『後女』など 全5話|洒落にならない怖い話【短編・オカルト】

『後女』など 全5話|洒落にならない怖い話【短編・オカルト】 厳選

 

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後女

中1の夏でした。私の祖母の一番上の兄、泰造さんが亡くなりました。

といっても、私は泰造さんとは殆ど面識がなかったのですが夏休みということもあり、両親と共にお葬式に出掛ける事になり、私はそのとき初めて泰造さんの屋敷を訪れたのでした。

そこは某県の山奥、大自然に囲まれた、まさしく田舎といった場所で、屋敷と呼ぶにふさわしい、古いながらもとても大きな家構えでした。

敷地内には鶏小屋があり、たくさんの鶏が飼育されていました。

泰造さんの娘にあたるおばさんが、売りには出せない小さな卵を私や親戚の子供達にくれたので、大人達が集まるまでの時間、私は子供達と一緒にその卵を使って、おままごとなどをして過ごしました。

そのうちお葬式が始まり、私は足の痺れと眠気と闘いながらあまり面識のない泰造さんの遺影を見つめていました。

そしてお葬式も滞りなく終わり、両親や親戚のおじさんおばさん達はビールや寿司を囲みながら、泰造さんの思い出話や子供たちの話、世間話などで盛り上がり、私もおじさん達にビールを注いだりと愛想をふりまきながら、やがて田舎の涼しく心地よい風を感じる夕暮れ時となっていました。

ふと尿意を感じた私は席を立ち、ひとり便所へと向かいました。

かなりの田舎ということもあり、便所は少し変わったつくりをしていました。扉を開くと裸電球の下、まず男用の小便器があり、そこにまた扉があります。

それを開くといわゆる、ぼっとん便所が奥にあるのです。ですが、電気は始めの個室の裸電球しかなく、私はふたつめの扉をあけたまま、薄暗いぼっとん便所で用を足すことになりました。

田舎の夏の夕暮れの独特な雰囲気と、慣れない木造の便所で少し気味が悪かったのですが、鼻歌を歌い、気を紛らわしながら用を足し、服を整えて振り返りました。

それはいました。

ひとつめの個室の裸電球の下、白い服を着て、真っ黒な長い髪を無造作に束ねた女のうしろ姿。

私は恐怖で体が痺れたようになり、厭な汗が体中から噴き出しているのを感じました。

どれぐらいの時間でしょう。長いような短いような。女の頭から目を離せずにいた私の耳に

「コォォーーーーー……」

という、かすれた音のような声のようなものが聞こえてきました。それと同時に私は少しずつ視線を下へとおとしていきました。

私の目に飛び込んできたものは、異様に爪の長いおんなの手の甲…そして足の…指…?

こっちを向いてる……!!

うしろ姿だとおもっていた女は、まぎれもなく正面を向いていました。髪をすべて前へ下ろし、あごのあたりでひとつに束ねていたのです。

女の顔は全く見えない…見えないけれど見える…見えない…。

「ひぃぃ…ひぃぃ…」私はガタガタ震えながら、泣いていました。

そして女はゆっくりと両手をあげ、髪を束ねている紐に手をかけようとしました…。そのとき「ガタッ」と扉の開く音と同時に、父の姿が見えました。

グルッ

女が扉のほうへ振り返り、そこで私は気を失いました。

目を覚ますと、私は布団に寝かされていました。両親が心配そうに私の顔を覗き込んでいました。

「変な女がおったんよ!!怖かった…怖かった…。」

また泣きそうになる私を見て、二人はうんうんと頷いていました。

父はあの女の姿を見てはいないようでした。

少し落ち着きを取り戻した私に、おばさんが一冊の古びた冊子を持ってきました。それは亡くなった泰造さんの覚え書きのようなものでした。

そのうちの黄ばんだ1ページに墨で描かれていた絵は、私が便所で見た女そのものでした。

「うちのお父さんな、こんなおそろしいもん、よう見とったみたいなんよ。この覚え書きはお父さんが死んでしもてから見つけたんやけど、なんやいつもえらい怯えとったんやわ。それやのに全然気付いてあげれんかった…。」

そう言っておばさんは涙ぐんでいました。

その覚え書きを見せてもらうと、泰造さんはあの女のことを後女(うしろ女?)と呼んでいたようでした。

鶏の飼育についてや森での狩りなどの覚え書きの合間合間に、後女について記してありました。

今となってはあまり覚えていませんが、最後のページにはこう書いてあったと思います。

「後女の真の面、真の背、目にしたとき我は死すか」

私は後女が振り返ったあのとき、女の後頭部を見たような気もするし、見なかったような気もします。

 

拉致監禁

私は誘拐(拉致監禁?)されたことがあります。10年近い昔。その時のことです。

私を拉致ったのは同じマンションに住む女の人で、私は風呂場に閉じこめられました。

縛られたりはしなかったのですが、「逃げたら殺す」と脅され、ドアの外にも何か積まれているようで、逃げることができませんでした。

危害を加えられるわけでもなく、閉じこめられただけだっとのと、同じマンション内だということで、すぐに助かるのではないかと、望みを持ってはいました。

だからといって眠れるはずもなく、時間の感覚も分からなくなって、風呂場にいることが現実かどうかもよく分からなくなってきた私は、バスダブの中に座って、ぼうっとしていました。

そんな時に、当時つきあっていた彼氏が、突然風呂場に現れました。

彼は「大丈夫か?」とバスダブの中の私に声をかけ、私は訳が分からず、「なんでここにいるんですか」とききました。自分の頭がおかしくなったのかと思ったので。

彼は「たぶんこれ夢だと思うんだよ。俺はいま夢見てるんだ」と言います。「ここは○○(私)の家の風呂場だし」と。

当時住んでいたマンションの作りは変わっていて、風呂場とトイレが別々になっているのに、風呂場はユニットバスです。

私は「ここは同じマンションの別の部屋で、変な女の人に閉じこめられているんです」と答えました。

何号室か訊かれましたが、大体の階しかわかりません。彼は、私がいなくなってから2日目になることを教えてくれた後、「絶対に助かるから頑張れ」と言ってくれました。

そして、風呂場の扉を開けて普通に出ていったので、やっぱり幻覚を見たのだと思いました。

その後、私は救出されました。私が閉じこめられてから3日目でした。病院に警察がきて事情聴取されたのですが、一通りの話をした最後、いきなり彼氏の話をきかれました。

彼が警察の人に、「同じマンションの人に閉じこめられている夢を見た」と言ったのだそうです。

普通はそんなことを真に受けたりしないそうですが、彼が部屋の番号まで詳しく話すので、聞き込み調査の際にちょっと気にかけていたら不審なところがあり、発見に至ったのだそうです。

私は自分が見た幻覚のことを思い出しましたが、私は部屋の番号を知らなかったので不思議に思い、後日、お見舞いに来た彼にききました。

彼は大学で倒れたときに、(階段から落ちたそうです。私のこともあり寝不足と注意不足だったとか)その夢を見たそうです。

風呂場で私とした会話もそのままでした。ただ、夢の中で風呂場から出た後、玄関のドアから出て部屋番号を確認したところで目が覚めた、と言っていました。

彼は「階段から落ちたときに死にかけて、幽体離脱でもしたのかな」と笑っていましたが、この不思議な体験で、事件自体はトラウマにならずにすんだと思っています。

結婚前に彼が亡くなってしまった事のほうが、よっぽど引きずっているのですが。

もうすぐ彼の3回忌なので、思い出して書いてみました。

おばの話

私の母方のおばさん(母の姉)と祖母が、都内の有名ホテルに2週間前から予約を入れて、当日、チェックインしようとしたら、受付で「予約が入っていない」と言われびっくりした。

しかし今更ホテルを探せる時間でもなく、祖母は体調が悪く早く横になりたいようだったので、おばが「どんな部屋でも良いのでお願いします」と頼んでみた。

しかし受付の山岡さん(仮名)は、

「申し訳ありません本日は空いてるお部屋はごさいません」
おばは頭に来て

「予約して確認まで取ったのに、そっちの都合まで知りません。何とかしてくれないと困ります。祖母は具合が悪いんです」

と怒って食い下がった所、やっとごそごそ調べて、「では1245号室にキャンセルされているので、そちらにご案内させていただきます。よろしいでしょうか?」
と言われ、部屋のカギを渡されました。

おばは祖母が心配で、1日ぐらいどんな部屋でも構わないと思い、早速、祖母を連れてエレベーターで上がって1245室に入りました。感じの悪い受付のひとだなぁと思いながらも、時間も遅かったので我慢したそうです。

祖母は横になっても具合が良くならず、苦しそうだったので、おばは受付に電話して医者を呼んでもらいました。

診察してもらうと、葉山医師(仮名)は「ウイルス性の風邪でしょう」と言って、既製のもので良い薬を何個か進めてくれたので、おばはまだ開いてる薬局にタクシーで往復しました。

降りる際にたまたま運転手が小銭が無く、おばは急いでホテルの受付で両替しました。しかし急いでたせいで、せっかく買ったお薬を受付のカウンターに置きっぱなしにしたまま、タクシーにお金を払いに行ってしまいました。

戻ってみると受付には薬の入った袋が見当たらず、山岡さんに聞くと、「いいえ、何もお忘れになっておりません」 と言われました。

おばはカッとなって、「両替した時に置いて行ったじゃない」と言うと、困った顔をされ、「どちらにお泊りですか?」と逆に聞かれ、「何言ってるんですか?さっき、1245室のカギをくれたじゃないですか!」と言い返しました。

すると山岡さんはハッ?という顔をし、
「あのぉ~、どちらか別のホテルとお間違えではありませんか?ただいま1245室は空室になっておりますが…」と言われました。

おばは何がなんだかわからなくなり、「そんなことは無い」と説明すればするほど興奮して、山岡さんはキチガイを見る様におばを見ていました。

ちょうどその時、エレベーターから葉山医師が出てきて、おばは泣きながら「先生、さっき祖母を診断してお薬を進めてくださいましたよね?!」必死にすがると、医師までも困った顔をして、

「申し訳ありませんが、よくわからないんですが。きっと誰かと勘違いなさってますよ。すみません」とそそくさ行ってしまった。

おばは混乱しながらエレベーターに向かうと、山岡さんが追いかけてきて、「お客様、どちらにおいでですか」とおばを止めようとしました。

おばは「部屋に行って祖母の様子を見るんです!」と怒鳴ると、「では私もご一緒いたします」と、山岡さんと一緒に1245室に行きました。

するとおばはカギが無い事に気がつき、山岡さんがマスターキイで部屋を空けると、そこは荷物も何も無く、もちろん寝てるはずの祖母もいなかった。おばは半狂乱になり、病院へ運ばれました。

母は次の日、病院に駆けつけ、話の一部始終を聞きました。

その話を信じられませんでしたが、祖母は忽然と消えてしまった事実だけが残りました。

おばはまだ入院しています。

祖母は未だ(11年間)に行方不明で、捜索しています。生きているかさえ不明です。警察は、おばの言うことを信じてくれませんでした。この話は自分でも未だに信じられないんですが、親戚一同が信じている事実です。

でも未だに訳がわからず、悲しいやら腹が立つやら。何度も嘘だと思ったし、おばにも会いましたが、結局同じ話の繰り返し…。

新聞にも載らず、事件にもならず、ホテル側も知らん顔で、祖母は帰ってきません。

母はこの話を、最近になってやっと教えてくれました。できれば知りたくなかった。友達も同情してくれても信じてくれません。考えれば考えるほど、私まで頭がおかしくなりそうです。

 

同窓会の案内

僕が今年の夏に経験した話です。

今年の夏、田舎に帰るかどしようか迷っていた頃、ヨッシーから電話がありました。

『何年も戻ってないけど、どうしてるんだ?今年の同窓会には参加しないのか?今年は盛大にやるから、先生たちも同級生も、ほとんどみんな出てくるんだ。幹事のミエも、お前に連絡がつかないとぼやいていたぞ。電話してやってくれ』

そんな内容だった。
ミエの電話番号を聞いて、彼女に連絡して、今年の同窓会に出席することにした。

同窓会に出席すると、同級生や先生達の懐かしい顔があった。

25年目ぶりなので、ほとんど顔と名前が一致しなくてみんなに怒られたり、あきれられたり、「相変わらず失礼なやつだなぁ」と、仲の良かった先生にも笑われた。

しかし、その中にヨッシーはいなかった。

幹事にそのことを聞くと、「ヨッシーって誰?」と聞き返された。

確かにそのあだ名と顔は思いされるのだが、名前は、苗字も下の名前も思い出せなかった。他の誰に聞いてもわからなかった。

そして、僕に電話をかけた人間は誰もいなかった。

幹事のミエもそういえば、他のみんなにはハガキで出席の確認を取っていたので、自宅の電話番号しか教えていないのに、あなただけ携帯に直接かけてきたのはビックリした。と言っていた。

その場の空気が悪くなりそうだったので、それ以上話を広げなかったが、誰も嘘を言っている感じではなかった。

2次会で、またそのことが話題になった。

誰もヨッシーを思い出せなかったし、後輩や両親、兄貴にまで電話をかけてみたけど、誰も知らなかった。

僕に同窓会を教えてくれた友人は、誰もいなかった。ただ、母親がヨッシーらしき友人を覚えていた。

前に一度、汚れた古本を誕生日のプレゼントだと言って、持って帰ってきたことがあった。

あんまり熱心に読んでいるので、捨てろとは言い出せなかったが、プレゼントにゴミ箱から拾ってきたようなものを渡すとは、へんな友達だなぁと思ったので良く覚えている、との話だった。

タニグチが、リダイヤルか何か残ってないか?と聞いてきた。

携帯の着信は10件保存されるので、あまり使っていない僕の携帯には、彼の電話番号が残っていても可笑しくはない。

調べてみると、確かにそれらしい番号があった。リダイヤルを押すと突然、扉の向こうで携帯の着信音らしきものが鳴り出した。

すぐに友人の何人かが扉を開けたが、誰もいなかった。その瞬間、僕の携帯の電池が切れてしまった。(それ以来壊れてしまった)

みんな怖くなって、2次会は早々に切り上げることになった。

そして先日、ヨッシーからのメールが届いた。

『そのうち、そっちに遊びに行くから、その時は泊めてくれよな。』と書かれてあった。

返事はまだ書いていない。

監視小屋

私の通っていた高校は築120年という気合の入りようでした。改築が繰り返された校舎は、素人目に見ても奇妙としか言いようの無い形に湾曲しています。

今では珍しくなった平屋であるにも関わらず階段があり、廊下のどん詰まりの壁際際から天井に向かって伸びています。

そのほかにも玄関を入ってすぐにある音楽室や、ドアが埋め込まれて立ち入れなくなった教室。

(外から見るとベニヤ板で物々しく目張りされています)その中でも奇妙極まりないのは「監視小屋」なるものがあるということです。

私は遠方から通っていた為、時々地元の友人の家や先生の社宅に宿泊させてもらうことがあったんですが、たまたま泊めてもらえるあてがなかったその日、「監視小屋」に泊まることにしました。

監視小屋は一見、ただの民家のようです。 八畳一部屋で古い型の電話、小さな台所があります。そしてここがなぜ「監視小屋」と呼ばれているのか、私はその晩、身をもって知るに至ったのです。

小屋には私のほかにもう独りの友人が一緒に泊まることになっていて、私たちは修学旅行ののりではしゃぎながら布団を敷いたりしていました。夕食を取りながら談笑しているとき、突然電話が鳴りました。

何事かとびくつきながらも電話に出ると用務員のおじさんで、女子生徒二人と言うこともあって心配してくれているようでした。

はしゃぎ過ぎないように色々と注意を促され、電話を切ろうとすると「あぁ、忘れていたけど・・・西側の窓のカーテンは必ず閉めて寝なさい」とのこと。

そのときは「はぁい」と生返事で電話を切ったのですが、よくよく考えると意味がよくわかりません。学校の裏手にあたる墓地はその方向ではないのに、おかしいねと話しながら友人は何の気なしにそのカーテンを開けました。

そこには麻縄で禍々しく祭られた、古びた井戸がありました。丁度コの字型になった校舎と小屋に阻まれていて、今まで目にする機会の無かったものだったのに一瞬ゾクリと悪寒が走りました。

「なんか気持ち悪いね」などと言いながら、私たちは一つの布団にくっつくようにして晩は眠りについたのです。

どれくらい眠ったのか・・・私は肩口の寒さに身体を震わせて目を覚ましました。ふと見ると友人の姿がありません。小屋にはトイレがなかったので、教員寮の方に借りに行ったのかと思い、しばらく待ってみましたが戻ってきません。

ドアを開けて外の様子を伺ってみましたが、校舎のほうからも教員寮からも戻ってくる気配はありません。 「何処行ったんだろう・・」と不安に駆られながら部屋に戻った私は、本当に何気ない気持ちで先の窓のカーテンを開けてみました。

下着姿の友人は、井戸の側にいました。 そして腰の辺りに手をやってゴソゴソしています。

「なぁんだ、裏で用を足すつもりなのか」と呆れながらカーテンを閉めかけた私は、ふと奇妙な感覚に囚われてもう一度井戸の方に目を向けて声を上げそうになりました。

ゴソゴソしていたと思っていたのは、腰に縄を巻きつけていたのだと気づきました。そして今はしゃがみこんで縄の先に大きな石を括りつけています。

私は声も出ませんでした。すると今度は井戸からぬるりと白い手が伸びてきたのです。手は何かを探るように蠢いて、やがて近くの麻縄を掴みました。

友人は深く頭を垂れて項垂れ、最早何の反応も示しません。縄を掴んだ手はずるりずるりと石を手繰り寄せていきます。私は夢中で叫んだつもりでしたが、声が出ませんでした。

「あぁ・・Aちゃんが連れていかれる・・っ!!」そう思ったとき、闇を劈いてけたたましく電話のベルが鳴りました。

私はその音と同時に、敷いてあった布団に尻餅をつきました。そのとたんに金縛りのようだった身体がふと軽くなるのを感じ、気がつくと裸足で外へ飛び出して井戸の側の友人のところへ駆け寄りました。

放心状態の彼女を何とか小屋まで運び込み、どれくらい呼びかけていたでしょう。 しばらくすると友人は我に返り、泣き出しました。恐怖から解き放たれた私も一緒になって泣き出しながら、とりあえず誰かに助けを求めようと電話を引っ掴みました。

そのとたん私はしがみついていた友人共々、又しても布団に尻餅をついたんです。受話器ごと掴んだ電話機はガワだけで、電話線が繋がるどころか中の機械部分が空っぽだったのです。

後から聞いた話によると開校当時、なぜかこの井戸に身を投げて自殺を図る生徒が後を絶たなかったため、埋め立てようと試みたのですが関係者が相次いで亡くなるなどの不幸が続き、結局は埋め立てを断念。

改築を重ねて井戸が人目につかないようにしたそうです。それでも何処からとも無く身投げをする人が現れるので、それを監視する為に人を置く「監視小屋」が設置されたのですが、小屋に在駐していた監視役の男性も井戸に身投げを図り、小屋と井戸がそのまま放置される結果になったのだということです。

「カーテンを開けるな」と忠告した電話は、いったいどうやってかかってきたのでしょう?そして彼は、果たしてその監視役の男性その人だったのでしょうか。

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