後味の悪い話【11】 短編5話
病室に2人の患者
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
一人は二段ベッドの上のベッド、もう一人は二段ベッドの下のベッドだった。
2人とも寝たきりの状態だったが、下側のベッドの男は、
看護婦が上側のベッドの患者の様子を見るために梯子に登る時に看護婦のパンツを見ることができた。
そんなわけで下側のベッドの男は上側のベッドの男に看護婦のスカートの中の様子を話してあげていた。
「今日は染み一つない真っ白だ。」「花柄だったよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。(←?)」
そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、下側のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
上側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が看護婦のパンツを直接見れる・・・」
どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思った上側のベッドの男は、
自分は眠っていたということにして、下側のベッドの男を見殺しにした。
下側のベッドの男はそのまま死亡した。
晴れて下側のベッドに移動した上側のベッドの男は、
上のベッドに患者がいないと、看護婦は梯子を上らないことに気がついた。
実話を元にした映画『ソハの地下水道』
第二次世界大戦中のドイツ。
主人公「ソハ」は、下水道の修理人という職業の傍ら、無人となったユダヤ人の家に空き巣に入ることを副業としている小悪党だった。
そんなある日、ソハは下水道隠れていた大勢のユダヤ人を発見する。
見逃してほしいと懇願するユダヤ人たち。
ソハはユダヤ人の足元を見て高額の口止め料を要求した。
それ以来、下水道のユダヤ人たちを匿って世話をすることがソハの副業となった。
ユダヤ人たちの下水道での生活は過酷なものだった。
ある者は凍え死に、ある者は病死し、ある者は外に出てドイツ軍に射殺された。
初めは小悪党だったソハだが、次第に心境が変化していき、ユダヤ人たちに肩入れするようになっていく。
ユダヤ人たちの金が尽きると、ソハは自腹でユダヤ人たちの世話をするようにまでなった。
しかもソハは「タダで動く人間だと思われたくない」という理由から、こっそりユダヤ人の一人に金を渡しておいて、「金を払うフリ」を他のユダヤ人たちの前でさせていた。
ソハとユダヤ人たちは様々な苦難にあう。
時はたち、ついに終戦。
ソハはユダヤ人たちを地上へと解放する。
日の光の中、全員が号泣し抱き合った。
……画面が暗転し、モノローグ。
『この数ヶ月後、ソハはソ連の暴走車から自分の子供を庇って事故死した』
『近隣住人たちはソハの死を「ユダヤ人を匿ったことへの天罰」と蔑んだ』
『人は、神を利用してでも他者を罰したがる』
なぜかカラマーゾフの兄弟のゾシマ長老の死を思い出した。
正教の司祭で清廉さからみんなに尊敬されていたゾシマ長老であったが、死後の死臭がひどかったために、民衆から、
「素晴らしい人だったから、なにか奇跡でも起こるのかと思ったら、こんな死臭を発するとは。きっと表向きは清廉さを装っておきながら、陰では悪さをしていたに違いない」
と言われてしまうという話。
遺言書の掟
私は中学二年の時、祖父が死にその葬儀に行く事になった。
当時、北海道に住んでいた私にとって本州に住んでいる父方の祖父とは会う機会も少ない。
また祖父の性格も寡黙で孫を可愛がると言うよりは、我が道を行くタイプだったので、あまり身近な存在ではなく正直そんなに悲しい気分にもならなかった。
むしろ学校を休んで遠い所へ旅行に行けるくらいの気分だった。
仏教で言う通夜と告別式は神式で行われた。
お坊さんが読経を上げるお葬式しか知らなかった私は、平安時代のような恰好の神官が暗闇の中で行う儀式を弟と「なんか格好良いね」などとコソコソ言い合い興味津々で参加していた。
そうして一連の儀式は無事終わり、次は火葬場へ移動か?と思っていたがなかなか皆動こうとしない。
近くにいた叔母に聞いてみると
「火葬はやらんよ。ここらはみんな土葬なの。だから大仕事の前にちょっと休憩よ」と言う。
土葬なんて未だにやる所があるんだとびっくりすると同時に、これは学校で話のネタになるなと考えた。
しかし大仕事って何だろう?遺体を埋める穴掘りの事だろうか?
しばしの休憩が終わり、父や親戚のおじさんが祖父の遺体を縁側に運び始めた。
そこで遺体を入れる桶が庭に運び込まれた。
座棺とよばれる木でできた凄く大きい桶だ。
ドリフ好きの私は「志村のコントのヤツだ!!」と内心大喜び。
しかし弟が明らかにニヤニヤ私に合図して来て、あまり分かりやすく喜ばれると私まで怒られてしまうので慌てて弟から離れると、ギリギリセーフ。母が弟を連れて家の中へ入って行った。
危なかった。大事な場面が見られない所だった。
気が付くと従兄弟たちもどんどん家の中へ連れて行かれている。
これはマズイなと思い、あまり声を掛けてこなそうな村の人達に紛れて、身を隠してみた。
そうしてしばらく経つと周りはシンと静かになり、座棺を取り囲み目を閉じて頭を下げ始めた。私はどうやら参加できるらしい。
父を含めた親戚の男四人が、祖父の遺体を持ち上げ桶の中に入れようとしているが、死後硬直をしている遺体はまっすぐ延びたままになっている。
ああ、このまっすぐな体を曲げるのが大仕事なんだなぁと思っていると、
ゴキッ、ゴキゴキ グッガキッ……
背筋が凍りそうな嫌な音が響き始めた。
ゴキゴキュッ、バキッ……
驚いて顔を上げてみると、父や叔父たちが祖父の骨を折っているのだ。
静まり返った中で、骨を折る音だけが響き渡る。
怖くなった私は逃げ出そうにも、皆が一様に黙礼し静止する中で動く事が出来ず、必死に下を向いて耐えた。
頭にこびりつきそうな嫌な音は、祖父が桶の中で膝を抱えて座るようなポーズが出来上がるまで鳴り続けた。
やっと終わったと思って顔を上げた瞬間、
グキャッ!
と一際嫌な音と共に首が後ろへ曲がる。
思わず手で顔を覆ってしまった私を見て、隣にいた中年の男が
「生き返ったらいけないからね」と言った。
その日、私は何も食べる気にならなかった。
次の日、父があまり会社を休めないと云う理由で少し早いが遺言書を開く事になった。
父の兄(長男)が
「本当は死んだらすぐ遺言書をあけてくれって本人には言われてたんだけど、葬式も終わってないのに遺言書を見る訳にはいかんからな」
と言うと、父が
「今更遺言書って言われても、もう内容わかってるしな」と返した。
祖母はすでに亡くなっていた為、実家の家と土地は面倒を見てくれた長男に、後の現金は兄弟仲良く六等分だと生前祖父がよく言っていたらしい。
皆も納得していたので、公正役場や弁護士は通していない。
手紙形式のいわば遺書のようなものだ。
長男が遺言書を読み上げ始めて、一同が戸惑いの表情を浮かべた。
《葬儀については、親族のみの密葬で執り行うこと。村のうるさい奴らは火葬を厭いバカにするが、自分は子供の頃から土葬の骨折りがとても恐ろかった。孫も怖がらせたくないし、どうか火葬で弔って欲しい》
それぞれの社会常識
後味が悪いっつーか、単なる俺の愚痴になるかもしれんが……
今日の話。
朝電車乗ってメールチェックしようとしたら、隣の座席の品のいいおじいさんが、
「もしもし?車内は携帯はいけませんよ」
と俺に諭すように囁いてきた。
俺は慌てて
「あっ、すいません……!ありがとうございます」
と頭を下げてスマホをしまった。
そしたらおじいさんは、ほう……みたいな空気になって、
「注意してお礼を言われたのは初めてですよ。これは気持ちのいい思いをさせてもらいました」
と笑った。
俺も思わず微笑んで、おじいさんと軽い世間話になった。
おじいさんはハイキングの装いで、隣には奥さんが同じような服装。
「これからね、六甲山ですわ。じじばばでどこまで頑張れるかな」
と笑う。
俺も昔サバゲーの趣味の傍ら山登りをよくしていたので、
「あっ 六甲山はいいですね!今の季節とってもいいですよね!」
とうれしくなった。
おじいさんもうれしそうに頷いてくれた。
そんな会話の途中、おじいさんが鞄から水筒を出して、お茶を飲み始めた。
ゴクゴク飲むので水筒を伝ってお茶がこぼれる。
俺は微笑んで、
「あっ おじいさんこそ電車の中は飲食はだめですよっ」
と冗談ぽく言って、ハンカチを出そうとした。
するとおじいさんはいきなり、
「あなたねっっ!!そうやって自分を棚上げして人を貶めてどういう了見ですかっ!!」
と大声で怒鳴る。
プルプル震えながら、
「ええっ この暑いのにじいさまがお茶ひとつ飲むのもそうやってめざとくっ、あなたはねっ!! なめたことを言うんじゃないよっ!! 気が大きくなったつもりじゃないのかっ!ええっ!」
と激昂している。
俺はあまりの事に顔面蒼白になり、
「うわっ す すいません!ご ごめんなさい!」
と頭を下げるしかない。
おじいさんは
「そういう言葉は、いまさら何だっ!拒否拒否っ!断固拒否するよこっちは!ええっ!」
と、腕を組んで目をキッと閉じて、顔を背けた。
俺は周りに恥ずかしくて、もう俯いてるしかなかった。
梅田に着いて、降りる夫婦に
「あの……すいませんでした……」
と声をかけると、おじいさんは俺を無視。
奥さんは
「社会常識は、皆が守ってこそですから」
みたいな事をキッという顔で俺に向かって言い捨て、去っていった。
俺の方としては親しみを込めて、フォローのつもりでお茶の事を言ったつもりだったんだけど、おじいさんの世代的に『目上の相手をいじる』なんてあり得ないだろうからね、調子乗ってしまったなーと思うわ。
ただ豹変ぶりがマジでショックだったっつーか、途中までお互い小声で会話してたから、周りの人も「うわ、あいつおじいさん怒らせたよ」って空気になってたし、いろいろキツかったな……
ピペドの復讐
俺はバイオ系の大学院を出て、博士号取得後に大学に勤めたが、パワハラで精神を病んでニートになってしまった。
ピペドという言葉を聞いたことがあるだろうか。
俺はまさにそれで、探しても中々就職先は見つからなかった。
そんな俺だが、1年のニート期間をへて中小企業に勤めることが出来た。
希望に燃えて初出勤。バイオ系と工業系の部署がある企業だったんだが、工業系の先輩に
「お前なんでバイオ系なんて行っちゃったの?工学系にすればよかったのに(笑)東大まで出てこんな会社かよ(笑)まあバイオなんて(この会社から)すぐになくなると思うけど頑張ってね(笑)」
なんてからかわれた。
なんでそんなこと言われなければならないのかと、それなりに努力してきた自身が情けなくなったが、それ以上に怒りがわいてきて、コイツに復讐することを決意した。
それから俺は復讐として仕事を頑張った。
企画・営業・実験・報告・知財・予算管理などなど、国の補助金を取りに行ったり、他の先輩を巻き込んでチームで全力で頑張った。
毎日吐いて180センチ50キロまで体重が落ちたりかと思えば、90㎏まで太ったり、心臓が止まって倒れたり色々あったが、このころは本当に楽しかった。
そのかいあって、3年後にはバイオ系が会社のメインになり、俺は仕事で責任者を任されるようになった。
先述の先輩もバイオ系に移動になり、俺の部下になった。
そいつは他の仲間と上手くやれず、じゃまなのでムダな資料整理とかをやらせておいた。
しかし給料は年俸300万のまま1円も上がらなかった。
純利益でも10倍どころじゃなく稼いでたはずなんだが……
俺は仕事が楽しかったし、なにより先述の先輩が肩身狭そうにしているのが笑えたので基本的に満足していたが、他の仲間は昇級していたらしいので、さすがにおかしいと思い始めていた。
そんなおり、後輩の女の子が上司(50代女)のうわさ話を聞いたと言ってきた。
要約すると
「ピペドさんは履歴書が汚いし、バイオ系だし、よそには行きにくいだろう。そういう人は安く使えていいのよね」
と言うようなことをトイレで言っていたらしい。
その子もバイオを馬鹿にされて悔しいのだろう、泣いていた。
俺は再度復讐を決意した。
俺は転職活動を始めた。しかし俺を取ってくれる会社はなかった。
中には
「お前もう33でしょ?勉強はできたはずなのに何してるの?普通は結婚して家庭を持ってる年だよ?
ちゃんと生きてこなかった奴は顔見りゃわかるよ。なんか童顔で赤ん坊みたいな顔してるもん」
なんて言ってくる面接官もいた。
コイツにも後日復讐はしたが、それはまた別の話。
仕方がないから、俺は資格を取得した。
チームの仲間に、資格を取ったので転職活動を始める事を伝えると、上記の女の子や他の先輩も転職するというので、みんなではげましあいながら転職活動を頑張った。
その後チーム5人とも転職を決め、復讐を開始した。
方法は簡単で、仕事を完全に放り投げてやめることにした。
シンプルで一番ダメージがでかいと思ったから。
女上司には、上記の5人で同じ日の1時間おきにやめると伝えに行った。
俺は3人目だったが、怒鳴り散らし始めたので全く話を聞かずに、無表情のまま退職届の封筒で鼻をツンツンしてやった。30分間くらい。
5人目だった奴はペンをぶつけられたと聞いている。
奇しくもその日は女上司の誕生日だったので5人目の奴と話し終えた女上司が、会議室から事務室に戻ってくる際、電気を消してケーキにロウソクに火ををつけて、ハッピーバースデーを歌ってあげた。
たぶん感動したんだろう。プルプル震えていた。
そして俺達は、最初に出てきた先輩に仕事を全て引き継いでやめた。
5人分の仕事をすることになった彼は大変そうだったが、やりがいのある仕事なので頑張ってほしいなと思った。
数か月後、先輩は機械を壊してやめ、女上司は離婚し、会社はやはり儲かってはいないようだと聞いた。
仲間の中の一人が取引先に転職したんだけど
「もうあそこ空気最悪っすよ」
と笑っていた。
俺は後輩の子に告白されたけど、断ったせいで気まずくなり、他の3人にも会えずにいる。
読みにくい長文で、また、つまんない復讐でごめん。
今日ちょっと色々あって、どうしても吐き出したくなったんだ。
最後に一言。
バイオ系(生物、生化学、生理学、農学など)の院には行くな。マジで。
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