【長編- 名作】スカッとする話
私と兄と姉は幼い頃、父から虐待を受けてた
復讐というより因果応報的なお話
私と兄と姉は幼い頃、父から虐待を受けてた
殴られるなんてあたりまえ、姉はストーブの上に乗せられたり私は熱湯をかけられたり
兄は鼻が折れるほど殴られたりしてた。母親はかばってくれた。母の体も痣だらけだった
父親が働かないので母が夜のお仕事をして私たち兄弟を支えてくれた。
当時給料は日払いか手渡しの時代だったのでお金が入ると母親から無理やりとり
ギャンブルをしてすべて使ってしまうので母親は家のいろんなところに隠してた
お金の場所がわからないと父はイラつき私たちにあたり散らしありかを知らされていた
兄にお金の隠し場所はどこだといって殴りまくってた。兄は絶対に口を割らなかった
母親は離婚を考えていたが、兄や姉が苗字が変わってしまい、転校するのはツライと
母親に伝えていたので母はためらっていた。
ある日、兄の担任の先生がきて兄の様子がおかしいと言われて、母は家での事情をすべて話した
子供の環境を考えると離婚を視野に入れたほうがいいのではと話され、転校するなら
転校先の学校に根回してツライ思いをさせないようにするからと担任に説得されたそうだ
それからしばらくして父親が闇金にお金を借りて払えないので母と私たちを置いて逃げた
当時、弁護士とかそういうのは当たり前じゃなかったので払う義務がないはずなのに
母が払うことになった。
母の姉にお金を借りて引っ越し、父とは離婚成立。母は私たち3人を抱えながら
数百万の借金を返す生活を余儀なくされた。朝から夜中まで働き、私も幼いながらも
母が大変なのがわかったので兄弟協力して家事をやり生活してた。
片親だからといって母は子供に不憫な思いをさせまいとして運動会の日は朝3時から
起きて場所取りとお弁当作りなどをしてくれた。お肉はほとんど食べたことなかったけど
運動会のときのから揚げとウインナーとおっきなおにぎりは本当においしかった。
しばらくして私たちも大きくなり、末っ子の私も中学生になっていた
そのころ家に父から電話がかかってくるようになり、母に金の無心をしていた
それに腹を立てた私は父から電話が来るたびに「どの面下げて電話してくるんだ。
死ねよてめえ」などと罵声をあびせて電話を切ると父は母の職場に電話をしてきて
「どういう教育してるんだ」と「金よこせ」などと迷惑をかけるようになった
当時、まだ中学生で母に迷惑かけてしまった自分を責めてると兄が「母さんとお前たちは
俺が守るから」と慰めてくれた。父のせいで母は職場を変えざるを得なかった。
私が高校生になったころ、兄が就職で県外にいってしまい、母と姉と私の生活
バイトしながら家計を助けてやっと父の借金を返し終わった頃に真っ青な顔した兄が帰ってきた
どうしたのかと問うと兄の家に一通の手紙がきたそうだ。金の無心をする父からだった
兄の引っ越し先を教えてないのどうして父が知ることができたのか、
当時、個人情報保護法が施行さる前の話だったので生活保護の受給をしたくて市役所にきた
父に「息子さん同じ市に住んでいるので息子さんに養ってもらってください」と市役所の人が
勝手に兄の住所を教えたことがわかった。
兄は当時、結婚を前提に付き合っていた女性と同棲していた
その女性に市役所から住所を教えてもらった父がきていて父が勝手に兄の妻だと思って
金の無心をしてたらしい。彼女は父に数万渡してしまっていたとのことだった
兄は「どこまで俺達を苦しめればいいんだ」と泣いていたのを覚えている。
兄は市役所に抗議したが、「あーそうだったんですか。でも子供なら養えば?」と
市役所の職員の対応は本当にクソだったらしい。埒があかないので今後父とは関わりたくないので
住所をを教えないでほしいと強く訴え、市役所もそれをなんとか了承してくれ、彼女にはお金を返し
引っ越しをせざるをえなかった。
それから10年以上たち、去年に市の生活保護課から手紙がきた
内容は「子どもなんだから父親を養え」的な手紙。もちろん断った。住所を教えないように釘をさした
んで昨日兄から連絡がきた。父が死んだから遺体を引き取ってください的な市からの連絡
もちろん兄は断り「生ごみの日にだすか無縁仏に入れるかしてください」と答えたそうだ
今、やっと父から解放されて兄弟全員結婚して母は姉夫婦と同居しており孫に囲まれ楽しく暮らしてます
母は「離婚してからのほうが幸せだよ」が口癖です。あまりすっきりしないかもしれませんが
決着がついたので記念カキコです。
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