山にまつわる怖い話【70】全5話
松浦佐用姫
中学の頃友達から聞いた話。
友達が小学生のとき、修学旅行で鏡山に登った。
それほど高くはない山だが眺めは良く、海岸沿いの防砂林である虹ノ松原や玄界灘を見渡せる。
そこで、友達は不思議な人を見たらしい。
海を見つめている女性。
髪の毛を結い、手に布を持ち、まるで日本史の教科書から抜け出したような
きれいな古代の服を着ていたという。
とても美しい女性だったと。
修学旅行の隊列の中で、気付いたのは友人だけ。他の人は何も見なかったという。
松浦佐用姫の伝説、案外本当なのかもしれない。
森の中の集団
地元に伝わる話
夕暮れ時、A助が山を歩いていると、森の中に奇妙な集団を見つけた。
よく見るとそれは様々な形、大きさをしたお米が集団で、何かを話していた。
よく聴いてみると、誰かを驚かそうという相談みたいだった。
集団の中で一番大きいお米が「由、俺の田圃乃持主、A男を驚かしてやる。」
と言い放った。皆、「おぉ、頼むぞ!でも驚かすだけではチト詰らん…」
A助は驚いて、一目散に家路に着いた。幻覚でも見たんだろうと思い、
其の晩は、直ぐに寝た。
其の夜更け、物音がして目を覚ますとあの時見た大きな米が、包丁を持ち
「あんた、死にましょかぁ~。あんた、死にましょかぁ~」と言い放ち、
近ずいてきて、顔と包丁を男の顔に近ずけた。その後、男は気を失った。
次の日、其の事を近所に話したが誰も信じなかった。
その翌日男は死んだそうだ。
鬼ごっこ
もう、25年ほど前になりますが、私が山を始めた頃の話しを聞いて下さい。
混雑を避けて、父と二人で8月の終わりに白馬岳に行った時のことです。
山頂で一泊し、白馬大池から栂池へ下山するコースをとりました。
山頂付近こそ多くの人でしたが、乗鞍や大池辺りでは、もう殆ど人と会うことも
少ないほどでした。
最終バスを栂池自然園で乗ることにしていた私達は、結構のんびりと歩いておりました。
(その当時はゴンドラは、まだなくて、日に数本のバスがありました。)
そして、乗鞍岳をすこし下った雪渓で休憩をとることにしたのですが、
なぜか、そこには軽装の10才位の子供達が10人程いて、
鬼ごっこをしていたのです。
辺りには、大人は全くいなくて子供達だけで遊んでいるのです。
親たちは、後から登ってくるのか、下ってくるのかな。と不思議に
思いましたが、とりあえず、私達は、雪渓の下の方でお茶を飲んでいました。
時間が結構ありましたので1時間ほど休んで下りようとしましたが、子供達
は、何時の間にかいなくなっていました。
下山するには、私達の前を通る筈ですしが、私達の前は誰一人、登る人も
下りる人も通っていません。
子供達だけで、夕方近くに登って行くことも考えられませんし、荷物も何
もなかったようです。
父と狐につままれたような気持ちでその場を後にしました。
バスの運転手さんに会う迄その子供や、保護者らしき人、登山者に会う事
もなっかたのです。
それから、いろいろ山に登りましたが、あんな不思議な体験はしたこと
がありません。一体 私達が見た子供はなんだったのでしょうか?
ごく普通の子供達に見えたのですが、あんな場所に子供だけでもちろん
行ける所ではないし、大人は全くいなかったのですから。
長年、ずっと忘れられずにいる出来事でした。
ホームでの一夜
1986,7年頃の夏である。当時、東京から谷川岳へのアプローチは、上野を23時頃発の越後湯沢行きの普通列車にのって深夜に土合駅に着き、そのまま駅で野宿して翌朝歩き始めるのが一般的であったように思う。まだ上越新幹線がメジャーでは無く、ガーラ湯沢駅もなかった。このあたりのリゾート開発が始まる前のことで国鉄ものんびりしていた。上野から初乗料金で乗り込んでも、車内改札が土合駅まで来なかったのである。
土合駅に列車が到着すると、同じような登山者が地上への階段へと急ぐ。土合駅は基本的に無人駅だったので出札口には列車到着時だけ駅員が来ると聞いていた。我々3人(私と登山仲間HとT)は意識的にもたもたして登山者の列の最後尾を歩き、他の登山者の姿が見えなくなるとホームの中央にとって返した。
学生の身分であった我々は上野からキセルを敢行するために、思い切って誰もいない下りホーム
(土合地下ホーム)で仮眠し、駅員がいなくなる早朝を見計らって出札口を出ようと計画したのであった。
地下ホームはトンネル内なので薄暗く、ところどころ漏水があって、真夏でもひんやりしていた。
ホームの中央あたりに小さなプレハブ状の待合室が置かれており、その常夜灯で比較的そこだけぼんやり明るかった様に記憶している。我々は待合室に入り、少し寒かったので万一の予備に持参してきたツェルトにくるまって仮眠をとることにした。夜行発日帰りの計画だったため寝袋は持って来なかったのである。
待合室は我々の荷物と寝場所で、余りのスペースはさほど広くなかったように思う。
深夜忘れた頃に数本の貨物列車が爆音をたてて通過し、その後はまたもとの異様な静けさに包まれるということが何度かくり返され、そのたびに起こされてしまったが、いつしか3人とも眠りについたようだった。
何時頃だったか、私はふと一人の足音に気付いて目を覚した。耳をそばだてているとその足音はゆっくりと待合室に近付いてくる。
(だれか来る。)そう感じてしばらく身を固くしていた。下りの列車はとっくに無くなっており、上から寝場所を探しに降りてきたのかなと思いながら待っていたが、その足音はすぐ近くまで来て止まってしまった。
いつまで待っても待合室に入ってくる気配がなく、入口の外に目をやるが誰もいない。待合室はひやりと湿っぽく、背筋に寒気を感じる程だった。
(そら耳だったかな。)おかしな寝汗をかいている。着替えないと風邪をひくかも知れない。でも面倒だ。
そう思って再度眠りについた。
しばらくすると、断続的に続く男の低い声と息苦しさで今度ははっきりと目がさめてしまった。何と言っているのかはっきりわからないが、あのー、すみません。××してください。あの、××をお願いしますというような、何か頼んでいるような口調である。やはり、だれかが待合室に入れなくて何か言ってるのかと思い、
ワット数の低い蛍光灯の下で中腰になり、窓越しにあたりを見回すがホームには誰もいない。しかし、男の低い話声はハッキリと耳に残っており、船酔いに似た不愉快な目眩が頭に残っている。
(夢かな・・・。)とぼんやり思っていた。(熟睡できなかったんだ。寝不足だと明日つらいだろうな)
と翌日のことを心配しながら考えていると、隣に寝ているHがしきりにピクン、ピクンと痙攣している。
放っとくにはあまりにも気の毒に思えたので揺り起こしてやった。
Hは起きるなり「金縛りにあってさ・・助かったよ。」と深く息を吐き出し、「もう、眠るのは嫌だ。起きよう」という。結局、今なら駅員はいないだろうということで、軽い寝息をたててのんびり寝ているTを起こし、我々は地上に向かうことにした。
土合地下ホームから地上出札口へはコンクリートの五百段近いの階段を登ることになる。
普通に登っても20分かかり、荷物が重い時は大変なアルバイトである。お調子者のTが「知ってる? この階段を数えると谷川で遭難するって噂が有るの。だからほら、数えなくても良い様にNo.が打ってある。」促されて見てみると確かにペンキで階段の端に数字が書いてある。Hが珍しく「書いてあると余計数えちまうじゃないか。」
と冗談を言って笑った。
階段をのぼるにしたがって、地上の生暖かい空気が混じってくる。やっとのことで階段を登り詰め出札口付近に来ると、手前の通路のあちこちに同じような登山者が寝袋に入ったりして仮眠をとっている。日の出前の暗い時分で、まだ始発列車も来ていない。我々は駅員のいない出札口を難なく通過し、駅舎の外の階段で用意してきた朝食をとることにした。
コンロを取り出して湯を沸かしながら「夕べ寝れた?」と誰となく聞いた。お互いに寝られなかったともらし、
おかしな夢を見たという。私が寝苦しくて男の低い話声で目がさめたと言うと、Tが神妙な顔で変な足音を聞いたといいはじめた。
「起こした時、良く寝てたじゃないか」と言うと、寝たふりをしていたのだと真顔で答える。夜中に急にひんやりと寒くなって目がさめたら、待合室の周囲を誰かが歩いている足音がした。最初は駅員に見つかったと思って目をつぶって寝たふりをしていたが、足音は待合室の前を何回も立ち止まっては往復する。薄目をあけてみると窓の外にはだれもいない。よく聞くと駅員の革靴などではなく、ゴトン、ゴトンという重い登山靴をひきずるような足音だったので怖くなり、早く遠くに行ってくれと目を閉じて念じていたらしい。そんなとき丁度私が起きあがって、
ごそごそし始めたので安心したのだという。
私とTが顔を見合わせているのを見て、金縛りにあっていたというHがぽつぽつと話し始めた。なんでも待合室の入口の外に男が立っていて、こちらをジッと見ながらなにか訴えかけていたというのだ。入口のガラス越しに男の上半身が覗いており、その服装ははっきりわからなかったが、こちらを向いている相手の顔と目が合ってしまったという。その顔の表情が必死な形相でゾッとしてしまい、見られている間中金縛りで声も出なかったと言う。
Hは留年していたため私やTより年上で、仲間の信頼が厚いリーダー格であった。普段から正直で無口、決して不真面目なつくり話をする人間ではないだけに、彼が金縛りにあって見たという男の顔の話は単なる夢や思い込みと決めつける気にはなれなかった。3人ともしばらく黙って湯気の立つインスタントラーメンをすすっていたが、
早く陽が昇って周囲がはっきり明るくなるのが待ち遠しかった。
ラーメンの残り汁を飲み干しながらHが「遭難者の多い谷川だからなあ・・まだ見つからない人もいるかもしれない」と呟いた。
とにかく次からは地上の改札口の手前で寝よう。お互い寝不足だから慎重に行動しよう。と気をとりなおし、
朝日の中を出発することにした。もちろん途中の遭難慰霊碑に手を合わせることを我々は忘れなかった。
私が今も理解できないのはこの体験が自分一人のものでないことである。仮にこの体験が自分ひとりであったならばただの幻聴であったかもしれない。我々の感じた所では、男か女かといえば男であり、登山者か駅員かどちらかといえば登山者。黙っていたかどうかといえば何か話していた。かといって、謎の男の登山者が話しかけてきたといえば嘘になってしまう。
しかし、ほぼ同時刻に3人が、ホームには我々以外だれもいないのに一人の男の存在感を感じたのは間違いないのである。
この話はこれで終わりではない。下山して帰京した翌日のことである。同じ職場でバイトしていた私とHは、
虫に刺されたわけでもないのに、二人とも左の二の腕がパンパンに腫れ上がり、微熱を出してしまったのである。
筋肉痛のような痛みで、腫れは幸い2日ほどで何ごともなく引いてしまった。Tに同じことが起こったかどうかは残念ながら確認していない。
あれ以来、谷川には何度か足を運んだが、誰も二度と地下ホームで野宿はしていない。
食べられてしまえ
俺が高校の卒業旅行に男5人で行った時。
自由行動を取って俺ともう一人の友人は散歩がてら民宿の裏の山道歩いていた。
そこで背筋をピンと張らせたばばあに会った。
俺達は雑談しながら歩いていて気付けばそこに立ってたという感じでそのばばあが視界に入った。
時刻も夕方、気にする訳も無く俺達は通りすがろうとした。
ボヤボヤ・・と俺達に何か話しかけてる風なのが分かったので友人と二人で立ち止まり「はい?」と尋ねた。
ばばあは白髪交じりで整えてない髪型にみすぼらしい格好。
かと言って特に目立っている訳じゃなくて全然普通ね。
もう一回口を開いたばばあが友人を見て「今度が今やよ」って言った。
俺達は訳が分からず呆けているのかと思った。
続けて「いいかげん・・いいかげん」と何回も言うのでこれは確実にボケた近所のばばあだろうと立ち去ろうとすると
「またぁ!」て叫んだ。
俺達はびっくりしてばばあを見ると視線が俺達の背後に向いてた。
俺は妙に怖くなって「きもいわ、もう行こや」と再び立ち去ろうとすると友人が「ちゃうちゃう、俺達にゆってんちゃうわ」と俺を止めた。
気付くの遅いが俺達の背後に何かいるって事だと分かった。
でも周りに誰も居ないのは歩いてる時から分かってた。
友人が特に霊感あるとかでもないのに険しい顔で「これってあかんよな?じっとしとこう」と小声で言う。
俺は完全にビビッてしまって俯いたまま硬直。何が怖いのかわからず体中に力が入った。
10秒くらいするとばばあが「あんたら逃げれるみたいやねえ」と言った。
そこで俺はやっと顔を上げてばばあを見たら猿の様な獣みたいな様な顔になっていて、でもちゃんと人間なんだけど。
とにかく怖い顔。今も鳥肌が立つ。
友人が「もう行けると思う」と声を出して俺達はばばあを振り切る様に走った。
猛ダッシュで逃げてる背後から「食べられてしまえ」って大声で言われた。
その夜は他の友人達にしつこいまでに話して、翌日は何故かすっきりして普通に観光してました。
今でも時々思い出すけど顔のイメージがパッと浮かぶ。
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