母親の泣ける話 – 感動エピソード【4】全5話

母親の泣ける話 - 感動エピソード【4】 泣ける話

 

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母親の泣ける話 – 感動エピソード【4】

 

 

トレーナーとマフラー

俺の家は貧乏だった。

運動会の日も、授業参観の日さえも、オカンは働きに行っていた。

そんな家だった。

そんな俺の15歳の誕生日。

オカンが嬉しそうに俺にプレゼントを渡してくれた。

『ミチコロンドン』のトレーナーだった。

僕は「ありがとう」と言いつつも、「恥ずかしくて着れないな」と内心思っていた。

その夜、考えていた。

差し歯を入れるお金もないオカン。

美容院に行くのは最高の贅沢。

手はカサカサで、化粧なんて当然していない。

こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ……。

そんな事を考えながら、もう何年も見ていないアルバムを見たくなった。

若いときのオカンが写っている。

『えっ!』

俺は目を疑った。

それは、まるで別人だった。

綺麗に化粧をし、健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑ってる。

美人のオカンがいた。

俺は、涙が止まらなくなった。

俺を育てる為に、女を捨てたオカン。

ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。

それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければいけない時期になっていた。

大学進学はとっくに諦めていた。

学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。

『大学に行かせるにはいくらお金がかかるのですか?』

俺は耳を疑った。

びっくりしている俺を横目にオカンは通帳を先生に見せて

『これで行けますか?』

と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。

それから俺は、死に物狂いで勉強し大学に合格することができた。

郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。

学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを見ると元気がでた。

それから時は流れ会計士になった俺は、来年の春結婚する。

そして生活を共にする、俺と最愛の妻と最愛の母とで。

なんとしても、俺は二人を守ってみせる。

色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを前にして、俺はそう誓った。

 

気付いてからは遅いんだよね

母が死んで、今日で一年とちょっと。

高齢出産だったこともあって、俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。

「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」

と責めたこともあった。

俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざかった。

親父には恐くて何も言えなかったから、何でもかんでも母に当たってた。

たくさん文句言った後、寝ようと自分の部屋に入った時に母のすすり泣く声が聞こえたときは、自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。

お母さんが死ぬ時って、いつか来るってわかってた。

でも、気付いてからは遅いんだよね。

そんな俺も、今年で23才になる。

20才を迎えたくらいから、『親孝行したいな』って思ってた。

高齢出産だった母に、孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。

それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ、お母さん。

無事に生まれてくれたらいいな。

俺を生んでくれてありがとう。

高齢出産だったから辛かったろう。

でも孫の顔見せてあげたかったな。

抱かせてあげたかったな。

でも、もうお母さんの笑顔見れないんだよね。

あの笑い声ももう聞けないんだよね。

俺、少しは一人前の大人になったよ。

学歴も無いし給料安いけど、ついに家庭を持つよ。

こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供には、お母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。

休みの日は、子供といっぱい遊ぶ。

俺が小さい頃のお母さんよりは、動けると思うよ。

なんたってまだ俺、若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。

「今日はお風呂入ってもう寝なさい」

あの時寝なきゃ良かったな。

今でも思うよ。

一晩中話しとけば良かったよ。

なんで死んじゃうんだよ、お母さん。

もっといっぱい甘えとけば良かった。

もっといっぱい話したかった。

旅行に連れて行ってあげたかった。

それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。

次の日、冷たい体を抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。

お母さん、天国から俺の事見える?

俺の事もう心配しなくていいからね。

子供の名前何にしようかな。

お母さんだったらどうする?

明日仕事休みだから、彼女とお墓参り行くよ。

最後に、生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。

「お母さん、生んでくれてありがとう」

 

パソコンで

俺がまだ小学校に上がる前父親が交通事故で亡くなり、

母親は 女手1つで俺を育ててくれた。

家が貧しいため、県立高校を落ちた俺は私立には通えず、

定時制高校に進学した。

高校を卒業したものの、俺は勤め先も見つけられず、ぶらぶら

と毎日を過ごしていた。

そんな俺に母親は独り言のように

「そのうちいい仕事が見つかるよ」

と呟いては無理に明るく笑いかけていた。

ある日、母親は

「パソコンぐらい使えないと就職も難しいのかね」

と呟き、俺を電器店に連れていき、パソコンをローンで買った。

インターネット接続も店にまかせた。

帰り道、母親は

「25万円かー、こんな大金を使うのは父さんが死んで初めてだね」

と笑った。

ローン返済のために母親は、夜遅くまで働くようになった。

俺の方は無料のネットゲームを見つけ、

あまりの面白さに来る日も来る日もひたすらゲームばかりしていた。

俺がいつもパソコンに向かっているのを

パソコンの学習と思い込んだ母親は

「パソコン上手になった?いい仕事が見つかるといいね」

と言っては笑ってた。

ある日、母親が仕事先で倒れ、病院に運び込まれた。

俺はボロの自転車を1時間あまりこいで、病院に着いた。

俺の姿を見ると母親はベッドから起き上がり、

「ただの過労だよ。」と笑った。

「パソコン上手になって、

いい仕事が見つかったら自動車も買えるからね。」

と言いながら、汗だくの額をタオルで拭いてくれた。

それから数日後、精密検査の結果が出た。

「急性白血病であと3ヶ月あまりの余命だ」

ということを医師から聞かされ、

俺は頭の中が真っ白になった。

母親に負担をかけ通しで、

最近は期待を裏切ってゲームばかりしている自分が情けなかった。

家への帰り道、自転車をこいでいる俺の脳裏に、

母親との思い出が次々と浮かんでは消えていった。

家に着くと俺はRMTで自分のアカウントやアイテムを全部売りに出した。

かなりの安値なのですぐに買い手は見つかった。

翌日、その金で母親が好きなチーズケーキとヨーグルトを立派な店で買った。

病室を訪れチーズケーキを取り出すと見ると母親は驚いて

「お金はどうしたの?」とたずねた。

「パソコンのバイトで8万円手に入ったから」

と俺は嘘をついた。

母は心から嬉しそうににっこり笑って

「パソコン上手になったからいい仕事が見つかったんだね」と言った。

俺を信じきっている笑顔が辛くて顔を伏せた。

それから二週間ほどが過ぎた日の朝、母親は亡くなった。

がらんとした病室で一人で小物類を片付けていると、

看護婦さんが優しく慰めの声をかけた。

「パソコン得意なんですってね、 お母さんは毎日のように自慢してたわ」

その言葉を聞くやいなや涙がこみ上げてきた。

俺は体を震わせ、 大声を上げて泣き続けた。

 

義母の優しさ

俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。

後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。

俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。

ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。

新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。

家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって、義母が本当の母親だった。

それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。

親父の葬式の席で親族が集まり、これからの俺たち家族の事で話し合うことになった。

親父の両親(俺から見て祖父母)は既に亡くなっており、親戚づきあいも疎遠で、葬式には親父の親族は誰も来なかった。

後から知った事だが、親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ、おまけにひどい扱われようだったらしい。

そんな事もあり、自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。

まあ、そんな状況もあり、今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。

元々、義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。

まぁ親としては、娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。

また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。

双方の親の利害が一致して、俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時、それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。

「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」

「お願いですから、この子は私に任せてください。」

物腰の柔らかい義母が、珍しく語気を荒げていた。

出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に、俺は驚きを覚えた。

最初は難癖を付けていた双方の両親も、最後には義母に折れる形となり、俺は義母と二人で生活することになった。

稼ぎ頭の親父が死んで、義母は必死で働いた。

受験で大変な時期の俺を育てる為に、必死で働いてくれた。

高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。

しかし、その話を聞いた義母は

「大学に行きなさい。」

と言った。

「お金は母さんが何とかするから、あんたは大学に行きなさい。」

なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?

俺は半ば呆れながら、そんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。

そんな義母の言葉に背中を押された形で、少し遅れて受験勉強。

家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。

元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかった。

それでも、「合格」と聞いた義母の涙混じりの笑顔は、今でも忘れられない。

大学に入ったが、俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。

高校の時もそうだが、アルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。

大学も何とか無事に四年で卒業ができ、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。

最初の初任給で義母にプレゼントを買った。

さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか、「ありがとう、ありがとう」と言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。

ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。

それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た

最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。

「あんたもこれで一人前だね」

と言われて、照れくさいやら恥ずかしいやら。

最初は一緒に暮らそうと言ったが

「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」

と断られる。

いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。

何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。

でも、結婚して一年経って義母が倒れた。

幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。

断っている所を半ば強引に同居することに。

その間、孫の顔も見せることが出来たし、かみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。

でも先月、その義母が他界。くも膜下出血であっけなく死んでしまった。

通夜の席で、かみさんが義母の話をしてくれた。

正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。

かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。

義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。

最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で

「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」

の言葉に義母は涙ながらに承諾。

親父も人前も憚らず泣いていたそうで。

義母曰く「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事

その話を聞いて、俺はやっと理解できた。

そして、言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった

今までかなり泣いたけど、息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。

ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが、親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。

かみさんもそれ聞いた時は、涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。

子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。

義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。

生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。

親父、そっちで会ったら誉めてやってください。

貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。

最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。

今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。

突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。

 

誕生日プレゼント

1年ほど前、両親が死んだ。

東京に出てきて数年、正月ぐらいしか帰ることの無かった俺は仕事を放り出して慌てて帰郷した。

家に帰ると半狂乱で妹が抱きついてきた。

事故で即死だったのが唯一の救いだったかもしれない。

その後、警察に行って事故車両を見せてもらった時、一緒に渡された物があった。

燃えて炭化してしまったに近い状態の財布と靴。

女物の靴は、大柄な母にしてはサイズが小さく少し不思議に思っていた。

でも、財布を空けて気がついた。

事故当日の日付の入った靴屋のレシート。

間違いない、妹の誕生日プレゼントだったんだと。

事故の日から2日後が、妹の18回目の誕生日だった。

あれから1年、東京に来て最初はほとんど口を聞かなかった妹もなんとか立ち直ったような気がする。

だけど、実家においてきたあの靴、あれをいつあいつに伝えるべきか、未だに迷っている。

 

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