動物の感動する話 【15】
ウチの犬
ウチの犬はバカだからエサ食ってる横で「それ食いたいよぉぉ!それちょーだいよぉぉ!」と俺が騒ぐと
「ウルセーな、なら少し食えよ…」と言わんばかりに食うのをやめて俺を見つめるよ。
目覚まし時計
朝、目覚ましを消そうとして一生懸命隣で寝てたねこたんの頭をチョップしてた。
駐車場の猫
11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた。
俺たちの前によろよろと来るとペタンと腹をつけて座った。
「キタねー猫だなー。」
と思っただけで他に何とも思わなかった。
猫を飼っていた彼女がその猫を撫でながら言った。
「ここにいたら死んじゃうね。」
ヤングだった俺は頭にきた。
「何、病気なのか?死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!何言ってんだオメー。」
そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った。
顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた。
コホコホ咳をして、くしゃみで車のドアはベトベト、痰でゴロゴロいっていた。
「どうするの、その子?」
「治るまで俺が飼う。」
「じゃあ名前は?」
「うーん・・・痰が詰まってるから・・・痰助。」
「変な名前。」
「うるせー。」
風呂場で綺麗に洗って、シシャモとちくわを食わせた、びっくりする位食った。
獣医に連れって行って虫下しと風邪の薬を貰って帰った。
もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた。
ペットが駄目なマンションだし、治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、1週間で方針を変えた。
あっという間に倍くらいに太り、夕方になると玄関で俺の帰りを座って待つようになった。
当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった。
すごい食いしん坊だったが、歯が何本も抜けていて、毛も艶が無かった、一日中じっとしていた、走ることもめったになかった。
ちょうど1年後、痰助は死んだ。
板で小さな棺を作り、痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた。
今になれば分かる。
出会った日、あれは痰が詰まってたんじゃなく、嬉しかったんだと。
たんすけのおかげで、俺はすっかり猫バカになった。
今俺は10歳の小吉と6歳の良男と暮らしている。
今日も壁に掛かったコロコロのたんすけが行儀良く座って俺を見ている。
変な名前付けて悪かったな、たんすけ。
でも、今うちにいるやつらもみんな変な名前だから、勘弁しろよ。
玄関の前で待っててくれると、愛おしくなってしまう気持ちとてもよく分かります。
虹の向こうで、待ってやがれ
生まれて3ヶ月のとき、シトロンはうちに来た。
俺は小学校三年生だった。
それから俺は、毎朝犬小屋を覗いた。
丸くなって寝ているシトロンを呼んで、赤い綱をつけてやる。
川辺の空気なんて、腹の減る匂いを朝から嗅がせるためだ。
だけど、一人歩きなんて上等なことはさせてやらない。
その為の赤い綱だ。
シトロンは、小股で歩く。
やつは俺の撫で撫で攻撃を警戒してか、斜め45度後ろをとことこ歩いてくる。
やつが糞をしたら、目の前で拾う。
羞恥プレイだ。
「こんなにしやがって、なんて健康的な犬なんだ」
言葉責めだって忘れない。
歩くのに飽きた俺は、シトロンを急き立てて、サイクリングロードを走っていく。
道の終点、公園まで一目散に。
水溜りの泥水なんて、飲ませてやらない。
お前には、公園の流水がお似合いだ。
4歳のとき、シトロンの心臓に虫が見つかった。
俺は手を変え品を変え、やつに薬を飲ます。
バカなシトロンは気づきもしない。
俺を信じやがって、美味そうに薬入りの餌を食いやがる。
そんな時だって、ドッグフードなんてやらないぜ。
高い飯なんて、お前の口には合わないだろ。
どうせすぐに吐き出しやがる。
お前には、味の薄い犬用メニューがお似合いだ。
8歳のとき、祖父さんが死んだ。
兄弟が泣く中、俺はじっと黙ってそれを見ていた。
人前でなんて、泣いてたまるか。
シトロンは俺の制服を汚して、しがみつく。
だけど、しゃがんでなんかやらない。
俺の頬なんか、舐めさせてやらない。
お前には、俺の足元がお似合いだ。
12歳のとき、シトロンは神経症になった。
後ろ足を引きずって、15分も歩けない。
公園はおろかサイクリングロードまでなんて、とても行けやしない。
朝の散歩も、町内を周ってとっとと帰ってくる。
もう一度行きたいなんて、見上げたって、知らないぜ。
偉そうな顔をするくせに、少し歩くとしゃがみこむお前。
お前には、町内一周程度がお似合いだ。
13歳のとき、シトロンは行方不明になった。
仕事から帰ってきたら、いつもの小屋に姿が無い。
赤い綱も無くなっていた。
俺のシトロンを、誰が連れて行きやがったのか、俺は家族を問い詰めた。
だけど、誰も知らない。
町中、あっちこっちを走り回った。
だけど、どこにもシトロンはいない。
真夜中になって、ぐったりしたシトロンが帰ってきた。
近所のババアが、勝手に連れて行っていた。
問い詰めると、そのババアは毎日俺たちの目を盗んで、シトロンにプリンだの味の濃い煎餅だのも勝手に食わせていた。
そんな人間様の食い物をやるんじゃねえ。
怒る俺に、ババアはいけしゃあしゃあと、
「散歩に行けなくて、可哀想」
だなんて言いやがった。
それを決めるのはお前か?
医者と相談していたのはお前か?
違う、俺だ。シトロンは俺の犬だ。
ババアを警察に引き渡して、俺はシトロンを家に入れた。
庭の小屋になんか、もう帰してやらない。
お前には、俺の傍がお似合いだ。
14歳のとき、シトロンは寝たきりになった。
糞尿だって垂れ流し。
飯だって、俺様が食わせてやらなきゃ食えなかった。
「オラオラ腰を上げろよ」
ご主人様にケツを拭かせるなんて、なんてやつだ。
お前のために流す涙なんて、俺には無い。
悲しそうに見上げるなんて、生意気だ。
お前は黙って、甘えてればいいんだよ。
堂々と寝そべってやがれ。
お前には、暖かい部屋がお似合いだ。
一年後の秋の日、シトロンは死んだ。
虹の向こうになんて、俺の許しも得ずに逃げやがった。
黒いくせに、時々青くも見えた瞳を半分開けたまま。
俺は、シトロンの目を閉じる。
それから、濡れた頬をなでる。
硬くなった身体は、地面に張り付いたようだった。
幸せそうに眠りやがって。
帰ってこいなんて、言わないからな。
俺が虹の向こうに着くまで、祖父さんと一緒に待ってやがれ。
お前には、静かな朝がお似合いだ。
お前の毛布も、おもちゃも、ずっと俺は捨てられない。
どうして15年しか生きなかった。
俺の力が足らなかったのか。
それとも、もっと早く送っちまった方が良かったのか。
どうせなら妖怪にでもなればよかったのに。
ミルクくさい香りで家が満たされて、お前の匂いも家の中からどんどん消えていく。
虹が出たら俺は、小さな手を引いて、サイクリングロードを歩く。
俺の幸せを、お前に見せつけてやる。
虹の向こうで、待ってやがれ。
心配して来てくれた
5年前に飼っていた茶トラ猫。
姉が家出同然で出ていってしまって家の雰囲気が暗かったので、私は家ではできるだけ明るく振舞っていました。
本当は、家族に仕事や恋愛の悩みを相談したりしたかったんです。
でも、そういう雰囲気じゃなかったので、夜眠るときや、誰もいないときに、その猫によく相談しながら泣いていました。
相談といっても、猫だから黙って私を見ているだけだったんですけどね。
その猫は、私のお布団の中が好きでした。
毎日夜になると、ニョロニョロと入ってきては、背中と腰の中間くらいのところにずっしりと寄りかかって眠っていました。
その子が病気でなくなって、裏庭に埋めるときに、手紙を書いて一緒に埋めました。
「いろいろお話を聞いてくれてありがとう。オバケでもいいから時々会いにきてね」
みたいな内容を書きました。
つい2、3日前のこと。
相変わらずの人間関係からのストレスで貧血状態になり、横になっっていました。
うとうとしていると、猫がニョロニョロとお布団の中に入ってくる気配。
今は別の猫を飼っているので、そいつだ思って気にしてなかったら、ちょうど背中と腰の中間の辺りに、寄りかかったのです。
ほんのりあたたかくて、ずしっと重い感じ。。。
ん?この重みは…!!
「…心配して来てくれたの?!」
ってお布団の中をのぞくと、すーっと重みが消えて、誰もいませんでした。
全然怖くなくて、むしろ死んじゃっても心配かけてる自分が情けなくて、しくしく泣いてしまいました。
泣きながら眠ってしまったら、夢にはご飯を食べてる茶トラ猫がでてきました。
目が覚めてから、お線香をあげて、猫のエサをお供えしました。
ミーコ、本当に大好きだよ
私が生まれる前から、家には猫がいた。
白くて、ふわふわで、温かかった。
私はミーコが大好きだった。
ミーコも、私に懐いてくれた。
父が入院し、母の体調が悪くなったときも、
中学入試をさせたがった母が、何一つできない私に怒り、家の外に追い出され、一人で泣いていたときも、
両親が働きに出て寂しいときも、
ミーコはいつもそっと傍に居てくれた。
ただ隣に座っていてくれるだけで、力をもらえた。
私は無事母の言っていた私立中学に合格した。
しかし、中二の冬休みに母は言った。
「中学校を辞めて、公立の方に行きなさい。」
そんなの嫌だった。
だけど、母は「私にもっと上の高校に言って欲しい」と言った。
立派な人間になって欲しいと言った。
気持ちは嬉しかった。
私を思ってくれていた。
私の頭には、母を説得することのできる言葉が思いつかなかった。
毎晩泣いていた。
新しい学校で。いじめもうけた。
近所の大人たちは陰口をいい、話してくれなかった。
母を恨んでしまう自分が情けなかった。
先が見えなくて不安だった。
そんな頼りない私だが、ミーコは二十歳になったことに、とても心配していた。
人間で言うと120歳だと聞いたからだ。
中三になり、ある模試で学校で一位になった。
母も褒めてくれた。
私は久しぶりの満面の笑みでミーコに報告した。
ミーコの声が少し高く、明るく感じた。
私が1位だったことが広まると、いじめはだんだん少なくなっていった。
そして、ミーコはだんだん弱っていった。
そしてある日、学校から帰ると小屋の中でミーコは死んでいた。
冷たかった…
はじめは、全然涙が出てこなかった。
ミーコが居なくなるという実感がわかなかった。
ミーコの墓を作っている間、私は何も話さなかった
家に帰って、落ち着くと急に実感がわいてきた。
涙が溢れ出した。
私はまた、ミーコの墓まで走って行き、言った。
「ミーコ、今までありがとう。」
そう言って、涙でぐちゃぐちゃな顔で笑った。
もう私は大丈夫だよ。
しっかり笑って生きていくよ。
だから…安心してね。
天国で会えたら、ミーコと話がしたいな…
今度は私が聞いてあげる。
私も楽しい話が出来るように今から頑張るね。
『ミーコ、本当に大好きだよ。』
その犬は『レオ』という名前になった。
レオと出会ったのは、私が3歳の時。
山奥のきれいな川へBBQしに向かっていると、運転していた父が
「あそこに犬がおる!」
と言って車をとめた。
窓を開けて見てみると薄汚れて、真っ黒になっている雑種の中型犬がいた。
赤い首輪はしていたが、首輪も汚れていてフラフラ歩いていてとても飼い犬とは思えない状況だった。
父が
「乗るか?」
と運転席のドアを開けて声をかけてみると、当時キャンピングカーのような大きな車だったにも関わらず、その犬は運転席めがけて飛び乗ってきた。
そのまま犬を乗せて、その場所からさほど遠くない川原でBBQをすることになった。
川原に着き犬をおろすと、そのままどこかにフラフラ行ってしまった。
「おうち帰ったんやねー」
と母が言っていて
「寂しいねー」
と話をしていた。
その後、川で遊んだり、BBQをしたりして数時間がたった。
片付けも終えて車に戻ると、さっきどこかに行ったはずの犬が車の下で寝ていた。
「どうしたんや?うちくるか?」
と父が聞きながら車のドアを開けると、またその犬は飛び乗ってきた。
そして、そのままうちに連れて帰ることに。
帰りの車の中で、その犬は『レオ』という名前になった。
レオはとても賢かった。
うちにきてから体調が悪いときを除いて、オシッコやウンチを家の中でしたことがない。
人や犬にも吠えず、絶対噛みつかない。
散歩は、1日1回。
共働きの両親が仕事を終えた夜に、車で20分程の山の中に行って、リードをつけず、車からおろして走っていくレオを車で追いかける、というような散歩をしていた。
たまにレオが帰ってこなくなり、1時間程探し回っても出てこないときがあった。
仕方なく1度家に帰ると、1回も散歩をしている山まで歩いたこともなく、マーキングなどはしてないのに、車から見ていた風景だけで覚えたのか夜中に自力で家に帰ってくる。
バッテラが好き。
ちくわが好き。
チーズが好き。
そんな不思議な優しいカッコイイ犬だった。
レオがうちに来てから14年程がたった頃、父が大動脈瘤破裂で緊急入院することになった。
その後も何度か手術をすることになり、術後も熱がずっと下がらず父の入院は1年ほど続いていた。
その当時、私は高校生で、母も夜までの仕事で足腰が悪くレオの散歩は、庭か家の近くをリードをつけて歩くだけになっていた。
すると今までずっと走る散歩をしていて、年の割には元気だったレオがみるみる弱っていった。
フローリングに寝てしまうと、足が滑って立てなくなってしまう。
20センチ程の段差が飛べなくなる。
庭に出て、そのまま座り込んで戻れなくなってしまう。
しっぽがクリンと上がっていたのに、ずっと下がっている。
あれだけ家の中で粗相がなかったのに、庭まで行けなかったのか、家の中でオシッコをしてしまう。
ずっと寝ていて、起きてる時間が短くなっている。
そしてレオがうちに来て14年目の夏。
相変わらず父の入院は長引いていて、私は夏休みに海外へボランティアに2週間程行くことが決まっていた。
レオはいつも母と一緒に寝ていたが、その頃には夜中に息苦しそうにしていることが多くなっていたそうだ。
家の中での粗相も増え、お留守番が多い日中に庭に、外に出たまま戻れなくなっていて、私が学校が終わり帰宅して発見するなど、本当に弱ってきていた。
私には姉がいるが、聴覚障害があり、レオが何かあって鳴いたり吠えたりしても聞こえない。
母に何かあったときも同様で、母は夜まで仕事があり足腰も悪いため満足に散歩ができなかった。
私が海外に行っている間、
「2人だと散歩やレオの面倒など、どうしようね?」
って母と相談していた。
金曜日に終業式があり、少し不安な夏休みになってすぐの日曜日。
夜、私は部屋に戻らず、なんとなくレオと寝ようかなと思った日。
でも、夜に遊びにいく予定がはいり、私はそのまま出掛けた。
次の日、祝日の日の朝6時、姉がいきなり部屋に入ってきて私を揺すり起こし
「レオが死ぬ」
と手話で伝えてきた。
私は飛び起きてリビングへと走ると、
『ハァハァ』
と息が荒く、、グッタリ横になっているレオ。
その横で泣きながら、優しく撫でている母と姉。
全く意味がわからなかった。
3歳のころからずっと、一緒に育ってきたレオ。
ちっさい頃は『結婚する』って思ってたレオ。
ちょっかいかけても文句も言わず、怒りもせず、優しかったレオが、今日死ぬなんかちっとも想像してなかった。
私はレオが息苦しそうだったので、首をあげてやろうと近付き膝枕してあげた。
するとそのまますぐ、レオは息を引き取った。
私が飛び起きて、レオと一緒に居れたのは、駆けつけて10秒ほどのことだった。
「レオはあんたが来るの待っててくれたんやね。
全部わかってたんやね。
あんたが海外に行ったら、お母さんと、お姉ちゃんの負担になるって。
みんな揃って見送ってもらわれへんて。
お母さん、お姉ちゃん、あんたがそろってて、みんなが仕事や学校お休みの日で、みんなで見送れるときにいってくれたんやね。
レオはほんまにかしこいね…。
お母さん最近、覚悟しててん。
ちゃんと見送ってあげようね。」
そう母は言って、ペット霊園に電話しに行った。
私には覚悟なんて全くなかった。
3歳からずっと一緒にいて、
泣いてるときは慰めてくれて、
耳の毛がふかふかで、
肉球の間がすごいレオ臭くて、
一緒にお昼寝して、
イタズラもして、
一緒に走り回ってってしていたレオが、いきなり今日いなくなるなんて。
『弱ってきたなー』
『年とったなー』
とは思っていたけど、まだもっと一緒にいれると思ってた。
だんだん、レオが冷たくなる。
だんだん、レオの舌が紫になる。
だんだん、レオが硬くなる。
なんで昨日、一緒に寝んかったんやろ。
私が首持ち上げなかったら、もう少しでも生きれたかな。
レオは幸せやったんかな。
涙が止まらなかった。
母は父にもすぐ連絡し、父は特別に一時退院してきた。
そして家族でそろって、レオを見送った。
いつも外で元気に走ってたレオが、小さな白いつぼの中にいる。
14年も一緒にいたからわかってはいたけど、受け入れられなかった。
レオに触れたくて仕方なかった。
原因不明の熱が下がらず、1年も入院が続いていた父の熱が、レオが亡くなった次の日から下がりそのまま安定し、1週間後退院できることになった。
レオは賢いだけじゃなかった。
本当に、家族みんなのことわかってくれていた。
1年も離れてたけど、お父さんのこともちゃんと思っててくれたんやね。
お父さんが苦しいの、レオが全部持ってってくれたんやね。
レオはほんまに、すごいね。
すごいね。
あれからもう6年もたった。
毎年レオの命日頃には、レオと出会った川へ家族で出掛けている。
レオ見てるかな?
みんなレオのおかげで元気だよ。
あの川で出会ったの覚えてるかな?
ほんとにほんとにありがとうね。
ずっとずっと大好きだよ。
また会えるまで覚えててな?
帰ってくるの待ってたんだよ
一週間ほど旅行に行って帰ってくると、猫がいなかった。
親に聞くと、私が旅行に出た日にいなくなったそうだ。
心配していると次の日、帰ってきた。
でも、ぐったりしていて、病気だという事はすぐに分かった。
獣医に連れていくと、
「もっているのが不思議だ。あと、もって1日くらいだ」
と言われ、ショックで泣き崩れた。
そしたら猫が苦しいだろうに、私の手を舐めて小さく「ニャー」と鳴いた。
その日から、猫は1週間生きた。
苦しそうでミルクもスポイドでしか飲めなくて、何もしてあげられない自分が悔しくて涙が出た。
なのに、私が泣くと猫のほうが、手を舐めて私を慰めてくれた。
最後は、私の膝の上で、ちょっとだけ苦しそうに鳴いて逝った。
病気になっていた事、気付いてあげられなくてごめんね。
旅行に行って、一番苦しい時に私を捜してたのにいなくてごめんね。
無理矢理頑張らせて、1週間も長く苦しませてごめんね。
みんなに言われたよ。
『あんたに会いたかったから、帰ってくるの待ってたんだよ。』
『あんたと、少しでも長く一緒にいたかったんだよ』 って。
そうだね、きっとそうだったんだね。
苦しかったののに、私ばかり泣いてごめんね。
私のそばにいてくれてありがとうね。
今も、あなたが大好きです。
命の恩人
昔話だけど。
実家の猫はあかさんの時、目も潰れて放置されて空き地で泣きわめいてたのを保護したんだ。
正直、化け猫みたいで触るのも躊躇するほどの悲惨さだった。
目は病院で治療してもらって開いたけど、命の保証は出来ませんって言われた。
だけどちゃんと育ってくれてね。
本当に毛並みも美しくビックリする程の美猫になったんよ。
ただ、あの空き地で声の限り鳴き続けたせいか声帯が潰れたらしく、鳴かない猫だった。
で、時は流れてさ。
俺が人に裏切られたり人生の辛苦を舐めた時期があってね。
ある日、もうどうしようもない死のうって天井からヒモぶら下げたのさ。
まさにヒモに首通した時だったよ。
猫が窓から部屋に入って来て、俺の足元にまとわりついて
「ニャーニャー」
って鳴き声上げたんだ。
ビックリしてね。こいつの鳴き声なんて一年に一回あるかないか、かすれた小さな声しか聞いた事なかったから。
うちの猫は俺の命の恩人だ。
今でも18年以上長生きしてくれてる最高の猫だ。
ありがとう
「今まで大切にしてくれてありがとねたのしかったよ
もう会えないけどほら元気出して笑ってくれないとミコも悲しいよ
バイバイ!またね!」
これ小さい頃うちの猫が死んだ時に、婆ちゃんがミーコから手紙きてたよっておれの机に忍ばせたもの
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