『見合いで発覚した身内の前科』など 短編10話【104】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『見合いで発覚した身内の前科』など 短編10話【104】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【104】

 

急激に老け込んだ友人

40代半ば。

友人Aも同い年。

Aとは10年ぐらい前からの付き合いだが、最近ちょっとしんどくなってきた。

Aは美人さんというより可愛らしいタイプで、出会った頃は20代と言っても誰も疑わないぐらい若々しかった。

着ているものも、バッグや靴やアクセサリーも可愛いものが多くて30代だけどハートやクローバーやリボンの形のものを身に付けても嫌味にならないというかそれが似合ってる人だった。

元気な人だったから一緒にいても楽しいし、若くて可愛らしいAと一緒にいるのは刺激にもなるし良い友人だと思っていた。

ところが2年ぐらい前から、何故か急激に老けこんで肌もカサカサ、髪もパサパサ。

法令線が目立ち、目の下のクマも濃くなっている。

何かあったのか、悩み事でもあるのか聞いてみても何もないと言うにでそれ以上は聞けない状態。

“しんどい”というのは、以前と違って年相応、もしくはそれ以上・・・

早い話が年齢より老けて見えるようになった現在でも相変わらず20代のファッションに身を包んで現れる。

時にはひざ上10cmのフレアースカートにポシェットの斜め掛けとか目頭にハイライトを入れたお化粧とか、20代というより10代って感じ。

いくらなんでもやり過ぎだと思うし、ここまでくると正直みっともないと思ってしまう。

何度か

「そろそろ年齢相応の恰好したほうがいいと思うんだけど」

って言ったことある。

でも

「私、こういうのが好きなんだからいいの」

って言われる。

だけどすれ違う人がファッションから顔に視線が行ったあとに浮かべる嘲笑のような表情が自分にも向けられてる気がして落ち着かない。

それでここ最近はお誘いがあってもなんのかんの理由をつけて断っていたんだけどとうとう

「最近避けられてる気がするけど、何か気に障ることがあるならハッキリ言って」

とメールが来た。

でも何度も言ってスルーされてるんだしなぁ。

 

どこでも声かけられる彼女

18歳から付き合ってる彼女が

「私って知らないところに行くと、すぐ知らない人から声かけられるの」

と言っていた。

どういうことだろう?と最初は首を傾げていた。

大学生になって初めての連休で彼女と東京に行くことになった。

行った場所は、秋葉原、上野、池袋なんだが、彼女の言っていたことが明らかになった。

まずは秋葉原。

最初は駅で外国人に

「地下鉄はどこですか?」

と聞かれた。

彼女は初秋葉原なので、JRの案内所的なところに案内していた。

JRの職員って英語が使えないのな、

「そこーのしんごーう、左!左!えっと、レフト!それかーら」

とか言うから外国人困惑。

彼女が英語できたので道を伝えて途中まで案内した。

そして駅まで戻ろうと俺が道を確認していると、少し目を離した隙に今度は男五人組がまた彼女に話しかけた。

「あのー、メイド喫茶ってどこですか?案内してくれません?」

すぐに彼女を連れてJR駅まで戻った。

そこから歩いて上野に向かっていたら、道中俺の後ろを歩く彼女が急に俺の服を引っ張った。

振り返ると見知らぬ男女数人が彼女の腕を掴んで

「一緒にコスプレしてみませんか?」

「着てほしい服があるんですけど」

無理やり彼女の腕を引っ張ってその場を脱出。

もしかして秋葉原がダメなのかと思って池袋に移動した。

が、池袋でも油断ならなかった。

俺がゲーセンのトイレに行っている間に、メガネかけたうすらハゲのおっさんが

「写真とか興味ありませんか?」

俺が近寄ると直ぐに逃げていったけど何の声掛けだ?

その後サンシャイン水族館を探してうろうろしてたら、今度は

「未成年の娘?」

と今度は太ったおっさんが声をかけてきた。

彼女は歩く時に腕組んだり手を結ぶと歩きにくいからと嫌うんだが、あまりにも酷くて手をひっつかんで歩いた。

すると声もかからなくなった。

東京は一体どうなってるんだ?女の子はみんなこんなに声かけられんの?今でも割りと疑問。

その翌年も彼女と友達に会いに東京に遊びに行ったが、また外国人に新幹線乗り場で声をかけられてたし池袋に行ったら

「テレビ出てみたくない?」

と声かけられた。

その翌々年は大阪の天王寺と難波あたりに旅行に行った。

日本橋の付近に行った時、彼女は

「一緒にメイド喫茶行って下さい」

と男三人組に声かけられてて乾いた笑しかでなかった。

天王寺ではゲーセンで道を3度聞かれた。

これ、平和な日本だからこんだけ声かけられても安全だけど、海外に行ったらどうなるか予想もできない。

日本からでられないねーと彼女はケラケラ笑ってたけど、見てるこっちは笑えないほど彼女の声かけられ体質は異常だと思う。

 

見合いで発覚した身内の前科

上司の姪御さんと見合いした時、双方納得の上でお互いの家に素行調査を入れることになった。

見合いだし念には念を入れってことで。

そしたら

「貴方の親族に前科者がいる。これはちょっと…」

と言われた。

え??と仰天する俺と家族。

チャッカマン並みにすぐ火がつくうちの親父がブチギレて

「うちには前科者なぞいない!ケチって安い興信所に依頼したんだろう!」

と相手は上司なんだからもっと穏便にと言っても止まらないキレっぷり。

しかし確認してみると、知らん間に従兄弟がほんとに前科者になってました……orz

昔からちょっとおかしいとこのある従兄弟だったんだがオレオレ詐欺の手先の、金を取りに行く役をやって捕まり前科がついたらしい。

その後、子供の頃なんだかんだ理由をつけてやらずにいた知能検査をしたら軽度の知的障害があると判明したそうで…

身内に前科者&知的障害がいるということで俺アウト。

知的障害だけなら破談はなかったらしいが前科者、しかも隠してた、親父のブチギレでスリーアウトチェンジだった。

隠してたんじゃなく知らなかったと言っても後のまつり。

知的障害を検査せず野放しにしてた従兄弟の親の存在もマイナスだった。

俺は会社に居づらくなり数年後に転職。

俺の家は従兄弟の家と疎遠になり、転職を機に俺も実家と疎遠になった。

自分が結婚しちゃいけない人間のような気がしていまだ独身だ。

結婚祝いで打ちのめされた

くだらない嫉妬だと思うけど、聞いてほしい。

同僚Aとは新卒で入った会社の同期だった。

社員同士は仲がよく、ほどなくして二人とも社内で彼女ができた。

俺は部署の同期(今の嫁)、AはOJTだった2個上の先輩とカップルに。

ただ、この会社はとんでもなく激務で、俺と嫁は1年過ぎた頃に退職。

給料は低くてもそれなりの時間に帰れる会社に移った。

Aと先輩は会社に残ったが、それでも交流は続いてた。

その後、嫁に子供ができて俺たちは結婚した。

嫁はちょうど契約社員として働いて1年というタイミングで、デキ婚にかなり嫌みを言われたそうだが、でも結局産休も育休もとれた。

親もあまり良い顔をしなかったけど、なんとか息子も生まれ、初孫としてかわいがってもらってる。

多少波風はあったかも知れないけど幸せだと思っていた。

そんななか、先日Aと先輩が婚約したと知らせがあった。

仲間内でのお祝いがあり、俺たちも新居に呼ばれた。

お祝いの気持ちはもちろんあったが、正直、同じ社内婚でうちは既に子供も居て、結婚生活に先輩風吹かせにいってやるか、という気持ちもあったと思う。

でもそんな思いはすぐに打ち消された。

広いマンションに、整えられてモデルルームみたいな家具。

料理なんてしなさそうだったバリキャリ風の先輩の作る料理も絶品だった。

式は某有名ホテルであげるのだと言う。

先輩は高給と噂だった、前職のクライアントの企業からスカウトされ転職。

AもAで、そのまま仕事を続け20代で既に昇進していた。

とにかく、あまりに自分と違う現状に打ちのめされてしまった。

それからと言うもの、今の生活全てが味気なく思える。

ウマメシのはずの嫁の料理を見ても、先輩の料理と比べてしまう。

息子が散らかした1LDKの部屋も、Aの家と比べてしまう。

家具も、安い、統一感のないものばかりに思えてくる。

今も生活費はかつかつで、今後も挙式もハネムーンもできそうにない。

親にも友人にも祝福されて、お金もあって、計画的に貯蓄もして結婚式をあげて…という結婚を、自分がこんなにうらやましく思うとは思ってもいなかった。

嫁もやたらAたちに攻撃的になっている。

長文で愚痴ってごめん。

でももうリアルじゃこの黒い気持ちをどうしたらいいのか、正直わからない。

 

彼女がコンビニ依存症だった

別れた彼女がコンビニ依存症だった。

それも重度の…

結婚を視野に入れて同棲を始めたんだけどとにかくコンビニコンビニ…

デートに出かける時もコンビニへ絶対寄る(別にこれは全然OK)

普段朝昼晩、(俺が働いてて帰りが遅い日)三食すべてコンビニ弁当専業でぜんぜん良いから普通にご飯つくろうよ…健康にも悪いしと言うもコンビニ弁当のほうが美味しいと言い、俺が作ったご飯をあまり食べたがらない。

人並みに料理は好きなんだが…

しまいにクリスマスどこいく?とデートのプラン立ててる際に

「コンビニがいい」

と言われ唖然。

コンビニは寄るけど、レストランとか予約しない?せっかくのクリスマスなんだしと言うも

「コンビニ弁当以外ありえないwレストランとかお金かかるしw」

プレゼントはコンビニで売ってる化粧とかでいいとか言うし結婚指輪はコンビニで予約できないかな?とか、冗談で言ってるのか?と聞き返すとものすごく不機嫌になる。

で、極めつけが

「結婚式、コンビニであげられたらなぁ…」

と車の中でセブ○イレブンを見ながらうっとりした表情でぼそぼそ独り言。

だんだん彼女のコンビニへの尋常じゃない依存度やらに冷めていき結局別れる羽目に。

別れたら私の生活どうなるの…と終始ぶつくさ文句を言われたがなんかほっとした。

で、しばらくしてほとぼりもさめて、たまたま友達と地元のコンビニ寄ったら元彼女がコンビニ店員になってて唖然とした、そしてなぜか笑いが出てしまったw

気まずいので俺は車で待って友達に買い物を頼んだ。

どうして店の中に入らなかったのか?と聞かれたので素直に答えたら

「よかったじゃんw大好きなコンビニと一緒になれてw」

と一言。

さらに年月経って俺も別の人と結婚して、家族と出かけた帰りにコンビニに寄ったら未だに店員でいた元彼女に驚いた。

嫁にそのことを話したら

「いろんな意味ですげぇ…」

と驚かれた。

落ちが微妙ですみません…

それでは。

 

旦那は6人兄弟

旦那は6人兄弟。

そのうち義両親が産んだ実子は3人。

長男=実子

次男=養子

長女=実子

三男=養子

四男=実子(これが旦那)

五男=養子

最初に「養子3人、実子3人」と聞かされていて、次男の義兄に「俺はほんとはいとこ」と言われていたから養子は全員親戚なんだろうなと(勝手に)思っていた。

つい最近知ったが、三男の義兄はまったくの他人でしかも元放置子だった。

三男の義兄はすごいおっとりとした人で、他はみんな大家族らしく、食に関しては弱肉強食の掟で生きてるんだが三男の義兄だけは

「俺はいいよいいよ~俺の分食べていいよ」

って譲っちゃう人。

こう言っては失礼だが一番育ちがよく見える人なので衝撃だった。

三男の義兄の実親が

「あの家はどうせ実の子供じゃない子がいっぱいいるし一人増えても変わらないだろう」

とターゲットにして毎日放牧し、食事も与えず世話もせず義両親が怒って

「いらん子ならうちがもらう」

って養子にしちゃったのだそうだ。

三男の義兄は当時10歳くらいになってたから実親の記憶も、養子になったときのゴタゴタも全部記憶にあるそうだ。

「いや~おとんとおかんには恩がありすぎて頭あがらないよ~親孝行しなきゃ」

とニコニコ言ってる義兄も、

「そうだそうだ、たっぷり恩返せ」

と言いながら同じくニコニコしてる義母もなーんのためらいもなく三男の義兄を

「にーちゃん」

と呼んでる旦那も全員凄いと思った。

何より6人全員大学まで行かせた義両親が凄い。

かなり複雑な家庭だと思うんだけど、全員新卒で就職して上から順番に結婚して一人もドロップアウトしてない。

義父が国家公務員のエリートでなかなかの高給取りだったからできた技かもしれないがなかなかやれることじゃないと思う。

ちなみに三男の義兄の実親は今行方不明だそうです。

 

ボケた祖父にショックだった

自分の中では修羅場というか、ショックが大きかったこと。

母方の祖父が「ボケた」ということに直面した時。

母の実家は関西、うちは関東だったので母方祖父母に会うのは年に数回。

それでも祖父はとても可愛がってくれて、特に自分は初めての男孫ということもあったのか特に良くしてくれた。

祖父の趣味の山歩きなんかにも文句言うどころか喜んでついていったり歴史やらに興味があって小旅行に連れていってほしいと良くお願いしてたから旅行も好きな祖父にとってはやはり嬉しかったのだろうと思う。

要は馬があったのだろうけども。

自分もいろんな体験をさせてくれる祖父が大好きだった。

高校生になり大学受験の頃になると夏休みに遊びにいけなかった。

現役では合格できなくて、それでも祖父は受験シーズン後にわざわざ関東に来て2泊くらいの旅行に連れていってくれた。

偶然かもしれないが、その旅行先で自分が勉強したいものを認識して、一年後に希望したところに入れた。

大学生の頃は勉強を真面目にやってて、夏休みも祖父のところに行くことができず。

それでも4年になり就職も決まって卒論も出せたので卒業前の冬、遊びにいってみた。

関西に行く前に

「もしかしたら爺ちゃん、ボケてしまったかもしれないから…」

と母から聞いてはいたのだけど、志村けんのコント程度でしか老人のボケを知らなかったのであまり気にしなかった。

(父方祖父母はその頃まだまだしっかりしてた)

祖父母宅に着くと祖父は寝てて、同居の叔父夫婦や祖母と団らん。

途中トイレに立って、ちょうど起きてきた祖父と廊下でばったり会った。

俺「爺ちゃん、きt」

祖父「あんた、誰や」

完全に初対面の人を見る目だった。

ちょうど叔父もトイレに行くために通りかがって

叔父「なに言うてんの。○○君やろ、わざわざ来てくれたで。」

祖父「○○君?この人誰や、なんで知らん人が家におる?」

叔父「まあええから、飯食うか?」

とリビングに連れていく。

後で叔父は

「すまんの、平気な時も多いけどたまにボケてしまって…後で思い出すかんしれんし悪気があるわけではないから、気にせんといて。」

とフォローしてくれた。

認知症ということは理解できても、あれだけ可愛がってくれた祖父が「家の中にいた不審者」の扱いで自分を見たことがとてもショックだった。

同時に、認知症とはこういうものなのか…とも。

一緒に暮らして世話をすれば確かに精神削られる。

結局、翌日の夜くらいに祖父は自分を思い出したみたいで、その後は前と同じように話をしてくれたりした。

帰る時、玄関から家の中を見ると部屋の中から手を振ってくれる祖父がいて安心した。

結局、それが最後に見た祖父。

一年半後亡くなってしまった。

それから10年ほど経って。

祖母はまだ存命だったがすっかり体が弱ってしまい、母が東京に引き取り暮らしていた。

認知症はなかったがどんどん弱って同居介護も限界なので特養?に入ることに。

幸い、実家のすぐ近くのところに入れたのでいつでも会いにいくことはできた。

ただ自分は仕事が忙しくて顔を出すことができず。

それでも時間を見つけて母と妹、妻と息子を連れていってみた。

自分以外の人と話す時は関西弁も交えたいつもの会話。

ところが自分が話しかけると他人行儀で敬語。

今まではそんなことはなかったのに。

10年前の祖父の時のことがフラッシュバックするように蘇った。

祖母もついに認知症か…わかっていてもやはり辛いものがある…

と思っていたら。

母「なんで○○だけ敬語で話すの?えらい他人行儀で」

祖母「ん?△△さん(自分の父)やないの?」

母「メガネかけて見てみ」

祖母「あ、ホンマや。背格好も顔もそっくりやからわからんかった。ははは」

(自分と父、父方祖父は非常に似ていて、大人になってからの同じ年ごろの写真を並べると見分けがつかない。父と母方祖母は仲は普通だけど、祖母が世話してもらっている引け目を感じて話す時は他人行儀だった。)

そこからはそれまでと同じように話して。

でも自分に他人行儀な祖母を見た時は自分の中で軽く修羅場だった。

富士山マニアのアメリカ人

学生の頃アメリカ人の留学生が同じサークルに入ってきた。

髪はブロンドですらっとしてる美女、日本語はかなりできる。

富士山マニアで、富士山のことなら何でも知ってんのね。

春は桜が綺麗だからどこどこの地域のどういうスポットから撮影すると美しいとか、冬ならどこどことか、どの温泉から綺麗に富士山が見られるかとか、どういうグッズが販売されてるとか、富士山に関することなんでも全部インプットしてる。

当然ケータイやハンドバッグにも富士山のストラップつけてたり、ポストカード収集してたり。

で、大学の近所に古本屋があって、そこは大正時代から昭和初期ごろのポストカードや絵ハガキなんかも大量に取り揃えてる珍しい店。

しかも安くて5枚組で100円とかそういう価格。

面白いからサークルの仲間と一緒にそこに美女連れて行こうぜという話になって面白半分に連れてった。

何があるのか内緒にしてろくに説明もせず連れてったもんだから、今じゃ絶対手に入らない富士山の昔のポストカード見つけて

「キャーー(≧▽≦)オーマイガッ」

あと俺らも店行くまでノータッチだったんだけど大正時代頃に刷られた富士山の錦絵見つけて

「ヒャーー(≧▽≦)オーマイガッオーーマイガッ」

店の人がふっ飛んで来たほど大騒ぎしよった。

サークルの仲間や俺に金借りて紙袋2つ分ご購入。

半期の留学だったため半年しか居なかったんだが、最後にサークルでお別れ会やった。

当然俺らはプレゼントに富士山グッズを用意。

おそらくまだ美女が手を出していないであろうということで、別れの品は富士山の絵手拭い(高級品)、富士山のジグソーパズル、富士山の扇子、あと富士山関連の和菓子いくつか。

「ピーー(T▽T)オーマイガッ」

超音波みたいな声出して泣きながら喜んでくれた。

ピーーって言ってたわ。

–後日投稿–

この話には続きがあり・・・

この前富士山が世界遺産に登録されたじゃん。

美女と一番親しく付き合ってた元サークルの子に、美女から9年ぶりに英語のメールが届いたそうな。

以下、美女からのメールの和訳の要約

富士山おめでとう!日本人おめでとう!

富士山が世界遺産に登録されるのは長い道のりだった!

でも信じてた!富士山は世界一!イッチバーン!

富士山愛してる!

的な内容。

俺んとこには和訳の転送のまた転送のメールが来たから原文は未確認。

にしても日本人より富士山の世界遺産喜んでるんじゃないだろうか。

以上、富士山マニアのアメリカ人美女の話でした。

 

友達と価値観が違った

小1の頃から仲良くしていたSさん。

どうやって仲良くなったのかあまり覚えてないけど入学式の次の日あたりにはすでに仲良くなってた。

Sさんは大人しくてゲームやアニメが好き、私は外遊びが好きでゲームにはさほど興味がなかった。

正反対の趣味なのになんとなく話しやすいという理由だけで仲が良かった。

小4になってSさんと別々のクラスになったこともあり、クラスで新しい友達ができてからSさんと遊ぶことはなくなってしまった。

小5でまたSさんと同じクラスになったけど、Sさんは不登校になってしまった。

4年の時のクラスに馴染めなくて酷いいじめを受けていたらしい。

4年生の時、珍しくSさんに誘われた(普段は家でゲームをすることが趣味でSさんから外遊びに誘ってくることなんて一度も無かった)のに新しいクラスでできた友達との約束を優先してしまったことをひどく悔やんだ。

反省と言ってはおかしいけれど学校のある日は毎日Sさんの家にプリントを届けに行った。

Sさんの体調がよいときは家に入って一緒にゲームで遊んだりして、プリントを届け始めてから3ヶ月くらい経った頃から少しづつ学校に来てくれるようになった。

でも、学校に来られない日も多くて実際は月の半分も登校できていなかった。

同じマンションに住んでたので5年生の秋くらいから、毎朝Sさんを迎えに行っていたけれどそれは変わらないまま小学校卒業を迎えた。

Sさんは近所の中学に進学。

私は親の転勤で東北地方に引っ越すことになった。

Sさんやその他の友達数人と住所を交換(小学生だったのでまだ誰も携帯なんて持ってなかった)して文通を始めた。

中学には全く馴染めなかった。

中学生という難しい年齢もあったのかもしれないけど、あの田舎はよそ者には冷たかった。

中学で友達は一人もできずにいじめられるだけだったので、小学校時代の友達たちから来る手紙はとても楽しみだった。

でも、そんな手紙も中1の夏休みが終わったあたりからは次第に来なくなったけど、前略プロフ(当時大流行してたSNS)で、小学校の友達の一人が

「勉強や部活が忙しいけど中学校生活を楽しんでいる」

というようなことを書いていたので、 Sさんも中学では楽しくやっているから連絡がないのだとずっと思っていた。

私が専門学校に進学する際、Sさんの家まで歩いて数分のところにあるアパートに住むことになった。

(学校指定がたまたまそのアパートだっただけで近くに住みたかったというわけではありません)

懐かしくなってSさんの家に電話をしたらSさんは小学生時代と変わらずに話してくれて、今度会って遊ぶ約束までした。

とても楽しみだったけれど、約束の時間に30分経ってもこない。

家に電話(携帯の番号は知らなかった)したら、めんどくさいから家で遊びたいとのことだった。

それでも私は嬉しかった。

うわべだけの人間関係ではなく本当に気を使わずに話せる唯一の友達と6年ぶりに会えるのだから。

家に入ると、Sさんは相変わらずゲームやパソコンをしながら話す。

私なんてまるでそこにはいないかのように。

それでも会えたことだけでとても嬉しかった。

Sさんは中学校も不登校で、高校は不登校の子向けの通学日数の少ないところを卒業。

それから アニメかゲームの専門学校に通っていると言っていた。

専門学校は毎日休まずに通っていると聞き、嬉しかった。

私はそれからも何度かSさんと遊んだ。

それから少し経った頃、小学校時代の友達同士で集まることになった。

全員が大学生や専門学生なので安物でもそれなりにお洒落には気を遣うけれど、SさんはよれよれのTシャツにジャージ、履き古したスニーカーにノーメイクという、小学生時代と全く変わらない服装でやってきた。

 

犯罪者の末路

中学の時、ある女子グループから虐められてた
汚いだの死ねだの言われてた

ある時、そいつらが万引きをしてると知った(自慢げに話してたから)
中学の行動範囲なんて知れてるし、田舎だから繁華街なんて一つしかない
遊びに行く予定を盗み聞きして、決行

デパートで集団してコソコソやっている所を店員さんに通報
見られてるのを知らず、目の前で鞄に入れたものだから
売り場から出る時に全員捕獲

次の日、誰も学校に来なかったw
後から聞いた話、通報されて全員親バレ、泣きながら叩かれたりとかしたらしい
親に全部私物引っ繰り返され、余罪もバレ
特に私を虐めてた女は、親が警察官だったようで本当に修羅場、
彼女にとって親は本当に恐い存在だったらしく、その後の意気消沈っぷりに溜飲が下がりました

結果不登校になったり、不良と仲良くなってDQNまっしぐら、開き直って万引きの正当性を説いて
更に周りから倦厭されるようになったりと、面白い事になってた

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