山にまつわる怖い話【7】 全5話
山の化物
家庭の事情の為にF君は小学校四年のときに、母方の田舎にあずけられることになった。
ちょうど時期は夏休みで、F君は朝から晩まで野山を駆け回って遊んだ。
ある日、それまで来たことのなかった山まで足をのばしてみたF君の前に
おなじくらいの年齢の少年が現われた。
少年は泥で汚れたような格好をしていて、とても痩せていた。
人口流出が激しかった山間の村に来てから初めて
同じ世代の子供に会うことができたF君は、とても嬉しかった。
F君が笑いかけると少年はニヤリと笑い
「腹は減っていないか?」と、問いかけた。
F君は朝食を食べてきたばからだと答えた。
すると少年はまたニヤリと笑い、
「この山を越えた先に俺のうちがあるんだけれども来ないか?うまいものがたくさんある。」
と誘ってきた。
F君は少し迷ったが、なんとなく少年が不気味に思えてきたので断って帰ることにした。
道々、その少年が後をつけてきているようにも思えたが、無視してまっすぐ家に帰った。
次の日からその場所には行かないようにした。
夏休みが終わり、F君はその村の小学校に編入した。
その村の小学生は低学年の女の子二人と、六年生の男子が一人、
あとは新しく転校してきたF君だけだった。
あの少年は見当たらない。
F君は六年生の男子と仲良くなって、一緒に遊ぶようになった。
都会っ子のF君に彼はいろいろな遊びを教えてくれた。
遊んでいるうちに、あの不気味な少年と出会ったところの近くまで行ったことがあった。
そのときに、六年生はF君にこの山に住むという化け物のの話をしてくれた。
なんでもそいつは爪は鋭いが歯が弱く、人間の臓物を切り裂いて、その中身を啜って食べるのが大好きだそうだ。。
ただ、山の神になわばり以外で人を食べる禁じられているために自分の住処にまで人を騙して連れていこうとするらしい。
六年生はまぁ、俺は実際会ったことはないんだけれどね、といって笑った。
水筒を提げた猿
塾の先生から聞いた話です。
先生は大学生のときに登山同好会に入っていて、休みの期間は泊りがけで登りに行っていたそうです。
その出来事があったとき、先生と仲間達は三泊四日の予定で登山をしていて、おいしい空気とすばらしい眺めを味わいながら早秋の登山を楽しんでいました。
途中で一番の古参のメンバー(何浪かしたうえに留年している、ものすごく年上の先輩)が
「雉打ち(トイレのことですね)に行ってくる」と言い残してすこしはなれた藪の中に入っていきました。
ほかのみんなは疲れたこともあって、「じゃ、ここで少し休もうか」ということになり休憩をすることになりました。
おしゃべりをしたりしていたのですが、そのうち先輩が消えたのとは違う方向の藪ががさがさといいはじめたので、先輩が返ってきたのにしては変だな?と思っていたらそこに現われたのは一匹の大きなサルでした。
そのサルはニホンザルにしては少し色が黒く、手も長めで首から黒いシミが点々とついた水筒を下げていたそうです。
何よりも不気味だったのは、(後から思ったことだそうなのですが)
そのサルが数人の人間におびえることも無く
「さて、誰からにしようかな」とでもいいたげにメンバーのそれぞれをちらちらと見比べていたところだったそうです。
先生達が驚いて何もできないでいると、そこにトイレに行った先輩が戻ってきました。
するとサルはいきなり身をひるがえして、どこかへ行ってしまったそうです。
そのサルは何だったんでしょうか?
どうして先輩が戻ってきたら逃げてしまったのでしょうか?
そのことについてみんなで話し合った結果、
「それは先輩が戌年だったからではないか?」
(ほかは全員違う干支)
という結論に落ち着いたそうです。
鬼が来た
親父が教えてくれた話を一つ。(子供の頃の思い出ね)
新潟の十日町の近くにある故郷で、ある冬の日のこと。朝一番に表にでたら雪の上に奇妙な足跡が残っていた。人の足跡みたいなのだが、右足と左足の大きさがひどく違っていたとか。雪なのに深靴もかんじきも履いておらず裸足ってことも変。
何よりも雪の上に残っていたのが不思議だったらしい。親父はその足跡に近付く為、腰まである雪を掻き分けたそうだ。足跡は山の方からずっと続いて、家の向こう側にある線路のとこで途切れていた。
親父はそれを婆ちゃんに報告したら「鬼が来たなぁ。これからしばらくは夜、絶対に外に出てはダメだぞ」ときつく言われたそうな。親父はしばらくどころかその冬中、怖くて外なんか覗けなかったらしい。
足の大きさが違う「鬼」。文献とかでもあまり聞かないけど、こんな話もあるってことで。
赤い手袋
ちっとも怖くない上に長くて申し訳ないですが、ある島に単独行した時のことです。
時期は2月下旬、私はメインの縦走路を2日目の途中から外れる2泊3日コースを計画。
2日目の深雪ラッセルに苦労し疲労が溜まり、予定よりかなりスローペースながらも最終日、冬の間殆ど人が入らないと言う登山道を何とか辿っておりました。
この島は雨が多く森が深く、ハイキング気分で山に入って遭難する人も多い島。
実際に、最終日の道はメインコースでは確かだった赤いリボンも樹の成長や激しい気候によってかかなりの数が切れ落ちてしまっており、幾度となく、落ちて流されたリボンをそうと判らず辿ってしまい行き詰っては地形図を確かめ登り返し、ということを繰り返していました。
何度目かの間違いで沢まで下りてしまった時、溜りで透明の大きなゴミ袋を見つけました。
真ん中に30cm程の切れ目があり、誰かが雨よけに被ったのを捨てていったのかと思い裂け目を結び止め目に付いたごみを拾いつつ、袋を引きずりとぼとぼと足を進めました。
体重の70%ものザックを背負い歩いたのはその時が初めてで、正直言って体力は限界。
惰性でそれまでで一番大きな倒木を乗り越えた時、横の潅木にゴミ袋が引っかかりました。
ああ、もう、と呟きながら絡まりを解こうと横を見た先に、何か赤いものが見えたのです。
手袋でした。
片方だけのその手袋は割と綺麗で、まさか中身は入ってなさそうだし、と恐る恐るながら取り上げました。冬山用のしっかりしたものでした。
その辺りは昨日今日やっと雪が溶けたくらいでしたからこんなもの失くして大変だったんじゃないかな、
そう思いつつゴミ袋の端にくくりつけてまた歩き出しました。
何となく届けようという気がありました。手袋ひとつで警察まで行くのは大仰な気もするけど登山道の最後はハイキングコースに重なっていて夕方早い時間なら管理詰所に人もいる、そこの人に預けよう。そう思って時計を見ると14時。
地図上のコースタイムではそこまで2時間半。管理の人は16時頃には帰りそう・・・。
それからは嘘のように足が動きました。もう道を間違えることもありませんでした。
ハイキングコースに入ってからは走るように進み、コースタイム1時間の所を30分で抜け登山口の詰所に着いたのは15時50分。でも残念ながらもう詰所は閉まった後・・・
しかし私は全く躊躇せずザックからノートを取り出し、手袋を拾ったこと、拾った場所と日時、自分の携帯電話番号を書き、手袋と一緒に詰所のドアノブにビニールテープでぶら下げました。
まるで手慣れた仕事をするように考え込むこともなくその作業を済ませ山を降りましたがその日は疲れきっていて下山後入った温泉から3時間も立ち上がれませんでした。
数日後、島の他の山から降りてくると携帯の留守電に警察からのメッセージがありました。
指定された番号にかけてみると、赤い手袋のことでした。
山に入ったまま行方不明になっている方の所持品と同じだったらしく拾得場所を詳しく聞かれました。
観光案内所などに貼ってあったチラシの尋ね人のことだな、とぼんやりと思い、電話の後立ち寄ったスーパーマーケットにもあったそのチラシの写真を何気なく見てみると単なる偶然でしょうがその写真でその人はゴミ袋を合羽代わりにしていました。
その人が見つかったのかどうか、その後のことは存じ上げません。
小さな山
山といっても、住宅地の中にポツンとあるような、
小さな山でのことです。
そんな山も、とうとう宅地造成されてしまうことになりました。
工事用道路ができ、木々が伐採され、その山の神様を祀った
小さな祠を動かした途端、
地滑りが起きたそうです。
お山の規模にしては、大きな地滑りでした。
ふもとの民家のギリギリ手前で土砂が止まっていたのには、
妙に感心したものです。(その代わり、庭に池ができていた。
危うく褒めるところだった。)
結局、斜面には対策工事が施され、山は切ったり盛ったりされて
住宅地にされてしまったのですが、かろうじて残った自然斜面には、
おやまァ、と思うくらい立派な祠に移られた山神様が、
今も鎮座されています。
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