日本の地方・田舎の怖い風習・奇妙な風習 Vol. 1
当世話(とうぜわ)
俺の実家のある地区では、『当世話(とうぜわ)』と呼ばれるシステムがあって、
それに当たった家は一年間、地区の管理を任される。
その当世話が今年はうちで、祭事につかう御社の掃除を夏に一度しなければならないので、
祖母ちゃんと俺で山に登って掃除に行った。(掃除道具を担いだ祖母ちゃんを、俺が背負って登った)
御社に来るのは十年ぶりだった。(地区の行事をサボる子どもだったので)
懐かしくて御社の周りをうろうろしていると、幹が妙に括れた大木があった。
「祖母ちゃん。そういやこの木って、どうしてこんななの?」
昔からこんなだった記憶が残っている。
「あぁ・・・そういえば話したことなかったな。掃除しながら話してやろうか」
「面白い話?」
祖母ちゃんが担いでいたカゴから掃除道具を出しながら聞くと、祖母ちゃんは口を横に広げてニヤリと笑った。
「さぁな。ずーっと昔、このへんを治めてた殿様の名前は知ってるだろ」
もちろん知っている。誰でも知ってるような有名な人だ。
「あるときな、その殿様の家来だって言う男がこの村に来た。
村人は当然のようにその家来を持て成して、村で一番高い位置にあるこの社に泊めてやったんだ。
だけどな、そのうち気付いた。その家来が偽者だってな。殿様との戦に破れた国の兵だったんだ」
「落ち武者ってやつ?」
「『殿様の敵兵を持て成したなんてぇのが知られたらどうなるか』と村人は怯えてな。その敵兵を殺すことにした。
酒をたくさん飲ませてよ、酔っ払わせてな、あの木の前で殺したんだ」
例の幹が括れた大木を指差す。
「『敵の残党をやっつけたことを上に褒めてもらえるかもしれねぇ』って、首だけ残すことになってよ。
よく研いだカマで首を切ったが、どうしても切れなくてよ。
それで、今度は鉈を持ってきて一気に振り下ろしてな、首を切ったんだ。
そしたら、その首はどうしてかポーンと宙を舞って、あの木の幹が二股に分かれたところに乗っかった。
『これはいけねぇ』ってよ、男衆が木によじ登ろうとしたんだが、首から垂れた血ですべって登れない。
なら長い棒で突いて落とそうとしたんだが、どういうわけか落ちやしねぇ。
『うまく嵌っちまったなら仕方ねぇ』って、村人は胴体だけ処分して、首はそのままほかしといたんだわ」
「え・・・気持ち悪くね?」
顔を引き攣らせる俺を祖母ちゃんは笑う。
「滅多に登ってこねぇ御社だから、目にもつかなかったんだろ。
そんでな、それから少したったら、今まで元気だった男が突然倒れてそのまま死んだ。
もちろん、あの敵兵の首を切った男だ。
このときは気にも留めなかったが、その年の作物がまったく育たなくなって、妙な病気が流行り出して、
あの首の呪いだと思い始めたんだ。
それでお祓いしたんだが、効き目はねぇ。
困り果てた村人はな、その木の幹に注連縄かけてお札貼り付けて、 首切られた男をその木に閉じ込めてやったんだわ」
「祓っても駄目だったのに?」
「何でか知らんけどよ、そうしたら災いがぴたっと止んだんだ。人間は怖ぇよ。
祓って駄目なら閉じ込めちまえってな。
そんでな、毎年交代で札を新しく貼ったり、注連縄が古くなったらかけ換えたりってな、
それでどうにかやってきたんだ。
でもな、段々段々、その習慣も薄くなってな、注連縄も札もそのままになった。
木は生長するからよ、注連縄の巻かれたとこだけ、ああやって括れてんだ」
「じゃあ、もう呪いは解けたって?」
「いや。たまーに変なことが起こるわ。
○○の家のせがれ、頭がおかしいだろ。昔は何でもなかったのによ」
「何であの家だけ・・・?(おいおい、うちはどうなんだよ)」
「あの家だけじゃねぇ。下の○×の家もだ」
そういえば、○×の家は奥さんと娘がおかしくなり、数年前に引っ越したのだった。
「それから●△(他にも三軒くらい。忘れてたがいずれも変な家)」
「他の家は?てか、うちは?」
「あとの家は、もともとここらに住んでた奴らじゃねぇ。
言ったことなかったな。
うちの家はもともと商家でな、それなりに歴史もあったが、続けらんねぇことになってな、
俺とお祖父さんが今の家に養子で貰われてきて、結婚して継いだんだわ」
今、俺の家はごく普通の一般家庭。
曽祖父の代で商家はすっぱりやめたようだが、今でも屋号が残ってて、
祖父母世代の人は、未だにその屋号でうちを呼ぶ。
屋号って、どの家にも当たり前にあるものだと思ってたから知らなかった。
「その家の血が絶えれば何も起こらねぇみたいでな」
「祖父ちゃんと祖母ちゃんてどこの人?」
(ニヤリと笑って)「ずぅーっと遠くだ」
なんで親戚が少ないのかわかったような・・・。
「義母から聞いた話だ。本当か知らねぇよ」
「今さらそんなw」
「まぁ、何にしても、うちは大丈夫だ。心配いらねぇ。けどわざわざ近付くなよ」
よく見ると大木の幹の二股部分には、人の頭部ほどの瘤があった。
あれの中身はまさか・・・とも思ったが、話自体の真偽も謎。
その家には悪いけど、実家がある地区にある家のうち、数軒が変なのは事実。
一風変わったお盆の行事
これは今から約15年前、南伊豆の小さな村で私が実際に体験した、怖いというより少し不思議な話です。
小学3年生の夏。私たち家族(父・母・私)は、お盆休みを伊豆のK村という場所で過ごすことになった。
かつては漁業と民宿業で栄えたこともあったようだが、今では過疎化も進み人口わずか百人足らずの小さな村である。
私の母はこの村の出身だが、幼い頃に東京に引っ越してしまったため、現在は遠い親戚が残っているだけだ。
それでも、田舎の村というのは親戚間のつながりが強く(村人のほとんどが親戚なのだが)、
着いた翌日には顔を合わせていない人はいないのではないかと思う程、
私たちが泊まっている民宿(これも親戚の家)を、たくさんの人が訪ねて来た。
子供の私にとって、見知らぬ大人たちに会うことは楽しいものではなかったが、
この民宿に同い年の女の子(Mちゃん)がいたので、退屈な思いをすることはなかった。
村に来て4日目の夜。
私たち家族は、この村のお盆の恒例行事に参加することになった。
お盆の行事と言えば、夏野菜で動物を作って飾ったり、玄関の前で火を炊いてご先祖様をお迎えしたりと、
地方によってさまざまな風習があると思うが、この村の行事は一風変わったものだった。
まず、フラフープぐらいの大きさがある数珠を、大人たち5,6人が横にして持ち、その中に子供が入る。
この年、数珠の中に入ったのは私とMちゃんだった。
そして、その状態のまま、お経とも歌ともつかない不思議な言葉を唱えながら、数珠を回しつつ村を練り歩くのだ。
村には都会の街のような街灯やネオンもなく、真っ暗な道を提灯の灯りを頼りに歩いていく。
正直、私は逃げ出したいほど怖かったのだが、
隣で平然と歩いているMちゃんがいる手前、そんな泣き言をこぼすわけにもいかず、
ただただ大人たちの不気味な声を聞きつつ、暗い夜道を歩き続けるしかなかった。
そんな調子でどれくらい歩いていただろう。
私はふと、周りにいる大人たちの数が異常に増えていることに気がついた。
さっきまで周りにいた人たちは、この数日間で顔見知りになった人ばかりだったが、今は見たことのない顔がたくさんある。
その人たちに何かうまく言葉では表現できない違和感を覚えつつも、人が増えたことは私を少し安心させてくれた。
そうして、約一時間は歩いただろうか。
最後に村のお寺でロウソクに火を灯して、ようやく私たちは解放された。
火をつけたロウソクは、提灯に入れて各人がそれぞれの家へ持ち帰る。
私たちも親戚と一緒に提灯を持って民宿に帰り、火を仏壇のロウソクへと移した。
その時である。
私は仏壇に置かれている遺影の中の人が、さっき私の周りを歩いていた人の中にいたことに気がついたのだ。
さすがに小学3年生といえども、遺影が亡くなった人のものであることは知っている。
私はもう泣き出さんばかりの勢いで母にそのことを伝えると、
母は「だって、そういうお祭りなのよ」と笑った後に、
「お母さんも子供の頃に、死んだおじいちゃんを見たのよ」と教えてくれた。
それ以降、お盆の時期にこの村へ行ったことはない。
いつかもう一度、あの不思議な行事に参加してみようと思っている。
大人になった今、亡くなった人の姿が見えるかどうかは分からないけれど
木の杭
俺はド田舎で兼業農家をやってるんだが、
農作業やってる時にふと気になったことがあって、それをウチの爺さんに訊ねてみたんだ。
農作業でビニールシートを固定したりすると時等に、
木の杭を使用することがあるんだが、ウチで使ってる
木の杭には、全てある一文字の漢字が彫りこんである。
今まで、特に気にしていなかったんだが、
近所の農家で使ってる杭を見てみたところそんな文字は書いてない。
ウチの杭と余所の杭を見分けるための目印かとも思ったのだが、
彫ってある漢字は、ウチの苗字と何の関係も
無い字だったので不思議に思い、ウチの爺さんにその理由を聞いてみた。
爺さんの父親(俺の曾爺さんにあたる)から聞いた話で、自分が直接体験したことではないから、
真偽の程はわからんがとの前置きをした後、爺さんはその理由を話してくれた。
大正時代の初め、爺さんが生まれる前、曾爺さんが若かりし頃の話。
事の発端は、曾爺さんの村に住む若者二人(A、B)が、薪を求めて山に入ったことから始まる。
二人は山に入り、お互いの姿が確認できる距離で薪集めに勤しんでいた。
正午に近くになり、Aが「そろそろメシにするか」ともう一人にと声をかけようとした時だった。
突然、Bが
「ああああアアアああアあアアァァァああぁぁぁアアアァァァァアあああああああああああああアアアア」
人間にかくも大きな叫び声が上げられるのかと思うほどの絶叫を上げた。
突然の出来事にAが呆然としている中、Bは肺の中空気を出し切るまで絶叫を続け、
その後、ガクリと地面に崩れ落ちた。
Aは慌ててBに駆け寄ると、Bは焦点の定まらない虚ろな目で虚空を見つめている。
体を揺すったり、頬を張ったりしてみても、全く正気を取り戻す様子がない。
そこでAは慌ててBを背負うようにして山を降りた。
その後、1日経っても、Bは正気に戻らなかった。
家族のものは山の物怪にでも憑かれたのだと思い、近所の寺に連れて行きお祓いを受けさせた。
しかし、Bが正気に戻ることはなかった。
そんな出来事があってから1週間ほど経った頃
昼下がりののどかな農村に、身の毛もよだつ絶叫が響き渡った。
「ああああアアアああアあアアァァァああぁぁぁアアアァァァァアあああああああああああああアアアア」
何事かと近くに居た村のものが向かってみると、
たった今まで畑仕事をしていた思しき壮年の男が虚空を見つめ放心状態で立ち竦んでいた。
駆けつけたものが肩を強くつかんで揺さぶっても全く反応がない。
先のBの時と同じだった。
その後、家族のものが医者に見せても、心身喪失状態であること以外はわからず、
近所の、寺や神社に行ってお祓いを受けさせても状況は変わらなかった。
迷信深い年寄り達は山の物の怪が里に下りてきたのだと震え上がった。
しばらくすると、曾爺さんの村だけでなく近隣の村々でも、
人外のものとも思える絶叫の後に心身喪失状態に陥る者が現れ始めた。
しかもそれは、起こる時間帯もマチマチで、被害にあう人物にも
共通するものが何も無く、まさしく無差別と言った様相だった。
曾爺さんが怪異に出くわしたのはそんな時だった。
その日、曾爺さんは弟と二人して田んぼ仕事に精を出していた。
夕方になり仕事を終えて帰ろうとした時、自分が耕していた場所に
木の杭が立てられているのが目に入った。
つい先程まではそんなものは全くなく
それは、忽然と眼前に現れたとしか言い様がなかった。
突如として現れた木の杭を不思議に思い、まじまじと見つめていた曾爺さんだったが、
「誰だ?こんなふざけた事をしたのは。」とわずかな怒りを覚え、
「こんな邪魔なものを他人んちの田んぼにブッ刺しやがって・・・」
そのうち「邪魔だ。邪魔だ。ジャマダ、ジャマダ、ジャマ、ジャマジャマジャマジャマジャマジャマジャマ」
杭を今すぐにでも引き抜きたい衝動で頭が埋め尽くされたようになり、
その衝動に任せて、力一杯その杭を引き抜こうとしたその時、弟に肩を掴まれ我に返ったという。
落ち着いて辺りを見渡してもると先程の杭は何処にも見当たらなかった。
弟に問い質してみたところ、弟はそんな木の杭は全く見ていないという。
一緒に帰ろうとしていた兄(曾爺さん)がふと何かに目を留めた素振りを見せ、
何も無い虚空を見つめていたかと思うと、何も無いところで、
何かを引き抜く時するような腰を屈めて力を溜める姿勢を
とったので、何をしているのかと肩を叩いたのだと言う。
その時、曾爺さんは、昨今村を騒がせている出来事を思い出し、
もし弟に止められることなく木の杭を抜いてしまっていれば、
自分も廃人同様になっていたに違いに無いという事に思い至り、肝を潰したのだそうだ。
そんなことがあってからしばらくして、
曾爺さんの住む村での犠牲者が10人を越えた頃、
村長と村役達によって村人が集められた。
村長は、昨今の出来事に触れ、それがこの村だけでなく
近隣の村でも起きており、現在、近隣の村々と協議し、
怪異への対策を進めている最中である事を村人達に伝えた。
解決するまでには今しばらく時間がかかるとのことで、
それまでの怪異に対する当面の対処として伝えられた
ことは「見慣れない木の杭を見かけても決してソレを引き抜かない。」ということだった。
曾爺さんの予想は当たっていた。
さらに村長は、「農作業で使用する杭には、自分達が打ち込んだものであることが明確にわかるように何らかの目印を彫り込むように」と続けた。
これは自分が打ち込んだ杭の中に、例の杭が紛れ込んでいた時に、
誤って引き抜いてしまう事への防御策だった。
一頻りの説明を聞いて、今の事態を引き起こしているのは何者なのかを問う者がいたが。
村長は、「人の怨霊、動物霊や物の怪といったものの類でではないこと以外は、良くわからない。
影響範囲が広範なことから、非常に力を持った何かだとしか言えないのだ。」と答えるのみだった。
仮に被害に遭ってしまった場合はなんとかなるのかと言う問いに対しては
「二度と元に戻すことは決して出来ない。そうなった者をお祓いをしてもらいに行った時に、とある神社の
神主に言われたのだ。『彼には祓うべきものは何も憑いていない』と」と村長は答えた。
神主が言うには、あれは狐に憑かれたりしたせいであのような状態になっているのではなく、
今の事態を引き起こしている何かの力の一端に触れたせいで、
心が壊れてしまった結果、この状態になっているのだそうだ。
つまり、何かの影響下にあって心身喪失状態に陥っているのではなく、
何かの影響を受けた結果が心身喪失状態であるため、
寺だろうが神社だろうが、どうすることもできないということらしい。
最後に村長は、
「杭さえ、引き抜かなければ何も恐れることは無い。」と締めくくり、
冷静に対処する事を村人たちに求め、解散となった。
村人達が去った後、曾爺さんは自分がその体験をしたこともあってか、村長のところに行って、
その何かについて、なおも食い下がって問い質すと
「幽霊や物の怪や人の祀る神様と人との間には、曖昧ながらもお約束というべきものがある。
相手の領域に無闇に立ち入らないことだったり、定期的に祈りを捧げたりとな。
彼らはそれを破ったものには祟りをなすが、約束事を守る限りは問題は無い。
しかし、今回の事態を引き起こしている何かに、それは当てはまらない。
聞いた話では その何かは、自らがが在るがままに、ただそこに在ると言うだけで、
人を正常でいられなくし、発狂させるほどの影響与えるのだそうだ。
わしもそこまでしか聞かされていない。呪ってやるだとか祟ってやるだとかそういう意図も持たないにも
かかわらず、存在そのものが人を狂わせる。そういうものに対しては、人は必要以上に知らない方が
いいのかも知れん。」と言い残し、村長は去って行ったそうだ。
それから暫くして、曾爺さんの住む村で神社の建立が始まった。
怪異による犠牲者は、近隣の村々を含めて出続けていたが、
その数は収束に向かっていき、神社が完成した頃には全く起きなくなったという。
今にして思えば、木の杭は、何かを封じた霊的な呪い(まじない)の類で、
それを引き抜いてしまったことで、何かの力の一部が解放され、
それに触れた人間が狂ってしまうということだったのかも知れん。
神社が立てられたことで、その何かは再び強固に封印され、
怪異が起きなくなったということなのだろうと曾爺さんは、爺さんに話してくれたそうだ。
そんな経緯で、ウチで使う木の杭には、
ウチのものである事を示す目印を今でも彫り込んでいるんだそうだ。
近所ではそんなのを見たことがないことを指摘してみたら、
「人ってのは喉もと過ぎるとなんとやらで、今ではあんまりやってる家を見かけないが、
この近所だと、どこそこのSさんとことか、Mさんとこは今でもやってるから見てくると良いぞ。」
と爺さん言われた。
見てきてみると、確かにSさんちとMさんちで使ってる木の杭には漢字一文字の彫りこみがあった。
「今でもやってる家ってのは、だいたいが犠牲者を出した家か、その親族の家だろうな」とは爺さんの談
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