予定日一週間切った妊婦の時に震災が起きた
東日本大震災の時に予定日一週間切った妊婦だった
前日に検診を受け、まだだと思うけど痛みが続くとか変わったことがあればすぐ連絡するように言われて帰宅
翌日昼寝しようとしたところに大地震
実家は原発から約40キロのところだった
元々婦人科疾患持ちでかかりつけ(総合病院)が里帰り受け入れしてないから、妊娠発覚から実家近くのかかりつけに隣県から通っていた
そのかかりつけが入院患者を家に帰しているとの情報を貰い、連絡するも電話に誰も出ない
ようやく繋がったと思ったら、「被曝の影響がわからないから逃げて欲しい。自分(産科医)も状況によっては逃げる」と
逃げろと言うが予定日まで数日なのに受け入れ先どうするのか受け入れてくれても持病があるのに紹介状をどうするのか聞くと、口頭で対応するので自分で受け入れ先を探せと…
焦って隣県のアパート近くの産婦人科に連絡すると、こんな状況でお困りでしょうから…と快く受け入れ承諾してくれそちらに行くことに
仕事が当面休業になってた弟が運転して、弟嫁が後ろを走ってくれて、山道を五時間ちょっとかけてアパートまで戻った(主要幹線道路はガソリン渋滞で動かなかった)
その時は本当に修羅場だった
携帯の電波も入らないような山道で産気づいたらどうしよう、私の気を紛らわそうと色々な話しをしてくる弟の隣でそればかり考えていた
結局娘は予定日を10日近く過ぎて、病院も自宅も水が出るようになってから生まれて来た
中毒症になってしまったので小さめだったけど、特に大きな病気もせずに元気に育っている
娘が大きくなれば笑い話に出来るよと励まされたりもしたけど、私にとっては一生笑い話には出来ない事だと思う
津波やその他の被害で家や家族を亡くした方たちに比べたら小さな修羅場だけど、あの時は鬱状態になってしまい出産までほぼ引きこもりだった
最後に病院の名誉のために少し補足すると、私が病院に電話した時に出たのは若い医師で私の担当医(産婦人科で一番偉い)ではなかった
私の担当医は分娩室で出られないとのことだったし後日看護師の友人から聞いたところ、担当医は他の先生が来ないなか1人で入院患者のケアや救急対応していたそうだ
電話に出た若い医師がその後も病院にいるのかは知らない
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