後味の悪い話【14】 短編5話
生贄要員
「魔の起源」という本に載っていた山の神の解釈が後味悪かった。
山の神は、名前のとおり山に住んでいるといわれる人の姿をした神で、目と足が一つづつしかない。
本の中で、山の神に関するこんなエピソードが古典から引用されている。
山の神が村に下りてきて人を襲った。
襲われた人は「あわあわ」などと悲鳴を上げながら、抵抗らしい抵抗もできず山の神に殺された。
山の神は鬼なのだ。
山の神が村に来た理由も人襲った理由も、村人たちが黙って山の神が暴れるのを見ていた理由もなく、「鬼なのだ」としか記されていない。
著者はこのエピソードに対し、以下のような考察を述べている。
かつては日照りなどの際に、神に人間のいけにえをささげる風習があった。
そして身寄りのない人間や流れ者などを、いけにえ要員として『飼って』おくことがあった。
いけにえ要員に逃げられては困るので、逃げられないように片目をつぶし片足を奪ったという。
それが片目片足の『山の神』の正体だ。
殺されるために生きている身が哀れだったので、時に暴れまわっても村人はとがめたりしなかったのだろう。
当時は、日照りや冷夏などの異常気象が、即、村単位の死活問題になるハードモードだったから、現代人の感覚で物を言ってはいけないのは分かるけれど「いけにえ要員の飼育」という考え方はやりきれないものがあった。
児童失踪事件
ここ最近の不審者や変質者は昔のように怖くなくなってきたなーと思う。
露出魔が日常茶飯事過ぎて、問題にならないくらいの子ども時代だったよ。
小学校卒業までに、男女関係無く全員が露出魔と遭遇していたくらいだった。
たとえば、運動会に露出魔が出現して、徒競走の列に混じって走っていた時はさすがに怖かった。
露出魔に抜かれた自分は走るのをやめて避難してたけれど、先頭きって争って走っていた女子三人は露出魔に追いかけられる形になって泣きながら逃走。
ゴールした露出魔は集まった保護者にボコボコにされてた。
昔の不審者は本当に命の危険を感じるくらい怖かった。壊れ方が半端なかった。
親にしてみたら、今も昔もずーっと何も変わってないらしいが。
そこで、ある失踪事件の話を投下したい。
いつ頃の話や地域等々具体的にはふせさせてもらう。
自分宅も、通っていた高校の近くも、地域一帯の治安がよろしくなかった。
入学当初、親戚には「あそこは女の子殺されてるんだよー」と半ば脅かされていた。
親も心配になって自転車通学を許してくれなくて、高校三年間バス通学だった。
そんなある日、その近くで子どもの失踪事件が起きた。以下淳二(仮名)
身代金目的の誘拐ではなかったらしく、淳二がいなくなってすぐに公開捜査になっていた。
「アンタが小学校の時もあったわね~」と親も興味津々。
「小学校に未咲ちゃんって子、いたでしょ?」
「未咲ちゃんもいなくなったけれど、その日の夜の十時頃に巡回中の警察に保護されたのよ」
「緊急連絡網が回ってきた時はさすがに緊張したわよ」
「ふーん。でも、こんな騒ぎにはならなかったよね?」
「そうねー。この淳二のいなくなった場所から少し離れたところでね、未咲ちゃんは保護されたのよ」
「普通なら、小学生の歩く距離じゃないじゃん!」
「未咲ちゃん、まだ低学年だったのよ。ちょっと普通じゃないでしょう?」
(未咲ちゃん宅)―《五十分》―(未咲ちゃん保護)―《五分》―(淳二失踪現場)
※《 》は徒歩の場合
「それで、PTAが学校や未咲ちゃんの親に聞いたらしいんだけれど。道に迷ったってことで終わったわ」
「っていうか、話がそれたよー。淳二って子が問題だよ。早く見つかると良いね」
新聞やテレビでも、速報的な扱いで淳二の失踪事件を報道して協力や情報提供を呼びかけていた。
印象的だったのは淳二の親の名前・職業等が詳細に報道されていたこと。
テレビの映像でも警官や警察犬の数がやたらと多かった気がした。
うっそうと木が茂っているけれど、山の中でもないのに初動捜査にかなり力を入れていた。
自分も「あんな所でも子どもがいなくなるんだー。車通り激しいのに」とビックリしていた。
後日、淳二は失踪現場で無事に発見された。
失踪直前に淳二に接触していた人物も任意の事情聴取されたらしいが、否認。
淳二は失踪現場にずっといたと証言して事件性は無いとされて、報道も沈静化。
「おかしいよねー。警察犬が探しても、淳二が見つからなかったんだよ」
警察はあの初動捜査の段階でかなりの人数を投入していたのに、淳二を即保護できなかった云々新聞にも責められていなかった。
「何で、失踪現場にずっといたって淳二は言ったんだろうね?」
自分がそう聞くと、親はちょっと間を空けてこう言った。
「あんなの嘘に決まってるでしょうが。子どもが無事なら、それで良いの」
未だに、あのきなくさい事件は忘れられない。
お化けや幽霊よりも、そういう裏のある事件の方が怖い。
北海道姉妹孤立死の真相
この前TVで見た北海道姉妹孤立死のドキュメンタリー。
姉妹は四十代で、その内妹が知的障害持ってて自力で生活出来ない。
二人の収入は妹の障害年金:月七万円程度。
姉は妹の介護もしており、働きたくてもなかなか働けない上に、四十代というのもあって、面接受けまくっても雇ってもらえない。
病院で診てもらうも、原因不明の頭痛で体調も芳しくない。
姉は体調不良をおし、職探しと並行して妹を受け入れてくれる施設探しもしていた。
施設も職も見つからず、耐えかねた姉が三回に渡り区役所に生活保護の相談にいく。
だが元担当者は姉に考え直すように説得したり、
「職探しをしていると生活保護は貰えない」
など、何かと理由をつけて拒否。
姉は生活が困窮している事を元担当者に再三訴えるものの、渡されたのは申請書ではなく、障害者団体が作った非常食用の缶に入ったケーキ:十日分。
漸く姉はスーパーのレジ打ちのバイトが決まるも、妹の介護が必要で数日で辞める。
恐ろしい程寒い真冬の北海道で、料金滞納でガスは十一月末で止められたまま。
結局、生活保護を受けられず、姉は脳内血腫で急死。
妹はその後自力で生活出来ず凍死。
姉の頭痛の原因は脳内血腫の初期症状だった。
姉の携帯電話には、姉の死後妹が押したであろう111の発信記録。
遺体発見後も、いとこが引き取るまで一週間以上も引き取り手が見つからなかった。
この出来事だけでも相当後味悪いんだが、この中に区役所で姉妹の担当やってた奴のインタビューがあって、それがまたひどかった。
それで元担当者へのインタビューだが、
インタビュアー「どうする事も出来なかったのか」「姉達が苦しんでいる事は分かっていたのに」
元担当者「SOSを受け取る事は確実に出来る」
インタビュアー「ならば他に何か出来た事があったのでは?」
元担当者「だがこちら生活保護の押し売りは出来ない」「姉が『申請します』という言葉を言ってくれればよかったのに」
インタビュアー「……」
つまり、
姉「生活保護ほしいです」
元担当者「しんせいのじゅもんを いってください」
姉「妹が介護必須で職探しも難航しててとても困窮してます」
元担当者「じゅもんが ちがいます」
だから生活保護が出せなかった。
こちらから提案は出来ない。
『申請します』という言葉を言えば申請書あげたのに、自分は間違ってないと、あまりにひどい責任逃れの言い訳と屁理屈で見てるこっちも絶句した。
三回も相談に来て、このままじゃ生きていけないからと切実に訴えたのにな。
本当に必要で申請したいから三回も相談したのにな。
狂言月極駐車場
三年ぐらい前の実話。
俺は自家用車を、一軒おいて隣の20台程度収容の月極駐車場に停めている。
ある日、いつものように駐車をし家に帰ったら、二十三時過ぎに来客が来た。
ドアホンで見たら警察。
何事かと思って慌てて出たら、駐車場の隣のマスに停めている黒いワンボックスカーの扉についた傷の件について話を聞きたいという。
現場に行くと、見事に白い傷がついていた。
一目でペンキなどを塗った棒状のもの(例えば交通標識のポール)などに擦ったような傷と、後から付けたような細い傷がついており、当然俺に全然関係がないものだった。
ところが、俺の自動車の後部にもいつの間にか傷がついており、一か所は昔からある傷、もう一か所は全然覚えの無い細く長い傷。
しかもその二つの傷の幅が、ワンボックスカーの扉の傷と全く同じ高さ、同じ幅。
なるほど、これは保険金詐欺だなと思い、警察から鑑識に来て貰う事を選んだ。
こちらには一切思い当たることは無いし、この傷は時期的におかしいと主張したが、最初に来た巡査は傷の幅が一緒だから認めてくれ、面倒だしというスタンス。
それは公正性が無いから黙っとけと言ったが、鑑識が来るまでぶつくさぶつくさ文句を云う。
早く帰りたいとか、これだけ証拠があるのにとか嘯いている。
だが、鑑識が来て詳細を見て貰ったら即時、
「ああ、これは別の傷ですね。私はこの傷が同じ原因とは言えません」
という結果が出た。
当時俺の自動車は、極稀に運転する事がある祖父母の為に高齢者のマークがついていた。
高齢者宅に深夜に警官がいきなり来れば、大抵はびびって謝罪し、お金も貰えるとでも思ったのだろう。
が、自分に瑕疵が無いのにお金を払う謂れは無い。
鑑識の結果を以て逆に、
「こちらを陥れようとした可能性があるので、最初に訴えた人の名前を教えてください。下の長い傷は彼に付けられた可能性有ります」
と云ったのだが、巡査が教えようとしない。
何度要求しても逃げる。
鑑識が帰った後、ワンボックスカーの持ち主と巡査が逃げるようにいなくなった。
腸が煮えくり返っていた俺は、翌日警察署に向かい、昨日の件の落とし前をつけてやろうと思っていた。
神経が高ぶって寝られず、午前四時ぐらいに再度現場に行くと、ワンボックスカーの傷は殆ど拭き上げられており、細い傷がついているだけだった。
一見派手に見えたのは、コテか何かで傷っぽく何かを塗っていただけらしい。
とりあえず写真を撮り、そのまま寝いった。
午前九時半頃、眼が覚めて現場に行くと、既にワンボックスカーは無く、駐車場のオーナーに聞くと、散々俺の悪口を云い、傷つけられたので駐車場変えると云い放って解約したらしい。
昨夜の顛末を話して、そいつの名前を聞いたが教えようとしない。
仕方がないので、警察署に行き、そいつの名前と昨夜の巡査の名前を尋ね少し調べてみた。
すると、その二人が中学高校と同級生で、且つ割とやばい連中が集まっている場所に住んでいる事が分かった。
一応釘を刺しに行くかと思い、ワンボックスカーの持ち主の家に行くと、丁度自動車に乗ろうとしている持ち主と鉢合わせになったが、俺を見るとすぐに逃げだした。
その後、そいつの家にワンボックスカーが戻ってくることは無かった。
おそらく売りに行ったのだと思う。
それだけで終わればいいのだが、その後俺の自動車に何か所か傷をつけられた。
当然想定していたので監視カメラをつけていたのだが、俺のミスで赤外線付きのつもりがついておらず、不鮮明で犯人が断定出来なかった。
その後自動車に関しては特に問題なくなったが、カメラさえちゃんとしたものを買っておけばそいつに天誅を下せたと思うと悔しくて堪らない。
そして、最近俺と全く同じような感じで訪ねてきたやつに、謝ってお金を払ったという知り合い(近所の人)が出てきた。
つくづく失敗したなぁと思う。
安達ヶ原の鬼婆
福島県二本松市に伝わる安達ヶ原の鬼婆。
昔、京都の身分の高い大臣の屋敷に乳母として奉公していた岩手という女がいた。
彼女が世話をしている幼い姫君は生まれつき重い病を患っていて、いつまでも口がきけないありさまだった。
あちこちの医者に見せてもよくならず、ある高名な祈祷師にお願いすると
「姫の病気には、臨月の孕み女の体内にいる、赤子の生き胆を飲ませれば治る」
と言われた。
何としてでも姫の病気を治してさしあげたい岩手は、まだ赤ん坊の自分の娘を置いて、生き胆を求め旅に出た。
旅の中で妊婦はいくらでもいたが、そう簡単に人殺しをするわけにもいかず月日ばかりが流れていった。
旅を続け、とうとう陸奥までたどり着き、そこで見つけた岩屋に住みつき機会を待った。
さらに時は流れ、岩手の髪に白い物が混じり始めた頃、ある日の夕暮れに若い夫婦が一夜の宿を求めてきた。
見ると女のほうは今にも生まれそうなほど大きなお腹を抱えていた。
はやる気持ちをおさえ、親切そうに家に上げもてなしたその夜、女が腹痛を訴え出したので、岩手は夫を言葉巧みに遠く離れた村へと使いに行かせた。
二人きりになると、出刃包丁を振りかざし女に襲い掛かった。
腹を切り開き、赤子を引きずり出すと、念願の生き胆を抜き取った。
すると虫の息となった女が絞り出すように岩手に語りかけた。
「私には幼いころ京で生き別れた母がおります。その母を探して夫婦で旅をしてまいりました。もしあなたが岩手という名の人に会ったとき、この形見のお守り袋を渡してください」
そう言うと息絶えた。
その言葉に愕然とし、お守り袋を確かめてみると実の娘の名前の「恋衣」と書いてあった。
岩手は自分の娘と孫を殺してしまったのだ。
全てを悟った岩手は髪を振り乱し、岩の壁に頭を打ち付け、のたうち回って泣き叫び、とうとう気が狂ってしまった。
それから岩手は本当の鬼婆となって、旅人を岩屋に誘い込んでは食い殺すようになったという。
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