『両親の離婚原因が私』など 短編10話【50】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『両親の離婚原因が私』など 短編10話【50】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【50】

 

バイト先で財布盗まれた

数年前、デ○ーズでバイトしていた頃の話です。

従業員の更衣室は男女で別れているけど、鍵のかかるロッカーなどはなく、貴重品(財布)などはマネージャールームに預けるという決まりになっていました。

その日、私は遅刻ぎりぎりになってしまい、急いでいたので、お財布を預けるというのを忘れていました。

帰りに必ず買い物して帰るので、現金数千円が入っている状態。

当時、私を目の仇にしている人がいて、その人が休憩でバックルームにいるだけで、他には誰も居ませんでした。

3時間ほどで私も休憩を貰い、その時にお財布を預けようとしたら、中身がお札だけ綺麗に無くなってるんです。

パニックになり、店長に話していたら、その私を嫌ってるその人が来て(休憩ではないのに)

「お財布を預けないからいけないんじゃないの~?」と。

確かにその通りなんですけど、その時はとにかく焦っていて、警察を呼んでくれと店長にお願いしたら、店長も、前からたまにこういうことがあったということで、警察を呼ぶことになり、その時からその人の態度がおかしく、念のためということで、従業員の指紋を取るときに具合が悪いから帰ると言い出して、怪しいと思っていたんですけど、その人が帰る前に指紋を取って、私のお財布の指紋を取っているときに、

「ちょっと」とその人に呼ばれてバックヤードの死角になるところで

「はい、これでいいんでしょ?あったことにしてよね。警察なんか呼んで大袈裟にしなくても。バカじゃない」

と言い残して逃げるように去ってしまいました。

警察の方が引き上げた後、店長に事の顛末を話し、彼女をどうするかは店長に任せるということにしました。

後日、彼女の旦那さんが私に謝罪に見えて、

「子供の月謝に当てようとしたらしいです。申し訳ありませんでした」

と事情を話してくれました。

今までのレジ金不足や更衣室での私物紛失なども、彼女が怪しいということになって、事実、更衣室から無くなった。

私物のペンや髪留め、ネックレスなどが彼女のロッカーの持ち物から出てきたようです。

 

汚部屋が功を奏した

特殊な事情もあるのでフェイク入れてます。

他の方々の書き込みを参考にしましたが汚い文章で申し訳ないです。

10年以上前のこと。

就職をきっかけに、実家車庫の上に部屋をもらった。

下が車庫、上は物置と私の部屋。

ド田舎の家でトイレも風呂も外。

(とはいえ建物の隙間をスノコやコンクリ、トタン屋根でカバーして通路のようにしてはある、通路には外から簡単に入れる)

毎日大声で「ごはんよ!」「風呂の順番よ!」をやらかすのが辛い、祖父母が耳や足腰が悪い、ということで各部屋に内線電話を設置していた。

で、当時の私、ほとんど下宿人状態で、部屋はグチャグチャ。

下着や肌着が消えることは時々あった。

でも、部屋が散らかってると見つからないことも多くて、不思議に思いながらも、時々買い足しながら生活してた。

妹が2人いたし、勝手に服を持っていくこともあったので。

中には社会人になって初給料で買った高い下着もあった。

でも誰かが持っていってる!と訴えても親も取り合ってくれなかったし、結局家族内で喧嘩。

むしろ、車庫に夜干しの下着が数回消えて以降、部屋干しにしてた母や妹には、逆に私のほうが疑われてた。

ある日深夜に帰って家族最後の風呂に入ってたら、脱衣場に母がダッシュしてきた。

「私子!お風呂入ってる!?」

いるけど、というと母が2階に駆け上がって父を呼ぶ声。

「お父さん!私子が2人いるー!!!」

私の部屋から、内線が発信されていたそう。それも何度も。

なぜか、出てもなにも返答がない、でも切れない。ブーブーとうるさい。

様子を見に行ったら窓の向こうにチラチラ動く懐中電灯の光。

実は、ゴロゴロしてる時は立ち上がって内線に出るのすら面倒で、電話機を壁から外して寝床の近くの床に置いてた。

その上に脱ぎ散らかした服や毛布がなだれて埋まって、受話器の外れた状態から発信ボタンを泥棒さんが踏んだ、と。

父親が犯人を引きずりおろす声を、着替えた風呂場の脱衣場で聞いてた。

「こらぁああああ誰だああああ!!降りてこい!××!」

「や、ヤマダ(仮名)です」

「どこのヤマダだあ!」

「ひぃ、●●(集落名)のヤマダです!」

「なにしに入ったあ!」

「む、娘さんの写真がほしかったんですぅそれだけなんですぅ(もちろん後で逃げるための嘘とあっさり判明、犯罪者にもなめられる喪)」

この時点で警察さん到着、近所は大騒ぎ。

怒り狂う父親と警察さんはとにかく恐ろしかった。

「部屋、汚いんです!」と涙目の私。

「大丈夫、俺らの部屋のほうが汚いから…(ガチャ)」

→絶句フリーズ。情けなかった。

風呂上りの恰好で汚い部屋のあちこちを指差した写真を撮られ、警察が撤収しようとした時に新米っぽい警官が、私の部屋に定規を忘れたことが判明。

「取ってこい!」

「僕、一人であの部屋入るの怖いです!」

とのやり取りにさらに情けなくなる。

父親は家の見取り図?を持ってパトカーに乗って行って、早朝まで帰ってこなかった。

家族も恐怖で朝まで起きてた。

その後、どうやら時期的に考えて軽く1年以上は入られていたと判明した。

いろいろな女性の下着を集めていた連続下着泥棒で、娘の多い(妹2人)家は恰好のターゲットだった、と。

前科2犯、毎日女性のいる家を探して町じゅうを自転車でうろつき、ターゲットを決めたら徹底的に生活時間を把握、箪笥や洗濯カゴを荒らしに侵入していたらしい。

その後は定期巡回。

手袋スニーカー懐中電灯その他完全装備で複数の家を回る。

どんな家でも生活時間を完全に把握すれば、案外簡単だそうだ。

特にうちは「ごはんよ!」「お風呂よ!」って大声がするから。

田舎の家は本当に警戒心が薄くて危険だと思い知った。

敷地内は大丈夫、って意識があるんだと思う。

あと姉妹間に無用の争いを招かれて迷惑でもう。
本当にそんなことのためだけに生活する人間がいるんだと戦慄した。

私がたまたま風呂から戻るのが早く鉢合わせしそうになった時は、隣の物置に隠れていたと聞いてぞっとした。

その後、怒り狂った父親に、日々の管理が甘いと家族一同怒られ、後日警察に証拠確認に行った時、体育館いっぱいのいろんなご婦人の下着に悲鳴をあげたのが第三の修羅場。

どうやってあれだけの下着をあの小さな家(戦後のほったて小屋のような家だった)に…!

ここは何かのパビリオンですか?状態。

ビニール袋に小分けになってメモが貼られ、●●集落□□歳主婦、●●集落高校生、等書かれたものも山のようにあった。

そして別室で1枚1枚下着の種類と値段(購入時の価格ではない)を書かされたのも衝撃。

その後証拠品を持ち帰ろうとしたらゴミ袋を渡され、クリスマス時期に下着パンパンのゴミ袋4個抱えてサンタ状態だったことも衝撃。

汚部屋が原因で変態が捕まったのが修羅場。

軽く1年以上は侵入されていて、鉢合わせしそうになったこともあると知って戦慄した修羅場。

その後の警察とのやり取りが修羅場。

くだらない上に長くてすみません。

引っ越した今は必死で掃除してます。

溺れ死にしそうになった

プチですが幼少時に溺れ死にそうになった修羅場。

まだ小学校に入る前だったはず。

町内の学校のプールで、親子水泳教室があった。

怖がりで人見知りの私は、母親にしがみついて離れなかった。

プールに入ってもひたすら怖くて怖くてしょうがなかった。

先生の指導も一切無視、網戸にしがみつくカナブンのように母親から離れない。

しびれを切らした母親は、無理にでも水に慣らそうとしたんだと思う。

力ずくで私を引きはがし、水につけようとした。

猛抵抗の私と、母親との攻防。

落ちたら死ぬ!大丈夫怖くないから!

必死でしがみついた私の手は母親の水着に。

「やめなさい!のびるでしょ!」

「うわあああああん!」

「痛い!こら!」

「うわああああん!」

暴れた結果、母に片側ポロリをさせてしまいました。

ポロリももちろん、水面に飛び散るパッドに絶叫する母。

両手でポロリを隠してパッドを拾い集めるため、水面に放り出された私。

当然溺れます。

みんな乳やらパッドに驚くわ、母親叫ぶわ…。

もがくわ水は飲むわ泣くわ、死ぬかと思った、本当に死ぬかと思った。

そこから記憶が飛んでる。

実際には周囲の人が助けてくれるまでのほんの一瞬だったそうですが、私はショックでぐったりしていて大騒ぎになったらしい。

最近帰省して当時の話になったので本人談も交えて書き込み。

お母さんごめんなさい。今でも泳げません。

 

癌で死んだ親父の話

会社経営していた親父は46歳で癌で死んだ。

社命がかかっているので(小さな会社だが)告知望み死期を医者から教えてもらった父は厨房の俺から見ても超人的な気力で仕事の引継ぎや遺産相続の処理を行い、それから死んだ。

死を覚悟し全部自分で成し遂げたかっこいい親父だと思ってた。

それから10年経ち、大学を卒業した俺は「好きなことをしなさい」と言う母を押しのけ亡き親父の会社へ入った。

親父が亡くなったあと、祖父の代からいる番頭さんが会社をまとめてくれていた。

「もしも○○←俺、が会社を継いでくれる日が来るなら」

と俺が継がないなら番頭さんが辞めるときにこの会社も終わりにしよう、と親父が言っていたらしい。

俺の初出社の日、番頭さん(といっても社長だが)が初めて話をしてくれた。

当時あれだけ冷静に死の準備をしていたように見えた親父の話だ。

死が逃れられないことを知った親父は、本当に会社の屋上から飛び降りようとしたらしい。

それを番頭さん以下数人でタックルして阻止したことや、俺や弟と酒と酌み交わす日が絶対に来ないことを、妹の未来のだんなには絶対会えないことを狂ったように親父が嘆き悲しんでいたこと、死を前にしてもクールに見えた親父の別の面をこのとき初めて聞いた。

俺にとっての親父のイメージってカッコイイ40歳くらいの時の写真だからさ。

しがない会社だけど、俺の代では絶対につぶさない。

 

義実家と絶縁

最近義実家と絶縁出来た。

旦那と結婚して二年経つ。

旦那と交際してすぐに、なんとなく子供の話になった。

私は生まれつきの病気で子供を妊娠する事が出来なくて、一度、これが原因で付き合ってた人に

「俺は長男だから跡継ぎ生めないのは無理。」
と言われて振られた。

仕方のない事だとわかっていても悲しかった。

それから数年して今の旦那と付き合ったけど、旦那は自営の跡取り長男。

前回の事があって、なるべくなら早く病気の話をしようと、子供の話になった時に旦那にカミングアウトしようとした。

そしたら旦那は

「実は俺、子供って苦手なんだよね。でもこんな事女の人に言えないしと思ってずっと悩んでた。」
と話してくれた。

そこで私も「実は私、病気で子供産めなくて…。」
と話をしたら、旦那は真剣に聞いてくれて

「子供の事は気にしないで。二人で生きていこう。子供がいなくても十分だよ。」
と言ってくれた。

それから2年交際して結婚した。

結婚して少し経ってから、義両親の孫産め攻撃にあった。

けど、私は結婚する時に旦那と二人で義両親に病気で子供が産めない事を話していた。

それで納得してくれたのに、忘れたのか勘違いしてるのかわからないけど、早く跡継ぎ長男を産め!と会うたび言われた。

あまりにも酷いので、もう一度私と旦那義両親の四人で話し合いをした。

申し訳ないですが病気で子供は産めません。

旦那君も子供は産まなくていいと納得してくれています。と説明。

けど、義両親はアメリカに行けば最新の設備で子供が産める!

なんなら良い病院に行って代理母で産め!と言ってきた。

もちろん、そういう形をとってもどうしても子供が欲しい人はいると思うし、それについてはどうのこうの言わない。

けど、私はそういう方法はとりたくない派だったので断固拒否した。

跡取りにこだわる義両親に、旦那がついに切れてくれた。

「そんなに跡取りが欲しいなら、養子を貰って二人で今から育てろ。

俺自身も子供が苦手だし、例え嫁子が子供を産める体だとしても自分に育てられるかわからないから、産んでくれとは今は言えなかっただろうし。

でも、子供を産める産めないだけで嫁子を見てきたわけではない。

俺が例え子供が好きでも、結婚したいと思ったのはきっと嫁子だった。

病気の嫁子にあれこれ言うなら俺たちは出ていく。

もう親父の自営も継がない。違う所に就職して、ここを離れて嫁子と生きる。

これから先は親父もお袋も二人で生きるんだな。」

旦那はそう言ってくれ、その日のうちに荷物をまとめて私の実家に一旦行きました。

私実家で暮らしながら、すぐに引っ越し先のアパートを確保。

旦那は慣れた職を捨て、違う会社に就職を決めました。

義両親からは

「俺達が悪かった。息子と嫁子がいないと、仕事の手が回らない!このままだと母さんと俺で休みなく働いても間に合わない!頼むから帰ってきてくれ!!」

と連絡が来てますが、旦那が全て対応してくれてます。

「じゃあ従業員を雇えば?俺が働いてた時の様に安月給でさ?あんな給料でコキ使われたんじゃ誰も働きになんかこないと思うけどね。」

と旦那は答えてます。

自営で働いていた時よりも、旦那の給料も高いし私もパートで働きに出ているので、二人で暮らすのには充分です。

義両親は、近所の人から息子夫婦に捨てられた。

今時あんな安い給料で息子も嫁も使うからバチが当たったんだw
と馬鹿にされているみたいです。

あまり激しいDQN要素はないですが、私が言えなかった事を、普段あまり喋らない旦那が言ってくれたのでスッキリしました。

 

小学生の時両親が離婚

小学生の時に両親が離婚した。

父は仕事柄数か月に一回しか帰って来ない人だったこともあり、母が大好きで妹と一緒に母に引き取って欲しいと両親に言った。

けれども母は妹だけ連れて家を出て行き、私は父方の祖父母に引き取られた。

小学校から帰ったら、家の中ががらーんとして母も妹も居なくて、泣きながら探したあの寂しさと恐怖は、いまだに夢に見るぐらいです。

夜になって父方の祖父が迎えに来てくれるまで、数時間電気もつけずに暗い中じっとしていました。

その後中学生の頃父が再婚するに当たり、私が邪魔だったらしく子供の居ない親戚に養子に出されました。

ここでは家業のために跡取りが欲しく、本当は女でなく男が欲しかったので家族として扱われることはなく、衣食住だけ与えられて飼われているという状態。

それでも商業科しか認めないと言われたが、高校に進学させてくれたのは感謝している。

私が高校生の頃、乳児の男の子を施設から引き取ることが決まり、私は用無しになったので、高校卒業したら独立してくれと養子縁組を解消された。

就職したら家に全額給与は入れるように養母に言われていたりしたので、養子縁組解除されて、高校の卒業式の翌日にアパートに追い出された。

これで人の目を気にしながら、ご飯を食べる必要もなく生理用品を生理が重くて数を使うと、布を使えとぼろ布を投げつけらるような事も無くなるんだとものすごくうれしかった。

それでもアパートの敷金礼金と二か月分の家賃は、元養父への借金で安い給与の中から返済するために、毎日パンの耳で暮らしました。

家財道具は何もなかったので、調理用品も買いそろえるのに時間がかかり、最初はパンの耳しか食べられなかったのです。

勤め先は大きい工場で、お昼は安い社食があり、制服もあったので制服下の服は、下着と上着三枚を回し毎日お風呂で手洗いしてました。

みじめな生活かもしれませんが、養母のあら捜しの目が付いて回らない自由の生活はものすごくのびのびでき、母と妹と暮らした日々の次に楽しいと思っていました。

その後その会社で、今の主人と出会い結婚しました。

主人の転勤でその土地も離れて、子供にも恵まれました。

こんな生い立ちなので、結婚は反対されるかもと思いましたが、主人の両親は優しく受け入れてくれました。

ただ身上調査はさせて欲しいと言われて調べたものを見せてもらったのですが、私がついて行きたかった母は実母ではありませんでした。

私の母は、私が乳児の頃に亡くなっていて再婚したのが、慕っていた母でした。

妹は母の実子でしたので連れて行ったと言うのが真相でした。

その後の母は、妹を連れて再婚して遠方の土地で暮らしていたようです。

実の父も再婚して子供をもうけて暮らしているようです。

祖父母は亡くなっていました。

元養家は倒産してしまい、せっかくもらった男の子も施設に返して、夫婦二人で暮らしていると書いてありました。

その後ばったり在職した会社の総務に居た人に出会ったのですが、数年たってから元養母が、私の給与を元養母の口座に振り込むようにと要求して来たそうです。

もう在職してないことを告げるとどこにいるのかと、きつい口調で聞いて来たそうです。

まったくわからないと告げると「恩知らず!」と喚いて警備員につまみ出されたそうです。

この話を聞いた時が一番の修羅場でした。

弟嫁から相談に乗ってメール

弟嫁から相談にのって下さいとメールが来たので、指定された場所に出向いた。

行ったらびっくり。

私の知らない若い男性と弟嫁が二人で並んでいた。

相談内容は「どうやったら弟に離婚して貰えるか。」でした。

そんなのは私に相談するなんて間違ってないかと思い

「弁護士でもつけて交渉すれば。」
と言ったら

「相手の男性にお金が無いので、慰謝料も払えないし、弁護士も無理。なんとかお姉さんから弟に離婚してくれるように頼んでください。」
だってよ。

しかも子供は弟に譲るから、弟嫁の生活費を毎月支払って欲しいとまで言う。

子供は物か!馬鹿らしいので相手にせずに、すぐ店を出ようと自分の分だけ支払って出ようとしたら、弟嫁が追いかけて来て「残りも支払って下さい。」だと。

請求書見ると結構食べてある。

私が来ると思って、相手の男性にたくさんおごるからと食べさせたそうだ。

もちろん無視して帰ったけどなんか後ろで叫んでいた。

弟に連絡したら、弟は思い当ることが沢山あったらしく、実家に子供を預けてすぐ弁護士を依頼した。

いろいろわかってびっくりしたのは、弟嫁は個別指導の塾の受付のパートに行っていて、そこにアルバイト講師に来ていた大学生と不倫していた。

まだ相手は19歳だったよ。
そりゃ若いわ。

結局相手の親が出てきて、揉めに揉めて相手は大学を中退させられて地元に強制的に連れ戻された。

その後は不明。

弟嫁は一時の気の迷いだからと元さやに戻れるとらしく、なんでもなかったように家に戻ってこようとしたら、賃貸のマンションだった家が解約されて誰も居なくなっていたとまた私のところに来た。

来てもらっても弟の意思でやったことだしね。

その後弟嫁はごねまくったけど、不倫の証拠があり過ぎて、弟嫁の両親が引き取りに来て離婚が成立した。

子供の親権は母親が希望しなかったので、すんなり弟になり最近弟が再婚して実家から子供を引き取って、三人で暮らしている。

 

おかしいオバサン

昔、結婚式場を備えたホテルで働いていますた。

フロントにいたのですが、ある時「○○の結婚式場はどこなの!?」と、見るからにおかしい感じのケバイおばさんに叫ばれました。

その日はそういう名前の人の結婚式はなかったのでそう答えたところ、

「嘘をつくな!わかってるんだ!どうせ隠してるんだろうさっさと教えろ!」
と絶叫。

しばらく押し問答になり、上の人に対応してもらおうとしたら、いきなりカバンから携帯用ラジオを取り出して投げつけられました。

当たりはしなかったのですが、フロント後ろのガラスが大きく割れてしまいました。

そのまま結婚式場のあるフロアに上がろうとして、駆けつけた上司や他の人にも、カバンからモノを出して投げまくり、もはや説得は不可能と言うことで力ずくで取り押さえられ、警察に引き渡すことになったのですが

「育ててやった恩を忘れやがって!!!」
などと絶叫し続けていました。

あとでわかったことですが、その人は私が働いていたホテルの、同じブランドの他の県のホテルで、その日に結婚式をされた○○さんという新婦の実母なのですが、新婦が2-3歳の頃に家を出て行く形で離婚していたらしいのです。

ずっと音信不通だったようですが、それが新婦の結婚を聞きつけ(しかも新郎実家は結構裕福な家だとか)、花嫁の母は私!とばかりにしゃしゃり出てきたようです。

単に娘の花嫁姿を一目見たいとかそういうのではなく、結婚式に花嫁の母としての席を用意しろとか、自分の今後の面倒をみろとか図々しい要求をしてきたそうです。

(すでに父親は再婚していて、新婦は義母に育てられた期間の方がずっと長かったとか)

当然拒否され、結婚式場の場所や時間を教えてもらえなかったのが、どこかから聞きつけ、同じブランドのうちのホテルに誤爆してしまったようです。

あとでわざわざ新婦の人とそのお父さんが

「私達がきちんと話し合いできなくてご迷惑をおかけした」

と謝りに来られましたが、あなたたちが謝るようなことじゃないし、話し合いとかそういう次元じゃなかったでしょうにと思いました。

ちなみにその会場のホテルには事情を話してあって、ホテルで特に気を付けて警戒していたらしいです。

結果的に最悪の不幸な結婚式にはならなかったのですが、(私達やその日近くにいたお客さんには災難でしたが)ドキュな実母の襲撃を恐れるなんて花嫁さんにとっては心の安まらない結婚式になってしまったでしょうね。

 

神も私の味方

数年前の話

ご近所さんだったらしい泥。

良いマンションに一人で住んでる若い子(私)がむかつく

→銀行で発見

→下ろしたてで大金を所持しているだろう

→旦那に隠れて作った借金返すのに調度良い

→急いで金づち取りに家に戻る

→戻ると調度銀行出てくる私発見

→神も私の味方

という目玉ドコーな理由で子供連れてずっと後をついてきてた。

スーパー寄ったり所用で数箇所回ってたんだけど、ずっと着かず離れず後ろをついてくる。

スーパーに至っては入り口横にあるスピード写真機の影で待ち伏せされてて、すごく気持ち悪かった。

怖くなって走ってマンションに逃げ込んだんだけど、閉まるエントランスのドア(オートロック)をギリギリで回避して泥も滑り込んできた。

エレベーター前で恐慌状態で固まってる私に泥、かばんから金づち取り出してかばんを寄越せと威嚇。

子供はエントランスのドアに間に合わず外から応援?なのか止めようとしてるのか騒いでた。

その後はなんやかんやで泥に金づちで頭を殴られ、血みどろで病院に運ばれてた。

あまり覚えてないけどかばんは意地でも離さず気張ったら、時間を稼げて外を掃除してた管理人が駆けつけてくれて取り押さえ通報。

泥は同じことを数日前にもしてて実刑で刑務所入って離婚。

地元でニュースになった。

私は泥元旦那から慰謝料七桁貰ったのでスカっちゃスカな終わりだったけど、頭は数針縫った痕が一生残るし、二年くらい後ろが気になって仕方なかった。

そもそもマンションは海外赴任の兄夫婦にペットの管理を任されて住んでるだけだし、銀行は窓口で振込みしただけ(だから泥が一回家に帰る時間があった)だったからお金下ろした訳じゃない。

財布の中は五千円くらいしかなかったと思うから、かばんくらい渡しちゃえば良かったよ…

泥が刑期終えて出てきたらしい連絡を被害者仲間の人から貰った今日この頃。

みなさんも背後にお気をつけ下さい。

 

両親の離婚原因が私

私の修羅場、両親の離婚原因が私。

父親は自分にも母にもまったく似てないから、母の浮気相手の子じゃないかと疑い、母は私を産んだせいで父のような貧乏リーマンとデキ婚するハメになった。もう父とは一緒にはやっていけないと逆ギレ。

間で双方から責められ涙目の自分は当時中学卒業目前、ここが一番の修羅場だった。

母方の祖父がこの流れにブチギレ、両親には離婚させ母は二度と帰ってくるな、私は祖父宅で引き取って責任をもって大学まで行かせると宣言。

これに父方の祖母(祖父はすでに死去)が反発。

うちの跡取り孫だから面倒もうちで見る。父には一切口を挟ませないから安心して母を何処かに叩きだせと逆に宣言。

ここら辺で今度は私が静かにキレた。

中卒でも雇ってくれる住み込みの仕事を見付け

両親に離婚でも不倫でも好きにしろ、私は消えてやるから最後にこの会社に入社するための身元保証人になれ。以後は迷惑をかけない、と言うか二度と連絡はしないので息子なんていないもの

だと思えと言って入社申請の書類を突きつけた。

そこそこ成績は良かったので学校側から思いとどまらせて進学させてくれとかも言われてたが断固拒否。

両親にしても父にとってはまさかの跡取り(予定)の造反。

母にとっても養育費のダシに自分から出て行くと言われた事態。

そしてさっさと荷物をまとめ、戸籍も抜いておけと言い捨てて就職。

ガテン系のよくも悪くも大雑把な人達に揉まれて、どうにか当たり前に近い人になれたんじゃないかと自画自賛。

今となっては両親の離婚問題で責められた程度で何泣いてたんだろうと笑いとばせるようになりました。

最近還暦過ぎた元両親からそれぞれ同居して介護してくれと申し出があったんで、どちら様でしたっけ?とガチャ切りした記念にカキコ。

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