『夢の中の友人』|洒落怖名作まとめ【長編】

『夢の中の友人』|洒落怖名作まとめ【長編】 長編
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夢の中の友人

 

自分が小6のとき,友人と一緒に帰宅する途中,いきなり名前を呼ばれた。
「ん?」って感じで振り返ったり,友達に「今俺のこと呼んだ?」みたいな感じで聞いても,何もない。気のせいだろうと思って,しばらく歩くとまた同じように名前を呼ばれた。

 

でもやっぱり何もない。自分を呼んだ声は,子供の声っぽい感じの声だったから,誰か別の友人が自分の名前を呼んで家の陰に隠れる,みたいな感じでちょっかいかけられてるのかなって思って,探してみてもだれもいない。そしてもう一回同じことがあった。
まぁ,大して気にすることもなかったのでその日は普通に帰ったし,その後のことがなかったらたぶん普通に忘れる程度の出来事だった。

 

その日の夜,夢を見た。
自分と同じくらいの年齢の知らない男の子が3人,女の子が1人。にやにやしながら自分を見下ろしてた。
にやにやといってもいわゆる悪意のある笑顔というのではなくて,子供がいたずらをするときのような、
まぁそれくらいの子供がよく見せるような無邪気な感じの笑顔だった。
その子たちはしばらくお互いで何かコソコソ話しをしたあと,いきなり自分に目隠しした。視界が閉ざされた自分は特に恐怖は感じなかったのだが,そのすぐ後,手のようで手でない何か,本当によくわからない変な感覚をした何か,が自分の体の中にじんわりと入ってくるのがわかった。

その変な感覚をした何かは,こう耳の周辺からずぶずぶと頭の中に,お腹のあたりからずぶずぶと腹の中に,足の裏からずぶずぶとじっくりと自分の中にはいってくる。
そして,そいつらが自分の中に浸透していく,とか,ゆっくりと自分の内部をかきまぜていく,といったような感じたこともない変な感覚におそわれた。

普通なら,怖いと感じたりパニックになったりするんだろうけど,特にそういうのはなかった。ただその一方,強く印象にのこったのは,その自分の中に入った何かに,「自分のことを全部見透かされた」「自分の考えを全部読まれる」というのがわかり,また同時にそいつらが

「自分に対して悪意なく好意をもっているような感じ」や「自分を興味深く値踏みされてる」,「自分もなんとなくだが相手の考えてることがわかりそう」

という感覚が自分にも現れたことだ。

 

いわゆる意識の共有みたいな感覚なんだろうが,自分からは相手の意識の全部がわかるわけではなかったし,相手も自分の全部の全部を見ている感覚はあるんだけど,
でも「全部」は共有されてないだろうなとかいう,なんとも矛盾した感覚で説明が難しい。たぶん意識の共有の一歩手前のような感じだろうけぢ,今思い返すとそんな感じだった。

自分のことを見透かされるというのは,普通は嫌悪感を感じるんだろうが,なんというか気恥ずかしさというか奇妙な安心感のようなものを強く感じ,とりわけトータルで見るとものすごい体験したこともないくらいの幸福感を感じていた。そしてパッと目が覚めるといつもの部屋だった。
その体験が夢だったとはっきりわかったけど,その夢がとってもリアルでしかもかなりの詳細まで覚えていたのが印象的だった。

 

結局その後,1週間に1~2回くらい,その子達はあらわれて,同じようにに自分の中に入って意識を共有しながら一緒に遊ぶようになった。
最終的には男の子5人,女の子が2人いて,1回の夢にでてくるのはその中の何人かだったけど。
その子達は外見的には特に特徴はなく,自分と同じような服着てたし,普通に友達のような会話をしていた気がする。
遊ぶといっても,アウトドアのテンプレのような遊びばかりで,だいたい自分のほうが損な役回りというか弄られるような立場だった。

例えばサッカーのボール回し遊びで,自分一人がボールを奪う役の時,ひたすらボールを回されて全然取れなくて涙目になる,とか,かるい取っ組み合い(喧嘩ではない)をしたらなんかうまいことひっくりかえされたりしてギブギブみたいな感じのようなもの。
時にはバカ男子が行うようなエロイこと,いわゆる裸解剖,も行われたりもした(意識の共有があったからかものすごい恥ずかしかった)。
(女の子だったらよかったのにと今思うのは変態かもしれんがw)

いちおうガキ大将とまではいかないまでも,田舎の山猿のような感じの活発さがとりえのバカガキだった自分は,やられることが多かったのはそれなりに悔しかったが,意識の共有からわかる相手からの悪意も感じられないし自分も別に嫌じゃあなかった。

 

もちろん時々は自分が木に登ってる男の子に松ぼっくりをなげつけたり,鬼ごっこで捕まえまくったりでいつもやられてばっかりではなかったため、バランスが取れてたからってのもあったからだろうが,とにかく楽しくて楽しくて,そして得もいわれぬ幸福感を感じるとても良い夢だった。

 

そんな中唯一怖かったのが,7人の子供たちが真っ二つに分かれて喧嘩(言い争い)をしたことだ。喧嘩の内容は自分をつれていくかどうか。
意識が共有されてるからか,その中身がはっきりわかってものすごい怖かった。連れて行くというのが自分を殺す(死なせる)というものであったのが大きな理由だが,そいつらの喧嘩から伝わってくる威圧感や本気度,普段は仲がいいやつらなのに真剣にそして殺伐と淡々と自分を殺すかどうかで喧嘩してる。

 

いつもにこやかに遊んでいたやつらの変貌振り。そいつらの生と死に関する認識の軽さ。そして悪意のなさ。そんなものが全部自分の中に流れ込んできて,しかも完全に自分は蚊帳の外で自分の運命が決まる。そんな状態になかば呆然としながら,ふつふつとした恐怖を感じてる自分を,意識が共有されてるそいつらはわかってるはずだろうけど,意に介す気配はなかった。喧嘩を続けるそいつらが,やはり自分とは違う超越した何かなんだと再認識してすごく複雑な心境になった。
結局喧嘩は,自分を連れて行かないことで決着したようで,その後もいつものように遊んでたし,自分もその時感じた複雑な心境など忘れて幸福な夢生活を送れた。

 

その夢は小6の冬,近所の神社に初詣した後あっさり区切りがついた。
初詣で何かをされたわけじゃあないが,初夢で夢の7人が全員でてきて笑顔で手を振ってバイバイみたいな感じで終わった。
相変わらず意識は共有されてたけど寂しさは特に感じずさわやかな感じの別れだった。

社会人となって生活場所も変わり,ごく普通の生活を送っている自分だが,最近になってまた時々その夢を見るようになった。まあ年に1回あれば多いほうだが。
夢の中では自分は当時と同じ姿にもどっており,やはり体の中に何かが入ってくる奇妙な感覚.共有された意識,リアルな記憶,そして今でも感じたことのないような幸福感は,時が止まり時が巻き戻ったかのように当時のまんまで再現されている。

 

まるで俺たちのことを忘れるなよ,とでも言われてる気がして,その夢を見たらできるだけ早めに実家に帰って,なんとなく初詣の神社にお参りをしている。そういえば一番最初に声をかけられた時も帰宅途中にあるその神社の近くだったような気もするがこっちは夢と違って記憶があやふや。

今思い返せば思春期の不安定な心理が作り出した妄想やら,ストレスや精神になんらかの変調があってでてきた夢やら,社会人としてのつらさから昔を懐かしむ懐古の念だったり,そういう可能性のほうが高いのかもしれない。これ以外にいわゆる霊感とか霊体験といったものもないから,特に人生観が変わったりしたこともないし人生への影響もないと思ってる。

でも,自分にとっては忘れられない大切な思い出。怖い思いもあったけど子供時代を一緒に過ごした大切な友人と今もつながりのあるようなほんのりと温かい気持ちにさせてくれる大切な思い出。

あいつらがなにものであるかは,はっきりいってわからないしそれを知ろうとも思わない。あいつらが神社の守り神であっても,俺が作り出した妄想であっても,例え悪霊や浮遊霊であっても,自分にとっては今でもかけがえのない存在であり,今後もずっと大切にしていきたい思い出であり夢の中の友人だと素直に思っている。

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