母親の泣ける話 – 感動エピソード【18】全5話

母親の泣ける話 - 感動エピソード【18】全5話 泣ける話

 

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母親の泣ける話 – 感動エピソード【18】

 

 

お母さんからあなたへ

J( ‘ー`)し

自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。
苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。

今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。
アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも
大事です。

 

母の日記

当時私が小学生だったころ。

本が大好きで、家にある、自分が読めそうな本を読み漁っていた。

ある日、何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけた。

どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。

母はこういう細かいことが好きで、よく日記とかつけていた。

私は面白半分で日記を開いてみた。

◎年☆月◇日

今日、○○(私の名前)ちゃんが初めて寝返りをうった。

うつぶせになっていたから、一瞬ヒヤっとしたよ。

でも、寝返りがうてるようになったね!

●年△月□日

今日、○○ちゃんが“あいうえお”を読めた。

すごいすごい!偉いネ!

次は“かきくけこ”に挑戦だ! ・ ・ ・

日記には、私が赤ちゃんのころからの成長記録が丁寧につけられていた。

内容はほとんど覚えていないけど、一言一言がすごく愛おしかった。

いつの間にか私の視界は、涙でぼやけていた。

私は誰にも気づかれずに、静かに泣いた。

その時は、なんでこんな日記を読んで泣いているのかとか、母親の愛情とかがよくわからなかったけど、なんだか胸が熱くなった。

お母さん、私を産んでくれてありがとう。

苦労ばっかりかけてゴメンね。

 

左目

俺のオカンは左目が見えない。

なんか若い時に病気か怪我か何かで見えなくなったらしい。

聞きゃあ教えてくれると思うけど聞いたことはない。

幼稚園の頃に周りの園児に「お前のオカンは目が見えん」とかで俺はのけ者にされていた。

今、思うとこの頃から自分はオカンのせいでこんな目にあっているとオカンを恨んでいた。

小学校低学年の頃、オカンと買い物に行くのが周りでは当たり前だったが俺は1度も行ったことがない。

オカンに行こうと言われても絶対に行かなかった。

中学の頃の授業参観や体育祭にも1度もオカンを呼ばなかった。

人と違う母親が何か恥ずかしくて…

周りに馬鹿にされるんじゃないかと思って。

高校の進路相談の時も別々に学校に行き、別々に教室に入った。

オカンは教室がわからなくて廊下をウロウロしてたらしい。

まぁ俺みたいなDQNはもちろん大学には行けず、ニート決定。

こんなクソみたいな俺に文句1つ言わないオカンの理由がこの頃にわかった。

アホな俺は親の部屋で、親の通帳を探していた時、タンスの中から日記らしきノートと俺名義の通帳を見つけた。

日記の内容はオカンの日記だった。

自分がこんなんだから俺がイジメられてないか。

自分がこんなんだから絶対に俺のいる学校に行ってはダメ。

自分がこんなんだから俺が自分のことを嫌いなんじゃないか。

自分がこんなんだから俺の為に人1倍がんばらないと。

こんな感じのことがノート3冊くらい書いてあった。

オカンは俺じゃなくて自分を責めていた。

俺名義の通帳にはコツコツと貯められている結構な額があった。

俺は1円も貰う価値のない人間なのに。

どうしてあの時、一緒に買い物に行かなかったんだろう。

どうしてあの時、授業参観にオカンを連れていかなかったんだろう。

どうしてあの時、体育祭にオカンを連れていかなかったんだろう

どうしてあの時、あんな酷いことをいったんだろう。

どうしてあの時、慰めてあげなかったんだろう。

どうしてこんなにオカンを不安な気持ちにさしてしまったんだろう。

どうして今までこんなに離れていたんだろう。

いろんな思いが溢れて来て俺は何年ぶりかわからないくらい久しぶりに泣いた。

俺はこの日、なぜか頭を丸めたのを覚えている…

5年経った今は安月給だけど就職もしてなんとか働いている。

ヒマな日とかにはオカンと買い物にも行ったりしてる。

失った時間は大きすぎるけど、少しずつでも取り戻していきたい。

今まで支えてくれたように、今度は支えて行こうと思う。

遅いかもしれないけどこれからは俺がオカンの左目になろうと思う。

 

アンタはアタシの子供だよ

俺は2年程前にうつ病にかかりました。服薬もしたし、会社も休んだ。

でも全然良くならないんだよ。

食事も摂れないし眠れない。苦しくて苦しくて仕方が無かったんだ。

ある夜、「もう無理だ」って思って自殺をしようと決意した。

両親が寝静まってから持ってる限りの眠剤と酒、それと包丁。

眠剤飲んで、酒飲んで、首を切ってしまおうと思ったんだ。

2月の深夜3時頃だったと思う。

家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、「さぁ、やるか」と思って。

遺書と預金通帳も用意した。暗証番号のメモも置いといた。

少ないけれど貯金があるから。葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。

その時、母親の勘かなぁ トイレでも無いのに母親が起きてきたんだよね。何故か。

俺の居たテーブルの前に座って。置いてある眠剤とかを一瞥して。

何も言わなかったよね。二人して。それからどれ位経ったかなぁ・・・

母親が自分の着てたハンテンを「寒いだろ」って俺に着せようとするんだよね。

「もう子供じゃないんだから」って言ったら一言。

「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子供だよ。

世界にひとりしか居ない、アタシだけの子供だよ・・・」

年甲斐も無く号泣したよ。

絶対うつ病、治そうと思ったよ。

 

夢に出て来てよ

カァチャン、元気にしていますか?

居なくなってから九年がたちました。

九年も経ったのにまだ寂しくて、たまに涙する事があります。

一児の母になったのに、まだ泣き虫の私を叱りに来て下さい。

カァチャンが居なくなった時は、私は小さかった。

あまりカァチャンの記憶がないけれど、こんな事やあんな事をしてくれたんだろうなと思いながら、日々娘に接して居ます。

カァチャン、泣き虫なこんな私を産んでくれてありがとう。

写真のカァチャンは、いつも笑顔で嬉しいけど、たまには、怒った顔を見せて欲しいよ。

カァチャンに逢いたいけど、まだ私は逢いに行ってはいけない所だから、我慢するよ。

だからね、カァチャン夢くらい、出て来てよ。

待ってるよ。

 

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