母親の泣ける話 – 感動エピソード【7】全5話

母親の泣ける話 - 感動エピソード【7】全5話 泣ける話

 

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母親の泣ける話 – 感動エピソード【7】

 

 

誕生パーティー

私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、

家に、「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、

父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、

いつもは温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。

「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。

食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」

と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。

母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

私は言い過ぎたな、と思った。

でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。

その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。

仕事帰りに病院に行くと、父がいた。

廊下の隅で、

「実はお母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」

とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。

あの誕生日の日のページに

「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。

ワーッと声を出して泣いた。

何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。

夜が明ける頃には涙が出なくなった。

すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。

仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。

父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。

母にとっては最後だったのに、、、。

父も数年後に死んだ。

こんな情けない自分でも、がんばって生きている。

 

延命させるか

父親が死んでしまったのが中学三年生の時で、それから母親は一人で生計をたてていました。

四人姉弟の真ん中、三番目の僕は男一人だった事もありかなり、手を妬かせていたと思います。

高校生になってバイトをしても、家計を助けるわけでもなく、自分のためだけにつかっていました…。

兄弟がそうだったから違和感がなかったといえばそうなのかも知れないけれど、一人で五人家族を養える訳がなかったのです。

毎日、朝から晩まで働き、やりくりし、学費を払せ、必要な物を買ってもらい、何不自由なく育てられて。

それが当たり前だとすら感じていました。

高校入りたての頃に、一番上の姉ができちゃった婚をし、もう一人の姉が大学に入り一人暮しをし始め、残るは自分と妹だけになりました。

そんな時、母親は会社の男性となかよくなり、あまり家に帰って来なくなりました。

妹と二人で食卓を囲むことが増えました。

そんなある日、会社で大きなリストラがあり母親もその中の一人になっていました。

一気に生活は苦しくなりました。

母親は出稼ぎにいくと僕らの暮らす街から離れ、遠くで働きはじめました。

いつからか家族がバラバラになっていて、それが当たり前になっていました。

高校を卒業し、就職をして半年ぐらい経った時でした。

未だに僕は妹を抱えながら、生活費を母親に貰い生活していました。

新卒の給料では生活が出来なかったからというのもありますが、甘えだったのだと今は思います。

会社に電話がはいりました。

母親が倒れたと。

意識不明だと。

夜だったため、すぐに向かうことは出来ず、翌日むかう事になり会社を暫く休む事にしました。

脳梗塞の上、くもまっか出血を併発し「病院で手術しても助からないかもしれない」と言われました。

白い壁の病院が寂しい世界に思えました。

久しぶりに会った母親は意識がなく、話しかけても返事がないのだから…。

手術をしたあと病室で母親が意識を取り戻し、僕等にむかいこう言いました。

《大丈夫だよ転んだ訳じゃないから》

それが最後の言葉でした。

それから容態は急変し、翌日医者から告げられたのは植物状態で延命させるかという質問でした。

姿はそこにあるのに、もう命はないのだと。

目を開けないんだと。

親を殺してしまいました。

機械を止めてもらいました。

今までごめんなさい。

 

余命

おまいら、かあちゃんの歳はいくつだ?俺のかあちゃんは65歳だ。

しかし、癌を患ってしまいもう1ヶ月ほどしか命がないらしい。

告知はしてないが、遅かれ早かれ死ぬことは自分で分かるのだろうね。

俺が見舞いに行くたび、

「彼女できたか?」

と3回くらい言ってくる。

「あんたのオヤジの息子なんだからしようがない、あきらめてくれ」

なんて言葉が喉元まで出かかってとまるが、俺は結局返す言葉が見つからない。

俺は30歳の神聖童貞。いままで苦手な女は避けて生きてきた。

コツコツ貯めてきた貯金は1000万ほどある。

しかし、かあちゃんの死が目前に迫っているというのに、

何もすることが出来ないこの俺の存在に一体何の価値があるというのか・・・

俺なんてどうせこの先、生きていても独りなのだから

俺の命と引き換えに、1年でも2年でもかあちゃんの寿命が延びるのなら

迷わず命を差し出したい、泣きながら真剣にそんなこと考えたりしてな。

でも、よくよく考えてみれば、自分がこの先このままで独りで生きていって、そして死ぬときは、今の自分のように涙を流して、本気で悲しんでくれる人などいないのだ。

「彼女できたか」

俺の将来を、本気で心配しているからこその言葉なのだと思う。

でもなぁ、かあちゃん。

ごめん、やっぱりもう手遅れだよ。

俺、気づくのが遅すぎたよ。

今から頑張ったって、あまりにも時間が短すぎる。

こんな気持ちで、これから笑顔で振る舞うのは辛すぎる。

そもそも、そんな下心を持ったまま女性とつきあえるわけがない。

もし今すぐ彼女が出来たとしても、死を目前に控えたかあちゃんに逢わせるわけにはいかないだろ?

かあちゃん、他のことならなんでもするから、こればかりは本当許してくれ・・・

 

おかんのお弁当

高校の頃とにかくバイトと遊びではしゃぎまくってた。

無免で中型乗って馬鹿だから警察に捕まったりしてお母さんに迷惑かけまくった。

バイトもキャバクラと他に掛け持ちして学校も公立の普通科で超多忙で通学費だけは自分で払ってた。

そんな中、高2~3までダイエットと忙しさで拒食症になった。

すごいガリガリになって普通の生活が辛くて眠くてイライラがずっとあった。

でもバイトも学校もしっかり行っていたが、毎朝おかんが作るお弁当を全く食べずに家においていったままにした。

ほとんど食事をとらず友達にも家族にも相当心配かけてた時期。

家族との仲に溝ができて、会話がほとんどなかった。

しかしやっぱり人間の本能。

いずれ食欲は出て来て普通の生活が出来るようになり、今ではその反動がきてるw

拒食症の症状も軽くなった頃の高校卒業間際、学校最後のお弁当がある登校日。

久々の朝の会話

「お弁当忘れてるよ。」

その日学校で丁寧に包まれたお弁当ばこを開けた。

母からの手紙が。

あなたがダイエットをする頃から母はお弁当を作らなくなり、

悲しいような…楽チンだったような…

一時期は本当にどうなるのか不安で仕方ありませんでした。

たくさん心配かけることをしてくれたあなたですが体だけは健康にね。

いずれあなたにも子供ができて、文句を言いながらお弁当を作る様子を思い浮かべると笑っちゃう。

でもあなたはママの娘。何があっても大丈夫。

これからも頑張ろうね。

学校で泣いた。友達に自慢しまくったw

泣きながら手紙入ってるよーって。

そのお弁当には私の大好きな母の手作りだし巻き卵焼きが入ってました。

うちのおかんは本当に料理がうますぎて、ピザも生地から手作りで、味噌とかも家で作ってます。絶品。

今私は19歳。

就職して1人暮らししています。

おかんのお弁当、なんでなんでもっと欲張って食べなかったんだろう。

人生最大の悔い。

今更だけどおかんのお弁当ってどれだけあったかくておいしかったのか思い知らされました。

あの愛情に勝てるものはこの世にないでしょう…

おかんみたいなおかんになることが私の夢です。

 

これで十分

子供の時はお母さんをただのケチだと思ってた。

高校生になった私はウザいとしか思わなかった。

一人暮らしを始めて、三食の食事や掃除に洗濯、なんて恵まれてたかわかった。

私が挑戦したい事はとてもお金が掛かる事だった。

お母さんは少しだけ悩んですぐに私を応援してくれた。

お母さんは成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と、着ていた。

化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど。

でもいつも私を助けてくれるお母さん。

お母さんは自分のものは買わないでバカな私を助けてばかり。

お母さんお母さんお母さんどうして私をそこまで信じてくれるんですか。

私はもう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。

お母さんお母さん本当にいつもありがとう。私が強気なのはあなたがいてくれるからです。

どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。

どうか私に時間を下さい。

大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。

 

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