山にまつわる怖い話【28】全5話
アイヌの昔話
ある村の外れに年老いた両親と暮らす娘がいた。
離れて暮らしている猟師である二人の兄達は、狩りをしてもあまり食べ物を分けてくれないので、娘と両親はいつもお腹を空かせていた。
ある日父親が娘に、隣の村に行って、宝物と引き替えに、食べ物を分けて貰って来てくれと頼んだ。
娘はそれを引き受け、父に道筋を教えてもらい身支度をした。
隣村は川の上流を登り山を越え、別の川を下った所にあると言う。
娘は山道を登っていると、神々しく美しい桂の木を見つけた。
その周りには小さな桂が何本も生えていて、まるで子供のように見えた。
娘は簡単な祭壇を作り、背丈の低い桂の木の1本を桂の木の娘に見立て
頭の部分に自分の鉢巻を半分に裂いたものを巻いて、桂の木の女神に道中の無事を願った。
村に着くと村おさの家の人達は娘を暖かく迎え入れ、沢山のご馳走を振る舞った。
翌朝、その家の息子達が干し肉や干し魚などの食料の束を縛ってくれて、荷物を持って家まで送ってくれる事になった。
娘の暮らす村が近くなると、なぜか昨日作った桂の祭壇を見られるのが嫌だと感じ、
「ここまで来たらもう一人で帰れます。」
と言って帰ってもらう事にした。
息子達もすんなりと帰ってしまった。
すると昨日祭壇を作った場所に一軒の家が建っているではないか。
近づいてみると中から黒い鉢巻をした美しい娘が迎えてくれ、
「昨日は本当にありがとうございました。私の欲しかったマタンプシ(鉢巻)をあなたは知っていたかの様に自分のを半分に裂いて私にくれました。」
家の主は娘は桂の木の女神の娘でした。
今までの事は女神の娘が見守ってくれたお蔭であったのだ。
女神の娘は、一生娘の守り神になってくれる事を約束し、
結婚相手にふさわしい若者を行かせるので結婚しなさい。親不幸な兄達には悪い憑き神がついているので、恨まずに、あなた一人で親孝行しなさい。等と告げた。
娘は家に帰ると事の経緯を両親に話し、丁重に桂の木を奉った。
やがて娘は狩りの腕の良い若者と結婚し沢山の子供もでき何不自由なく幸せに暮らしたとさ。
兄達はと言うと、狩りが下手になり、貧しい暮らしをしていると言う。
かくれ里
夕方、かくれんぼうをして遊んでいると、かくれ座頭というじいさんが出てきて、『かくれ里』という、誰にも入れない世界に連れていくという。
それがどこにあるか、誰にも分からなかった。
ある日、高尾山を歩いていた二人の男が、山の北側に一つの大きな穴があいているのを発見した。穴の深さはどのくらいあるのか分からなかった。
と、覗いていた一人の男が、誤ってこの穴の中に落ち込んでしまった。
一緒にいた友達がひどく心配して「さてさて、大変なことになってしまった。
たぶん命はなかろうが、もし生きていたら、さぞ食べ物に困るだろう。」と、食べ物を穴の中に投げ込んでやった。
穴に落ち込んだ男は無事であった。男は上から投げ落とされた食べ物を拾って、穴の中を先へ先へと歩いていった。
はじめは真っ暗だったが十日あまりも、根気よく歩き続けていると、急に辺りが明るくなった。見ると、一人のじいさんが寝ている。
その男は空腹だったので「何か、口に入れるものはないでしょうか。」と、尋ねてみた。
すると木の根のところを指さしながら「それを飲んだらよかろう。」と言った。
そこには竹筒があって、白い液が入っていた。それを飲むとたちまちからだや心がさわやかになって気力が満ちてきた。
気が付くと、周りには、さわやかに鳥が鳴き、いろいろな果物がなっていた。
「お前はここにとどまる気かね。」「いいえ、僕、家に帰りたいです。」というと、「それでは、ここから西へ行くと一つの井戸がある。
その井戸の中に飛び込んで見なさい。」と教えてくれた。
その男は西へ行き、見つけた井戸に飛び込んだ。井戸の底には一本の道が続いていた。
男は道ばたにあるものを食べながら歩き続けた。そして半年ぶりに高尾山の中腹に出た。
山を下り、町の中へ入った頃には、もう夕方だった。町の中では子供がかくれんぼうをしていた。
と、物陰に、あの穴の別天地で会った老人が隠れている。
そして、子供が、そこに隠れに来るのをじっと待っているようだった。
男は疲れていたのでそのまま家へ帰った。
次の日の朝、子供が一人いなくなったと町中が大騒ぎしていた。
男は、初めてあの老人が『かくれ座頭』だったということが分かった。
男は、町の人を連れて高尾山の穴を探してみたが、穴はどこにもなかった。
昔、山に『山じじい』(山爺)という妖怪がいた。
特に、四国の高知県に、そういう記録がたくさん残っている。
高知藩の山の役人として、春木次郎繁則という人が、土佐郡本川郷の山村に勤めていた。
この人が宝暦元年に書いた日記の中に、この山じじいのことが書かれている。
「山鬼という妖怪がいる。年七十ばかりの老人のようで人に似ていた。
目一つ足一つで、蓑のようなものを着ていた。
普通、本川の『山じじい』という。一説には、妖怪ではなく、けものの類であるという。
しかし『山じじい』を見た者は、そうたくさんいるわけではない。
ある大雪の日に、村はずれの道に足跡があった。杵で押したような丸い足跡だった。
これが、山じじいの足だろうといわれた。
また、村の老婆が、ばったり道で逢ってすれ違ったという。
びっくりしてあとを振り返ったが、もう山じじいの行方はわからなかったという。それはぴょんぴょん跳んで歩くからだろう。」
また『南路志績編稿草廿三』という書物に、
「ある人がいうには、この一眼の者、土佐山中に多い。その名を『山じじい』という。
形は人に似ていて、全身にねずみ色の短い毛があり、目ははなはだ大きく、しかも光っている。
歯はものすごく強く、サルの頭などをまるでダイコンをかじるように食べる。
オオカミは、この山じじいをものすごく怖れた。
猟師などは山小屋で寝るとき、山じじいに毛皮などをとられないように、家の周りに、動物の骨を置いて寝たという。」
と記されている。
広島県辺りにも、山村では朝起きてみると、雪の上に丸い足跡が二メートルおきにあるのを、昔は見たという。ただ、姿を見た者はあまりなかったらしく、「一つ足」と呼んだ。
足跡の大きさは人間の足の四倍ぐらいあったという。
和歌山県には、今でも熊野山中に『一本だたら』という妖怪が住んでいる。
その形を見た人はいないが、幅一尺(三〇センチ)ばかりの大きな足跡が、一足ずつ雪の上に記されているのを、今でも時々見る人があるという。
深山で、木を切る木こりの話だが、何日歩いても、山ばかりという深山の中にときどき人の家のような妙な空き家があるという。
わたしはそれが『山じじい』の家ではないかと思う。
御大
10年も前になると思うが、ある登山家が遭難死した。
一般的にはともかく、登山の世界ではそれなりに知られた男で、
ヒマラヤの、ある高峰を世界で初めて登頂したパーティーに
参加していた。
彼自身も山頂に立っていたと思う。
俺自身、面識はない。
顔見知りでも、知り合いでもない。
彼は、俺の友人が属していた高校山岳部の顧問をしており、
友人の自慢の種だった。
友人は、彼のことを「御大」と呼んでいた。
ヒマラヤの厳しさ、美しさ、神々しさ。
ヨーロッパの山々の、独特の色。
日本の山にはない、あれこれ。
同時に、日本の山々の、美しさ。
御大が語る山は、それがどんなにつまらない山であっても
魅力に溢れていた。
高校入学後に山を始めた彼にとって、御大は神だった。
その御大が、海外での登山中に死んだ。
御大の名前と顔写真が、テレビニュースの電波に乗った。
俺は数年ぶりに友人に電話した。
御大を慕い、御大と山に行ける喜びを語ってくれた友人。
その友人は、無関心だった。
冷淡でさえあった。
御大の死を知らないのかと思ったが、かつての山岳部の
仲間から連絡があり、テレビニュースも見ていた。
彼の言葉に、御大との日々を懐かしむ響きさえない。
それどころか
「俺、あの人の事を良く知らないんだ」
卒業後、顔を合わせた事もないらしい。
友人は「御大」という言葉さえ使わない。
「ただの顧問だからなあ」
「ま、ご冥福をって、それは思うけど」
通夜にも、葬儀にも友人は行かないと言った。
「虚礼廃止っていうだろ」
そう言って、電話の向こうで彼は笑った。
悲しかったが、間違いなく、古い友人だった。
数ヵ月後、その友人と電話で話していた。
俺が御大の死を知ってかけた電話を、彼は知らなかった。
俺と電話で話す事など、あり得ないと言い切られた。
その時期、仕事が忙しく、連日深夜まで働いていて、俺が
電話をかけたような、世間並みの時間に帰宅していた事など
無かったという。
その中、友人は御大の葬儀に出席し、部のOB会主催の
追悼山行にも参加していた。
「人生を教わった恩人だからね」
あの時の冷淡な電話の相手は、確かにその友人だったんだが。
午前2時15分
10年ちょっと前の5月の連休にひとりで大峰山系を歩いた。洞川から入って、山上ヶ岳、大普賢岳、弥山、釈迦ヶ岳と歩いて前鬼口に降りる3泊4日の一般的な工程だ。
その3日目。釈迦ヶ岳を越えて夕方にテント場の深仙の宿についた。
ここは名前と違って山小屋はなく、単なるテント場だ。すでに10張り程のテントがあった。
天気は良かったがかなり風が強かった。テントの設営後、夕飯を食べてさっさと寝た。
深夜に風の音で目が覚めた。相変わらずかなり強く吹いている。ふと人の声が聞こえることに気付いた。話し声ではなく、読経のような、祝詞のようなそんな声。
どうも男性のようだ。どこから聞こえてくるのかは分からない。地面に耳を付けるとよりはっきり聞こえたから、地面の下から響いていたような気がする。
時計を見るとちょうど午前2時。不思議な体験だったけど、べつに怖くはなかった。
何となく聞いていると声は突然途絶えた。そのとき時計を見ると2時15分だった。
その後眠って、翌日は予定通り下山した。
<解決編>
帰ってから、あの15分間の声が何だったのかをその後考えてみた。結論は以下の通りだ。
残念だけど、超常現象を持ち出さなくとも説明できそうなんだな。
大峰山系は修験場として有名だ。山中には修験者の祈りのポイントが幾つもあり、
そこには御幣やおふだが供えてある。深仙の宿の近くでも一カ所見かけた。
修行の奥駆けは昼夜を問わず行われるらしいから、そういう修験者の一人が深仙の宿の近くでその時間に祈りを捧げていたんじゃないかと思う。その声が大気の状態のせいで地中に響き、聞こえたのではないかと。つまり狸囃子現象だな。そう考えている。
まあ珍しい体験には違いないけど。
ちなみに翌日は抜けるような青空とひどい暑さ。
2日前には弥山の頂上では雪が降っていたことが信じられないほどでした。
錆びた鉈
豊根村の隣、津具村には木山ヶホツと云う祟り山がある。
昔、ある杣が一人で木山ヶホツに入り込んで仕事を始めた。
一本のカシオシメの樹を伐り出そうと鋸を使い、花祭りの歌楽を歌っているうちに、どうしたことか段々愉快に思えて鋸の動きに合わせ歌っていた。
更には樹の周りを回りながら舞ったりしていたが、終いには鉈を執って調子に乗りながら樹を伐りだした。
そのうち、ひと際強く打ち込んだ鉈が深く伐り込んで抜けなくなってしまった。
杣がそれを引き抜こうと悪戦苦闘していると、ふっと脇に目が行った。
そこには茶煮土という、山仕事をする者が石や木の又を置き並べてこさえた、湯を沸かす簡易な竃があった。
その茶煮土に掛けてあるヤカンが、火も入れていないのにグラグラと煮えたっていた。
それを見た途端、急に恐ろしくなり、鉈を打ち込んだまま後も見ずに逃げ出してしまった。
杣は二度と木山ヶホツに行かなかったが、噂を聞いた村の者が、5、60年も経った後で木山ヶホツに行くと、カシオシメの樹は枯れもせず成長し、錆びた鉈を幹に巻き込んだまま、そこにあったという。
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