『母が宗教にはまった』など 短編10話【78】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『母が宗教にはまった』など 短編10話【78】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

スポンサーリンク

短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【78】

 

当たり屋の野望を打ち砕いた

休日の夕方、晩酌するために酒を買いにでかけた。

片側三車線の道で信号待ちをしてると、反対側の信号で自転車に乗った老人が、歩道の信号が赤なのにわたり始めた。

走行車線を走っていたタクシーが、最初に気づき、急ブレーキで回避、老人はそのままさらに進んで、タクシーの斜め後方の真ん中の車線を走ってた車のブレーキが間に合わす接触。

接触と言っても急ブレーキで止まる瞬間に前輪にコツンと当たる程度だったが、老人は反動で転んだ。

しばらく経って、歩道が青になったので、暇だし野次馬根性で、事故現場に向かった。

運転手はケガの確認などして119に電話してるようだった。

もう一人の俺と同い年くらいの暇人の青年も野次馬してて、俺が話しかけた。

俺「歩道赤信号だったよね」

青「うん、俺警察呼んでくる」と走っていった。交番は近くにある。

そうしたら、助手席から運転手の彼女と思われる女性が出てきた。

「お願いです、いま(道路の)信号が青だったって証言してもらえるでしょうか」と言ってきた。

なんだリア充かとおもったが、当時俺もリア充だったし、なんせ運転手が可哀想だったので証言することにした。

そんなことをしてるうちに、青年が警察つれてきたり、誰かが通報したか分からんが警察がぞろぞろ集まり。

老人は救急車で運ばれた。

そこで、警察官からどこから見たとか、状況をいろいろ聞かれて開放された。

事故を起こした運転手と彼女はどこかに連れて行かれたのかもういなかった。

もう一人の青年も警察にいろいろ聞かれたので、挨拶しないで酒買って家に帰った。

その日は、俺が事故起こしたときは誰も証言してくれなくて不公平だなとか、ちょっと思って寝た。

それからしばらくたち、事故のことなんか忘れた頃、携帯電話に知らない番号から電話がかかってきた。

電話番号の下3桁が110だったので、警察かなと思って出たら、警察署からだった。

こんど時間がある日に警察署に、あの事故の証言をしてくれと頼まれ、めんどうだなと思いながら、お上には逆らえない、へんな事に首を突っ込んだことを少し後悔した。

最後になぜか認印持ってきてくれと言われて、行く日を決めて電話を切った。

それで警察署に行く日になった、自転車で警察署にむかい受付で要件を伝えると2階の部屋に通された。

部屋には警察官2人いて、1人の警官は居酒屋でだれかと喧嘩した彼氏の証言を聞いてるぽかった。

もう一人の警官が俺担当で、今どきワープロを目の前にして、なぜ警察署に呼ばれたかに説明された。

相手の老人が、俺は被害者だー信号は青だったとか病院で騒いでる、裁判になるかもしれないから調書が必要になったということらしい。

それで、

1.なんでその場所にいたのか → 酒買いに

2.なぜ証言したのか → 自分も運転するので運転手がかわいそうに思った。

3.どういう事故だった → じーさんが赤信号で飛び出した。

4.貴方が運転手だったら回避出来たか → 無理

5.最後にどう思ったか → なぜか安全運転に心がけたい

という流れで誘導尋問で調書が作られた。

時間で30分くらいかかった。

最後に今日は何に乗って来たのか聞かれて、自転車というと、ちょっと嫌な顔した。

??って思ったら。

警察官が、事故の証言すると交通費やら日当がでる条例があって、じゃー今日は半日かかって調書を作ったことにしようってことになって、5000円くれた、ここに認印押してねと言われて、認印がなぜ必要だったかわかった。

ちなみに、運転手はどうなるか聞いたら、断言はできないけど、限りなく罪はないだろうってことだった。

余談だが、隣の喧嘩して彼氏の証言してた女は拇印押されてた。逮捕者の彼女の指紋が欲しかったのかな?

ということで、たぶん当たり屋の野望を打ち砕いた話しでした。

警察とのやりとりは、記憶が曖昧なので間違いがあるかもしれんが勘弁してね。

終わり

 

泥ママのウィッグ

某ファーストフード店でのこと。

席が空いてるか空いてないぐらいかの混雑気味で、席に物置いて並んでる人もいた。

私が並んでたらどこかで叫び声に近い大きい声が。

並んでたから声しか聞こえなかったんだけど、「返して!」とか「置いてる方が悪い!!」とか言ってた。

どうやら、荷物を置いてた人が何か盗られた?みたいだったんだけど、よく聞いてみるとちょっと違った。

どうやら盗まれた方はレジに並んでいた訳ではなく、目の前のゴミ箱のところにあるナフキンを取りに一瞬席を離れただけみたいだった。

(あとで騒ぎのあった辺りを見ると、確かに数歩で行ける距離にあった)

その数歩の間に盗んだ物はよくあるゲーム機なんだけど、盗んだ女の方には横に3歳ぐらいの子供がいて手を繋いでた。

母親はずっと

「拾ったからこれは娘ちゃんのものなんだけど!そんなことも分からないの?w置いてる方が悪い!」

と変な持論を展開してて、周りもどうしたらいいのか分からない感じだった。

数分ぐらい言い合いしてるんだけど母親の方が全く訳の分からない事しか言わなくて、盗まれた人もかなりイライラしてたんだと思う。

この辺りにはもう私の注文したものが手に入ったので直接見てたんだけど、一瞬の隙をついてゲーム機を取り返した人が、母親の頭を掴んで髪の毛を引っぺ剥がした。

「何すんのよ!」

と叫んでる母親に

「そんなもん頭に置いてる方が悪いんだよ!!」と。

母親は前髪ウィッグみたいなのを付けてたみたいで、それを剥がされたらしい。

あまりの衝撃と、母親の頭を見て笑い出す人まで出てきた。

よほど恥ずかしかったのか、母親は何か喚きながら床に落ちてある髪の毛を拾って出て行った。

泥ママの方と悩んだけど、あまりにも母親の言い分が私的に基地っぽかったのでここに投下させてもらいました。

 

お金までとるの?

うちはコストコ会員で、近所の仲良しのママ友が車を出してくれるなら一緒に行くことも。

で、別に仲良くもないキチがそれを聞きつけて

「私子さんコストコ会員なの?それなら私もぜひ」と乱入。

おっとしたママ友が困る中

「二人しか同行できないからムリ!」と即お断り。

翌日マンションのポストにきったない字のリストが。

「キチ子のお弁当のおかずポテトとナゲットとウインナー、あとミックスベジタブル的なもの」

「ピザとケーキが大きいらしいのでそれぞれひとつずつ、パンもふた袋」

「(銘柄指定で)ビール二箱」

「トイレットペーパー二つ」

まだまだ続く。

ねぇ?人に許可なく頼む量?で、あんためちゃ金払い悪い…っていうか踏み倒しで有名でしよ?

連絡したくもなかったけど、キチへ電話。

「もう買ってきてくれたの?!」とテンション高い声。

「行ってない。行っても買わないし。そもそもママ友の軽自動車に乗らないし」

等クールに申しおく。

いつだって行けるんなら今回私の分優先でもいいじゃないとかなんとか食い下がる食い下がる。

最後駄目押しで

「そもそも、買ってきたとしてキチさんこれお金はらってくれるの?」と聞いたら無言。

ねぇ?と何度か念押ししたら、絞り出すように

「いつも行くくせにお金までとるんだ…」だと。

ぜんぜん意味がわかりません。

バカらしくて即切り。

連絡網の都合で着信拒否できないのが本当に悔しい。

パパが三人いる子供

水泳のインストラクターをやってるんだが、ある日、低学年クラスのAちゃん(7歳)の母親が発狂した。

「うちのAちゃんが皆と仲良くできてない!」と。

そのAちゃん、ちょっと性格が難しくて何でも自分が一番じゃないとダメみたいで自分の思い通りにならないと叩いたり小さい子を苛めたりする。

水泳終わりに「お菓子が欲しい人こっちにおいでー」等で他の子達の注目を集め、その代わりに自分の言う事を聞かせたりする。

そして何より嘘をよくつく。

しかしそういう事を繰り返す内に子供達の中でもだんだん浮いてきて、最近は誰からも相手にされなくなっていた。

それを見兼ねた母親が発狂したんだが、多分母親もAちゃんがそういう事をしているとは知らないんだよな。

Aちゃんは母親の前だと性格が全然違う。

正に「借りてきた猫」というか。

母親は傘立てに置いてある傘を事務所に投げつけながら

「B君とCちゃんがうちのAちゃんを苛めてる!その子達の曜日を変えて!
それが出来ないなら辞めさせる!うちのAちゃんが可哀想!!
こっちがわざわざ曜日を変える必要ないでしょ!」と。

他の母親達もそれを見ていたし、ガラスが割れたり花瓶が飛んだりで泣き出す子供達もいた。

結局、B君とCちゃんは曜日を変えた。

しかし他の子も全員(7人)曜日を変えた。

他の母親達は関わりたくなかったんだと思う。

結局火曜日はAちゃん1人だけになってしまい、その次の週、Aちゃんの母親は曜日の変更届けを出していた。

「○○ちゃんがいる曜日に変えてもらっていいですかぁ~」と。

(規定によりAちゃんは既に6ヶ月内に5回変更していたので受理されなかったが)

Aちゃんの家は母子家庭なんだが、水泳の行事や記録会に来る「パパ」と呼ばれる男が俺が知っているだけでも3人いる。

ある日、子供達の中で「なんでAちゃんはパパが沢山いるの?」という話になってAちゃんが泣いた時があった。

母親は自分の言動がどれだけ自分の子や周囲に影響を与えているか何も考えないんだろうな。

あれを「子育て」と呼ぶなら、ずうずうしい話だなと俺は思った。

 

踊るおばさん

3年ほど前、友人と名古屋に旅行に行った。

俺たちはそれぞれ行きたい場所があったので別行動をとっていた。

しかしかなり方向音痴な俺は道に迷ってしまった。

別行動の後で落ち合う場所(栄のオアシス21)を決めてあったんだが、そこにたどり着けそうもなかった。

なので携帯で友人に電話をして迷子になった旨を伝えた。

友人が

「お前が今いるところの周りに何がある?」

と訊いてきたので

「えーっと、周りに何があるかっていうと…」

と言いながら俺は辺りを見回していた。

そしたらいきなり思いっきり肩を叩かれたのでめちゃくちゃびっくりして振り向いたら、見知らぬおばさんが立っていた。

全然状況が理解出来なかった。

するとそのおばさんはある建物を指差して、『Y・M・C・A』というふうに腕というか体全体を使って表現し始めたww

ますます状況が理解出来なかった。

おばさんは3、4回『Y・M・C・A』を繰り返し、しびれを切らしたように

「だからっ!近くに目印になる物が何かないか探してたんでしょっ?YMCA(ビルの名前)があるから教えてあげたのよっ」

と言って去っていった…

電話の向こうまでそのおばさんの声は聞こえたらしく友人は爆笑していたが俺は言葉を失ってしまったわ。

おばさんは俺が電話中だからってことで声を出したら悪いと思って体を使って表現してくれたんだろうけど、ちょっとあんまりにも衝撃的すぎて怖かったわ。

まぁおかげで迷子から無事脱することが出来たわけだが。

その時は驚きの方が大きすぎて、感謝の気持ちが訪れたのは旅行が終わってからだったな。

 

マックで見た女子中学生

今日マックで。

私が座った時、隣には既に中学生の女の子3人が居て楽しそうにワイワイやってた。

暫くして「あっ!マズイ」だの「見つかった!」だの言ってる声が聞こえると

「わぁ~皆来てたんだぁ~」

って言って女の子が一人隣に加わった。

座って直ぐに

「あ~喉乾いた。誰かジュース奢って!」

「ポテトおいしそう、残り頂戴?半分で良いよ」

「Aちゃん、ジュース奢ってってば!もう喉かわいて死にそう」

だのいきなりマシンガンの様に言ったのにも驚いたけど々居た3人の全てALL見事なスルーだったのにはもっと驚いた。

多分普段からその子にたかられ慣れてるんだな、って感じで。

「死ぬほど乾いてるなら自分で買ったら?」といわれると

「お金持ってない」と返し

「お金無いのになんでマック来たの?」といわれると

「Aちゃんの自転車有ったから、なんか買ってくれると思って」と返す。

Bちゃんが「ジュース買って来る」と言うと

「だから私のも買ってって。なんで駄目なの?
意地悪だね!じゃぁ水でいいや。ついでに貰ってきて!
皆マックに居るくせに誰も奢ってくれないって考えられない!!」

と怒り出した。

どこまで図々しいんだ、と他人事ながらこっちがイライラしてるのにそれでも元から居た3人は完全にスルーだったので怖かった。

 

私の人生狂わした

大した修羅場じゃないかもだけど・・・長くてごめん。

24歳の時に、高校時代から付き合っていた彼氏と結婚話が出た。

私には2歳年上の姉がいるんだけど、この姉が当時まだ未婚だった。

田舎なので親や親戚から「順番は守りなさい」とか言われて結婚自体に反対はしないけど、もう少し待てって。

彼も就職してまだ2年ぐらいだったし、急ぐこともないかって言ってくれたけど当時姉は彼氏いない歴5年は経ってたと思う。

妹の私が言うのもなんだけど、姉は美人だしスタイルもいい。

出身大学も割といいところだし、勤務先もまぁまぁ。

だから余計にそうなってしまったのかもしれないけど、昔はモテモテだったのに、結婚を意識する年齢になったころから以前にもまして理想が高くなり、選り好みしすぎなのか、とにかく当時彼氏は全くいなかった。

両親はその頃から姉に見合い話を持ってくるようになってそれが余計に姉にプレッシャーを与え、意固地にしてしまったように思う。

私は彼のことが大好きだったし、高校からの共通の友人がどんどん結婚して子供を産んでいくのに焦りもあったから一年経っても彼氏のカの字も見えない姉に

「先に行ってもいい?」

って言ってしまった。

そしたら

「私のせいみたいに言わないでよ!結婚したきゃすればいいでしょ!」

ってブチ切れられて、その一年後に私は彼と結婚した。

そして喧嘩した直後にしたお見合いがまとまり、姉は私の2ヶ月前に結婚した。

そんなことがあったのが20年前。

我が家はその後、なかなか子宝に恵まれない苦労や(一児授かりましたが)貰い火事で全焼して、思い出の品々を無くしてしまう悲しい出来事もあったけどとりあえずは夫婦ともに健康なので乗り越えてやってこれた。

一方の姉は、見合い結婚した相手が女癖が悪く子供を3人授かったものの、浮気癖に悩まされる結婚生活だったようだ。

それでも高収入で義実家も裕福だったので経済的な苦労はしてなかったみたいだけど姉的には「こんなはずじゃなかった」ってのが強いみたいで見合い話を持ってきた母を責めることが多かった。

両親は最初のうちはごめんねごめんねって謝ってたけどいつの頃からか

「最終的に決めたのは自分でしょ!」

と突き放すようになって以来姉は荒れ気味になって、子供が大きくなって手がかからなくなったのをいいことに仕返しとばかりに姉も浮気するようになったみたい。

可哀想なのは子供たちだけど、父親と母親が浮気合戦みたいな馬鹿なことやって家にあまりいないせいか、長女がすごく健気に弟妹の面倒見てるんだ。

たまに3人そろって実家に来ては、ばーちゃん(母)に料理を教わりながらたくさん作ってタッパーに入れて持って帰るのを見て切なくなる。

いっそ子供たちは実家で引き取ろうかって話にもなったけど(書類的なこと抜きにして、近いからうちで暮らせば?って程度)先方のご実家が許さない。

そんな中、昨年父が亡くなったんだけど、灰寄せの席で親戚のひとりが姉に

「あんた(姉)の事で親父さんどんだけ気に病んでたことか」

って言っちゃったもんだから姉が号泣しながら私に殴り掛かってきて

「すべてあんたのせい!あんたが私の人生狂わせたんだ!!」って。
私が「先に行ってもいいか」なんて言ったから焦って変な男に引っかかったんだとか、あんたのせいで結婚を焦らされて、人生めちゃくちゃにされたんだとか両手でビシバシ叩かれながら散々な言われ方をされた。

お座敷で突き飛ばされて、倒れた拍子に割れた茶碗の上に手をついてしまって手のひらから梨汁ぶしゃあああ!!な流血状態でまさに修羅場。

私からしたら、彼と結婚の約束してから籍を入れるまで十分待ったつもりだし結婚したのが26だったから決して早い年齢でもなかったんだよね。

でもなんだか姉が憐れになって黙っておいた。

その騒ぎでそれまでの積もりに積もった問題が爆発したのか姉は今離婚するのしないので揉めている。

子供のころは割と仲のいい姉妹だったのにな。

悲しいけど、もう姉はいないものを思うことにした。

友人とその父が同じ日に結婚式

結婚式までの経緯が長いんだけど…

小学生の時に母親が病死。

その後、男手一つで育ててくれた父親が、友人と彼氏が結婚の報告をしたその場で、実は自分も結婚したい相手がいる、と言い出してさらに何故か頭お花畑になったのか、同日同じ式場で同じドレスで結婚式をしようと言い出したらしい。

友人は複雑な気持ちになるので、別の日にしてくれないか
もしどうしてもその日にしたいのなら(といっても友人の結婚の日はまだ決まっていない)譲るから、
と言うが、一緒に結婚したい、一緒に式挙げたいと父がゴネまくり
結局、同じ日に時間帯をずらして同じ結婚式場で式を挙げることになった。

私が呼ばれたのは友人の結婚式(昼の部)で、親族はその後、友人の父親の結婚式(夜の部)も出なきゃいけないらしくみんな昼の部の前からうんざり状態。

また、友人は友人で、ドレスは内緒にしてたはずなのに、同じドレスを父親の結婚相手が選んでいたことを知り当日激怒で違うドレスにしたい!と揉めたらしい。

(どうも、式場の衣装スタッフが漏らしたらしいことが後に発覚)

で、このドレス事件が披露宴に影響してくるんだけど、サプライズで父親とその新婦が登場。

当然、新郎と同じタキシードと新婦と同じドレスで。

(そのために同じ衣装を選んだ模様)

実は新郎は知っていたけど、自分の父親になる人だし断って心象悪くしたくないと内緒にしていたようで新婦一人だけ泣きながら

「こんなのイヤだー」

と叫んでいた。

結局、友人は、その後の父親の結婚式には出ず、式から1ヶ月ほど経つけど、未だに揉めているらしい。

聞いた話では、新婚旅行も同じ場所、同じホテルを予約されていたことも原因だとか 。

 

父がおねしょした

両親の中も良くて普通の家庭に育った私が社会人になって家を出るまでの二十数年間で経験した家庭内で一番の修羅場。

詳しい学年は覚えていないけど小学校低学年の頃だった。

当時住んでた家は狭いけど4LDKのマンションで六畳と四畳半の和室が隣り合わせでふすまで仕切られていた。

寝るときは私と母が四畳半、ふすまを挟んで六畳の方で父だった。

親子三人川の字にならなかったのは、父が結構夜遅くまでテレビを見ていたので…

そんなある日の夜中、母親が聞いたことないぐらい激しく父に怒鳴る声で目が覚めた。

夜中だから近所迷惑とかそういうことを一切考慮しないぐらいの大音量だった。

半分寝ぼけていた私は全てを聞き取ることはできなかったが。

「はずかしい」「くっさ…何この臭い」

といった言葉が耳に入った。

当時の私は父がいい年しておねしょをしたのだと思っていた。

確かに恥ずかしいしおしっこの臭いは臭いしなぁ…と思いながらまた寝た 。

あれから時が経ち高校生の頃、三人揃って夕食を食べている時にふとしたきっかけでこの話になった。

真相は同僚と飲んでいて父が泥酔レベルに酔っ払い、見かねた同僚が家まで送ってきた。

そのことを「はずかしい」と怒鳴り、泥酔しているので半端なく酒臭いので「くっさ…何この臭い」と言ったらしい。

あの時私は父がおねしょをしたのだと思ったと明かすと父は苦笑い、母は爆笑した。

が、次の瞬間あの時に戻ったかのようにまた激しく怒鳴り説教をし出す母。

もう許して下さいと言わんばかりの表情をする父。

未だにあそこまで泥酔したのが恥ずかしかったのだろうなと思った。

文章じゃ伝わってきませんが、普段温厚な母がここまでキレたので修羅場かなと思いました 。

 

母が宗教にはまった

文章書くの下手だからご要所をw

さて、前提として俺の親父は俺が生まれた瞬間に借金だけ残して遁走したと母親から聞いている。

本編として
俺が小学2年の頃に母親が今の父親と再婚。

それまで父親がどんなものかも知らずギクシャクしたまま過ごして俺が中学にあがる頃までは特に何もなく過ごす。

中学に上がった頃から母親がよくわからん宗教にはまり週1で通うことに。

通うことになった理由としてはそこの住職に俺が

「将来重大な犯罪を犯す、そうなる前にここで矯正させる」

と言われたかららしい。

この時はその理由も聞いておらずさらに俺の中で母親の言うことは聞くとか意味のわからんマイルールが確立されてたため母親に言われるがままに通うことに。

毎週3000円の金を収め1時間位お経を唱え1時間位和尚のくっそつまんねぇ身の上話を聞きながら1時間過ごすことが毎週日曜日の日課になってた。

そうして俺が高校に上がった頃ある日母親が泣きながら帰ってくきた。

理由を問いただすとよく当たると言う占い師にあなた(俺)を占ってもらった。

そうしたらお前は重大な犯罪を犯す、今のままじゃダメなんとかしないとといわれたらしく意味のわからない水晶的な物を買ってきた、値段は不明。

この日はすごい泣きじゃくりながらあなたを頃して私も死ぬって勢いで首を絞められた。

これが第一の修羅場

この出来事があってから俺も自分自身で自分のことが怖くなってビクビクしながら過ごすようになる。

母親はさらに宗教にのめり込むようになり弟も引き連れてほぼ毎日のように行くようになった 。

そんな生活の中おれは高校を無事卒業し介護職に就職することが決まる。

母親からは和尚のおかげだやはりあの和尚は本物だと言いながら毎日通う。

介護職についた俺は休む暇なく老人の相手当時俺の働いていた施設は休日?何それ美味しいの?っていうところだったから休日もなく和尚さんに会いにいくこともなくはたらく。

ただ当時もらっていた給料の9割近くは親に搾取されてた。

理由としては食費 高校にかかった費用全額を返してもらうという物。

これが個人的に第2の修羅場

給料とは言っても当時月に十万とちょっとしかもらってなかったけどね。

そうして半年後に過労 欝で倒れ病院に担ぎ込まれる。

当時の俺の行動はよほどおかしかったらしく初めて休日というものをもらいのんびり過ごす。

そこでいきなり切れ始める父親、実は父親かなりの体育会系で物事の全ては気合で何とかなる、欝なんて甘えという考えの持ち主、喧嘩してる途中で泡吹いて倒れて小一時間意識不明になり多分これは父親の中では修羅場。

そしてこれ以上は介護で働けないと感じ介護職をやめることに。

なんか自分の中で両親とはこれ以上一緒に住めないんだろうなぁと感じて家も出ることに。

その時に絶縁して俺の引越し先や連絡先などを教えずに俺消失。

めでたくおれは孤立無援に、当時両親も他人も全く信じられなくなってた時が俺の中で最大の修羅場だった。

あと、父方の男衆は皆失踪してるらしいw

今年人生で初めて好きになった女の子と付き合うことになり介護の事も吹っ切れて今年から介護に再挑戦するので危険にカキコしてみた。

コメント

error: Content is protected !!