しかし、呪いには必ず呪い返しが付き物です。
仕掛けられた「かんひも」に気がつくと、
掘り返して、こちらの村に仕掛け返したそうです。
それを防ぐために生まれたのが道祖神「阿苦」です。
かんひもを作った村人は、埋められた「かんひも」に気づくと、その上に「阿苦」を置いて封じました。
「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており、
石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより、
村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのではないでしょうか。
そして、その隣村への道が、ちょうど裏山から続いていたそうです。
時の流れの中で、「かんひも」は穢れを失って、風化していったようですが、
例の「かんひも」はまだ効力の残っていたものなのでしょうか?
僕の調べた範囲で分かったのはこのくらいです。
また、詳しい方などいましたら、ご教授願います。
最後に。
婆ちゃんに、気になっていたものの聞けなかったKのその後を聞きました。
Kは、あれから地元の大きな病院に連れて行かれました。
坊様の力か、そのころにはすでに髪は1本も残ってなく、
刃物の切り口と、中身がスカスカの腕の皮だけになっていたそうです。
なんとか一命は取り留めたものの、Kは一生寝たきりとなってしまっていました。
医者の話では、
脳に細かい、「髪の細さほどの無数の穴」が開いていたと・・・。
みなさんも、「かんひも」を見つけても、
決して腕にはめたりなさいませんよう。
長距離ドライブ及び、徹夜の調べ物でふらふらの上での書き込みなので、
誤字脱字、読みにくい箇所はお許しください。
とりあえず、分かったことをお知らせしたかったもので・・・。
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