短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【57】
同居を解消したら
若くして結婚しすぐに息子が産まれた。
結婚当初から子供が生まれたら同居する話も出ていたし、義両親は私や子供を可愛がってくれていたので旦那実家での同居生活がスタート。
しかし、いざ同居してみると自分の居場所が全然なかった。
毎日毎日子供を連れて遊びに来る義妹。
休み前には「いい子にしててね~」と子供を置いて帰って行く。
日々の買物も旅行も全て義妹と一緒(義妹にはちゃんと旦那がいる)
そのうち義妹の顔を見ると胃が痛くなってくるようになった。
義母が「今はこうして娘と一緒にいるけど、将来は息子の世話になるのよね~」なんて話をしているのを聞いて一体私は何の為にここにいるのかわからなくなり、また他にも色々問題が出て来たため、旦那に同居を解消したいと頼み込んだ。
同居解消するまでは色々あったが新居を探し強行突破で家を出て、これで家族水入らずの生活が出来ると喜んだのも束の間、今度は旦那が思ってもみない事を口にした。
「俺はお前の言う通り、親を捨ててここに来た。今度は俺の番。俺のやりたい事をやらせてもらう」
そう宣言した通り、借金して高級車を乗り回し夜な夜な遊び回るようになった。
生活費はローンに追われ、みるみる少なくなった。
子供の病院代も捻出できなくなる程の極貧生活。
何度訴えても「生活出来なければ、また実家で同居すればいい」の一点張り。
本当にクズな男だったが、私自身貯蓄もないため、ただただ我慢するしかなかった。
当然子供の面倒も見ず、会話もなくなり、そのうち給料は家賃分しか渡されなくなっていた。
そんな生活が何年も続いていた時、今度は会社の部署の移動に納得出来なかった旦那が仕事に行かなくなった。
会社は診断書があれば基本給が出る職場だったので、心療内科で適応障害の診断書を貰い休職。
毎日パチンコ、酒、眠剤。
私は昼も夜もパートに出て子供の事だけを思い必死に働いた。
そんなある日、旦那が眠剤と酒を一緒に飲んで泥酔状態で階段から転落。
頭部強打で救急車で運ばれる。
頭蓋骨骨折、脳挫傷、意識不明の重体。
緊急手術をして命は助かったが最悪は植物人間。
意識が戻っても高機能障害で普通の生活には戻れないと診断された。
とにかく現金が無かった私が最初にした事は高級車を売り、当時まだ持ってる人の方が少なかった携帯電話の解約。
通帳を捜し出し、旦那の金の流れを初めて見た時は自分の目を疑った。
月に車のローンが8万。
携帯料金が7万。
10万の用途不明な返済。
そして通帳の残高が少なくなると義母からン十万円単位の振込送金が何回もされていた。
見た事もない若い女と旅行先でのスナップ写真も見つけた。
テ○クラの領収書?やラ○○テルのタオル。
もう限界だった。
自分に経済力が無かったから我慢していたけど、とにかく別れよう。
父親らしい事は何もせず、夫婦関係もとっくに破綻している。
旦那も私達を引き留めはしないだろう。
そんな矢先、旦那の意識が回復する。
私はずっと働いていたので病院には義母がついていた。
意識が回復した知らせを受けて病室に入った私を見た瞬間、旦那が病院中に響き渡るような声で泣き叫んだ。
「悪かった。俺が悪かった。自分で好きな事ばかりやって罰が当たったんだ。許してくれ。生まれ変わってやり直す。捨てないでくれ」
涙と鼻水とヨダレをダラダラ垂らしながら、呂律の回らない言葉を何回も何回も叫んだ。
その姿を見るまで私の頭は離婚一択しかなかった。
いや、見ても頭では離婚するつもりでいた。
でも心がついて行かない。
こんなに弱って縋り付く相手を踏んづけて去れる人なんて世の中にいない。
頭と心は全く別のものなんだと思ったこの瞬間が人生最大の修羅場。
結果的に離婚はせずに2年後に旦那は死んだ。
生まれ変わるも何も、さっき食べた朝食すら忘れてしまう状態だったので、その2年間もまさに地獄だった。
ま、これは本人も地獄だったと思うので、死の知らせを受けた時は正直言ってみんな安堵した。
みんなが苦しみから解放された。
葬儀が終って身辺整理したら、まだ知らなかった借金が出て来たり、義母に保険金の大半を取られたりしたけれど、息子も墓を継がないと義母に宣言して縁を切り今は平穏に暮らしています。
一緒に苦労した息子が成人したので吐き出し。
子供に声をかけられた
平日の真昼間から梅田で買い物して、寿司やパフェとか美味いもの食って、でっかいゲーセンで大人の財力に物言わせて、ガンバライドをしてると横から
「あの~すいません。電車代がなくて少し頼みたい事があるんですけど・・・・・・」
と声を掛けられた
カツアゲかと思って横向くと、いたのはどう見ても中学あがりたてのオドオドしたあどけなさの残る子供二人
(こんな子達がカツアゲする時代なのか、世も末だなぁ)
なんて思いつつも説教する前に少しだけ話を聞く事にした。
結論からいうとカツアゲじゃなかった。
二人の話をまとめると
・遠足だか課外学習だか遊びにきただかで府外からキタ
・帰りの電車賃のアテは家から持ってきた売ればある程度の額になる玩具
・いざ店で売ろうとしたら店員に売り主が未成年の場合保護者同伴か同意書が必要で断られた
・頼みたい事というのは金をだして欲しいのではなく上の同意書にサインをして欲しい
申しわけなさそに頑張って説明するのを見て不憫になり、力になって上げたかった。
けどいくらこの子達が嘘を付いてないと思っても、見ず知らずの奴に自分のサインをあげるのは不安だったので断った。
目に見えてガッカリする二人、むしろ絶望した表情
俺は慌てて
「違う違う。売りに行く店ってどうせ○○やろ?やったらついってったげるから一緒に行こらよ」
と言った
俺の言葉を聞いた二人は
「○○しってるんですか?でも付いてきて貰えるのは嬉しいけどそこまでしいて貰うのは・・・・・・」
と梅田で玩具の買い取りもやってる所で有名なとこなんてそこしかないし、店舗は違えどその系列の店には俺もよく行ってる。
「知ってるよ、君らが悪い事するとは思えないけど、サインするのが怖いから付いてくんだよ。それに俺も売りたいのが出来たからやで」
と排出されたばっかのカードの束見せたら
「本当にいいんですか?ありがとございます」
て二人とも凄い嬉しそうなメッチャ可愛い笑顔。
それで三人で色々話しながら店に向かってたんだが、そこで俺はどうしても二人に聞きたかった事を尋ねてみた。
「何故俺に声を掛けたのか?」
言っちゃなんだが俺はチビだけど体格が良く、顔立ちも若干きつめで服装も80年代不良ファッション。
おまけに社会人なのに平日の昼間から子供向けカードゲームやってるような奴だ。
聞けば最初は他の人に頼んでたが全員に断られ、俺の前に頼んだ男性には断られた上に怒鳴られた、と。
断られていくほど不安になるし怒鳴られて怖かった、それでもお金がなきゃ帰れない。
誰でもいいから助けてほしくて思わず視界に入った俺に声かけた。
それを聞いてとりあえず二人に
「かなり困ってたのはわかったけど、いい歳してゲーセンにいるような奴に関わらないように」
と注意しといた。
店に着いて二人から売る物預かって、自分のも買い取りカウンターに持ってく。
店の人には荷物と買い取りカード渡して、二人のとは会計別にお願いして、無事査定終了。
二人にお金わたして帰ろうとすると、
「これ少ないですけどお礼です」
本当に少ないけど俺に金をおれに渡そうとする。
俺「お金無かったんやろ?だったら喉も渇いてるやろうに。だったら俺はいいからそれでジュースでも飲み」
とやんわり断るも二人はまだお金を渡そうとするから
「俺年下からお礼されるの苦手なんよ、俺がええって言ってるからええんよ」
とほんで店出て三人で駅まで行って分かれておしまい。
俺が今まで生きてきた中でたぶん一番格好良かった日のこと。
回転寿司でキチに絡まれた
昨日短大を卒業し四大の編入試験に合格した。
友人の合格祝いをしに、高校の同級生6人で回転寿司にしにいった。
そこの回転寿司は、食べたお皿5枚毎にガシャポンが出きる例の店だった。
6人とも食品サンプルとかミニチュアの食品が好きなので、良い年してガシャポンに盛り上がってた…
全員昼抜きの早めの晩御飯だったので、お寿司だけで80皿食べてしまった…。
他にもデザートとか色々たのんで、あと一枚でもう一回ガシャポンが出きると言うことでデザートをとって6人で食べた。
そしたら見事ガシャポンで当たったので、丁度6つゲットできたんだ。
この時点で6時だった。
込み出す前に出ようとお勘定を頼み席を出ようとしたら、通路挟んで隣の席にいたママ集団に捕まった。
腕を掴むとそのママ集団は
うちの○○達ににガシャポンを譲れ!子どもが3人居るから丁度2個、2個、2個で分けられる!
とか言ってきた。
因みにこのママ集団私たちが席につく前から座ってて、席に着いた時点で机に飲み物のビンが散乱してたから大分居たんだと思う。
で当たり前?だが断ったら
「目の前であんなに食べられてガシャポン喜んでたら子どもが可哀想」
って言われた。
ギャンギャン言ってくるし困ってたら友人が
「そんなに欲しいなら表にこれと同じの100円で出てくるのありますよ」
って言い返した。
そしたらそのママ達が100円も払うなんて云々言い出したので、計算がはやいその友人は
「では私たちのガシャポンは代替○円(皿数を6で割って100を掛けた値段)払っていただけますか?」
と言ったらキーキー言ってた。
そこになかなか会計しに来ないから不信に思ったのか、店員さんが表れた
店員は揉めてる事に気がついたみたいで
「どうかされましたか?」
と双方に訪ねてきた。
するとママ集団が
「コイツら(私たち6人)が○○ちゃんのガシャポンを奪った!可哀想!」
とか宣ったので、言い返そうとした友人を店員は遮り
「そうでしたか。ガシャポンは何個手元からなくなりましたか?」
と聞いていた。
するとママたちは勝ち誇った顔で「6こよ!」なんて言い出した。
店員もそうでしたか。それは申し訳ありませんとか言って完全にママ側に着いてる様に見えていた。
私も友人も疑われた事で、イライラし初めてなんて反撃しようか迷っていたら店員が
「6個もですか。それは申し訳ありません。ですがお客様が機械に入れられたお皿は8枚。本当に6個ガシャポンが出てきたなら不具合ですので5個回収しなければなりません。」
って言いだした。
ママたちは顔を真っ赤にして、子どもに親切でないと云々といい店外へ逃走。
その際私のバック擦られた…。
店員3人も追いかけて捕り物状態だった。
因みに子どもは店内に放置。
バック擦られたし、別の友人は押し倒されて怪我。
店員さんも怪我をしたので会計を済ませてから、裏で警察を待つことに。
その間子ども達は出されたお寿司を食べていた。
警察が来ると泥ママの1人が
「私がバックを盗んだ。けど私(泥ママ自身)は大人だし恵まれない子に恵んで上げた。」
なんて言い出した。
が、入り口の防犯カメラで確認されもちろん疑いは晴れた。
友人は怪我したし被害届を出すことにした。
暫くして。
泥ママ集団を迎えにそれぞれの両親、夫が来た。
両親、夫は手慣れた感じで謝ってきて、被害届はどうか…と言ってきた。
聞くとこの3人は集団泥を子ども会等で行っていて、近々3人バラバラに引っ越す予定だったらしい。
その日はお別れ会だったそうな。
家では反省してたから油断したそうな。
そんな事はあちら側の都合ので被害届は出すことにした。
他に比べたらプチですが吐き出させて頂きました。
姪の面倒を見てたら
ちと前置きが長くなりますがご容赦を。
十数年前、うちには父方祖父母、両親、兄一家(兄・兄嫁・姪(8カ月))、俺(高2)、妹(中1)、弟(小5)が住んでいた。
夏休みのある日
両親と兄→仕事
祖母→通院
兄嫁→夏風邪でダウン
妹→部活
と、姪の面倒を見れる人間がいなかったので俺が抱いてスーパー(ダ○エーとか○ーカドーみたいなとこ)に買い物に行った。
買い物中、姪からほんのりと●の匂いがしたのでおむつを替えることにした。
当時そのスーパーには多目的トイレなんてものは無く、おむつ台は女子トイレにしかなかった。
なので俺は、店員さんに一言声をかけてから女子トイレに入って姪のおむつを替え始めた。
すると個室から女性が出てきて俺の姿を見て悲鳴をあげてトイレから飛び出していった。
まぁ男(しかも父親にしては若すぎる)がいたらビックリもするだろう、と思いつつ先ほどの悲鳴に驚いて泣いてしまった姪をあやしつつおむつ替えを続けた。
おむつを替え終え、さぁ買い物の続きをしようと女子トイレから出ようとした所に、先ほどの女性が警備員と男性店員、旦那と子どもらしき人物を連れて戻り、俺を指さし
「こいつです!その子(姪)にイタズラしていた変質者は!」
と言われた。
俺は姪を取り上げられ、女性一家ともども事務所に連れて行かれた。
しかし誤解なので、俺は最初に声をかけた店員さんを呼んでもらい誤解を解いてもらうことにした。
ここまでなら別にキチでもなんでも無いんだが、店員さんが俺と姪が一緒にいたことを証言してくれた所からおかしくなり始めた。
・その2人(俺と店員さん)はグルだ。
・男がおむつを替えるなんてありえない。
・どこかから攫って来たに違いない。
という内容をキーキー声で主張し始めた。
確かに俺と姪の関係を証明するものなどその場にはないので、キチの言うことも妄想とは言い切れなかった。
なので俺は責任者らしき男性に自宅へ電話をしてもらい、祖父に兄嫁を連れてきてもらうことにした。
その間もキチの話は止まらず、むしろあらぬ方向へと向かっていた。
・こんな変質者に子どもを預けるなんて虐待だ。
・そんな親の元へ返すのは可哀想だから私が育てる。
・代わりに息子(3、4歳くらい?)をやる。
このあたりで旦那さんが「お前は何をいってるんだ!」と怒鳴り、キチも「本当は男なんて欲しくなかった!」などと怒鳴り返し店員もどうしていいのかわからず右往左往していた。
姪はその時安全の為?に女性店員が抱いていたんだが、キチは姪をひったくろうとした。
女性店員は姪を守ろうとキチに背を向けしゃがんだんだが、そこに「返せ!!」などと叫びながら蹴りを入れた。
すぐに旦那と男性店員が取り押さえたが、姪は泣くわキチの子どもも泣くわで大変だった。
恥ずかしいんだが俺はその時キチの豹変っぷりに腰が抜けてた。
その後警察と祖父、兄嫁がきて俺と姪の関係もわかりそちらの方は問題なかったんだが、キチは女性店員を蹴って怪我をさせたので警察につれていかれることになった。
キチがどうなったかは知らない(祖父が警察の対応をしてくれた)が、俺は姪を危険な目にあわせた事をおお泣きしながら兄嫁に謝った。
兄嫁はあなたは悪くない、と俺を許してくれたがいまだに兄嫁には頭が上がらない。
この間家族を連れて実家に帰ったら例のスーパーが改装されてて、多目的トイレも完備されたのを見て当時を思い出したのでカキコさせてもらいました。
小学校の時の仕返し話
小学校高学年のころの可愛らしい話をひとつ。
母親同士が今で言うママ友だったつながりで、数人の女の子で仲良しグループを作ってた。
最初のうちはあてがわれた友達で仲良く遊べたんだけど、成長とともに合う合わないがどうしても出てくる。
また私の母親は気の弱い人で、何かあったとき文句を言うどころか不当な扱いに抗議することもできない、そんなタイプだった。
そういう母親同士の関係はやはり子供同士にも影響を及ぼすもので、ボスタイプのA母の子(以下A子)は地元企業の社長令嬢という立場もあって強い存在感を持っていた。
目立った虐めはなかったけど、いつもおしゃれな格好をしてるA子が兄のお下がり着てる子のことをpgrしたり
TVは一日30分までと決められてた私を「TVの話にも乗れない、ノリが悪くて暗いヤツ」呼ばわりしたり
流行のものを買ってもらえない子が加われない遊びばっかりしたがったり、そういうことがちょくちょくあった。
ちょっと嫌だな、と思いつつも母親同士が仲良くて言い出せないまま学年が上がっていった。
そして母親同士で成績のことが話題になったのか、あるとき全員で近所の学習塾に入れられた。
その塾がかなり厳しくて、塾長兼講師が一人で全科目教える個人塾。
毎時間テストを行い上位3位は図書券のご褒美がもらえるが、理解が遅かったり成績が伸びないと先生から「氏ね」といわれたりするようなところだった。
今だったら相当問題になるだろうけれど、ついていけなくてやめる子も多い反面、図書券のご褒美につられたり、競い合いに向いている子はグンと成績を伸ばすところだったので広い学区から人がきていた。
私たちのグループは平均値が上の中だったけれど、ある日私は算数の一部でなかなか理解できないポイントがあり「氏ね」と皆の前で罵られた。
その日の帰り道は泣くのを我慢している私に、皆腫れ物に触るような感じだった。
そんな中A子は「えー私でもわかったのにぃ」とpgrした。悔しかった。
それから予習復習を徹底的にした。
苦手だった部分も克服し、他の子の発案で皆で予習してから塾へ行くようにした。
成績上位者をグループが占めることも出てきた。
そんな中A子はあまり予習に熱心ではなく、成績は伸び悩み始めた。
ある日のテスト中斜め後ろからA子の視線を感じた。
カンニングだ。
見つかればあの先生のことだ、ただではすまない。
まさかと思いながら答え合わせのときに確信した。
こいつ私の答案を見てやがる。
A子から見える位置の問題は私とそっくり同じ計算式と回答で、見えない場所は関連問題やもっと易しい問いなのに不自然に空いていた。
今までpgrしてきた私の答案見るのかよふざけんな、と思ったけれどももしかしたら魔がさしただけかもしれない。
それに発言力の強いA子に、話し下手の私が食って掛かったところでとぼけられたら終わりだ。
次の日もA子は私の答案を見た。
座席は毎日変わる。
その日は隣同士になり、肘で答案を隠すようにしていたらさりげなく私の肘をどかすように押してきた。
とても嫌だったけれど、その日も何も言えずに終わった。
私は計画を練り始めた。
その次の週、A子の苦手な算数の文章問題が出た。
「時速○kmで走っている電車が×分走ると」
「AとBの電車がすれ違うと」というあれだ。
私はさりげなく、斜め後ろのA子に答案が見えるようにしてやった。
A子が先生の目を盗んでガン見している気配が伝わってきた。
もちろん私が書いた計算式はでたらめで、割り出した速度は「マイナス○○km」というどう計算してもでてこないありえない数字。
なので少しでも自分で考えればこの答えは違うということはわかる。
残り時間があと2分となったときに、見直しをするふりをしながら大急ぎで答案を全部正しいものに書き直した。
何が味方したのか、いつも解説の際ランダムに答えさせる先生が今日に限ってA子に答えさせた。
A子「答えはマイナス○○kmです」
ざわつく教室。
そりゃそうだ、ありえない数字なんだもん。
この教室でそんな答えを出したのはA子ひとり。
先生の顔が険しくなる。
「あぁ?どうしてそうなったのか言ってみろ!」
「え……」
答えられないA子。
私作のでたらめ計算式を蚊の鳴くような声で言う。
よく聞こえないと身を乗り出す教室の子達。
「なんだそれは、脳みそのどこ使ってんだ!馬鹿かお前は!なんでそんな数字つかうんだ!?」
「わ……わかりませ……」
わからないって何だよ、自分で解いたんだろとpgrする他校の子達。容赦ない。
A子はそうとうきつく怒られていたはずなんだけど、どうやってA子が言い訳したかは覚えていない。
でも最後に先生が「上位誰だ?満点は……、お前一人か。よくやった」って私に図書券をくれたときA子が「えっ」って言ったのは覚えてる。
めちゃくちゃ気持ちよかった。
私はA子に何も言わなかったし、A子も何も言わなかった。
ただA子が私をpgrすることはなくなり、まじめに予習をするようになり私はそれで満足した。
復讐というには小さいですが、母親同士の人間関係に影響されてた私には結構勇気の居る行動でした。
名前だけ貸してくれ
営業やってた同級生Aがノルマがきついから、名前だけ貸してくれと言ってきたことがあった。
年会費を払うなんかの会員権だったと思う。
他の友人たちは「名前だけなら」と申し込んだのだが、私はかつて親が似たようなことでえらい目に遭ったことがあるので「ごめん、それだけは無理」と断った。
自分なりに誠意をこめて断ったつもりだったんだが、Aだけじゃなく他の承諾した友人たちまで一緒になって「友達なのに」と責めてきた。
それでも断ったらいわゆる「ハブられ状態」に。
翌年までは何事もなかったらしいが、二年後だかに名前だけだったはずの友人たちのところにどかんと請求書。
Aは音信不通らしい。半狂乱になった友人たちからAの行方をさがす電話が私にも来たけど、こっちはとっくに切られてるんだから判るわけがない。
元・友人たちの口調には被害に遭わなかった私への恨み節がちょっと混じってたけど、そこまで責任持てないよ。
家族で自営業
俺一人が修羅場だった話。
長くて読みにくいけどゴメン。
家族は俺と両親の三人、自営業。
父は短気でお化けが大嫌いだけどチキンではない。
母は優しい働き者。
俺は完全チキンな18才。
老朽化と商売の関係で家を建て替える事になった。
で近所に借家を借りて仮住まいする事に。
その借家が凄いボロで、トイレが水洗な事だけが救いだった。
そこは平屋のちっこい家が二つくっいたような感じで片方には先住民がいた。
引越しの時、友人二人に手伝ってもらった(二人は同じ中学)
で、引越しも終了して父がお隣さんに「お騒がせしました。終わりました」って挨拶したらお隣住人が出てきた。
おやじらしき人はもろチンピラですって感じ、母親らしき人は水っぽい。
その他子供らしき若者三人。
らしきって書いたのは家族感みたいのが無くて、なんかグループって言うか一個小隊って言うか不思議な感じだったから。
でもそのおやじは「そうですか、ご苦労さん。」とか言ってニコニコしてた。
ただ、眉毛が竜の刺青だった。
母は後からあれ見たかとか言って一人でテンション高かった。
そうこうしてたら、子供らしき若者が友人に声をかけてきた。
「○○久しぶり」とか、二人は驚いてたけど挨拶程度してお開きになった。
友人が帰り際俺に
「あいつらヤバイ、関わるな!さっき話しかけて来たヤツは同じ中学だったけど、殺傷事件起こして特殊な施設に行っていた。出てきてるとは知らなかった」
友人二人はとにかく気を付けろ、こんな所に信じられんとか言って帰って行った。
でもそれから特に問題も無く、家がボロな事を除けば平和だった。
ある時学校から帰ると、母が「お隣引っ越した。何か夜逃げみたい感じ、お昼だから昼逃げだー」って一人で受けていた。
俺は心配の種が無くなった、あー良かった。なんて能天気に安心してた。
所が三日程してから修羅場が車に乗ってやって来た。
晩飯食べてテレビ見てた。
父はタバコ吸ってた。
外に車の止まる音がした。
父は俺見て「友達か」って顔した、俺「んっ」って首を横に振った。
その時ドン、ドンって二人降りて来た。
次の瞬間「ゴルァーーー出て来いーー」ドカッドカッ
叩くと言うより殴る感じ、ドーンバリーンガチャンの繰り返し。
字にすると伝わらないけどそれはもうド迫力。
俺は固まった、一瞬でマイナス40度。
そしたら父がうるせーなってタバコ消した。
俺「えっ」おやじちょっとって思った時、母が隣家に向いてる窓開けてた、俺失神。
母「ちょっと、何してるの、うるさい」
893B「素人さんには迷惑かけないから引っ込んでいてくれ」
ガクガクしながら「ひぇー本当にそんな事言うんだー」と思った。
その時893Bは物干し竿を窓に突っ込んでグリグリしてたとか。
母「引っ込んでろとは何事か!」とか言った時893Aと目が合ったそうな
893A「えっ、あれ、何で・・」
キョドリ出して、一言
「姉さん何でこんな所に・・」
俺ポカーン、父リラックスしてタバコ吸ってた。
仮住まいしてる事、隣家は三日前に居なくなった事説明してた。
そしたら「迷惑掛けて申し訳ない、借金のかたに何か取れる物があるか明日もう一回見に来る、バイバイ」
って帰って行った。
その後父に聞いた話。
うちの両親は俺が小学校の頃まで繁華街で飲食店をしてた。
その時チンピラの893Aがシノギのノルマがきつくて食うや食わずだったらしい。
それを見かねた母がメシ食わせてやってたとか。
豚箱入れられた時も差し入れ持ってたりしてて、姉さん、兄さんと呼ばれてた。
でも飲食店辞めてから存在を忘れてたみたい。
隣家について893Aが言うには、最低のチンピラで(意味わからんけど)金絡みでファミリーを破門になったけど借金在ったから取立てに来たとか。
父はこの展開読んでたみたいで
チンピラ手下とひっそり住む→借金返済滞る→夜逃げ→893凸
別段驚かなかったがまさかヤツがとそこは驚いたらしい。
893が帰ってから父、母話してたけど
母「あー気分悪い、あんなヤツ塀の中から出て来なけりゃいいのに」
父「あいつもまだこんな事してるとは、長生き出来ないな」
俺「えっあのひと病気か何かなの?」
父「お前は馬鹿か!!」
翌日893Aが若い衆連れて来て家電とか運び出してたらしい、「こんな物金に成らん」ってぶつぶつ言ってたとか、母がぼんやり見てたら893Aが
「姉さんもこんなヤツラ隣で迷惑やったやろ。服とか欲しい物有ったら持っていって良いよ、どうせ戻って来ないから」と言われたらしい。
学校から帰ったらズボンが一本置いて在った。
母「隣からもらって来た。ちようどと思うから履きなさい」
俺「それはちょっと勘弁して・・」
母「履くのか履かないのか!」
俺「ハカセテイタダキマス」
翌週から俺の通学ズボンに成りました。
署名を集めるママ
マンションの管理組合に「子持ちが使える共用カー」がほしいと署名を集めるママ団体がいて面倒…
敷地内道路や通路で子供が遊ぶのは禁止、小さい子供がいるのに遊びにも行けず、息抜きに自然と触れ合う事も出来ない。
このままじゃマンション内のママ達はノイローゼになりますよ!!!?!
虐待が起きてからでは手遅れです!
的な文書がポストにねじ込まれていたが、まさか車買えなんて要求は斜め上過ぎて、想像もしなかった。
しかも使えるのは「子供のいる家庭だけ」。。
しかも子持ち限定共用カーとかウヘア。
夫婦二人なら買いたければ買える、老人には車は要らないみたいな主張が並んでて、下に署名して代表ママの家まで持って来るように。となっていた。
使えない「共用カー」なんて要らないよ、家は車あるし。
大体ガソリン代電気代車検維持費その他どうする気?。
他人が稼いだ金でエコカー買って楽しむなんて、どこの特権階級だよ…
大体息が詰まる程、私の住む地域は都会じゃないw
どれだけ優遇されれば満足するの?
塗装用スプレーが盗まれた
旦那が古いバイク直すのが好きで、春くらいからバイクをバラバラにして古い塗装剥がして色塗り直したりしてた。
そのためのウレタンクリアスプレーを近所のママさんが盗んでいった。
回覧板まわしに来たときに旦那の作業を見てて
「仕上げに塗っとくとピカピカになるし、塗膜が強いから傷も付きづらくなるんです」
という旦那の説明を聞いて、子供の自転車に塗ればピカピカになると解釈したらしい。
ただ部品を外さずにスプレーしたらしく、色んなところが固着したりゴミや虫もくっつきまくって、ブレーキのゴムやタイヤもテッカテカのカッチカチになったと夫婦で逆切れしてきたw
「あげた覚えはないし、盗まれたもの」
「盗んだあげくに逆切れですか?キチガイかあんたらは」
とゴミを見るような目で旦那が淡々と相手してたわ
(怒ると表情がなくなって物凄く冷たい目でローテンションでしゃべる人なので)
「バイク直せるんだからウチの自転車見てくれたっていいじゃない!」
「あんたのスプレーでこうなったんだから責任を取りなさいよ!」
と意味不明なことを喚くメスゴミと、盗んで来たものとわかって途中から狼狽えだしたゴミの旦那を「しっし!」と追い出してから駐在さんに相談。
後でゴミ旦那が謝罪と弁償しに来たけど金だけ貰って
「今後、一切うちと関わるな、うちの敷地に入るな」
と告げてCOした。
上記の揉め事は近所でも噂になってるから住みづらいだろうな泥家族。
娘の修羅場
二年前の私のじゃなくて多分、娘の修羅場。
当時、17歳の娘とDV気質の元旦那と生活してた。
元旦那は気に入らない事があると癇癪起こす子供みたいな人だった。
精神的に辛かったけど、資格持ちでも当時はパートだけだったから、せめて娘が高校を卒業するまで離婚しないでいようと思ってた。
ある日、娘がリビングでお気に入りのCDを整理してた時、急に元旦那がそのCDを壊した。
いきなりで、私も止めれなくて。
娘のCDは全部自分のバイト代で購入して、元旦那が壊した中には絶版されて一枚数万かかるものが何枚もあった。
娘は無表情で静かに立ち上がると台所から包丁を持ってきて元旦那が座ってたソファーに刺した。
娘「お前まじ死ねし。お前の金で買ったんと違うやんね、人の物壊すとか頭イかれてんの?」
元旦那「あんな教育に悪いものを聞くお前が悪いだろう!こんな事をするなんてどこか病気じゃないのか!」
確かに娘が買ったりしてたCDは小島○由美、谷山○子、Co○co、アーバ○(うろ覚え)、サン○ラ(うろ覚え)とか、ちょっと特殊なものが多かった。
それでも娘は無趣味で、CDだけでも好きなものを聞いて欲しかったから私は気にしなかった。
元旦那はどうやらそれが気に食わなかったようで。
流石に包丁を持ち出した娘は止めて喚く元旦那を無視して、壊れたCDの金額を合わせると余裕で数十万を超えた。
落ち着いたら娘は泣き出しちゃって、元旦那を責めてた。
元旦那にも僅かな良心がが残ってたらしく、弁償代として娘に数十万を渡した。
この一件で娘のだろうと気に食わないなら壊す人なんだ、もう駄目だコイツと思って離婚した。
慰謝料ヨコセと言ってもぐずるだろうから、多少の生活費と養育費を一括でもらって、今は娘と二人暮らし中。
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