『ストーカー返し』など 短編5話【33】本当にやった復讐の体験談

『ストーカー返し』など 短編5話【33】本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐【33】

 

ストーカー返し

2年くらい前の話
姉のストーカーを俺と友4人でストーカーし返しました
マッチョ5人にストーカーされるなんてめったにない経験にストーカーは泣いて喜んでました

姉がいわゆる「清純そうな小柄黒髪ロング」という外見なもんで変なのがよく来ます
中身はバリバリの腐女子で格闘技いくつかの有段者なのですが、
有段者だからこそ手出しができないわけで

とりあえず
・朝起きたら窓の外にマッチョ
・公衆トイレの入り口にマッチョ
・通りすがりにケツを撫でるマッチョ
・「俺と付き合いたいんだよね?」とニヤニヤするマッチョ
・気持ち悪いポエムを送るマッチョ
・バイト先でニヤニヤしながら見てるマッチョ
・ゴミをあさるマッチョ
・etc.etc…..

ケツ撫で以外は全部姉がやられたことをそのままやり返しました
ケツ撫では「女性の心細さを思い知れ!」と思ったのでやりました

警察駆け込んでも無駄
「マッチョ5人に付け回されてます!」なんて誰も信じねーよ
最後には土下座と、弁護士立会いの下で誓約書いただきました
その後も1人ストーカーでましたが、更に大人数のマッチョで撃退しました

 

クズな父親

小学生の時に両親が離婚した
離婚の原因は母親の浮気
けど浮気の原因は間違いなく父親にあったから私は母の味方だった
私の父親はなんというか、優しいけれど気が短く自分勝手で暴力的な人だった
私が少しばかり失敗するたびに殴ったり、酷い時には鋏で腕を切られたこともあった
(失敗の例としては食事の時に大皿の上に醤油をこぼしてしまった、左手で箸を使ってしまったなど)
けれどそれ自体は私にとっての日常だったし、失敗しない分には優しかったから気にしてなかった

そんな風に毎日を過ごしてたある日、父の故郷から祖父母が来た
事前に連絡もなく、父の独断で呼んだとの事だった
けどそもそも狭い三人暮らしの我が家に泊めれる部屋があるわけもなく
取りあえず来てしまった以上帰すわけにも行かないので、
仕方なく私が近くにある母の実家に身を寄せる事にした

半年くらいその生活を送り、父方の祖父母がやっと帰ったので私も久々に自宅に戻った
そうして驚いた、久々に見た母親があんまりにもやつれていたから
後から聞いた話によると、父方の祖母に結構酷い事をされていたらしい
けど、私に心配をかけたくないからか母は何も言わずただ今まで通りの生活に戻った

それから一年くらいして、母がある男性を私に紹介してきた
それが母の浮気相手(以降Aさん)だった
その人は気が弱そうだったけど、優しくて穏やかな人だった
私の事も可愛がってくれて、本当憧れのお父さん像そのままみたいな人だった

浮気自体は悪い事だし、離婚してから付き合うのが筋ってものかも知れないけど、
多分この時の母には逃げ場が必要だったんだと思う、
だから母を責めることなんて私にはできなかった
流石にその歳の頃(小学高学年)には、
父親の行動(暴力や自分勝手な振る舞い)はおかしいと思っていたし、
なにより母に幸せになって欲しかったから離婚してAさんと再婚することをすすめた

 

でも母が離婚の話を踏み出す前に、父が離婚すると言い出した
それも『浮気をされて自分は精神的に傷ついた』という名目で、
私の親権、家や土地の権利諸々を取り上げた挙句、
母とそのAさんに慰謝料を請求しての離婚だった

その後裁判だとかなんだとかしたけど、結局母は負けて全部父のものになった
けれど仕事の忙しい父に私を育てる事なんてできなかったから、母の実家で育てられることになった

それから中学を卒業するまでの間は比較的穏やかだった
母とAさんは相変わらず仲が良く、私もそんな二人が大好きだった

高校二年生くらいかな、父が再婚すると言い出した
相手は私の友人Cのお姉さん(以降Bさん)、どうやら子供が出来たらしい
それでその人と一応お会いしたが、泣きながら逃げられた
話に聞いて私の存在は知ってはいたが、
実際自分の目で他の女と父の間にできた子供を見るのが辛かったらしい

そこまでは別にいい、いくら頭で理解していてもそりゃショックだろう
でも流石に私に学校やめて働けというのは我慢できなかった
理由はこれから結婚式、出産、育児、そしてBさんの教習所の費用、
更に自動車をプレゼントする約束などでお金が必要になるから
無駄なものに金をかけることが出来ないからだとのこと

正直こんなふざけた話受け入れられるわけがない
、だからしっかり話し合い私の親権を母親に譲ることで取りあえずは落ち着いた

今度こそこれで平和になると思っていた
けどこの話から二年くらい経ってから、Aさんが自殺した
原因は父だった、どうやら父は母が自分の目の届かない場所で幸せになるのが許せなかったらしい

だからAさんにストーカーなどの嫌がらせ行為をして精神的に追い詰めた
結果、私や母をもう父に関わらせないようにと一人で耐えていたAさんは欝になり自殺
Aさんの自殺を受けて母もだんだんとおかしくなり、一年も経たない内後追い自殺

 

ここまでが前置き
私に何かがあるとかなら耐える事が出来たけど、
母と優しかったAさんをこんな目に合わせた父を許す事ができなかった
なので取りあえず父がやった方法を真似て、Bさんに対していやがらせをした

毎日無言電話、気持ち悪い写真を送りつける、恨み言を綴った手紙を送る
これを一年くらい続けたら、Bさん精神的におかしくなっちゃった
でもこれでも足りないから、Bさんの事を嫌ってるCに協力してもらって、
父とBさんの間にできた子供(以降D)を連れ出してもらった

それで何回も何回もDに会って仲良くして、Dに色々教えてあげた
Bさんは悪い魔女さんなんだよ、お父さんはその手先なんだよ、
だから退治しないと食べられちゃうよって
その頃は既にBさんは育児できる状態じゃなかったし、
父は昔から変わってなかったからDはあっさり私のことを信じた

そこからは笑えるくらい上手くいった
Dは私の言葉を信じて、Bさんや父に対して目いっぱい反抗した
で、もちろんのことそんなDにイライラして父はDやBさんに暴力を振るった
その後は言わずもがな、父は虐待と暴力が原因でBさんの両親に離婚させられて一人ぼっち
Bさんは実の子供に酷い事を言われたのと、父の暴力のせいで悪化、病院行き

すごく長くなったけど、これで終わりです
巻き込んでしまったDとC、それからBさんのご両親には悪いけどものすごくすっきりした
先日、Dを養子として引き取ることにしたので思い出として吐き出し
こんな酷いことをした私だけど、これからはDを誰よりも幸せにしてあげたいと思う

相談

10代のころ近所に住む従兄弟から性的虐待受けてて親友に相談したら
親友だと思ってたのは私だけだったらしくて次の日には噂になってた。
従兄弟だって言ったのに弟と近親相姦を楽しんでることになってた。
田舎だったから中学にあがっても高校に行っても
その噂を知ってる人が何人もいてずっとイジメの対象にされた。

1年ほど前、みくしーでその元親友を見つけた。
ぜんぜん恨んでないよ~ってフリして接触したら、
色々と悩みがあって弱っていたときだったらしく
すぐに仲良くなれて色々相談されるようになった。

悩みっていうのは不倫だった。
「真実の愛に目覚めてしまって辛い」等とぬかすので
元親友がしてくれたように、それを歪曲して広めまくった。

結果、元親友は離婚されて親権も取り上げられて
噂を訂正してまわったけれども不倫は事実だから誰にも相手されなくて
精神崩壊してメンヘラになった。

とどめとして「会ったときに一言でも謝ってくれれば許すつもりだった。
噂を広めたのは私だよ。」と告げたら完全におかしくなった。
今は檻付きの病院にいる。状態は日々悪化しているらしくて嬉しい。
彼女の両親はまだ私のことを中学からの親友だと信じているので
近況を聞きに行くのが今の楽しみです。

 

ネチネチお局

ようやく書き込むことが出来るようになりました。読みにくかったらごめんなさい。

1年半在籍した部署の、元先輩社員であるお局様に復讐してきました!
当時あるショッピングセンターで販売員をしており、配属された先がこの部署でした。
部署の構成は、社員が3人(主任、お局、私)とパートの人が10人ほど。
お局は40歳に満たない位の未婚女性です。
先にお局にやられたことを書きます。興味なければ復讐のとこまで読み飛ばしてください。

主任やその他上司がいないところで毎日1時間ほどの意味不明なお説教。
テンプレにありそうなほどの人というか、揚げ足取りが上手いというか、
とにかく何につけてもネチネチ攻撃してくるんです。

自分が教えたことも忘れているらしく、お局の言う通りにしたことも
「誰に教えられたんだ!全くアンタは人の話もろくに聞けないry」と文句をよく言われました。
証拠のメモもあったのに、とにかく私の話は全て「言い訳すんなクズ」で流します。
それは私が会議に出ている間、パートさんが気を利かせてやってくれた仕事に対しても
「年上をこき使うなんて良い度胸だ。言い訳すんなry」と嫌味全開。

 

あとは
・男性には分からない程度の無視や嫌味
・逆に女性の前では横暴の数々(パートの奥さん達に「だから結婚出来ないpgr」されてた)
・空気読めという説教の後に、「今日の社員慰労会は参加強制じゃないよ?」と繰り返し迫り、
私が実際に休むと次の日「アンタがいないからあたしが言い訳しなきゃならなくなったふじこふじこ!!」
・私の仕事が上手くいって表彰される時、裏に呼び出して「調子に飲んなry」と八つ当たり
・「親や友達もあんたと同程度なんでしょw」
挙げたらキリがない。

毎日理解出来ないことで怒られ続け、何をしたら良いのか分からなくなり
うつになったところ、労働組合の人が私の話を聞きつけてわざわざ来てくれました。
どうやらこの店舗の各部署のパートの奥さん達が、私のことを店長達に訴え続けてくれてたようでした。

後で「前に仕事教えてくれたからそのお礼だよ!」と
収束してから話してくれました。ほんとに感謝してます。
そしてとんとん拍子で私が異動となり(お局は針の筵)、それから1年経ち、
結婚して別の地域に移るため退職をしました。

 

ここから復讐です。

いくつかの部署を担当して、退職して1年経っても、思い出すのはお局に対する恨みばかり。
これは直接対峙してすっきりしないと一生後悔すると思い、この前店に乗り込んできました。
もちろんレコーダー持参!

顔見知りの人がいるところをかいくぐり、お局にご挨拶。お局びっくり。
極めて陽気に話しかけ、結婚や今の仕事の楽しさなど、さりげなく幸せアピール。
当時から私の成功が気に入らないお局はだんだんイライラしてました。

そしてお局の表情と口癖を真似つつ
「お局さん結婚は?あー、仕事お好きなんですよねwwでも主任にはならないんですかぁ?
もうなれる年齢ですよねぇ??プププ」
「お局さんっていつも私に空気読めって言ってましたけどー、そんな私でも必要としてくれる
会社と夫はいたみたいですwwwあれっ?お局さんはもしかして…??プププ」
といった、ネチネチ攻撃してみましたw
そしたらイライラが頂点に達したらしいお局が私に反撃してきました。

だから、私がこの部署を異動になる前にやってきたことを暴露してやった。
・労働組合に訴えたこと
・店長や全ての部長にやられたことを報告したこと
・上司の前では猫かぶりがうまいお局の印象をぶち壊すため、
当時レコーダーで録音したものを厳選して聞かせたこと
・半信半疑だった上司達がこちらにつき、一応裏付けるために調査したところ、
パートの奥さん達がさらに細かく背びれ尾ひれをつけて仕打ちの数々を話してくれたことw
・この会社は数年前に新しい昇進制度を取り入れたため、
ほとんどの奥さんを敵に回したことでお局の昇進は絶望的になったこと
・労働組合で問題として取り上げられたため、
別店舗に行っても要注意人物として扱われること(直接偉い人から聞いた)
・各店舗にいる同期が噂を流してくれたらしいこと

こんな内容を、多分半泣きでグダグダになりながら言ってみたら、お局取り乱してました。
ざまあああああ!!

そして話す声がでかくなり、一見ただのお客さんに見える私は、
元上司二人が通りがかるところを見計らって「もうやめてください!!」と声をあげてみました。
とりあえず嘘はつかないように本心は隠しつつ
「久しぶりに地方に帰ってきたから店に挨拶しようと思って…あんなことがあったからレコーダーは持ってたんです…でもいい加減お局さんも変わってくれてると信じてたのにダメだった…」
とかなんとか言いながら泣いて、2人にレコーダーを聞かせてみました。

勤めてた時に吐かれた暴言をw
「あたしこんなこと言ってません!」とか叫んでましたが、
聞こえてくるのは間違いなく彼女の声。録音時期は違うけど。
ぎゃーすか言ってるお局に呆れる上司達。ざまあ。

最後に、嫌な思いさせたと謝る上司に、
「いいんです、結婚出来た今はもう幸せですから!」とお局の顔見ながら言って帰ってきた。

お局と同じレベルに堕ちた自分が嫌にもなりましたが、すっきりしました。やっと忘れられそうな気がします。
今日は晴れ晴れとした気持ちで、夫と出かけてきます。

 

飲酒運転ひき逃げ

狙って、というか偶然やってきた機会を復讐に使った話
身元バレ防止の為一部フェイク入れています。
またグロい表現が多少あり長文になります。読みにくかったらすいません。

自分の母親は10年ほど前の春の夜に父親と一緒散歩途中、
飲酒運転のオッサンにひき逃げされて殺された。
家で留守番していた私は父親の「母さんが目の前で轢かれた!」っていう
絶叫にも近い電話で現場にかけつけた。

道路にブレーキ痕は全くなく車の進行方向とは逆のところに
血痕と細かい無数のガラスの破片が散らばっていた。父と一緒に母を探した。
母親はおよそ70mほど吹っ飛ばされた田んぼと水路の隙間で見つけた。
私がダメ元で心臓マッサージした。父を呼び警察・救急呼んだ。

すぐ警察と救急が到着した。ほんの数百m(本当に視界に入るぐらいの場所に)先に病院があった。
父だけが付き添いでいった。

私は残りわかる限りの状況を警察に説明していたところにフロントガラスが半壊状態の車が戻ってきた。
ソイツだった。赤ランプが大量に点灯していて怖くなって戻ってきた、といった。
前が半壊状態で前が見えないから窓を開けて運転してきた、といった。
その場でソイツは逮捕された。思わず殴りかかろうと思ったら警察にひきとめられた。

 

その家族(母親と2人暮らし)もクズだった。
通夜に来たとき、その男の母親と男性がきた。追い返そうとしたら玄関で土下座した。
けど言った言葉が「J●(某協同組合)に言われたから来た」
分厚い香典?の封筒をたたき返した。
(その後葬式、初七日、初盆など一回も訪問どころか墓参りや電話ひとつなかった)
男は最初懲役3年3か月と言われた
(飲酒運転で捕まった経歴があるせいなのか執行猶予はなかった。ごめん、そこらへんは記憶が定かでない)

けど上告して結局2年7か月ぐらいになった。模範囚、とかで結局は2年ちょっとで出所した。
出所してからも上記の通り一行にこちらに連絡とることすらなかった。
同じ市内で車で20分程度のとこに住んでるのにな

前置き長くなってすいません。ここからが本筋です。
私は介護施設に勤めていて現場での責任者をしている。
ひとり入所者がなくなり次の入所者予定の書類を確認していたらその中にあの親子の書類があった。

あの母親がどうやら介護認定受けたらしい。男と2人暮らしでかなり困窮しているらしくここらの
地域では一番安いところをチョイスしたら私の勤務先に偶然申し込み依頼したらしい。
生保だった即座に事務長とこにいってソイツの書類と一緒に辞表を持って行った。

洗いざらい上記の事全部ぶちまけてコレが入ったら虐待しかねない、辞めさせてくれ、と申し出た。
何故か辞表は受け取ってもらえなかった。
そしたら2日後には全く違う人が入所していた。ソイツの書類は見かけなくなった。

 

正直わかってたんだ。施設が私を辞めさせれない事は。
ただでさえ人手が少ない上に現場の下の者の不満を抑えていたのが私だったから。
下手に私が辞めると連鎖的に少なくとも4人近く抜けることが目に見えてわかっている状態だった。

後、ちょっとした資格持ちでそっち方面でも色々としていたので余計にやめさせ辛いだろう、と。
その後は簡単だった。その地域にある施設のほぼ8割に知人がいたので泣きながら上記の事を訴えた。
残り2割は費用がお高い施設だったので生保にはまず手を出せないところばっか。無視した。

そして2日前、民生委員から連絡があった。
電話をとったのは父親だったので聞いてみたら何かの恩赦を与えて欲しい、との事。
(そこらへんは詳しくは聞いていない)無論拒絶。
現状を聞きだしたらしく聞いたらいまだ2人暮らしで暮らしている、とのこと。

あの時の書類の内容思い出した。
生活情報のところに「酒乱」「DV」「不潔行為」「徘徊」って言葉、書いてあった。
緊急連絡先とかも息子以外は書かれていなかった。
(次の連絡先には民生委員の名前が書かれていた)

介護者としては最低の事をしたと思っているけど、後悔はしていない。
私が虐待なんぞするよりもあの2人だけでずっと惨めに暮らして
最後にのたれ死んでくれれば最高の供養と思っているので。

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