『可愛がってくれたじいちゃん』- 長編 – 感動する話・泣ける話まとめ

『可愛がってくれたじいちゃん』感動する話・泣ける話 - 長編【まとめ】 感動

 

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可愛がってくれたじいちゃん

 

俺は爺ちゃんにとって4番目の孫でしたが他の孫達は皆地方に住んでいて、
自営業の寿司屋を継いだ親父の子である俺を爺ちゃんは内孫として特に可愛がったそうです。

でもまだ俺が小さい頃は、爺ちゃんが苦手でした。
小学生の時、俺は少年ラグビークラブに通っていて毎週日曜日の練習後は仕事で迎えに来れない両親の代わりに爺ちゃんが迎えにきてくれました。

けど昼飯でたまにファミレスなんかに入ると爺ちゃんは昭和初期からの職人気質で(寿司屋の板前です)中々届かない料理にウエイトレスを度々呼んではいつも怒っていました。

その時の爺ちゃんは子供ながらに怒らせちゃいけない存在なんだと思っていました。
ある時、赤いファイアーパターンが自慢のMTBを爺ちゃんが勝手に真っ黒に塗ってしまったことがありました。爺ちゃん曰く、

『赤い自転車なんて女の子の乗り物だぞ!』

らしく、流石に両親に泣き喚いて親父が爺ちゃんをこっ酷く注意したそうです。
普通の祖父なら新しい自転車を買うのかもしれません。けど爺ちゃんは俺を地元の馴染みの喫茶店に連れてってこう言いました。

『俺が死ぬまでお前は此処でアイスくりぃむ食べ放題だぞ!』
あの恐い爺ちゃんがアイスって、可笑しかったのを覚えています。

いつも額に皺を寄せて恐い顔をした爺ちゃんでしたが甘いモノは大好きで、その間だけ笑顔になるのが俺自身とても嬉しかったんです。
それと癖なんですが俺は小さい頃から皺などの柔らかい部分を撫でるのが好きで爺ちゃんに逢った時はよく顎下辺りを撫でさせてもらいました。
この時も爺ちゃんは嬉しそうに笑ってくれたんです。

 

中学に入る頃、爺ちゃんは足を怪我して歩かなくなりました。
家族に甘えていたんだと思います、リハビリをしっかりすればまだ歩ける可能性はあったのに爺ちゃんは全然リハビリを受けませんでした。

日に日に身体も衰弱し、入退院を繰り返しました。
俺自身、中学生になってからは色々忙しくなり、あまり爺ちゃん家にも顔を出さなくなりました。
高校の入学式、久々に爺ちゃん家に行った時には爺ちゃんは身体も小さくなり、一歩もベッドから出れない状態になっていました。

自宅療養を願い、もうあまり時間も無いと医者も言ったので、週2でヘルパーを頼み、婆ちゃんと一緒に介護をしていました。
あまり喋ることも出来なくなっていて名前を呼ぶのが精一杯という感じです。
それでも爺ちゃんの好きな苺ジャムパンやアンパンなんかを持っていくと爺ちゃんは笑顔になって顎下を指で指してきました。

俺はやるせない気持ちで爺ちゃんの顎下を撫でました。
もっと、もっと撫でてあげたかったよ、爺ちゃん。
春、爺ちゃんの好きな桜が咲いた日の夕方、爺ちゃんは天国に逝きました。

親父に呼ばれて急いで駆けつけて、死に目には逢えませんでしたが、その顔はうっすらと、口端を上げて笑っていました。
婆ちゃんが泣きながら俺の手を握っていました。とても、とても強く。
皆で身体を拭いてあげました。

上着を脱がして背中、胸、腕…。俺の番になりました。
その時、初めて俺は涙を流しました。嗚咽も無く、ただひたすら涙だけが頬を伝っていました。俺は握ったタオルを顎の下にもっていきました。

皆が泣きました。俺がその部分を好きだというのは皆知っていました。
俺は涙で前が見えないのにゆっくりと、優しく、あの柔らかい部分を撫でてあげました。
まだ暖かく、爺ちゃんの顎下はとても柔らかかったです。

葬式は自営業の店で上げる事にしました。戦後の焼け野原から築いた場所で還してあげたかったんです。白袴も断りました。
生前爺ちゃんのお気に入りだった茶色のジャケットとストライプの入ったパンツを履かせてあげました。死化粧を施してジャケットを着こなした爺ちゃんは、あの頃の元気な爺ちゃんに戻ったようでした。

 

沢山の人が通夜に来ました。親戚、近隣住人、数少くなった友人達、若い頃世話になったというヤクザ者まで、本当に沢山の人が集まりました。
遺影はまだ爺ちゃんが元気な頃に撮ったと思われる写真が使われました。

どうも爺ちゃん自身が用意していたものらしく棚に封筒で包んでしまってあったそうです。ただ何故か荒画質の荒さが目立っていました。
それでも爺ちゃんの表情は、俺の大好きだったあの笑顔でした。

それから数日後、後片付けをしていたオカンから電話があって爺ちゃん家に行きました。するとそこには涙を流したオカンと婆ちゃんと親父がいました。

親父が俺に何かを差し出しました。
『見てみろ、お前が、あの爺さんの笑顔を作ったんだ』
俺は差し出されたものを見ました。写真のようでした。

ジャケットを着た爺ちゃんが写ってました。袴を着た幼い俺が写っていました。
俺の七五三の写真でした。爺ちゃんの顔の部分に印がついていました。
遺影に使われた笑顔は、俺の七五三で笑った笑顔でした。

俺は写真を見た瞬間、初めて人前で声を上げて泣きました。
息が出来ませんでした。息の仕方も忘れてただ泣きました。
婆ちゃんが抱きしめてくれました。オカンが手を握ってくれました。

爺ちゃん。俺、出棺の時コンビ二に走ってジャムパンとアンパン
買ってきたんだ、天国で売ってるなんて限らないからさ。
爺ちゃん。あの後、喫茶店に行ったんだ、爺ちゃんと一緒に食べた同じ席に座って同じ抹茶アイスを2つ頼んでさ、美味かったろ。

爺ちゃん。最後、あまり行けなくてご免な、優しくない孫でご免な。
爺ちゃん。それでもあんたは、最高の爺ちゃんだったよ。
爺ちゃん。本当に、本当に、有難う。

 

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