真夜中の宴会
先日、とあるこじんまりとした旅館に泊まった。
少し不便なところにあるので訪れる人も少なく、静かなのが気に入った。スタッフは気が利くし、庭も綺麗、部屋も清潔。文句なしの優良旅館だ。
山の中にあるため夜遊びする場所もなく、日付が変わるころには旅館の中は静まり返っていた。
早めに床に就いた俺は、夜中の2時過ぎ頃かな、なぜか目が覚めてしまったんだ。その後寝付けないので、静まり返った館内を探検してみようか、なんて思いついた。
部屋のドアを開けると、廊下は電気が消えていて真っ暗。
非常口を示す緑の明かりだけが、寒々しく廊下を照らしている。旅館にしては不自然だが、「省エネかな?大変だな」などと馬鹿なことを考えながら、俺は肝試し気分で探検をしていた。
突然目の前で人が動いた気がして、俺は目を凝らした。
窓から入ってくる月明かりの中、客室のドアの前で何かをしている旅館スタッフのおっさんがぼんやりと見えた。
カチャカチャという小さな金属音が聞こえたので、まさか盗みに入るつもりかと思い、
俺は隠れて様子をうかがっていた。
だが彼は、ドアを開けようとしていたのではなかった。ドアに南京錠をかけていたのだ。
俺はまずいものを見た気がして、物陰に身を潜めてじっとしていた。鍵をかけ終わったのか、おっさんがこちらに歩いてくる。
この先にあるのは俺の部屋だ。彼は俺を閉じ込めるつもりなんだ。体が強張った。何かわからんが危険だ、絶対に見つかってはいけない、そう思って必死で息を殺していたが、俺の横を通り過ぎた時、おっさんはあっさり俺を見つけてしまった。
おっさんはひどく狼狽しながら腕時計を見て、
「仕方ないな、一緒に来てください!!」と言って俺を無理やり立たせて、どこかに引っ張っていこうとした。
逃げようにも、すぐに何人ものスタッフが来て俺を取り囲み、その中の一人が持っていたバカでかい着火マンみたいのを向けながら、
「無事で居たければ、絶対に声を上げないでください!」
と言うので、俺はおとなしく彼らについて行くしかなかった。
連行されたのは宴会場だった。
電気の消えた暗い旅館の中で、そこだけは電気が全部付いていて明るかった。
旅館の人や地元住民っぽい大人がたくさんいて、さらにテーブルの上には郷土料理みたいのがたくさん並んでいて、いつでも宴会が始められるようにスタンバイしてあった。
適当な席に座らされると、40代くらいのおばさんが俺の前に来て、
「運が悪かったねえ、心落ち着けてれば大丈夫だから、頑張ろうねえ」などと、しきりに俺を元気づけて(?)くれた。
やがて強面のおじさんが俺の横に座り、強い口調で言った。
「宴会始まったらな、楽しく飲み食いするんだぞ。そりゃあもう楽しげにな。そのうち新しい客が来るけど、その人のことは気にするな。
気にしてしまいそうなら、その人のことは見るんじゃない。ただし、目をそらすなら、不自然にならないようにな。
決して楽しそうな雰囲気を壊すな。年に一度必ずお迎えしなくちゃいけない相手だからな、絶対に無礼を働くな」
やがて宴会が始まった。
おばちゃんたちが気を遣って料理よそってくれたり、ビール注いでくれたりしたが、俺は料理を箸でつつくのが精いっぱいだった。
みんな表面上は楽しそうにしているが、何かに脅えているのは明らかだった。
目なんか覚まさなければ、と自分を責めているうちに、突然部屋の温度が下がったように感じた。
暗い廊下の向こうから、ぴた、ぴたっという足音が、ゆっくりと近づいてくる。
旅館の人たちは気付かないふりでもしているのか、それまで以上に楽しそうに騒いだり、料理を食べたりしている。
下手に喋ると藪蛇な気がして、俺はおいしい料理に熱中してるふりをした。
やがて足音が変わった。
木の廊下から、畳張りの宴会場に上がってきたのだ。料理ばかり見つめている俺の視界の隅を、2本の脚が通り過ぎた気がした。
黒い…というよりも、『暗い』という表現が合う、おかしな存在感の脚。子供か女の脚のように細いが、ひどく重さを感じる脚。
それは横長なテーブルをぐるりと迂回し、俺の斜め向かいにやってきて、座布団に腰を下ろした。
皿の上の料理をつつきながら、悲鳴をあげそうになるのを一生懸命こらえてるうち、ふいに重苦しい冷たい空気が消えたので、俺は思わず顔を上げた。
周りには先ほどまでの作り笑顔をやめて、ほっとした表情の皆の顔。
「終わったよ」と隣の席にいたおばさんに言われ、俺の体から一気に力が抜けて行った。
その後、恐ろしい体験を共有した者同士の、本当の宴会が始まった。
さっきまで味が全然わからなかった料理をおいしく頂いて、酒を飲みかわして、その場にいた全ての人と妙な連帯感を共有した。
部屋にかけてた南京錠もすべて回収したようで、おそらく宿泊客の中に、閉じ込められていたことに気付いた人はいないだろう。
気がつくと夜も明けかかっていて、俺は部屋に戻って寝なおした。
目が覚めた時にはもう日は高く昇っていて、部屋の外はなんてことない普通の旅館に戻ってた。
予定時間よりも少し遅れてチェックアウトのしたが、
「あんたはもう仲間だよ、またいつでも来てね」と、旅館の人が総出で見送ってくれた。
みんな名残惜しそうにしてくれたし、俺もこの人たちと離れるのは悲しかった。
もう彼らは俺の友人になっていた。
あの出来事のせいで、すごく強い絆が生まれたのが分かるんだ。ただ、そうであっても、俺があの旅館に行くことはもう二度とないだろう。
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