震災の時にあったずうずうしい話 短編5話【4】
【クズ】震災が起こった後に引っ越してきた子連れコトメ
四月に関東に転勤してきました。コトメから解放されてのびのびしてます。
事の始まりはあの震災。コトメは福島の内陸の市に嫁いでました。
避難指定の場所じゃないけど子供が小さいので、
早めに旦那を置いて実家に避難した。
そしたらあのホットスポットで実家もその地域だったので沖縄に避難したいと騒ぎだした。
しかし沖縄に引っ越すにも手蔓も知り合いも無く親子で行くのは怖いと言うことで、
我が家が四国に転勤で居るからといきなりやってきた。
本当にいきなりで駅にいるから迎えに来てと電話して来た。
義両親にも一言も無く出て来たそうで、
義両親も戻って来いと言っても
兄ちゃんの子は安全地帯だろうけど家の子は生死の境に置いていいの!
と義妹は切れて大騒ぎ。
結局敷金礼金家財一切義両親負担で我が家の社宅近くにアパートを借りて
子供を保育園に入れてパートを始めたのはいいけど、
熱が出てとかで保育園休む時はいつも私を当てにして子供を置いて行く。
家にも幼稚園児がいるから移ってしまうから、私が大激怒で実家に帰ってから
旦那が病児保育に行かせるように義妹を説得した。
それでも父親がいる行事になるといつも旦那が呼ばれる。
家の子の運動会と重なって家の子の運動会に来たら、
ひいきだと義妹が家に怒鳴りこんできたことも。
ここまで来ると義妹は離婚したのかと思うでしょ?
離婚して無くて義妹夫は原発関連下請けで
休めるような勤務でなく働きまくっていたそうだ。
やっと休みが取れて子供に会いに行くと言ったら、
義妹は放射能が移るから来るなと言い放ったそうだ。
それでも離婚しない旦那は偉い?
とにかく迷惑掛けまくられ、
家の子捕まえて親が揃っているからって
でかい顔して家の子いじめたら承知しないからとすごむ始末。
流石に旦那は両親に文句を言って
転勤を早めるように本社に掛け合い関東の端に来ました。
義妹にも義両親にも場所を知らせてません。
元社宅の周りにも会社にも口止めしてあります。携帯も替えました。解放感~
義両親には一応電話して、
コトメに迷惑掛けまくられたから転勤先は教えないと言ったよ。
義両親はうちぐらい教えて欲しいとごねたけど
今までどれだけコトメに迷惑掛けられてもいさめることも出来なかったくせに
何を言うと旦那に怒鳴られておしまいでした。
旦那には義実家よりになったら離婚ときつく言い渡してあるからね。
その後
福島から四国に避難して来て、
当時四国住まいだった我が家に迷惑かけまくられて、
義実家ともコトメとも絶縁して転勤で逃げた話を書いたものです。
たしか12年の5月だったのでもう二年弱経ちます。
全部連絡を絶つといけないと言う話を聞きますので
旦那の前の携帯を基本料金だけで生かしておいて
義実家とコトメ専用にしてあります。
最初はコトメからの留守電吹き込みは、罵倒の連続でそのうち哀願にかわりました。
私達からの絶縁を突き付けられた義両親が、コトメ親子を迎えに行ったようです。
ですがコトメは頑として承知せず、
かといって私達の居ない四国では自分にメリットがないのに気が付いて、
沖縄に移住して行ったそうです。
沖縄に行って浮気をしたコトメは
愛してるをストレートに言ってくれる沖縄の男性に夢中になり、
けなげに仕送りしてくれていた東○下請け会社勤務で
当時激務で時間の無い旦那さんに離婚を申し渡したそうです。
旦那さんの親も出てきて、義両親に抗議したりして、かなり揉めたそうですが
子供を旦那さん側に渡すことを条件に、勝手に出て行った事不倫した事で
慰謝料をコトメ・コトメ浮気相手ともに旦那さんに支払わない・養育費も無しを条件に
子供を旦那さん側に渡しました。
旦那さんが仕事を辞めて子供と共に実家に帰ったそうです。
コトメは浮気相手と一緒に暮らしはじめたのですが、
そのうち浮気相手に妻子が居ることが判明。
奥さんに怒鳴り込まれて、すごすごと義実家に戻って来たと
留守電に長く何回も分けて、ぐだぐだと義母が吹き込んでました。
義母からの留守電を聞きとってから、
あまりな結末に書き込もうと思っただけなので。
コトメは今義実家で働くことも無く家で引きこもりだそうで、
なんとか働いて自活するように説得してくれと言うのが、義母の電話の目的でした。
あんなに甘やかしておいて今更だと思いますけど。
福島→四国→沖縄の二回の移住の費用もすべて義両親持ちです。
生活費は元旦那さんからの仕送りだったらしいですけど。
四国では私の旦那がきつく言ったので、パートをしてましたけど
沖縄ではずっと遊んでいて、浮気相手を見つけたようですしね。
四国では子供はまだ保育園でしたが、沖縄では小学校なので
午後には帰って来てしまっても、コトメは家に居ず、
子供は一人でアパートに居たようで、近所の人が面倒見てくれていたようです。
それでも流石に小学校に連絡が行って、
担任やらからコトメに連絡を取ろうとしても捕まらないので、
義実家にも連絡があって義両親があわてて沖縄まで飛んで行った事があった
とも吹き込まれてました。
それで義両親にとがめられて、コトメが離婚してやり直す!と騒いで
こういうことになったらしいですよ。
コトメの子供が父親側に引き取られたのはよかったと思いますけどね。
四国でもコトメが子供の世話をあんまりしないのは見てわかりましたから。
東北の方言
ものすごく不謹慎だから叩かれるの覚悟で書く。
今回被災した息子(60歳くらい)が、離れたとこに住んでる母親に
姉とその息子達(母からすれば娘と孫)が死んでしまった、ということを伝えにいく…ってのがニュースでやってた。
母は息子から聞くまで、娘達が死んだことは知らない。
自分は涙もろいほうで、家族を亡くした悲痛さを想像したらこの時点で辛くて辛くて涙目。
家族を失った2人を勇気付けるために、近所の人数名が息子に付いてたんだけど
その人たちが何をしゃべってるのか、訛りがすごくて全く理解が出来なかった。
横で励ましているらしいんだが、正直アフラックのアヒルが横でグヮグヮくっちゃべってるみたいだった。
その状況がシュールすぎて、気付けば涙が完全に引っ込んでた。
社員寮で、同僚数名と見てたんだが、みんな同じことを思ったらしく
誰も泣いてる奴はいなかった。言葉の影響力ってすさまじいんだと痛感すると同時に
人間って結構薄情な生き物なのかもしれない、と衝撃だった。
「それは私が買ったはずの水だ!!クレ!!」
モヤモヤしてるので吐き出します。
我が家は今日の地震で震度5強のエリア。
マンションの7階だったのでかなり揺れたけど、ちょっとものが落ちる程度でした。
でも市内は断水。朝から給水車の放送が流れてました。
東海地震の警戒エリアということもあり、備蓄の水もあったんですが、
念のため近所のスーパーへ娘とともに水を追加確保するために出掛けました。
やはりみんな同じことを考えているらしく、国産の安いミネラルウォーターの棚は
すでにカラッポ。
お昼近くなっていたので仕方ないなーと思い、
ボルビックの大ボトル2本、お茶1本を購入。
ほんとはもっと買いたかったんですが、エレベーターが止まっていたので、
もって昇ることも考え、諦めました。
で、その他買い物をして店の外へ出ると、幼稚園ぐらいの男女の子供を
連れたママに声をかけられました。
内容をまとめると
「うちが買うはずだった水だ! クレクレ」です。
どうやらうちの少しあとに店に入ったら、すでに売り切れになっていたらしく
カートに入れて店内を歩いていた私に目をつけ、待ち伏せしていた模様。
我が家も必要で購入したので、ソッコーで
「どちら様ですか? 無理です」
と振り切って行こうとしたのですが
「水を渡せ! 話が違う!」
とでかい声でわめきはじめました。
もちろんそんな話などしてないのですが
周りには少しずつ人が立ち止まり始めました。
「小学校などに給水車もきてますよ」
と教えると
「あんな行列に並んでいられるか! 水渡せ! こんな小さな子供が水なしでかわいそうだと思わないのか!」
と、怒鳴られました。
この時点で面倒くさくなって、水を投げ捨て逃げたくなったのですが
一部始終を見ていた娘3歳(年少)が
「○○組の××くん」
と小さな声で呟きました。
どうやら同じ幼稚園の隣の組の男の子だったらしく、
娘は夏休みに幼稚園のお友達の顔を見れてちょっと嬉しそう?
クレママは娘の言葉を聞き、何故かギョっとして
「××じゃないですから!」
と言い捨て、急いでその場を去りました。
うちの幼稚園は私立なのですが、地元ではお受験園というほどでないにしろ
まあまあ有名で、お行儀や親のマナーにもうるさい園です。
もしかしたら幼稚園に噂が広がるのを避けて逃げたのかも??
とりあえず暑い中呼び止められ、ぐったりしたので
もし園で見かけたら、チェックしてみたいと思います。
あんまりスッキリでなくて申し訳ない。
朝5時すぎから起きてて、弱ってるので寝ます。
震災と同時に携帯ゲームのサイト辞めたら死んだ人にされた
何年か前に携帯ゲームサイトでゲームをしていた。
ソロ志向だが、非課金だと辛いので諦めて何人かフレを作った。
挨拶やコメントとかが面倒になってきた頃に震災が起きた。
揺れる直前までフレンドに挨拶回りしていたが、揺れに気付き放置。
震災に全くと言っていいほど関係ない地域に住んでいたが、
なんとなくゲームする気になれず、思い出した頃に携帯が水没して機種変。
最近、友達に招待ポイントが欲しいから登録してくれと頼まれ、新アカウントで登録。
とりあえず前に着ていたお気に入りの服を探すために、前のアカウントを探して見てみたら、
震災当日「○○さん!大丈夫ですか」などと心配するコメントがずらりと並んでいた。
数日過ぎた頃には「お願い、生きていて」「元気だって返事してくれ」などのコメ。
数ヶ月後には追悼コメのオンパレード。(顔文字)つii←お線香みたいな絵文字。
最後のほうは「イベントクリアできました。きっと天国で○○さんが応援してくれているんだね」
「○○さんの代わりにゲーム頑張ります!」など天国の住人扱い。
最初のほうのコメを見たときに申し訳ない気持ちになり、
ちゃんと謝らないといけないなと思い、コメした相手のページを見ると
震災直後は嘆き悲しむ日記。その後も震災の日前後になると、悲しみ一杯のポエム。
悪いとは思いつつドンビキした。
きっと純粋な人なんだ本当にゴメンと思うように頑張ったが、
自己陶酔な日記やコメを見てたら、本当に死んでたら応援どころか呪ってやるわと思った。
受験しなくて済むのに
去年の正月の話。私の実家に一家(旦那、息子、娘)で帰省した。
実妹とその息子 も帰って来てた。
私は被災地在住で、実家は新幹線の距離。実妹は実家から車で小一時間の距離に住んでいる。
甥っ子はその時高二で、もうすぐ受験生。
食卓での話題も甥っ子の進路の話になる。
実妹や父母も甥っ子sageなことばっかり言うので、甥っ子もちょっと可哀想で、私達もうんざりしてた。甥っ子は小さい頃から勉強苦手というか、やる気ないというか。
そもそも実妹夫婦はあんまり真面目に教育に手をかけなかったし。
ウチの子(甥っ子の一歳下)を塾に通わせた時だって「そんなに小さいころから勉強ばっかりさせたら可哀想」と言われたんだ。
なのに今になって成績悪いのやる気ないのと責められているのはそれこそ可哀想だった。
そんなわけで、わたしと旦那は甥っ子の励まし役にまわってた。
でも甥っ子も後ろ向きなことばっかり言うのでいい加減イライラして来た。
そしたら甥っ子が、
「クラスのみんなで言ってるよ。ああ、こっちにも津波こねえかなあって。そうしたら受験しなくて済むのにって。」
と。私たち一家はピクッとなった。
隣にいた旦那の顔色が変るのがわかった。
妹や父母は「ああ、それならお前でも大学入れるかもなあ」なんて笑ってて、私達の変化に気付かない。
そしたら、旦那がそれまでとは違う冷いトーンで
「おまえ、津波で死ぬより受験がイヤなのか」
甥「受験免除された人がいっぱいいたじゃん。うらやましいなあって」
旦「死ぬよりイヤなんだったら受験なんかしなきゃいいじゃん。」
甥「そういうわけには。高卒に仕事なんてないし」
妹&父母はまだ笑ってる。
旦「受験ごときが津波で死ぬよりイヤな人間なんて、たとえ大学出たって仕事なんか無いよ」
このあたりで妹&父母が旦那の異変に気付く(おせーよ)。
甥「冗談だよ。本気なわけないじゃん」
旦「お前の通ってる高校の連中は、そういう冗談を言いあってるのか。おまえの通ってる高校の知的レベルは最低に近いな。んなんじゃそもそも受験なんかしても無駄だ。」
と真顔で言った。
そしたら甥っ子が「ミーーーーン」と泣き声をあげて泣いた。ホントに「ミーーーーン」って泣いた。 まだ耳に残ってる。
妹は「なんてこと言うの!」とか怒ってたけど、旦那は止まらず。
「死ぬより嫌な受験だけど、怖いママに怒られるのはもっとイヤなのか。マザコンが。」 「ああ、不愉快だ。どうせ周りの大人もそんなことばっか言ってんだろ」と言いのこして部屋から出ていった。
実妹は顔真っ赤にしてミンミン泣いてる甥の手を引っ張って「家に帰りましょ」と言って出ていった。
父母はシーンとしてた。
二人にはわたしから「前にも被災者が、高速道路が無料なことを『うらやましいわねえ。身体障害者と同じね。』とか悪口をいろいろ言って旦那にブチキレられてたでしょ。ホントにこりないんだね。つうか何が悪いんだかわかってないんでしょ」と言っておいた。
ウチの息子と娘はその間、黙々と御飯食べてたw。
息子らがご飯食べ終わったのを見計らって、簡単に荷物詰めてタクシー呼んで帰った。
実はヘタレで気にしいの旦那は、あんだけの帰路「言い過ぎたかな」とずっとくよくよしててウザがったww。
翌日、父母からは謝罪の電話がかかってきた。
年寄だし、まあ許してやることにした。
「三回目は無いよ。孫に会えなくなるよ」と灸をすえておいた。
妹と甥っ子はその後会ってないのでどうなったか知らね。
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