日から15年。
15年目のクリスマス……。
妻が残してくれた子供達を一人前に育てるのが俺の役目だと、あの日以来バイクを降り、バイクの本も工具類も売り払い、ウェア類は処分をした。
あれから毎日は懸命だった。
それこそ、仕事以外は家事も料理も掃除さえもやった事のない俺だが、周りの沢山の人の協力で何とかやって来られた。
どんなに頑張っても、年に数回しか行けない参観日。
不細工な弁当のレジャーマットに3人だけの運動会。
あの二人は、きっと寂しかっただろう。母親の来てくれる参観日を、両親の揃った運動会を恨んだだろうと思う。
15年……よくもまあ、グレもせず曲がりも間違いも犯さず成長してくれたものだと思う。
ようやく…、やっとこさっとこ……。
今年の春から、上の子は大学を無事卒業して公務員として。
下の子は、看護師資格を取り、隣街の市立病院の職員として。
二人とも、俺から巣立ち働き始めた。
俺は春から、娘の飼っているウサギと猫を話し相手に暮らしていた。
お盆休み、息子が帰省して久々に親子三人が揃った時に、息子が俺のバイクの話をし始めた。
そう言えば、幼かった息子を乗せてバイクで何度も出掛けたっけ…。
「一番楽しかった、一番懐かしいバイクって何?」
と聞かれ、あれこれ逡巡し、
「お母さんと出会った頃に乗っていた、バイクかな。俺がバイトして初めて買ったバイクで、当時9万円位だったよ。あれで高校の仲間と休みの度に色んな所へ行ったよ。学校帰りのお母さんを待ち伏せして、自転車と併走しながら、川辺りを走ってデートしたもんさ」
多分、この会話が切っ掛けだったのかな。
クリスマスイブの夜、二人が帰って来た。
何とまあ、わざわざ俺とクリスマスを過ごさなくても。
若いんだから、デートとかパーティーとかは無いのか…。
嬉しかったけどさ。
嬉しくてはしゃいだのか、割と酒を飲んだ。
翌日は、早出の仕事だったから二人より先に寝た。
明け方、夢を見た。妻の夢だった。
若い頃の、妻。
セーラー服を着て、重そうな鞄を後ろの荷台に括り付け、懸命に自転車を漕いでいる妻。
その横を、バイクに乗っている俺はアクセル全開で走っている。
俺はバイクなのに、どんどん離れて行く。
置いて行かれる。
「待てよ!先に行くなよ!調子悪いんだよ!追い付けないんだよ!」
訳が解らなくて妻に声を掛けるけど、やっぱり置いて行かれる……。
とうとう妻は、夕日の中に消えて行った。
そして向こうから、
「ゆっくりおいでよ。先に行ってるから」
何年ぶりだろう。死んだ妻が夢に出て来たのは。
早朝目を覚ますと、二人ともゴソゴソ起き出して来た。
朝食を食べながら息子が、
「俺はもう帰るし、正月はスキーに行って来るから」と言った。
娘は、
「今日は休みだから夕方まで居るね」
息子を駅まで送り、仕事へ行き、早出のいつもの時間に帰宅すると…。
バイク屋をやっている同級生が来ていた。
車庫の前で、娘が一言。
「クリスマスのプレゼントだよ。兄ちゃんと半分ずつ出して買ったんだからね。大事に乗ってよね。怪我して私の病院に運び込まれるのは勘弁してね」
ご丁寧に、原付二種の黄色ナンバーを付けたホンダのモンキーがそこにあった。
同級生が言う。
「盆明けに、お前の息子から頼まれたんだよ。昔、お前が死んだ嫁さんと知り合った頃のバイクは手に入らないか、ってな。あの頃は、モンキーだっただろ。20年以上経って、ちょいとお前が乗ってたのとタンクは変わっちゃいるが、モンキーだぜ。しかも40周年記念カラーだ!良い子供達だよな……」
それだけ言うと彼は帰って行った。
「晩ご飯作っといたから~。じゃね~」と娘が帰って行くと、
本棚から妻の写真を取り出し、泣いた……俺は泣いた。
実に15年振りに、思い切り泣いた。
泣きながらモンキーのエンジンを掛けて、20数年ぶりに 50cc単気筒の排気音を聞きながら、
泣きながら、笑った。
絶対天国に居るはずの、さっちゃん。
君の残してくれた子供は、俺にとって最高の子供達です。
ありがとう。
ありがとう。
春になったら、まとめて休みを貰って、これに乗って、遠くに出掛けよう。
昔みたいに、四国か九州でも走ってみるかな。
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