母親の泣ける話 – 感動エピソード【9】
厳しい母
私の母はとても厳しい。
身の回りの事は全て自分でやらされていた。
勉強も部活も1番じゃないと気が済まない。
定期テストで2番をとると
「2番は敗者の1番だ」
とすごく怒られた。
いつだって母は誰かと比べた。
私よりも上の人。
どれだけいい点数をとっても、いい結果を残しても母は笑顔を見せてはくれなかった。
1番1番1番1番、、、
プレッシャーで円形脱毛症になり声も出なくなりかけた。
しかし私にはその他にも大きな問題を抱えていた。 いじめ。
学級長などに選ばれていた私は、前で話すことが多かった。
多感な時期の中学生は出る杭は打ちたくなるものだ。
毎日地獄だった。
そんなある日、帰ろうとして教科書をリュックに詰めようとすると机の中に教科書が1冊もなかった。
血の気が引いた。
探し回ると、洗面所の蛇口から水が勢いよく飛び出ていて、その下に私の教科書があった。
お母さんに怒られる。
それしか思わなかった。
それでも帰るしかなかった。
家に着いて欲しくない、本気でそう思った。
しかし、家に着いてしまった。
案の定、母の車は家にあった。
ずぶ濡れになって、ところどころ破けている教科書を母の前に出し、私は土下座した。
ごめんなさいごめんなさいと唱えた。
頭は真っ白だった。
母が私の前に座った気配がした。
殴られる、そう思った瞬間、母が私を抱きしめた。
ぐっぐっと、母の嗚咽が聞こえた。
ごめんねごめんね、気づいてあげられなくてごめんね
と母が泣きながら私に謝ってきた。
毎日死にたいと思ってた。
生きる意味が分からなかった。
なんで頑張ってるのかも分からなかった。
でも、私は悲しくて悔しかったんだなあと思った。
私も涙が止まらなくなった。
久しぶりに母の腕で泣いた。
それから私は学校に行かなくなった。
世間体ばかり気にする母が仕事を休職してまで私と居てくれた。
今、私は県内で1番の進学校にいる。
恩返しをしたい。
いい会社に入って、母を楽にしてあげたい。
目標がある勉強はとても楽しい。
あの時、抱きしめてくれた母の匂い、力強さ、私は一生忘れない。
顔のアザ
昔から、俺の母さんには顔の左半分に大きなアザがあった。
小学生の時なんか、授業参観は嫌で嫌で仕方なかった。
だって、恥ずかしかったから。
クラスメートは授業中も時々後ろを振り返っては、
「お前の母親の顔、どうしてあんな赤いの?」
って。
そんな風にいつも笑われるのが嫌で、俺は俯くことしかできなかった。
でも、そんな時も俺の母さんはいつも笑ってたよ。
自分が笑われてること知ってるくせに。
今までもずっと、そうやって好奇の目で見られてたくせに。
そうやっていつも笑ってる母さんが、俺にとってはコンプレックスの対象だった。
そんなある日、友達と遊ぶ約束をしていたことを忘れ、思わず言い訳した時に俺が友達に放った言葉。
「お母さんのアザを治療しに病院についていった」
もちろん嘘だよ。
咄嗟に出た嘘。
でも、そのことを母さんが知った時、初めて俺の目の前で母さんが泣いた。
もう涙ボロボロで。
しばらく泣いてたよ。
そん時、気付いたんだ。
母さんがいつも笑ってたのは、俺を信じてくれていたから。
俺はアザのことなんか、ちっとも気にしてないって、母さんはそう信じてたから。
あれから20年。
母さんは今も元気に笑ってる。
あの頃のままの、顔にアザのある母さんが大好きだ。
母さんありがとう
俺に言わせてください。
ありがとうって言いたいです。
いつも毒男板に来ては煽ってばかりいた性格の悪さを省みています。
きっと俺に罰が当たったんだ。
悪性リンパ腫って…
手遅れって…
母さん、マジでありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
生んでくれてありがとう。
こんな俺でも生んでくれてありがとう。
愛情を注いでくれてありがとう。
沢山笑ってくれてありがとう。
一緒にへこんでくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。
あなたは最高の母親です。
オヤジも鼻が高いさ。
いっぱい泣きたい。
あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。
俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。
顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。
そして食べながら泣かないで…
母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。
母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。
母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
すいません。今まで泣いてました…
厚かましいけど、書かせてくれ。お願いします、書かせて下さい…
最近、ずっと起きてる。
なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。
寝てしまうその時間すらも、惜しいんだよ。
俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。
病気の進行は容赦ない。
母さんをすぐに蝕んでいくんだ。
薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」
って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。
俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。
俺は病院の廊下で、恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは、親心なんだって気付いたよ。
母さん、俺バカでごめん。
だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。
俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで…
食べながら泣いて…
日常ってとても素晴らしいものだね。
些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、涙が出てしまうくらいのものだよ。
俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度にその日常を思い出して、泣いて、「ありがとう」って感謝するんだろうね。
本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。
絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。
だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。
…もうだめぽ。
スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。
今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。
2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
病院行きたくないんです。
母さん、死んじゃった。
朝死ぬことねぇだろ…本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。
死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ…
母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。
何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。
買って行くから、また食べてよ。
また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。
最初って、涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。
オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。
一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。
ハンバーグ食べた。
オヤジが、「うまくないなぁ…か…」って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。
子供みたいに。
俺はすぐ分かった。
その、「か…」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいってはよく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。
オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って
いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。
姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。
泣けなかった。
黙って食べてた。
何かしゃべったら俺も崩れてた。
今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ…思わず寄ったよ。
特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね。
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。
「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね?ッ!」
って、一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さを、うるさく言う母さんの声が聞きたかった。
ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。
けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。
いなくなってしまってから初めて分かるんだ。
それがビー球みたいにいろんな色があって、綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。
卒業式
私の小学校6年生の卒業式のこと
退場の時私はお母さんに大きい花束を渡された。
今思えば騒ぐほど大きいものじゃなかった。
当時クラスでも大人しかった私は学校の皆の前で変に目立つことが嫌で、
渡してきた花束を「いらない」と言ってお母さんに押し返してしまった。
なによりもそんな大きい花束を人前で渡してくることが許せず恥ずかしかった。
そのあと移動した教室で、
お母さんはまた私のところに駆け寄り、
花束を渡してきた。
どれだけ拒否しても押し付けてくるので嫌な顔をしてお母さんを睨みながらしぶしぶ奪い取った。
クラスの人に見られるのが本当に嫌だった。
その後家に帰っても私は終始不機嫌で、
「なんであんなことしたの」
「私のことなんにも考えてない、こんなのいらない」
とひどいことをお父さんにいい続けた。
「お姉ちゃん(私)の事分かってあげられなくてごめんね。
けど、お母さんはお姉ちゃんにバレないように花束を買って、
誰よりも娘の卒業式を楽しみにしてたんだよ。」
その夜私はその時お父さんに言われた事がずっと頭をかけ巡っていた。
思い返すとお母さんは私に花束を渡すとき笑顔で
「おめでとう」
と言ってくれていた。
拗ねて全然見ていなかった花束には弟が
「おねえちゃんそつぎょうおめでとう。」
と書いてくれて いた。
私が花束を押し返したときも拗ねて口を聞かなかったときもお母さんは悲しそうな顔で笑っていた。
私はこんなに家族に想われている。
なのに私はなんてひどいことをしたんだろうと、
涙が溢れて止まらなかった。
私は夜中にもかかわらずお母さんをたたき起こして
涙でぐちょぐちょの顔で謝り続けた。
お母さんは私を責めもせず、ただ
「ごめんね、お 姉ちゃんがそんなに嫌な思いをしてるとは思わなかった。ごめんね」
と繰り返していた。
これを書いている今も罪悪感でいっぱいで、
思い出す度に涙でぐちょぐちょで、
家族の大切さと暖かさを感じます。
私はまだ高校生だから成人したらもっと親孝行して、 いつかまたこのことを謝れたらいいなぁと思います。
お母さんだいすき。
頼んだ覚えは無い
私が中学生くらいの頃、ちょうど反抗期真っ最中だった。
私は母と些細な事で喧嘩になり、母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。
売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」とつい言ってしまいました。
お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。
それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を大学に提出しなくてはいけなかったので、役所に取りに行きました。
その戸籍には「養女」の文字が・・・
私は父と母の本当の娘ではなかったのです。
そんなこととは全く知らずに、あの日言ってしまったあの言葉。
悔やんでも悔やみきれませんでした。
養女だと知ったとき、私は全くショックは受けませんでした。
むしろお父さん、お母さんの子として育った私って、なんて幸せなんだろうと胸がいっぱいになったのを良く覚えています。
おかあさん、あの日はごめんなさい。
私を本当の子以上に大切に育ててくれた事、感謝しています。
私も自分の子供たちに、母が私に注いでくれたような愛情で育てたいと思います
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